九の三 悪は成敗される

文字数 3,047文字

 上空を舞う影は俺達を追跡してきた。ブドウ棚が守ってくれている。

「あんなのがいたら飛べるはずねーし。小鳥の気分がよく分かった」
 ドーンがぼやく。
「て言うか、あの子も魔道士だろ? 思玲と同レベルだろ? さすがにもういないと思うけどな。――峻計がいたりして。あの三羽もいたりして……。やっぱりフサフサと合流しとかね? あのおばさんと一緒のがマジで安全だし。そんで朝になったらお天狗さんに行こ」

 頭上でまくしたてないでほしい。

「ドロシーには武器がなにもないだろ。そいつらがいるのなら、なおさら助けないと」
「別れ際のあの子の顔を見たかよ。般若のように哲人をにらんでいたぜ。哲人こそ彼女の敵だし。て言うか、リュックを返したら箱はどうするんだよ」

 うるさいカラスだ。「それは思案中」とだけ答える。考えようもないから到着してから考える。
 畑が途切れたので、隣接した林に入る。

 *

「お化けタカがあきらめたな。麓に戻ったぜ」ドーンが安堵する。「猛禽賊の気配だけは俺にもよく分かる」

 野良猫だった人はなおも犬を恐れ、人だったカラスはタカに怯える。
 この林をたどると異なる山に向かいそうだから、ブドウ棚の下に戻る。欲をいえば車道から離れたくない。でもむき出しにはなりたくない。車のライトが多ければ、それを目印に道からはずれないで済むのだけど。
 正面に栗色のライトが見えた。……車の光じゃないよな。まぶしくないし、木々の間を縫ってくるし――。

バシン

 光と正面衝突する。ドーンが悲鳴をあげて飛びあがる。ブドウ葉を揺らして空に消える。

「捕捉したよ。あきらめな」若い女の声。「(やっ)ちゃん、まずは照らして」

 光が直撃した胸がじんじんと痛む。でも、もっとすさまじい光を浴びたことが……。記憶を掻きだしている場合ではない。昼間に笑いながら扇を向けた女性が、今夜は真顔で扇を向けているのだから。
 四方から、いや八方からマリンブルーの光に照らされる。

八千男(やちお)は土蛸だよ。逃げられない」

 日本名かよ。マリンブルーの照明のなかへ、シノがやってくる。

「ドロシーのリュック……。戦利品のつもりか」

 返しにいくところですなんて、信じるはずないだろうな。……これには箱が入っている。奪われるわけにはいかない。俺はリュックを背中からはずし、シャツの中に移す。おなかが少し膨らんだ程度だ。
 シノの形相がさらに変わった。

「八ちゃん、こいつらを消滅させよう」

 腐葉土を揺らすこともなく、地面から赤いタケノコが生えてきた。あっという間に人の背丈ほどになり、そのさきの吸盤が俺に張りつこうとする。
 人間だった俺を転ばしたのは、このタコの足だ。俺は宙に浮かんで避ける。銀色の糸が無数に飛んできた。青色に照らされる。避けきれずシューズにからみつく。地面へと引き寄せられる……。

「わあ、わあ、わああ!」

 悲鳴をあげまくってしまう。
 ブドウ畑の底から、クモの目をした馬鹿でかいタコが顔をだした。

「避けろよ、のろまかよ!」

 マリンブルーが照らす人の背ほどの空間に、カラスが戻ってくる。俺にまとわりついたクモの糸をくちばしで断ち切ろうとして、からみついて地べたに落ちる。

「台湾の雑魚どもが」
 畑の土を重たげに踏みながら、シノが寄ってくる。
「我々は魔道団。仲間の復讐は命に代えても成し遂げる」

「あの子は死んでねーよ。いまから助けに行くんだって」
 くちばしが開かないドーンがもごもごと叫ぶ。

「ほざくな!」

 シノが扇を振るう。栗色の光を喰らい、ドーンがまた悲鳴をあげる。

「やめろ!」

 糸を引きずって浮かびあがる俺へと、顔ほどもある吸盤が顔に貼りつく。……妖怪のくせに息ができない。吸盤から逃れようにも粘液に手が滑るだけだ。中一の夏の出来事を思いだして、パニックになる。あがきだす。でもドーンを助けないと。

「八ちゃん、この物の怪を消すの許可するね」シノの冷酷な声がする。「そしたらリュックだけが残る」

「やめろよ! 哲人逃げろよ!」ドーンが叫んでいる。「あの娘のところに連れていくから、やめてくれよ!」

 俺の意識は遠のきはじめる。

「道案内は一羽で充分だ」またも冷酷な声。「羽根が折れた鴉だけでな」

 直後にドーンが悲鳴をあげる。……片羽根で闇夜に舞いあがった迦楼羅。子犬を助けるために……。
 ドーンこそ助けろ!

「どけ!」

 俺は土蛸だかに命じる。化け物がびくりとしやがった。吸盤に隙間ができて、数十秒ぶりに息継ぎできた。タコの手に手を押しあてて逃げだそうとするが、式神が主の命令に背くはずなく、さらに強く吸いついてきやがる。直前に息を大きく吸いこむ――。うわっ、別のタコ足も胴体に絡まってきた。服がぬめるけど、それどころじゃない。締めつけられても力ではかなわない。
 化け物を倒すための武器が欲しい……。せめて抜けだすために。

――仲間への助けを呼んだか、か弱き精霊よ

 誰かの声がした。

――ならば、さらに弱くなればいい……

 声じゃない。これは合唱だ。輪唱だ。俺の力が抜けていく。

 ぬるりと落ちる。腐ったデラウェアの横から見上げる。ブドウ棚を壊さぬように、狭苦しく巨大なタコの足がうごめいていた。

「や、やった。哲人が座敷わらしだ」

 ドーンの声がした。カラスは足を糸にからまれて逆さづりになっていた。
 俺の怒りが鼓動と化す。

「まだ元気ずら! 戦え!」

 ドーンに命ずる。俺自身もブドウ棚に越えて、空に浮かびあがる。おのれの姿が、おのれに見えないことに気づく。

カカカッ

 笑い声とともに、ドーンもブドウ棚を突き破ってきた。カラスではない。迦楼羅だ。

「八、逃がすな!」

 シノの声とともに、土蛸も顔を宙にあらわす。ゆであがったような赤い体に、ふたつのでかい目とふたつの小さい目。四つの牙をもつ異形だ。

「やってやるぜ」

 カラス天狗のごときドーンが手に蔓を持ち、背中の羽根を羽ばたかせながら不敵に笑う。
 ぶどうの蔓で戦うつもりかよ。女魔道士も跳躍して、ブドウ棚の上にふわりと着地する。彼女の目は俺達への怒りで染まっている。こいつは敵ではないと、俺の怒りはしぼんでいく。
 彼女は扇を振るう。栗色の光を、俺はひらりと避けるつもりがぶつかる。痛い。

「スマホがつながらなくなった」
 シノが俺をにらみながら言う。
「電波もいじれぬ。貴様は木霊を味方とできるのか」

 彼女はパンツのポケットからなにかを取りだし、口にくわえる。草鈴だ。俺達には聞きとれない音を奏でさせている――。ゾワッとする。この音を聞きとれる奴がいると、か弱い妖怪の感がうずいた。人の振りをした異形の禍々しい顔を思いだす。逃げないと……。
 あいつはここにはいないとフサフサが感づいていた。ならば続行だ。

「ドロシーに会いたいのならば俺を追え」
 俺は香港の魔導士に命じ「ドーン、いまは戦わない。お天宮さんに急ごう」

 伸びてきた足を蔓で追いはらっている迦楼羅に告げる。なんならハイエナ達に俺を追わせてもいい。思玲達への気がかりが消える。

「違うだろ、川田達を守るんだろ」
 ドーンがタコへと蔓を投げつける。
「カッ、いまは哲人に逆らえねーし。力のあるうちに行こうぜ」

 ばさりと飛んできて、俺を両手でつかむ。

「いまの俺ならばタカにも大カラスにも捕まらない」ドーンがうそぶる。「でも場所は分からないから案内して」

 カラス天狗とともに天高く浮かび上がる。加速する。山が影としてのしかかってくる。眼下に集落のまばらな光が、飴カスのように散在する。




次回「座敷わらしと相棒カラス」
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