四十四 女魔道士の決断

文字数 4,515文字

「やめて、やめ……」
 腐葉土から伸びたミーレの手が力なく落ちる。

 思玲は発狂しそうだ。腐敗した土と葉に体中を弄ばれている。逃げ場がない。じきに土と一体化する。

「思玲!」
 祭凱志が葉を振り払いながら這いつくばってきた。膝立ちになり、思玲を引きずりだそうとする。

――力衰えた人よ。その娘を奪うはゆるさない
――ならば、お前達から連れていこう

 思玲の身体から木霊が去っていく。口に入った葉を吐きだす。

「ス、思玲……」
「え?」

 目のまえでは祭凱志が土に溶けようとしていた。

「お、扇を。私では足りない」
 驚蟄扇を持つ手を伸ばしてくる。
「思玲が光をだせ。追いはらえ」

 思玲は受け取る。広がったままの扇を掲げる。何も起きない。

「立ち上がれ。守りたいものを思え! うわああ……」

 祭凱志が土と化す。ミーレの身体も大きな土くれのようだ。小刻みに震えている。
 ……もう守りたい者なんてない。でも……人々を、ずっとずっと守るんだろ?
 弟を守れなかった私が。
 王思玲は立ちあがる。驚蟄扇で天を突く。

「木霊どもめ! 私の前で誰も殺めるな! 耀光舞!」

 土色の扇から、幾十色の光が舞いだす。無数の小さな光が、腐葉土へ落葉へ、蛍みたいに降りていく。

サワサワ……

 臆病な木の精霊め。潮が引くように、木霊達が去っていく。

「思玲よくやった……」
 祭凱志はまだ地面にいた。
「その扇はお前にやる。いらなければ捨てろ」

 祭凱志は半分土になっていた。残り半分は枯れ葉と化していた。

「助けて……誰か…………怖い……怖い…………」
 ミーレも土くれになったまま。

「師傅を呼ぶ。老師を呼んできます。それまで耐えてください」
 人のままである思玲が言う。無力な私が二人を助けるなんてできない。

「……無理だ。すでに朽ちている……これは永劫に続く責め苦だ。こんな様で生きられない」
 祭凱志だった腐葉土が言う。
「その光で命を終わらせてくれ。私とミーレの魂を。……終わらせて、ミーレを異形にさせないでくれ」

「無理だ。無理です」
 思玲は後ずさってしまう。

「お願い……痛い、苦しい、虫が……」
 ミーレだった土くれが這い寄ってくる。

「王思玲。これは、私から、の命令だ」
 腐葉土が喘ぎながら言う。
「私はお前を、娘のように思っていた。……父親のように愛したかった」

 思玲は地面を見つめる。思玲は泣かない。立ち尽くすだけだ。

「人でなくなるようで、怖い……。老師が研究を、続け、人が異形と、化したなら、日本を頼れ! ……老師が欲してやまない“陰辜諸の杖”がそこにある。以上だ」

 思玲は聞き流す。涙は流さない。人は土と化して生きられない。……これもだ。また私が呼び寄せた。周りの人を苦しませるために。
 それでも思玲は泣かない。私は強くなった。

 二人はどんどん土になっていく。森を為すための、生きた腐葉土となっていく。

 かける言葉などあるものか。

 苦しみは終わらせないとならない。思玲は驚蟄扇を亮相に構える。陰である闇が光と化していく。


 *****


 日月潭の林は冷え込んでいる。劉昇は思玲をサテンで包み抱き上げる。それを見つめる人影へと目を向ける。

「亡霊になられてしまったか。なにが未練ですか?」
 劉昇は祭凱志の霊に尋ねる。

「王俊宏……楊聡民……王思玲。王思玲。王思玲」
 霊である祭凱志が虚ろな目で答える。

「彼女にこだわるな。ならばここで成敗する」
 劉昇がさげた剣が赤く光る。

 祭凱志だった霊が後ずさる。

「老師。老師の力になる。老師の力をもらう」
 霊が去っていく。「冥界に二人がいた。ばらばらで、嘆いていた。だから戻ってきた。それを老師に伝える。私はどちらかを連れ帰る。そして老師の力をもらう」

「もう老師にも、こだわらないでください。あなたは地の底に引きずられなかった。もはや苦しむ必要はない。……老師の力になってはいけない」

「私は老師に逆らう」
 霊が消えていく。「王思玲を護るため……。楊聡民が惚れていた思玲。王俊宏の姉だった思玲。私の娘だった玲玲」

「この人はあなたの子ではない」
 劉昇は言うけど、もう祭凱志はいなかった。
「愚直な……」

 彼は、背中を裂かれ蒼白な顔で気を失ったままの人を抱えあげる。人の姿の土くれに目を落とす。
 絶望が染みついた顔の南国から来た娘。兄弟子であった祭凱志も苦悶の表情であった。
 劉昇は月神の剣を二度振るう。二つの屍が異界の青い炎で燃え尽きるのを見届けることなく、日月潭を後にする。



 *******



 師傅の活躍により、陰辜諸は復活するなり消滅したそうだ。楊偉天も峻計も張麗豪も、師傅のあまりの強さに腰を抜かしたらしい。そんなお方が、まさか座敷わらしなんかに……。

 祭を殺したのは私ではないと、張麗豪に嘘をついた。哲人達にも過去の出来事を隠したり虚飾して伝えた。だが仕方ないだろ。どうせ哲人だって似たりよったりだ。むしろ哲人のが……きっと悪だった。

「だから怖れられる……」

 思玲はベッドでまどろみから覚める。備えつけの掛け時計が十時を指していた。

「お目覚めですか」
 影添大社の若い女性看護師がいた。
「あなたにも輸血と点滴をしました。ここで調合されたものも……それはなんですか?」

 思玲の手もとを凝視してくる。天宮の護符を握っていた。
「これはだな、企業秘密だ」

「ですよね。……私も記憶を消されるのですか?」

「だろうな。だが怖がる必要はないし、逃げるべきでもない」
 思玲は上半身を持ちあげる。十代の肉体だろうと重いし辛い。
「他の者がどうなったか聞いているか?」

「いいえ。誰か呼びましょうか?」
「頼む。それと、あなたはこの部屋から立ち去るべきだ」

 見た目高校生に言われるまま看護師はでていき、思玲はトイレに行く。洗面台の鏡には疲れがこびりついた若いころの自分が映っていた。

「もっと辛いことがたっぷりあっただろ。頑張れ。くじけるな」

 鏡へぞんざいに叱咤して、ベッドに転がりなおす。……ドロシーは回復したかな? 哲人は戻ってきたかな? ……さすがにそろそろ誰か死んだかな? 
 ベッドテーブルにあったぬるい経口補水液を飲む。その下の段に自分のバッグがあった。『触るな危険』と紙が貼ってある。まったくその通りだから、思玲は笑ってしまう。自分だけが手を入れても安全だ。
 この中に七葉扇はない。小刀も川口市のマンションに落としてきた。それでもバッグの奥へ手を突っ込む。収納したもののなかで、欲しいもの必要なものを思い浮かべるだけでいい。さすればそれは勝手に現れる。
 思玲はバックから手をだす。土色の扇を握っていた。哲人や京とともに台湾へ慌ただしく戻った日に、師傅の部屋から持ちだしたものだ。私の代わりに劉師傅が預かってくれた扇。弟のかたきが愛用していた魔道具。……私と最高に相性がいい驚蟄扇。
 思玲は寝転んだままそれをひろげたり、突きだしたりしてみたが、右手へと隠す。

「入っていい」ドアへ声かける。

「オートロックだよ。鍵はない」
 哲人の声がした。

 思玲は舌を打ち、ドアを開けにいく。自分同様にくたびれた哲人を招き入れる。

「ドロシーはまだ寝ているけど顔色は――」
 立ったままの哲人は私の顔を見つめながら「思玲よりよくなった。ありがとう」

「私は地黒だからな」
「そんなことないし関係ないよ。……みんなで白虎を瀕死にした。みんな無事だ」

「そうか」思玲はまたベッドに横になって返事する。

「デニーかドロシーから聞いた?」

「なにを?」
 尋ねかえしながら感ずる。峻計だ。日月潭の生き残りが、もう一人の死に損ないを指名した。
「また哲人がちびったことか?」

「嘘だよ。デニーが言ったの?」
「ジョークだ。なにも聞いてない」

「思玲がいれば貪を封じられた。そんな話をした」
 哲人がすらすら嘘を述べたあとに、目を合わせずに言う。
「川田が白虎を食べた」

「……そうか」
 それが意味することは分かる。しかも夜が近づきだしている。だけど伝えることは、
「陰辜諸の杖ってのを、この社が台湾から持ちだした。返還してもらおう」

「それって?」
「細かいことは教えぬが、楊偉天が研究の礎にしようとした品だ。人を異形に変えるらしい。おそらく逆もできる」
「そんな大事なものをいままで黙っていたの」
「忘れていただけだ」

 思いだしたくない記憶とセットだろうと忘れるはずない。だけど危険だ。あの化け物が生まれるかもしれない。なのにそれは、おそらく影添大社にある。私達はそこにいる。
 悪意の誘惑か善意の導きか知らぬが、それにすがるときがやってきた。

 哲人がテーブルの椅子を引きずる。私と向き合って座る。ベッドで隣りあうのを避けやがったが賢明だろう。

「横根があの杖を捨てる。その前に、やっぱりみんなに挨拶したいって」
「ようやくか。では向かうぞ」

 思玲は眼鏡をかけて腰を上げるのに、哲人は椅子に座ったまま。そのまま黙っているから、根比べみたいに口を開けない。

「困ったことが起きた」
 ややあって見上げてくる。
「夏奈に告白された。俺も夏奈を好きが戻ったみたい」

 ……こいつは利口ぶって間抜けかもと思っていたが、ここまでだったとは。

「ドロシーを泣かすな。私はなんのかんの、あの子が好きだ」
 いろんな意味で怖くもあるが。

「もちろんだけど……夏奈とキスしてしまった」
「戦いの高揚からか?」
「いや。俺の力を大蔵司に渡すため」
「なんだそりゃ?」

 哲人は説明してくれないから私からも聞かない。
 色恋沙汰は好きだが苦手だ。それにずる賢いくせに馬鹿なこいつは、どうせまた策を練り、はぐらかすつもりが本心をさらしまくり、自分で自分を窮地に追い込みつつ戦い続けるのだろう。
 そんな奴だから。

 最後の敵は藤川匠。その戦いに、おそらく哲人が勝つ。藤川匠は孤高だ。こいつは人間臭い。困れば人にすがる。恥ずかしげもなく人に助けを求める。その差で勝つ。そしてすべてを忘れる。それまではドロシーのファンタジーでいてやってくれ……。
 こいつは、まだ言いたいことがあるようだ。あれは確か……深夜の公園で七葉扇を作ったあとだ。あの時と同じように――師傅を倒したことを告げられるぐらいに不吉な予感がした。

「思玲が輸血してくれたことを聞いたら安堵して……人のせいにするのは良くないね。……その後も空飛ぶバイクの上で六回キスしてしまった。夏奈の顔が真ん前だったから、俺からも三回。でもドロシーも好きだ。困ったことになった」

 私にどう言ってもらいたい? なにをしてもらいたい?

「そりゃ困ったな。まずは瑞希を見送りにいくぞ」
 私は哲人の隣を素通りしてドアへと向かう。
「その後は『杖を返せ』と直談判に付き合え。その後は魔道具を作るのに付き合ってくれ。つまり哲人は困ろうが悩んでいる暇はない」

「魔道具? 七葉扇が壊れたの?」
「ご名答だが、作るのは短刀だ」

 蟲が湧きでる早春を銘とした扇を補佐する魔道具をだ。そして滅茶苦茶娘どもに振り回され私を抱くこともできぬ情けない男に代わり、私が始める。

「これは誰かに持たせろ」
 戻ってきたばかりの雷木札をバッグからとりだし、哲人に放り投げる。




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