二十二 座敷わらしと猫おばさん

文字数 1,935文字

 杉の古木に受けとめられた。山林のはずれにふわりと落ちる。

須臾だっただろ

 聞き覚えのない声。地面に手をつくと下草は乾いていた。頭上には夏の星座さえ見える。遠雷がおさまっていく。
 おそらく龍も去っていく。月神の剣を持ち去った男のもとではないとしても。
 闇が静かすぎる。石鳥居の向こうに、長く急勾配の石段が続いている。その先に祠宮が見える。
 苦痛激痛。俺は受け入れる。歯を食いしばれ。

「フサフサ……」
 彼女を探す。どこにもいない。

「松本、こっちだ」
 露泥無の声が石段の上から聞こえた。
「ここが噂のお天狗さんだろ? この神様が力を示さなければ、殲さえも見つけられぬ場所に飛ばされていたかもね」

 俺は浮かぼうとして地面に落ちる。
 体が見えなくても分かる。酸を浴びた全身の火傷は治癒している。でも胸や腹を貫いた術の傷は消えることはない。石段を這って登る。女の子が降りてきて支えてくれる。

「大姐の申しつけにより松本達を守った。それは半分事実だが、見殺したところでお咎めはなかった」
 露泥無である女の子が前だけを向いて言う。
「急ごう。僕達みたいのが関わると、ろくでもないことが起きる。だとしても、あの野良猫を見送ってあげるべきだ」

 ……こいつはなにも分かっていない。俺達全員が死んだとしても、最後まで生き延びるのがフサフサだ。でかくてあくどい野良猫だ。

「リュックサックは?」どこにもない。

「フサフサが抱いている」露泥無が言う。「あの衝撃で、松本は手放したのだろうな」

 ***

 祠宮に寄りかかるようにフサフサであったおばさんはいた。ただれている……。楊偉天の雨を受けた体が回復していない。賽銭箱が透けて見える。

「フサフサ、猫に戻ろう」
 俺はリュックに手を伸ばす。

「触るな!」
 彼女は歯をむき出して威嚇する。牙が生えていたなんて気づかなかった。俺には見せなかったから。
「どこかに行け」
 目を閉じたままで言う。
「私は一匹で死ぬ。死骸はネズミに食わせてやる。それで差し引き丁度だ」

 もう見たくない黒い液を吐く。力の抜けた手からリュックが転がる。
 俺は手を入れて箱を取りだす。重みが加わり、肩ひもをつぶすように地面に落とす。

「松本とドロシーの相性は奇跡的だな」
 女の子がぽつり言う。「やらないと納得しないのだろ。松本こそいったん人に戻るべきだしね。分かっているだろうけど、僕の祈りとありあわせの天珠では、もはや回復は望めない。あの老人は松本への致命傷をあえて避けたのだろうが、それでも芳しくない状況だ」

 自分のコンディションなんて、俺が一番分かっている。フサフサが溶けていく。こいつと一緒にあっちの世界へ戻る。

「劉師傅の護布。これを被れば記憶が残るかも」
 ドーンの様に。箱の下から引きずりだそうとする。

「そんなものを覆って、巣を怯えさせられるのか?」
 露泥無は冷静だ。
「そもそも、和戸は仲間への思いだけをひたすら守ったのだろう。だからこそ記憶は残った。……さきほどみたいに記憶は青龍の光があればよみがえる。人に戻った松本の前で、僕が箱を開けてやる。座敷わらしか鱗人間になった松本に、青龍の玉を触らせる。
フサフサ、なにげに餌場をゆずってくれたな。でも僕は猫のときは飯を食べない方針だった。ごめんな」

 関わりなきものがいるべきでないと、女の子が石段を降りて闇に消える。夜更かしの鳥が、ホトトギ……と寝ぼけたように鳴く。遠い雷はもう聞こえない。俺はムジナを信じる。だから木の箱を開ける。錆びた箱も開ける。黒い光がふわふわと寄ってくる。

「邪魔だ!」
 一喝する。光が玉に戻る。俺は峻計と麗豪を思い浮かべる。
「白虎の光を戻せ」
 フサフサが消えていく。使い魔達を思い浮かべる。
「猫に戻すんだ」四玉に命ずる。さらに楊偉天を思う。「怯えろ」

ウワン、ウワン……

 四つの玉が震えだす。俺のなかから異形の力が抜けていく。心地よいほどの虚脱感。安堵しながらフサフサを見る。……白い長毛の猫がぽつんと座っていた。きょろきょろと見わたしている。

「駄目だよ……」

 なのにフサフサの魂は東の空を見る。軽やかに天へと走りだす。

「おいでよ! あがけよ!」

 脱力していく座敷わらしが尻尾をつかむ。フサフサの魂が呆れた顔を向ける。手から尾は離れていく。俺の考える力も消えていく。
 青い光も名残惜しそうに俺から去っていく。

「フサフサ……」

 声にならぬ声をだす。東の空が白みだしている。虚無に包まれる。またもやすべてが中途半端に終わりやがる。









 なにかが頬をくすぐる。……俺こそあがけ。
 目を開けると、野良猫がにやけ顔で覗いていた。青い光をくわえている。手を伸ばし受けとる。
 野良猫は見届けると、薄らぐ空へと駆けていった。




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