二十七の三 必要なのは迅速な決断

文字数 3,861文字

「チビ妖怪め、僕がガキだと? お前にはレベル10だ」

 俺は振り返る。パーカーを深めにかぶった小鬼が宙に浮かび、スマホを俺に向けている。

「琥珀やめな。腹にあれがあるのだよ」
 峻計が俺に目も向けずに言う。
「それにしても素敵な逃げっぷり。日月潭(リーユエタン)の話はでまかせね。リクト、かかれ!」

 片目の黒い狼が口もとから泡をたらしながら、思玲のあとを追う。こいつは川田なんかじゃない。

「海藍宝はこの妖怪を殴ったと言ったね。手も平気だったのか?」
 峻計は思玲を追おうとしない。

「ああ。俺達は頑丈だからな。かゆくもなかった。グハハハハ」
 図書館でやりあった鬼が笑う。胸を貫通した傷はすでに消えている。

「護符が箱も守れないと想定すれば、扇はやめるべきね」
 ついにあいつが、俺へと目を向ける。黒羽扇の下から仕込みの小刀を取りだす。
「しびれさせる程度かしら」

 峻計が小刀の峰を俺に向ける。軽く横にはらう。銀色の光が飛んでくる。ビシッと顔に当たり、めまいがして転がる。
 ……横根を助けないと。
 俺は立ちあがり、あいつらに背を向けて走りだす。

ビシッ

 背中を打たれた。つんのめるようにころぶ。……さっきよりずっと痛い。体がしびれる。気が遠ざかるのを必死にこらえる。

「強すぎるのか弱すぎるのか。やさしい術は加減が難しい」
 峻計の声が近づく。
「哲人君、あきらめて四玉をだしな。そしたら生かしてあげる。あなたの扱いは老祖師に決めていただ――、琥珀、なにをしている?」

「なにって、人の死体が転がっていると面倒が起きるから、どかそうとしただけですよ。鴉風に言うと抜け殻をね」

 小鬼は空でスマホを操作していた。画面から波動の渦が発せられた。遺体が飛ばされるのを、横たわる俺は見ずに済んだ。

「私達を馬鹿にするのか? こいつにスマホを向けただろ。私はやめろと言ったよね」
「ハハハ。ガキにガキと言われて怒ったとでもお思いですか? 写真を撮ろうとしただけですよ。老祖師へ見せるためにね」

 小鬼の声が上から近づく。口もとから小さい牙がはみでている。見おろすんじゃねえ。

カシャッ

 写すんじゃねえ。

「嘘を並べるな。こいつに波動を飛ばすな。……外箱があっても慎重にだ」

 こいつらの眼中に俺なんかない。それでも俺は浮かびあがり身がまえる。
 峻計が横へと小刀をはらった。鬼が悲鳴をあげる。

「いつまでぼうっと立っている。はやく思玲を追いな。琥珀も愚図と一緒に行け。お前は頭に血がのぼりすぎだ」

「はいはい。峻計さんのおっしゃるとおりに」
 小鬼がすっと浮きあがる。ずれたフードをかぶりなおす。
「海藍宝、急げよ。レベル1のラッシュを喰らわせるぞ。……じゃあな座敷わらし。残念だったな」

 鬼が脇腹を押さえながら、よたよたと走りだす。その背後を、小鬼が首の後ろに腕を組んで浮かんでいく。
 俺と峻計だけになる。簡単に人を殺した峻計と。

「哲人君。さあ渡して」

 夜が近づくと、妖怪である俺の目はなにもかもはっきりと見えてくる。薄闇に峻計が妖しく笑っているのが、見たくもないのに見える。みなが人に戻るために箱を守りたい。思玲を助けにいきたい。せっかく人に戻った横根を鬼なんかに殺させない。そのすべてができそうにない……。
 考えろ。まだ可能性ならあるはずだ。こいつは俺が箱をもっているから――自分の力で箱を傷つけたくないから、小さすぎる俺に手をだせない。今は甘言を使っているが、箱を手にすれば俺を殺すに決まっている。

「箱を渡すよ」

 俺は覚悟を決める。握ったままの草鈴をしまい、代わりに木箱を服からだす。人の目には宙に浮かんでいるのだろうが、人などいない。

「でも俺の今後を楊偉天に任せるのは無理だと思うけどな。だって、あのジジイは劉師傅に殺されるのだろ?」

 ……俺は馬鹿か。あいつのむかつく笑いのせいで、余計なことまで言ってしまった。
 峻計の顔色が変わる。

「老祖師が劉昇ごときに敗れるはずがない。じきに奴の首を抱えてお目見えになる。貴様は生きたまま八つ裂きにしてやる」
 黒羽扇を俺に向けて高くかかげる。

 こいつこそ劉師傅が勝つ可能性を現実として捉えているな。俺は木箱を盾のようにかかげる。それを見て、峻計は扇を振りおろせない。思ったとおりだ。

「手が震えているぞ。落とす前にしまいな」

 峻計が黒羽扇をかまえたまま俺をにらむ。振りかざされたら俺は消える。でも俺には人質がある。
 あいつがまた小刀の峰を俺に向ける。弱い術だ。俺は箱を顔の前にかかげて、しびれの光を受けとめる。術で木箱が揺れる。

「愚かものめ。箱が壊れたら、お前達は人に戻れぬぞ」

 峻計がさとすように言う。こんなのは悪あがきで浅はかな知恵だと、俺だって分かっている。いずれは奪いとられ殺される。
 だから箱を盾にして上空から逃げてやる。俺はふわりと浮かびあがる。

「手をわずらわせるな」

 峻計が扇をかかげる。体をゆっくりと一周させる。

ゴツッ

 頭がなにかに当たり、体ごと跳ね返される。結界?

「覚えたてだ」

 あいつは黒羽扇の羽並みを小刀の峰でさすり始める。……刀の動きにあわせて黒い光が三筋、(うね)のように俺へと向かってきた。
 俺はふわふわと横へ逃げ、結界にはじき返される。蛇のような黒い光が足にからみつく。不快感とともに引きずられる。別の黒い光が手から箱を奪おうとする。
 あいつは弦楽器のように黒羽扇を小刀で奏でている。もうひとつの黒い蛇が俺の首に巻きつく。

「ち、ちょっと待てよ」
 妖怪になっても息が苦しい。護符はなにもしてくれない。俺は黒い蛇と引っぱりあいながら、木箱を開ける。
「は、箱は巣で、玉は卵なんだよな」

 木のふたを放りなげ、木箱自体も地面に落とす。三匹の蛇が追っていく……。おそらくその箱はいらない、と思いこもう。……そうだった。いらないものがまだあった。
 涙目になった俺は息を整えながら、露わになった古びた金属の箱のふたも開ける。結界のあたりまで浮かび、峻計を見おろす。

「なにをする気だ……。やめろ」

 峻計が黒羽扇をより激しく奏ではじめる。あらたに二匹加えた黒い蛇達が、また俺へと向かう。
 俺の次なる目論見に気づいたな、かしこいカラスめ。箱の中では、やはりひとつの玉が白色に輝いていた。それを取りだす。玉が薄暮を純白に照らす。

「それを割るつもりなら、その瞬間に貴様を殺す」

 峻計の声色が変わった。動揺してやがる。

「だったら結界を開けろ」

 俺はどっちにしても殺されるのだろ? 白い玉だけどこかに投げて、残りの玉と箱をもって逃げる……。黒い蛇にあっという間に追いつかれた。足もとから這いあがってくる。

「おしめの小僧が対等のつもりなだけで不快なんだよ」
 あいつは黒羽扇が毛羽だつほどに奏でる。「内臓から食われな」

 黒い蛇が一匹、俺の口に入ろうとする。むき出しの箱で押して追いはらう。でも残りの蛇もよじ登ってくる。

「や、やめ……」

 体中でのたうつ黒い光に耐えながら、俺は箱を閉めようとする。二匹の蛇に首を絞められる。呼吸が……。箱は手からすべり落ちる。他の玉まで割れたら……。

「貴様は阿呆か!」

 峻計が頭から滑りこみ、箱を受けとめる。
 こいつは、こんなに素早かったんだ。でも地べたに這いつくばり、ドレスがめくれあがっている(ノーパンかよ)。奏者がいなくなり、黒い蛇達は霧散していく。

「ほ、ほら、返しただろ」

 俺は息を整えながら、頑張ってあいつを笑う。……閉ざされた空間に、あいつと二人だけ。手もとには白い玉だけが残った。あきらめるなよ、考えろ。
 結界を消すほどの強い力が必要。それは、あいつの黒い光。つまり、あいつを怒らせて強烈な光を打たせる。それを避けて……。
 他に方法があるか? だったら、あいつが冷静さを取り戻す前に。

再見(ザイチエン)

 俺はあいつへと異国の人の言葉を放つ。転がる峻計の前へと、白く輝く玉を叩きつける。
 玉はアスファルトにたやすく割れた。溶けるように消えていく。そこから白い光がふわふわと浮かびだす。横根を白猫へと貶めた光が散っていく。

クァァァー

 峻計がカラスの絶叫を響かせる。その声がもたらす衝撃が、俺の体を震わせる。

「琥珀と十二磈。すぐに戻ってこい。すぐにだ。すぐにだ!」

 異形の叫びであろうが、校内すべての生物に届きそうだ。

ピキッ

 俺達を覆っていた空間に亀裂が生じた。透明なドームがが黒煙となり崩れ落ちていく。……あいつのおぞましい叫びが結界を割った。まさにフォーチュンだ。
 峻計は黒羽扇を脇に置き、這いつくばって両手をひろげる。白い光をかき集めている。俺を見上げる。

「うまくいったと思うなよ。これぐらいなら四玉は容易に直せる。小鬼ですら直せる」

 俺をにらむ峻計の顔は美麗さのかけらもなく、異形どころか魔物の本性をむき出しだ。……そりゃそうだ。こいつは人じゃない。魔物だ。
 俺は峻計に背を向ける。結界を張られる前に逃げないと。

「これからの千年、お前が生まれかわるたびに、お前を無残に殺すために私もこの世に現れる」
 呪いのごとき言葉が聞こえる。
「護符もないくせに白虎くずれを守れるつもりか。……ふふ。まず玄武くずれを殺してやる」

 川田の命こそ風前の灯火だ。でも俺は一度だけ振り返る。

「川田は、俺があの子を守るのを望む!」

 思玲と川田を信じるしかない。俺の進む道は決まっている。
 ふわっと浮かぶつもりが、急アクセルのように前へと進む。妖怪になってから空身なのはほぼ初めてだ。
 これなら、あの鬼に追いつけるけど……。




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