二十五の二 岐路
文字数 2,301文字
集中しすぎて、お天狗さんの入り口を通りすぎていた。駅へと曲がるところで、俺の電話番号をシノに伝えるようにと、琥珀へ頼む。こいつと思玲を挟んでの会話なんて想像したくない。
「我が主は結界からでられたそうだ」
琥珀が天珠を切る。
「昨日の寺の本堂にひそんでおられる。迎えを呼んだとのこと。和戸が哲人によろしくだと。伝えておいたぜ」
すぐに見知らぬ番号が鳴る。……海外通話じゃないかよ! 俺にも支払いが来るのだろうか? 記憶がなくなるまえに、おおよその明細を思玲に渡しておこう。
『人に戻ったそうですね。おめでとうございます』
シノが日本語で喋りだす。『私はあなたをなにも覚えてないので、不思議な気持ちです。ちょっと頭痛がします』
つまり話をあわせているだけか。俺は駅前のベンチに座る。誰もいない。客を待つタクシーもない。琥珀が横に座る。
「ゼ・カン・ユのことは分かりましたか?」
近況報告などしない。
『いきなりですか? それは元気の証拠ですね? 分かるのは、なかなか難しかった。でも、シスターは見つけました。「ゼ・カン・ユ」でなく「ゼガニュ」。いまの時間には、そう伝わっています』
「中国語で大丈夫ですよ。喋るのはキツいけど、聞くのは思玲や連中に鍛えられましたから」
*****
「多謝。みんなとも代わってもらえますか?」
話が一段落したところで、シノにお願いする。俺も頭痛がしてくる。
『災難だったな』思玲がでる。『たったいま、あの馬鹿とハラペコと合流した。救出への会議をするから、また電話する。……あん? 異形用の電話でないので和戸は喋れぬ。ひそんでいるので鳴き声もたてられぬ。ドロシーは話したくないそうだ。シャワーでも浴びてゆっくり来い。言葉とおりに受けとるなよ』
電話が切れる。俺は水道の蛇口で水を飲み顔だけ洗う。頭が痛い。
――その娘をとめろ
まだ思玲の声が残っている。……ゼガニュ。六百年近く昔の大魔導師。亡国の龍使い。
「シノはなんて言っていた? ゼ・カン・ユって野郎のこと」
琥珀がじれている。
俺はシャツで顔を拭く。汗くさい。小鬼を見上げる。
「文献はほとんど残ってない。その時代にもっとも力がある魔導師であったが、異教徒との戦いにおいて寝返った。妖魔を操って村を襲い、ついに国を滅ぼした。……そいつの使う龍が、要塞のごとき城を破壊したらしい。諸国の祓いの者が結集して、ついにゼガニュを倒し、永遠の地獄に閉じこめたそうだ」
でも奴は復活している。配下の使い魔については、なにも記されていないそうだ。
「それだけ?」
琥珀は両手を首のうしろにまわして浮かぶ。
「そんな話は参考にならない。いまに伝わる人間の歴史に龍も魔法もでてこないだろ」
お前らだって物語にしか存在しないしな。俺は自分のスマホを開く。ゼ・カン・ユ、ゼガニュ、ロタマモ、サキトガ……、なにもヒットしない。藤川匠も、それらしきは見あたらない。龍を検索しかけてやめる。その情報はあふれるほどだ。
「……夏奈は、龍の生まれ変わりかも」
すべてが東のはずれの島国に集結したのかも。
「龍が人に? 当事者以外分かるはずないよな」
琥珀は冷淡だ。
***
電車がホームにとまり、じきに去っていく。日中の本数は少ない。……シノにもうひとつ聞いてある。
魂を捧げるとはどういう意味なのか?
『若く清純な異性の魂を吸いとり、その力を自分のものとします。身も心も捧げることによって伴侶以上の関係となります。……正直に話します。シスターは、閉ざされた世界で朽ちるまでセクシャルな奴隷になると言っていました』
藤川匠は横根と夏奈を掌中に……。ゆるせるはずがない。
「そうだ。レベル11を使っただろ」
琥珀は俺が握るスマホを見ていた。楊偉天や流範を吹っ飛ばした波動のことだ。
「しかも、あいつは生きたままだし。あのアプリの解除はドロシーしかできないんだぜ。だから、まだ使えない。……僕の待ち受けを見たよな? 当然だな」
それどころではない。横根を救うためになにをすべきか。俺は時間を見る。九時五十分。もう九時間しかない。この一時間ちょっとで、敵の輪郭がぼんやり分かっただけだ。
俺はなにをすべきか? 予定どおり餌になるしかない。
「それはセンシティブだから、あとでゆっくり話しあおう」
琥珀に告げる。北口の階段から駅構内へと入る。
「昨夜の嵐は異常だった」
「龍が来たのだろ。龍が起こした嵐だろ」
琥珀が馬鹿にする。それくらい分かっている。券売機に浄財を差し込む。二時間に一本の特急電車にはロスなく乗れそうだ。
「夏奈が来るまえから、ずっと荒れていた。あれは予兆だったと思う」
改札にチケットを入れる。
「青い光を求めてなら、俺の記憶が戻るなり兆しがあったはず。そうでなかったのは、俺が呼んで龍が動きだしたから」
か弱き妖怪の助けを聞き、龍は九州からやってきた。夏奈はそういう奴だ。そして、あれほどまでに人の心があるのならば――、それを俺が呼びおこせるのならば、人に戻れる可能性は無料ガチャより高い。……まだ呼べなくたっていい。
構内の階段を降りる。琥珀は気づかずついてくる。
「俺は海に叫びにいく」向かいのホームを教えてやる。「思玲はあっち」
西伊豆の沖にいる龍を呼ぶ。それを阻止するために、真昼であろうと奴らは来る。楊偉天達はいらない。おびき寄せたいのは使い魔達。そして横根を連れもどす。
「ははは、そう来たか」
琥珀は立ち去らない。
奴らはやってくる。俺の呼びかけに龍はきっと応えるから。根拠はなくても、ずっと彼女を見てきた俺には分かる。
あの冬の日を思いだす――。
次回「賑わいのはざまで」
「我が主は結界からでられたそうだ」
琥珀が天珠を切る。
「昨日の寺の本堂にひそんでおられる。迎えを呼んだとのこと。和戸が哲人によろしくだと。伝えておいたぜ」
すぐに見知らぬ番号が鳴る。……海外通話じゃないかよ! 俺にも支払いが来るのだろうか? 記憶がなくなるまえに、おおよその明細を思玲に渡しておこう。
『人に戻ったそうですね。おめでとうございます』
シノが日本語で喋りだす。『私はあなたをなにも覚えてないので、不思議な気持ちです。ちょっと頭痛がします』
つまり話をあわせているだけか。俺は駅前のベンチに座る。誰もいない。客を待つタクシーもない。琥珀が横に座る。
「ゼ・カン・ユのことは分かりましたか?」
近況報告などしない。
『いきなりですか? それは元気の証拠ですね? 分かるのは、なかなか難しかった。でも、シスターは見つけました。「ゼ・カン・ユ」でなく「ゼガニュ」。いまの時間には、そう伝わっています』
「中国語で大丈夫ですよ。喋るのはキツいけど、聞くのは思玲や連中に鍛えられましたから」
*****
「多謝。みんなとも代わってもらえますか?」
話が一段落したところで、シノにお願いする。俺も頭痛がしてくる。
『災難だったな』思玲がでる。『たったいま、あの馬鹿とハラペコと合流した。救出への会議をするから、また電話する。……あん? 異形用の電話でないので和戸は喋れぬ。ひそんでいるので鳴き声もたてられぬ。ドロシーは話したくないそうだ。シャワーでも浴びてゆっくり来い。言葉とおりに受けとるなよ』
電話が切れる。俺は水道の蛇口で水を飲み顔だけ洗う。頭が痛い。
――その娘をとめろ
まだ思玲の声が残っている。……ゼガニュ。六百年近く昔の大魔導師。亡国の龍使い。
「シノはなんて言っていた? ゼ・カン・ユって野郎のこと」
琥珀がじれている。
俺はシャツで顔を拭く。汗くさい。小鬼を見上げる。
「文献はほとんど残ってない。その時代にもっとも力がある魔導師であったが、異教徒との戦いにおいて寝返った。妖魔を操って村を襲い、ついに国を滅ぼした。……そいつの使う龍が、要塞のごとき城を破壊したらしい。諸国の祓いの者が結集して、ついにゼガニュを倒し、永遠の地獄に閉じこめたそうだ」
でも奴は復活している。配下の使い魔については、なにも記されていないそうだ。
「それだけ?」
琥珀は両手を首のうしろにまわして浮かぶ。
「そんな話は参考にならない。いまに伝わる人間の歴史に龍も魔法もでてこないだろ」
お前らだって物語にしか存在しないしな。俺は自分のスマホを開く。ゼ・カン・ユ、ゼガニュ、ロタマモ、サキトガ……、なにもヒットしない。藤川匠も、それらしきは見あたらない。龍を検索しかけてやめる。その情報はあふれるほどだ。
「……夏奈は、龍の生まれ変わりかも」
すべてが東のはずれの島国に集結したのかも。
「龍が人に? 当事者以外分かるはずないよな」
琥珀は冷淡だ。
***
電車がホームにとまり、じきに去っていく。日中の本数は少ない。……シノにもうひとつ聞いてある。
魂を捧げるとはどういう意味なのか?
『若く清純な異性の魂を吸いとり、その力を自分のものとします。身も心も捧げることによって伴侶以上の関係となります。……正直に話します。シスターは、閉ざされた世界で朽ちるまでセクシャルな奴隷になると言っていました』
藤川匠は横根と夏奈を掌中に……。ゆるせるはずがない。
「そうだ。レベル11を使っただろ」
琥珀は俺が握るスマホを見ていた。楊偉天や流範を吹っ飛ばした波動のことだ。
「しかも、あいつは生きたままだし。あのアプリの解除はドロシーしかできないんだぜ。だから、まだ使えない。……僕の待ち受けを見たよな? 当然だな」
それどころではない。横根を救うためになにをすべきか。俺は時間を見る。九時五十分。もう九時間しかない。この一時間ちょっとで、敵の輪郭がぼんやり分かっただけだ。
俺はなにをすべきか? 予定どおり餌になるしかない。
「それはセンシティブだから、あとでゆっくり話しあおう」
琥珀に告げる。北口の階段から駅構内へと入る。
「昨夜の嵐は異常だった」
「龍が来たのだろ。龍が起こした嵐だろ」
琥珀が馬鹿にする。それくらい分かっている。券売機に浄財を差し込む。二時間に一本の特急電車にはロスなく乗れそうだ。
「夏奈が来るまえから、ずっと荒れていた。あれは予兆だったと思う」
改札にチケットを入れる。
「青い光を求めてなら、俺の記憶が戻るなり兆しがあったはず。そうでなかったのは、俺が呼んで龍が動きだしたから」
か弱き妖怪の助けを聞き、龍は九州からやってきた。夏奈はそういう奴だ。そして、あれほどまでに人の心があるのならば――、それを俺が呼びおこせるのならば、人に戻れる可能性は無料ガチャより高い。……まだ呼べなくたっていい。
構内の階段を降りる。琥珀は気づかずついてくる。
「俺は海に叫びにいく」向かいのホームを教えてやる。「思玲はあっち」
西伊豆の沖にいる龍を呼ぶ。それを阻止するために、真昼であろうと奴らは来る。楊偉天達はいらない。おびき寄せたいのは使い魔達。そして横根を連れもどす。
「ははは、そう来たか」
琥珀は立ち去らない。
奴らはやってくる。俺の呼びかけに龍はきっと応えるから。根拠はなくても、ずっと彼女を見てきた俺には分かる。
あの冬の日を思いだす――。
次回「賑わいのはざまで」