二十七の二 人燃し頃

文字数 3,528文字

 黄昏時だ。夜がそこまで迫っている。土曜の夜だ。校内の人の気配もほとんどなくなる。
 同じ校舎の裏側にある業務用の蛇口に口をつけ、思玲はむさぼるように水を飲む。地面にひろがる水たまりに膝をついたまま、顔を洗い、もう一度水を飲む。

「なにがあったか聞きたくないけど、思玲は傷だらけだな」
 狼がつぶやく。俺はうなずくしかできない。
「松本、一日が終わっちまったぞ。俺達はどうすればいいんだ?」

 俺は黙るだけだ。……打開策が欲しい。思いつかない。

「案ずるな。過去の事例のいくつかは、これから始まりだった」
 彼女が口もとをぬぐう。

 ばさばさと黒い影が飛んできて、誰もが身がまえる。

「瑞希ちゃんが戻ってきたぜ。ダッシュで図書館の事務室に入っていった」
 見まわりを買ってでたドーンが飛んだまま言う。

「思玲のことが心配なのかな」
 俺が言う。横根ならあり得る。

 狼が片目で遠い目をする。
「読み聞かせの締め切りが昨日だったよな。まだ間にあうか、お願いしに来たかもな」

 それもありだ。思玲が舌を打つ。

「なにも覚えていないのだから仕方ないが、できればすみやかに去ってほしかった」

 でも俺の頭に可能性が浮かぶ。
「横根の珊瑚で、護符を浄化できますか?」

 思玲が俺をにらみ上げた。……まくしたてられるぞ。

「その珊瑚は私のものだから返せ。日本語でなんという? いいか、あの受け継がれし玉は所有者しか扱えぬ。だが呪文を知らぬ瑞希に海神の玉は扱えぬ。それでいて、一度は死んだ瑞希が珊瑚を手放せば、どうなるかなど分からぬ。さらに言えば、私には祈りの資質がない。さんざん見てきただろ」
 可能性がまたたく間に消える。

「人に戻った瑞希ちゃんを、またこっちに引きずりこむのかよ。俺は納得できないね」

 ドーンが追い打ちをかける。まったくもって、こいつの言うとおりだけど……。
 ふいに狼が鼻さきをもたげる。うなり声をもらす。

「どうせ時間の問題だったな。珊瑚を持たぬ私も異形を引き寄せる存在だった」

 思玲が中庭の奥を見る。ついで俺も気配を感じる。
 思玲は傷つき疲れ果てている。でも川田とドーンはそばにいてくれる。桜井がここにいないのが救いだと思いこむ。……隠しきれない気配が近づいてくる。横根の後ろ姿を見送ったのは、ついさきほどだというのに。
 思玲は蛇口に手をつき、またも毅然と立ちあがる。終わりを告げる夕焼けが東の空まで茜色を伸ばし、空一面から俺達を染める。

「思玲の香り、怯えるとなおさら素敵よ。西洋の糞どもと契約してまで生き延びるとはね」
 朱色に照らされたあいつが笑う。

「私じゃない。こいつだ!」
 俺を指さしやがる。

「あなたも生きているのなら、同じでしょ」
 そう言うと、峻計は恐ろしいほどの夕焼けを見あげる。
「あの小鳥は誰も追っていないのに、どこまで逃げるつもりかしら。――海藍宝は怯えずによく見な。剣がどこにあるって?」

 峻計が指を鳴らす。沈む間際の西日を浴びながら、異形の一団が現れた。
 巨大な二匹の鬼と浮かぶ小鬼。その前には、赤いチャイナドレスの女。

 *

「スラングで、エモいって奴だろ」

 人の言葉を混ぜながら、小鬼が空を撮影する。
 四対四。だけど絶望的に力の差がある。俺達でまともに戦えるのは川田だけか。おそらく鬼にもかなわない。なのに、

「お前が峻計か!」

 狼が駆けだす。先頭の峻計へと飛びかかり、はじかれるように地面に転がる。……痙攣して動かない。

「何度も喰らいやがって学習能力無しか? この電波はしびれるんだ」
 小鬼がスマホを操作しながら言う。「おっと、朱雀くずれもか?」

 小鬼が空へとスマホを向ける。川田のもとへ飛ぼうとしたドーンが、旋回して上空へ逃れる。俺は思玲に抱き寄せられる。

「峻計さん、扇をおろしてください。面白いことを思いつきましたから」
 小鬼は思玲を見つめながら言う。
「この狼も人間ですよね。だったら傀儡の術が使えるかな」

 黒羽扇を川田に向けていた峻計が、邪な笑みをこぼす。
「さすがは老祖師のお気に入りだ」

 峻計が横たわる狼の頭に手を置く……。なにを企んでいるのか、気づいてしまう。頼むからやめてくれ。

「素敵な名前ね。……ふふ、逆らわないでよ」
 あいつは川田の頭をさすりながら俺達を見ている。
「人の心を持つ異形は、心を残して傀儡になるのね。なおさら面白い。――これは私の式神よ。手負いの獣」

 峻計が指を鳴らす。川田が目を覚まし四肢をあげる。

「お、おのれ。そいつは傷を負っただけの四神くずれだ。そもそもが人だ! 川田を開放しろ」

「手負いの獣……」
 小鬼がスマホを素早くタッチする。「式神ランクは……。すげえ、星4.5」

 何段階評価だろう、なんて思っていられない。川田が俺へとうなりだした。

「人だから傀儡になれるのよ。リクト、お座り」

 峻計の指図に、川田が伏せるように座る。俺達へといつでも飛びかかれる姿勢だ。あいつは狼の頭をさらになでる。

「川田、聞こえているだろ? こっちへ来いよ」
「馬鹿哲人、声をかけるな! あいつの言ったことが真実ならば、心の中でなおさら苦しむだけだ」
 思玲が唇を噛む。「扇さえあれば、あの術は解ける」

 峻計は川田の頭をさすりながら、ほくそ笑んでいる。おそらく心を読んでいる。
 峻計が狼の頭から手を離す。

「黄玉、手柄だよ。たしかに人に戻った。褒美に人間を殺すのを許可してやる」

 黄色い腰巻の鬼がぽかんとする。

「さっきの娘を殺せと言ったんだよ」
「……おっしゃ! 血も骨も残さねえぜ」

 鬼がどたどたと走りだす。娘とは……横根に決まっている!

「峻計さん、もとの白虎くずれを食べる気でいますよ。人の世界がパニックになって、四神の儀式をやりなおすどころじゃなくなる」
 小鬼が後ろにずれたフードをかぶりなおす。
「あらたな白虎くずれを仕立てるには、箱を取り返さないとならないし……。まったく北七だらけだ」

 小鬼がさらに浮かびあがる。もとの白虎くずれとは……これまた横根じゃないか!

「ドーン。横根を守れ!」

 俺は空に叫ぶ。リセットしたがっているのは、あいつらだった。
 カラスが血赤色の空を飛ぶ。鬼を追いかける。峻計が空へと扇をかざす。黒い光は間一髪ドーンに当たらない。
 俺は思玲の腕のなかでもがく。こづかれて反転させられる。

「まだだ!」唾が飛ぶ距離で怒鳴られる。「瑞希を見捨てない。まだ案ずるな!」

「思玲うるさいよ。黄玉は、つき落とすとか知恵を使ってきれいに殺してね。……こみいっているときに邪魔だ」

 峻計が振り返り、黒羽扇をV字にかざす。黒い光が飛び、歩いてきた男性二人が声もなく倒れこむ。……マジかよ。霊が浮かびだす。

「若い男が二人、心臓発作で並んで急死。きれいじゃないけど、この暑さならありえるでしょ」
 あいつが笑い顔を俺達へ向ける。

「うわあ、あの鴉に当てられなかった腹いせですか」

 小鬼がわざとらしく叫ぶ。残った鬼は大笑いしている。俺は生身の人間の死を目のあたりにして、恐怖で震えるだけだ。

「ま、またも人を殺めたな……」
 思玲は怒りで震えるだけだ。彼女の爪が俺の腕に食いこむ。
「浅知恵をひけらかす琥珀め。なにがあったと言うのだ?」

 思玲が琥珀をにらみながら、震える手で俺の手を握る。なにかを手渡される。……草鈴。

「穴熊の分際で名前を呼ぶな。黄玉が雌の異形の匂いを追って、白猫を見つけたんだよ。でも人間になってがっかりしたんだろ。かってに人を食うのは厳禁だからな」
 小鬼は思玲をにらみ続ける。
「僕はガセだと思っちゃったよ。だって、こいつら北七だろ? ……峻計さん。思玲も飛ばしていいですか?」

「まだだ! だが、やってみるがいい!」

 思玲が決然とした声をあげる。彼女の噛みしめた唇から血が流れていた――。後方に転がる。

「今のがレベル2」
 小鬼がスマホを操作する。「これがレベル4」

 小鬼の手もとから波動が渦となり飛びだす。思玲が消える。……離れた木が揺れた。根もとに思玲が転がる。

「いよいよレベル6」
「やめろ! ガキ鬼」

 俺の叫びに小鬼がビクッとする。操作していた指がとまる。ぼろぼろの思玲に、この野郎め。小鬼も俺をにらみ返しやがる。

「どっちもよせ!」

 舞台と観客席ぐらい(B席ぐらい)も離れた思玲が、よろよろと立ちあがる。

「哲人聞け! 私は川田とは戦いたくない! ゆえにまたも逃げる! お前は横根を守れ! 桜井を呼べ! 伝えたいことを鈴の音に乗せろ! 夜はお前達の時間だ! そこで青龍の資質が片鱗を見せれば、ともにまだ生きられる!
……羽根の失せた大鴉よ! 私を追え!」

 一方的に怒鳴り終えると、彼女は踵を返して走りだす。校舎の裏側へと、俺を置いて。




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