五の三 めくってはいけない

文字数 3,055文字

「瑞希ちゃんは元気ないけど当たり前だね。慰めてあげたいのに、私を警戒しているから」

 ダミーの運転手の大蔵司が言う。異形の車は、都心を流れに沿って進む。

「夏奈は?」
「元気だよ。異様なぐらい」
「ふうん」

 そぞろな返事をしてしまう。そんなことを聞く必要などないのだから。
 両手でしっかり握っている泥まみれの古びた書をめくり、『桜井夏奈』と尋ねたら、死人達はすべてを教えてくれるだろう。彼女の生い立ち、彼女が誰を思っているかも……。
 そんなのを知る必要ない。俺は死者に呼ばれていない。でも投げ捨てる訳にもいかない。だからシャツの中にしまう。

『渋滞加味であと十分で到着。きゅきゅきゅ』
 カーナビが教えてくれる。

「瑞希は何故に大蔵司を警戒する?」
 背後の思玲が尋ねる。

「彼女が社のシャワー室を使っている時に、一緒に入ったらそれだけで。見た目は中一のくせに照れちゃってかわいいんだ」

 横根の中身は十九歳で、彼女の裸体は何度か意図せず見ているけど、それさえも死者の書には記されているのだろうか? しかも画像付きで。さすがに動画は
 俺は何を考えているのだ!

「眼鏡はどうするの?」後部座席へと話題を振る。

「かけていないと世界がぼやける。哲人はガリ勉君のくせに視力は良いままか」

 どのサイトで日本語を勉強したか知らないが、思玲は父親が口にするような言葉をたまに使う。死者の書をめくれば、それも解決するのに……。
 俺は絶対に囚われかけている。六魄がなついたように、死者の書にも呼ばれている。一度死んだからか? 強敵がたっぷりと待ち構えているから?
 だとしても書を手離したくない。南京のお寺なんかに返したくない。このことしか考えられなくなっても……。
 一度ページをめくれば、心が収まるかも?

『あと二分で到着きゅーきゅー』

 台輔の声で我に返る。思玲と大蔵司が何か話していたみたいだが聞いていなかった。雅は例によって静かだ。寝ているのか、なんて思ったら。

「思玲様。ここを降りるべきではないかもしれません」
 いきなり声を発する。

「なにか感じたのか? 私には分からん。大蔵司は? 海の豚は?」
陸海豚(りくいるか)の台輔と呼ぼうな。きゅきゅ、俺にも分からぬげ』

 音楽を流してないと、車に封印された台輔はスピーカー経由でよく喋る。

「私もそっち系は駄目。(みやび)ちゃんは異形の中でも別格じゃないの?」
(ヤー)と呼べ。――雅、具体的に答えろ」

 ちなみに俺にも分からない。気配を探るのは思玲や川田や夏奈に勝てない。白猫にも、フサフサにも。峻計にも……土壁にも。
 死者の書に聞けば解決するかも。

「あいつらか?」雅へと尋ねる。

「奴らの匂いではないが、強い何かを感じた。すぐに消そうと間違うはずない。折坂という獣人ほどの何かだ」

「そのまんま折坂さんじゃね? 満月までまだ日があるから籠っているわけないし」
 運転席の大蔵司が雅へ笑う。メイクを落としてもきれいな顔立ち。きれいすぎる顔立ち。
「カラス(ドーンのことだ)達の監視をしているのかも。どっちにしても私も降りてあげる」
 その手に神楽鈴が現れる。

「私も結界を張れる。雅も哲人もいる。けっこうだと言いたいが」
 思玲もバッグから七葉扇をだす。「折坂だとしたら正直怖い。一緒に来てくれ。なにかあったら私達の味方になれ」
「なれるはずないし。台輔、そこの駐車場に入ろう。料金は台湾が支払ってね」
「俺だけ行くよ。何もなかったら呼びに戻る」

 好戦的女子達に母校近くで魔道具をだされたらたまらない。この町はすでに争いの舞台になっているし。
 ここからならば歩いて五分ぐらいで川田のアパートに着く。それに折坂さんは味方だ。俺は会っている。そのやさしい眼差しを知っている。

「哲人だけなら折坂もいきなり八つ裂きにしないだろ。だが念のため雅も向かえ」
「だから俺だけ平和に向かう」

 ピンクのワンボックスカーは狭い駐車場を苦にせず自動運転で車庫入れする。助手席のドアだけ開く。

 ***

 歩き慣れた道。週に三日は通った道。郊外のアパートに帰るのが億劫でバイトのない日は泊まった部屋。そこに川田とドーンがいる。今朝まで俺もいたけど。

 この一日が数日に感じる。それまでの数日は永劫の苦役のように感じた。だから思玲を迎えにいった。彼女と合流すれば何かが変わるのではないかと。
 実際は、思玲はより妖しく綺麗になったけど他は変わらずだった。その場しのぎを口にして、問答無用で扇を交差……したのだろうな、記憶にないだけで。ドーンと同じく肝心な場面だと俺に決断を振るし。
 弱い五人が弱い六人に増えただけかもしれない。しかも、とんでもない判断ミスをしたかもしれない。思玲(あの子)を俺達の戦いに巻き込んでしまったかもしれない……。

 魔道士だの陰陽士だのを知り得ただけが収穫だ。実りなき収穫だ。御託を並べようと奴らは私利で動く。この国や広州に至っては金のために動く。影添大社はそれを繰り返し、いざ人の目に見える龍が現れたら、魔道団に見捨てられた。
 ……上海は貪を倒そうとするのだろう。でも、あそここそ不穏な気がする。記憶を消されたのが悔しい。麻卦さんだけ知っているのも怖い。つまりどこも頼りにできない。

 頼れるのは一人だけいる。当初は人里近い闇に怯えていたのに、気づけば強敵に真っ正面から立ち向かっていた。あの子のせいで不要ないざこざも多々あったけど、そうだとしてもあの子のおかげで生き延びたかもしれない。
 でも彼女も、しょせんは大きな組織の歯車の一つだと知った。十四時茶会で上海の名をだした俺を突き放した。無敵に感じた彼女も、百歳ぐらいの老女の言動を気にしていた。萎びた婆さんよりも無力だったんだ。
 そもそも彼女まで巻き込められない。なぜならば俺はドロシーを好きだから。夏奈に匹敵するぐらい。夏奈の笑みが俺に向けられる日までは。
 誰の力も頼らずに、六人が力を合わせて、まともな人に戻る。そのためにあがいてもだえ続けるだけだ。
 川田のアパートへの三叉路を曲がる。

 東京だから当たり前だけど人がいる。三十代ぐらいの白シャツ姿のサラリーマンがうつむいて、道の端をこちらへ歩いてくる。俺に気づくはずないけど、それでも車一台が通れるほどの道を譲るため反対側へ移動する。夜だから、こんなくたびれた人は俺に触れるだけで吹っ飛ぶに決まっている。
 ……ふわふわでいいから、また空を飛びたいな。いまの体はパワーがあっても機動力に劣る。男性とすれ違う。その人は俺へと顔をあげる。残虐な目を向け――

 とてつもない力にはじき飛ばされる。爆音に包まれる。俺の体を民家の塀に食い込ませ、それを押し倒す……気を失うな!

 全身が痛い。妖怪のくせに後頭部から血が流れている。だとしても俺はよろよろと立ちあがる。手に独鈷杵が現れる。……粉塵の向こうに、目の前にあったはずの道が消えていた。サラリーマンのおじさんも。

「いまのがレベル11だ。新機種はピンポイントで波動を放てる。高度635メートルからでもな」
 上空から声がした。
「僕は台湾で白虎に会っている。人の姿に化けようが気づくに決まっている」

「思玲様がいなくてよかった。あの方は俺達に気づいて、狩りに集中した猫に勘ぐられたぜ、チチチ」
 琥珀に続いて九郎の声もした。

「哲人は傷だらけだろうがすぐに治るのだろ? だったらとりあえずアパートに行くじゃん。こんなでっかいクレーターを作ったら、川田を連れて逃げださないとな」
 ハシボソカラスが俺の頭に止まりカカカと笑う。




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