十七 失われ過ぎた記憶

文字数 4,237文字

「哲人が土壁を倒したことなど霞むほど、私は思いきり安堵している。この陣営ならば貪が来ても太刀打ちできる」
 黒縁眼鏡の思玲が大蔵司へ紹介する。
「哲人の田舎で挨拶させるべきだったが、哲人の

ぐちゃぐちゃになってしまった。――この娘が香港魔道団のドロシー。ある方の親族であり、育ち盛りのエイティーンだ。鍛錬を積み力を制御できれば、京ぐらい強くなる」

「つまり思玲ぐらいってことだね」
 大蔵司がにっかり笑う。

 二人は並んで煙草を吸っていて、名前で呼びあう関係になっていた。
 パジャマ姿のドロシーが照れたように会釈する。泥と血だらけの夏奈はまだ気を失っていて、大型四駆の後部座席に乗せられている。

「ドロシーは少し太ったな。怪我をしていようが鍛錬は続けろ」
(つい)。大蔵司さんもおチビちゃんだった王姐を知っていますよね? あの子は素晴らしかった。弱いのに先頭で戦い、実際に敵を撃退した(峻計のことだ)。戦いの場での王姐だけは尊敬できる」
「ふだんの私はどうなのだ」
「あまり褒められない子だった」

「琥珀と九郎と露泥無は?」
 俺は顔をひきつらせた思玲へと尋ねる。

「琥珀と馬鹿は上空から監視している。ハラペコは逃げた。これより上海が関与してきても味方だと思うな」

 ハラペコが去った? 主である沈大姐に報告のためだろうけど。

「どうやって?」
「知るか。魄とともにいなくなったみたいだ」

 六魄も去った? 死が遠ざかったみたいでちょっと安堵してしまうけど、それよりも、俺の脳裏に緑色の瞳が浮かぶ。デニー……。
 彼らは味方ではないけど敵ではない。なんて思わない。誰もが敵であり味方だ。それをドロシーにすら感じてしまうから。
 混沌でなく導きだ。その中心に居続ける者が信念を成し遂げられる。俺の信念は五人が本来の五人に戻ること。何よりそれを考えろ。そのために貫け。

「ドロシーちゃんはかわいいね。日本に来るならば私の部屋においでよ。着替えも貸してあげる」
「ありがとうございます。ドウチェ、ドウチェ! これって広東語でありがとうです」
「うわ、まじかわいい。靴跡がかわいいパジャマも私が洗濯してあげる。代わりに、その鷲を封印させてくれるかな」
「はい?」

「私のランドクルーザーを貸してやる。お前は風軍をレンタルする。さすれば空飛ぶ自動車の出来上がりだ」
 思玲が付け足す。

 車が空を飛ぶ? あり得るのか? 俺は乗りたくないし夏奈を乗せたくない。そもそもドロシーが風軍を差しだすはずがない。

「その車と風軍が合体するのですね。エキサイティングです! 私に運転させてください。無免許ですけど飛行機だって操縦できます!」
「やばっ、瑞希よりかわいく感じてきた。だったら松本は桜井ちゃんを降ろして」

「また出られるよね。僕まで主様に叱られないかな」
 ドロシーの肩にいる鳩サイズの風軍がぐずりだす。

「私を台湾まで乗せたことにお爺ちゃんは激怒する。かばってあげるから素直に従って」
「……はーい」

 魔道士達による式神の扱いなんて、こき使えるペットだ。香港から戻ってきたまま、はるか上空でレベル11を当てるために待機させられるほど荒く使われる。もしくは車に押し込められる。
 ……翼の上で帰るより安全かな。快適に日本へ帰れそうだし、少なくとも夏奈が転がり落ちない。
 俺は夏奈を抱き上げる……。無垢な寝顔。無警戒すぎる寝顔。

「どれくらいで目を覚ますのかな?」

「気付けの術を使えば、すぐに意識は戻る」
 ドロシーが露骨ににらみながら答える。
「でも私はしたくない。意地悪でなくて私の術は強すぎるから」

「やはりドロシーと桜井は喧嘩したのだな。哲人の奪い合いか?」
 デリカシーがゼロの思玲が言う。

「そのつもりはなかったけど……」
 ドロシーが夏奈を見つめる。
「とにかく彼女は二十四時間監視が必要。さもないと龍になる。この四人で退治することになる」

「それはない。桜井が瑞希や和戸達を置いていくはずない。――京、始めてくれ」

 姑息な俺は夏奈を抱えたままで、思玲の言葉を否定も同意もしない。
 大蔵司の手に神楽鈴が現れる。

「ほんとは誰にも見せちゃいけないんだ。でも車と式神を借りるから特別にご披露しちゃうね」
 なんていい加減な奴だ。
風軍(ふうぐん)ちゃん、おっきくならなくていいから車の上に乗って」

 風軍がドロシーの肩を離れる。大型四駆の屋根で羽根を下ろす。
 大蔵司が神楽鈴を横にして両手でつかむ。真剣な表情。凛とした眼差し。

「古くさい言葉は不要。言霊の連なりに気を込めるだけ。行くよ!
御霊なきものに心を差し込めよ。体なきものに肉を差し入れよ。さすれば我に従え。闇照らすことなく影に添え。我とともに陰と化せ!」

 風軍の身体がランドクルーザーに吸いこまれるように消える。白色だった車体がダークグレイと化す。

『すげー! ドロシーちゃん、かっこいい?』

 ランドクルーザーが嬉しそうに尋ねる。クラクションをかき鳴らしてうるさい。

「見せたところで問題なしだろ。術の系統すらチンプンカンプンだ」
 思玲が絶滅危惧めいた日本語を心の言葉で話す。

「そうかな。理屈は伝わった」
 ドロシーが松葉杖を横につかむ。「私にも出来たりして、試さないけど。この術は邪だ」

 大蔵司の顔が少しひきつった。

 ***

「止まれ、止まれ」思玲が怒鳴る。「飛ぶまでは私が運転する」

 ドロシーは、すれ違い不可能の山道を、異形の俺でも固唾を飲むほどにかっ飛ばした。助手席の大蔵司はルームミラーを自分に向けてメイクを直すだけだけど。

「どうだ? 異常はないか?」
 思玲は思玲で運転を代わるなり、天珠を片手に琥珀と連絡しだす。
「……分かった。現れたら躊躇なくレベル11だ。街で給油したら飛翔する。そしたら合流するぞ」
 天珠をポケットにしまったあとも片手運転を続け、
「龍は見当たらないらしい。さすがにこのメンバーに喧嘩は売らぬか」

 貪が現れたことは教えてある。夏奈がドロシーを二度蹴ったことも、蹴られた本人が憤慨しながら暴露した。暴力をややオーバーに脚色していたけど、夏奈に言われたことは口にしなかった。

――お前は化け物だらけの世界を作ろうとするだろ

 俺もわざわざ教えない。ドロシーがそんなことを望むはずない。

――いつか私も人の世界に帰して

 正反対のことを、俺は頼まれているから。

「松本。日本に戻ってのスケジュールは?」
 大蔵司は俺にだけトゲある口調になる。

「まず川田達と合流する。それからみんなで影添大社に謝罪する。……それから、みんなが人に戻る」
 意志あるところにしか道はない。突き進め。

「まったく具体的ではないが多少は進展しただろう」
 思玲が運転しながら言う。「それとだな」
「へへ、より前進させるために私は来たんだ。だからずっと付き合う。香港にはしばらく戻らない」
「話の途中だ。……秋だし、暴雪は復活したと思う。だが二十四時間上空から見張らせるから案ずるな」

「暴雪って韓国の式神ですよね? キム先生が香港にきたときは連れてこなかった。白虎がどうしたのですか?」
「ドロシーには教えない。余計にこじれそうだ」

 俺も思玲に同感だけど……紅色に輝く天宮の護符。
 ダメだ。巻きこむな。

「なんで季節が関係あるの?」
「なんで陰陽士が知らないのですか! 白虎は白秋。西であり秋です。いまは奴の季節です。朱雀は夏であり南。玄武は北と冬。そして青龍は東と春。風水の常識です。そんなの知らなくて陰陽を名乗れません」
「私らは普通の陰陽師と違うんだよ。道士と魔道士ぐらい違う」

 ドロシーがまた大蔵司の顔をこわばらせたけど、……西の護りである白虎。四神獣の一体。簡単な敵であるはずない。
 まったく誰かのせいで余計な七難八苦だ。彼女の思いつきが成功した試しはほぼ無いので、琥珀が空でスマホを握っていようと、自力で守る覚悟だけはしておこう。

「さっきの魄はどうしました? 影添大社の人ならば知っていますか?」
「ドロシー、はしゃぎすぎだ。魄の話題はタブーだ。気をつかえ」

 思玲の言葉にドロシーはうつむき黙る。俺からは話しかけない。そしたら彼女はまたも必死に喋りだす。周囲がひくほどに。

 *

「ヘリ壊したのを、執務室長が許してくれるはずないよ」
 時間を置いて大蔵司がぽつり言う。

「宮司さんは?」
 後部座席に移ったドロシーが尋ねる。

「尊称だから

付けしなくていい。そんなのも知らないんだ。……みんなは会えないし会わせられない。私の一番の任務は宮司を

から守ること。誰も会わせない」

 ちょっと沈黙が漂った。
 夏奈の静かな寝息。彼女は俺とドロシーのあいだで寝ている。俺の肩にもたれて寝ている。俺の血で黒くなった忌むべき杖をまだ握りしめている。

「風軍、静かだな」思玲が車へ声かける。
『えっ? ごめんなさい。寝ちゃった』スピーカーが答える。

「はは。強い子だね。いまから飛ぶのは君の力でだからね」
 大蔵司が楽しそうに笑う。「この車と風軍をしばらく貸してくれたらいいのに。冗談だけど」

 閃いた。
 可能かどうかも分からないし、まだその時ではないけど。

 *

「うーん……」

 ガソリンスタンドをでたところで、夏奈が寝返りを打つ。ドロシーへ寄りかかり、肘で押しかえされる。

「この人間が起きそう」
 その肘を手で払いながら、ドロシーが嫌悪の声をだす。
「思玲か京、気絶の術を当てて。私のは強すぎる」

 彼女も真似して呼び方を変えたのが痛々しい。それより何より目覚めかけた夏奈の意識を飛ばすだと?

「起こそう。どれくらい忘れたか確認しておくべきだ」
 一月以上も消えたら今までの苦労が台無しだ。

「あまり関係ないよ。私の術で記憶を喪失しても、一か月前のワンシーンに意識が戻るだけ。それに消した記憶の量が多いほど、すぐに霞んでもとに戻る」

「全部の記憶ではないだろ? ドロシーの術の話は次元が違いすぎて意味不明ゆえ、私も哲人に賛同だ。――京、気付けをしてやれ。それと煙草をもう一本くれ」

 思玲が運転しながら言う。未成年に戻ったら喫煙習慣も復活したらしいが車内で吸うな。

「……私がやる。()!」
 いきなりドロシーが夏奈の眉間へ握りこぶしを向ける。

「わあ!」

 夏奈は天井に頭を当てるほどに飛びあがる。

「ここはなんだ?」
 車内をぼんやり見まわす。横を向いて俺と目が合う。
 夏奈の目がおおきく見開く。うわあ、すごくかわいい……けど。
「き、貴様は司祭長!」

 人とは思えぬほどの憎悪を向けてくる。




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