七の一 異形な烏合

文字数 2,265文字

 タクシーの運転手が顔を見せる。境内を見わたし、ちいさな墓地に声をかけて車に戻る。現実の世界が去っていく。

――あの方々は遅いな。誰か呼びにいっただろうな
――若いのが数羽向かったよ。じきに来るさ

 カラスの何羽かは屋根や門に羽根をおろしたままだ。残りは上空低く旋回している。本堂脇の母屋から住職が顔をだし、怪訝そうに空を見あげる。カラス達が一斉に鳴き声をあげ、人間は不快な顔で引き戸を閉める。カラス達の目線がまた俺に集中する。
 俺は足もとの石を拾う。カラスどもをにらむ。にらみ返される。ドーンよりでかいな。

「手負いの子犬が来るぞ」まずははったりだ。「怖いおばさんも」

――カカカッ。だったら、はやいところ片をつけないとな

 第二波が来た。五六羽が雁行の型で降りてくる。至近に来たカラスへと石を投げる。くちばしではじき返しやがる。そのくちばしを避ける。
 痛え、頭をうしろから蹴られた。横から来たカラスが、ホバリングで乱れ蹴りしてくる。
 箱を守るどころではない。俺は転がるようにふわりと逃げる……。ふわりと?
 第三波の攻撃を浮かびあがって避ける。

――よっしゃ、空にきたぞ

 カラス達が一斉に襲ってきた。空中で蹴られ、つつかれまくる。こいつらのがずっと素早い。目のまえに巨大なくちばしが見え、反射的に手で顔をおおう。
 ……目を狙ってきやがる。地面を見ると、一羽が木箱の上でカカカと笑っていた。

「ふざけんな!」

 俺は地べたに突進する。カラスがカカカと去っていく。着地したところを、別のカラスに蹴られてつんのめる。目を守りながら上空を見る。また低く旋回している。
 俺の力を試し終えたな。この妖怪なら楽勝だと思ったのだろ? まったくその通りだ。

「俺には護符があるぞ」

 大嘘にカラスどもが笑う。武器が欲しい……。あれは思玲が持っていったな。ならば草笛を吹く。ぷすぷすとした音にカラスが笑う。潰れている。昨日思玲がバッグに押しこんだときにだ。
 俺は手水舎に飛びこみ、桶と柄杓を手にする。桶が盾で柄杓が剣だ。飛んできたカラスの頭をタイミングよく叩く。こんなので追いはらえるはずがない。

――ふざけやがって

 空へと戻ったカラスが憤慨する。ほかのカラスはうけていやがる。
 俺は桶と柄杓を上へと振りまわしながら、箱を足で押して手水舎へ運ぶ。おとなの力でも重かったのが子どもでは――、意外に押せる! 小さくなっても妖怪だから力は差し引きゼロぐらいか。
 段差まで運び、石でできた大きな水鉢を背に陣取る。……ここまではひっかき傷程度だよな。食われてはないよな。腕の傷がひりひり痛む。
 思玲はまだか。リクトはまだか。

――追いつめたね

 カラス達が降りてきて手水舎を囲む。一羽が目のまえに置き去りの四玉の箱をつつく。俺は柄杓で水をすくい、そいつにかける。逃げもせずカカカと笑う。

「哲人!」

 ドーンの声が空から聞こえた!

「リクトが山に逃げた。フサフサは麓に逃亡した。俺は猫おばさんを説得しにいく。……カカカッ、ブトもどきの雑魚だらけだな。もう少しふんばれよ」

――ふざけんな。ボソもどきめ

 陽の光に羽根を赤茶色に光らせた小柄なカラスもどきを、ハシブトもどきが数羽追いかける。差が広がり、すぐに戻ってくる。こいつらは慎重いや冷静だ。クールで残酷だ。俺のが雑魚だ。

――您好(ニンハオ)そんで多謝(ドーシェ)

 背後で異国の人の言葉が聞こえた。いや、カラスの物真似だ――。
 強烈な痛みに、俺はよろめき転ぶ。くちばしに刺された首を押さえ振りかえる。水鉢の縁に一羽がとまり、鳥のくせになにかを咀嚼する。それを飲みこむ。

――あまりうまくないな

 俺の首のうしろはえぐれていた。……食われてしまった!
 首から生温かい血がとめどなく流れだす。自分の顔が青ざめていくのが分かる。手についた血は消えていく……。まずいぞ、まじでヤバい。

「ドーン、戻ってきて!」
 俺は広場に飛びだし叫ぶ。
「思玲、助けて!」

 地面に落ちた血も消えていく。人に戻れば傷はなおると言っていた。四玉を怯えさせて、人に戻らないと。
 俺は箱に飛びつく。それを包む緋色のサテンの布をほどこうとする。こんなに固く結んだのは誰だよ。焦ると手が滑る。首からあふれる血を間欠泉のように感じる。

――ちょろかったね。仕上げるよ
――見張りも来いや。カカカッ

 カラス達が一斉におりてくる。ようやく布がほどけた。木箱のふたをどかす。青錆びたふたをかかげ、カラスの突進を阻止する。そいつは囮だった。背後から数羽にのしかかられ、俺はうつ伏せられる。
 真横に箱の中身が見えた。白色だった玉も赤色だった玉も、いまは透明で上空のちぎれ雲を映すだけだ。ふわりとでてきた黒い光が怯えたように玉へと戻る。カラスが傷口をさらにつつく。

「わああ!」

 俺は地面を転がり追いはらう。こいつらは賢い。急所だけを狙ってきやがる。これでは、やがて首をもがれる。カラスに怯える俺になど、玉など怯えさせられない。
 また連中がかたまり襲ってくる。俺は首の傷と目をかばい、地面を転がり箱へと戻る。その下にあるサテンの護布を引っぱる。ドーンが四六時中かぶっていたのに意味があるはずだ。なのに布は引きずりだせない。おとなの思玲の体重が邪魔だ。
 背後の気配に地面を這い逃れる。一羽が地面で待ちかまえていた。くちばしから目をかばう。

カカカカカカカカッ

 むきだしになった俺の背にカラスどもが群がる。顔を土につけ、首の傷口をかばうしかできない。……悪夢だ。俺はつつかれ食い殺される。こんな世界に来るんじゃなかった。




次回「夕焼の霹靂」
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