二十七の一 火灯し頃

文字数 2,816文字

「妖術なんて、かかってなさげでした。使い魔どもの話がでたらめだったのですよ」

 思玲へと簡潔に見たままを報告する。
 彼女から事務室の確認を頼まれたからだ。峻計は鬼を館内に入れるために職員さん達になにかしただろうけど、正直に言って他人にかまっていられない。

「俺は三人と合流しますので、見つける方法を教えてください。俺一人で探しますから、思玲はどこかに隠れてください」

 座敷わらしな俺は、思玲の顔の前まで降りる。彼女の疲れた目を覗きこむ。

「たわけたことを言うな。一人で行けば今生の別れになる」

 思玲は鬼に抜かれた頭髪の付け根あたりを触りながら言う。そうかもしれないけど、行かなくても同じかもしれない。……楊偉天は流範やカラス達から始まって、十二磈、峻計、小鬼とぞくぞく手下を送りこんでくる。かたや劉師傅が日本に差し向けたのは思玲だけ。戦力的に差がありすぎる。

「楊偉天には、配下の魔道士はいるのですか?」
 そんな奴らに来られたら目も当てられない。

「師傅の兄弟子のことか? 二人いた。一人は、楊偉天からの下知で大陸に忍びこんだまま戻ってこない。もう数年もたつから、野垂れ死んだのだろ。もう一人は、戦いに敗れて死んだ」
 思玲の話に多少安堵するけど「ちなみに劉師傅の弟子は私だけだ。言ってあったかな」

 初耳だと思うがうすうす感づいていた。しかも、その唯一の師匠は音信不通だ。来てほしくはないけど、正義の味方が問答無用で俺達を成敗するとは思えないし、状況打破のためには登場を待つしかないかも。
 どっちにしろ連絡手段の確保なんて基本中の基本だと思うけど。……小鬼がスマホを持っていたな。あっちは21世紀の技術プラス妖術だ。
 彼女は腰をかばいつつ立ちあがる。

「桜井の気配が消えたな。殺されやしないから、どこか遠くに逃げたのだろう。笛を吹いたのだから、川田達は生きていれば現れると思うがな」
 お約束に俺をにらむ。
「どうしてもあの部屋の者達が気にかかる。人の明かりから目をそらさずにしっかり見たのか?」

「見ましたよ。外から見える範囲ですけど」
「ふん」
 俺の返答を、彼女は鼻で笑う。

「とはいえ、扇がなければ私にはなにもできぬ」
 思玲は石段脇の花壇へとよろよろ行く。とうに盛りが過ぎたアジサイの群落の前でしゃがむ。その葉をいくつかつまむ。
「地に落ちるのを待つだけだろ。使わしてもらうぞ」

 葉を重ねて地面に置き、左手で耳にかかった髪をひとつかみ持つ。右手の中指と人差し指の爪でなぞる。剃刀をあてたように切れた髪の毛を、アジサイの葉の上に置く。呪文を唱える。

「たいそうな術ではないがな」

 思玲は立ちあがり事務室へと向かう。手もとの葉っぱは、ひとつなぎになったみたいだ。

「扇の代わりですか?」
「代わりになどなるはずない。むしったうえにずいぶんな言いざまだが、事実だから仕方ない」

 彼女は背筋を伸ばし、インターホンを鳴らす。
 チャイムを二度鳴らしても、職員はでてこない。ほれ見ろという顔を俺に向けて、思玲はドアを開ける。
 外から見るかぎりでは、人の明かりもまだつらくはない。事務室では、数人の職員がデスクワークにはげんでいた……。誰も闖入者である彼女に見向きもしない。そもそも土曜のこんな時間まで働いているものなのか?

「起きたままで寝ているな。妖術の基本だ。放っておいてもいずれ消えるが、術で揺らせばすぐに戻る」

 思玲はドアを開けたまま、室内へとアジサイの葉をかまえる。
 ライム色の光が、拡散しながら部屋へと向かう。思玲がよろめく。その手もとで葉はみるみるしなびていき、枯れて、崩れて消えていった。

「解けた」と思玲が振りかえる。
 室内の職員達に変化は見あたらないが、思玲はよりかかるようにドアを閉める。一度深く呼吸をする。
「要する力は多く、発する力は少ない。アジサイには悪いが、これでは割にあわむな」

 実際にかなりこたえたのだろう。事務所をでたところの段差で、彼女はまたもよろめく。横に浮かぶ俺を支えに体勢をただそうとするが、俺に支えられるはずがない。
 俺は沈み思玲が転がる。巻き添えで彼女の体に潰される。

「お前らヤバくね? でも頑張ってこっちに来いや」

 上空でドーンのひそめた声がした。
 カラスは低く飛び、すこし離れた街灯にとまる。

「私が呼んだのに呼びかえすとは。和戸は飛べるようになって、ますます生意気だ」
 思玲が腰をさすりながら上空をにらむ。俺は思玲から這いでる。

 *

 街灯の明かりがちょうど灯る。俺と思玲はドーンの下へたどり着く。夕焼けはさらに深まり、上空の浮き雲の縁も染めている。

「川田、気配を消したつもりか」

 思玲が生け垣に声をかける。黒くて大きな狼がうずくまりひそんでいた。

「野良犬の真似をしただけだ」
 顔を持ちあげた川田の片目だけが光る。「俺は小鬼にやられたが、もう平気だ。ドーン達も小鬼に飛ばさ――」
「桜井はどうした!」

「でかい声だすなよ。夏奈ちゃんは逃げるついでに山手線を一周するってさ。狼が空から丸見えで腹をだしている間に飛んでったよ」
 ドーンが俺の問いに呆れる。

 気絶のことらしいな。川田がドーンを無視して、俺達に目を向ける。
「瑞希ちゃんが人に戻ったらしい」どや顔だ。

「完璧な人だった。とりあえず安心しろ」
 思玲もどや顔で即答する。

「知っていたのかよ。さすがは思玲だな」
 ドーンが残念そうに言い「なんで瑞希ちゃんだけ人になれたの? 木に激突したあとは、根もとにうずくまるだけだったのに」

 やはりそんな状態だったのか……。思玲が俺へと顎をしゃくっている。俺の口からかよ。

「俺達が逃げているときに悶着があって、そのおかげというか、巻き添えで人間に戻れた」
 詳細などとても言えない。

「カッ、ご丁寧な説明じゃん。……木の下でスマホをいじる瑞希ちゃん、過去見たなかで一番かわいかったな。でも、遠くに見えて悲しくなった。カラスがいくら声をかけてもね」

「悲しむ必要はない。ここからはお前達が人に戻る番だ」
 思玲がきっぱりと言う。
「そうは言っても、さらなる天祐が必要だがな。……川田と和戸が生きているということは、人間の女の姿をした大鴉を見ていないのだろ? あいつは峻計といい、除草剤と殺虫剤を混ぜたような存在だ。私など扇も護刀も捨て、逃げるのが精一杯だった」

 ドーンが生垣の柵まで慌てて降りてくる。
「今なんて言った? あの武器がないのかよ。……無課金じゃねーか」

「ゲ、ゲームと一緒にするな。だけど、それだとノコノコが相手でも……」
 川田も動揺している。

「ないものはない。さらに言えば、哲人の護符も今はただの木っ端となっている。だが、まだあきらめるな」

 そう言うなり、思玲がよろめく。川田があわてて飛びでてくる。

「うろたえなくていい。すこし疲れただけだ」
 彼女は片手で制止する。
「お前達の面がまえを見て、安心して気が抜けた。だが、水を飲みたい」




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