三十九の一 餃子の皮作戦とでも名づける?
文字数 2,755文字
「遅すぎだし!」
俺の帰りを待ちかねたように、青い小鳥が肩にとまる。
「ちょっと手間どってね。でも、おかげで思玲の扇ができた」
それだけしか伝えられない。小鬼はまたあいつらの陣営に戻ったから、みんなに隠さないとならない。峻計に暴かれないために……。さきほどのやり取りを思いだす――。
****
――機会が迫ったら、琥珀か哲人のどちらかが『北七』と告げる。その時にあらずと感じたら、『まだ』とでも答えろ
思玲は俺にそう教えた。たしかに聞き覚えのあるやり取りだ。
――いけそうだったら、『そうだ』とでも『北七だ』とでも言えばいい。簡単だろ?
小鬼が言った。この二人にそんな取り決めがあったとは。
****
「おかえりなさい。松本君もいますよね?」
ベンチに座った横根が思玲に尋ねる。こんな時間にこんな場所に、なんで人間がいるのだろう……。俺達のために決まっている。自分だけ人に戻って終わらせないためだ。横根こそ、なにがあろうが守らないとならない。
****
――矛がなにかだと? 琥珀には波動の術があるだろ? あれを空からあいつへとぶっつける。それこそが矛だ
俺の問いに、思玲は簡潔に答えた。
――あの術はレベル10まである。連中にはそう話して現物も見せた。じつはレベル11がある。恐れ多くも、我が主の結界さえ破壊しかねない強烈なものだ。その存在をあいつらは知らない
小鬼が得意げに言った。心の中で峻計をあざ笑っていそうだった。
――それを上空から地面に向けて喰らえば、どいつであろうと餃子の皮になるかもな
思玲は露骨に笑っていた。
****
「ところでさ。あいつらはなんで現れないの? 夏だから、もうじき朝になるし」
街灯の上から、ドーンが思玲に声かける。
「我が師傅がいるのだ。様子を探っておるのだろ。……いずれ来る」
思玲はなにもなかったかのように答える。
「それよりもだ。私の髪型が変わったことを、なぜに誰も聞いてこないのだ」
小鬼にしろ思玲にしろ、たいそうな役者だ。
****
――盾とはなんですか?
俺は尋ねる。
――矛から目をそらさせるのが盾だ。要はおとりだな。本来ならば伝令の一羽を使う手筈だったが、あの野郎逃げやがって……。代わりに護符を持つ物の怪という適任者が現れたが(適任であるはずがない!)、師傅は私にしてほしいようだ。一度きりの矛をどこで使うか、哲人が判断しろってことだ
思玲は気にいらないのを隠しているつもりだ。いつも以上に口調にとげがあった。
――思玲様から仰せつかったので、あんたに従うけどな。びびるなよ。ちびるなよ
小鬼は俺への反感を隠すつもりはない。
俺だって、思玲をおとりになんかできるはずがない。
――ずいぶん前から練っていた策だ。まさか日本で披露するとは思いもしなかった
思玲は成功する気でいる。
――楊偉天からの連絡はないのか?
俺は小鬼に聞く。
――僕がつなぎ役だけどね。スマホにコンピューターウイルスを入れちゃった。おかげで楊大大老祖師様の心へと、電話もSNSもできないや。いつか駆除しないとな
小鬼がハハハと笑う。
この程度の作戦に嵌まるならば、峻計も楊偉天も道化だろう。成功するとは、俺にはとても思えなかった。
――急いで直せよ。楊偉天と話して相手の出方を探ったほうがいい。知ったことをなんとか俺達に伝えてくれ。あいつにだけは電話を代わるなよ
俺の指図に、小鬼が舌をうった。主人にそっくりだ――
******
「松本、なにかあったのか?」
足もとから片目の子犬が見上げる。「いや、なにか隠しているのか?」
手負いの獣は白猫なみに勘が鋭くなっている。
「そんなはずないだろ。時間がたつのを心配していただけだよ」
俺も役者に加わる。でも本心だ。楊偉天達に悠長にかまえられたら、あと十数時間で人でなくなる。
「俺達から打ってでるか?」川田が答える。
「犬っころに似合わぬことを申すな」
思玲が俺達へと寄ってくる。
「もう抱かせないぞ。俺はペットじゃないからな」
川田が横根のもとへ逃げていく。……俺が師傅とともにいた時間、ここでなにがあったか推測する。もふもふだものな。
「リクトは元気だね」
横根が子犬の頭をさする。
「瑞希ちゃんまで、その呼びかたはやめてくれよ」
そう言いながらも、川田は横根に尾を向けてうずくまる……。
こいつは人に戻っても、今の記憶がないとしても、七実ちゃんとは終わりそうな気がする(俺は彼女と会っている。背もあってきれいだけど、ぽわんとした感じの子だった。それでいて俺の第一志望だった都内の国立大生だ。彼女は一浪とはいえ、コンプレックスを感じてしまった)。
「ちょっと来ないでくれる? ここは私のテリトリーだし」
桜井が空にくちばしを向ける。それを無視して、ドーンが俺の頭に着地する。
「一人だけ上にいても寂しいし。それよかさー、お札を瑞希ちゃんに浄化してもらったほうがよくね?」
こいつは次なる戦いに心が向いているな。たしかに木札は劉師傅を、つまり生身の人間を傷つけた。本来ならば穢れるに決まっている。
「大丈夫だよ」と俺は答える。ドーンは知らないけど、俺も護符も破邪の剣の光を浴びた。お天狗さんの木札は望まずとも、戦いのための光を受けている。
「来た。すごくたくさん」
ふいに桜井が肩でつぶやく。
「人だよな? なんでこんな時間に」
川田も立ちあがり、空へと鼻を向ける。
「傀儡の群れか? ……あいつの考えそうなことだな」
思玲が七葉扇へと目を落とす。
「新しい扇の力を試すだけだ。川田、ぶっ倒しに行くから案内しろ。哲人はここでみんなを守れ。残りの連中は結界に入れ」
扇を円状にひろげる。
「カカッ、閉じこもってブザーを聞くかよ。俺は入らないぜ。哲人となら戦えるよな」
ドーンが俺の頭で訴える。
劉師傅との戦いにおいて、ドーンは俺の怒りを浴びてさらなる異形となった。もう、そんなことをさせたくないけど……俺達には時間がない。それに俺もドーンとなら戦える。
「和戸君も松本君も隠れたほうがいい。すごく嫌な予感がする」
桜井が言う。
遠くで複数のサイレンが鳴っている。俺まで不吉な予感に襲われるけど、俺が入ると結界は割れる。
小鳥はためらいつつも横根の肩へ飛ぶ。思玲が横根をフェンスの角へとうながす。横根と桜井が消える。思玲はよろめきつつ舞いもささげる。姿隠しの上にかけられた跳ね返しの結界。
出来栄えに不満げな顔を見せつつも、彼女は額の汗をぬぐう。
「人々にかけられた妖術をはらう」
思玲が背筋を伸ばしコートからでていく。片目の子犬が舌を垂らし思玲を追い越す。……操られた無数の人間に襲われたら、俺達は人を傷つけぬように逃げまどうだけだ。傀儡の術を消す思玲の扇が、ぎり間にあった。
次回「聞き覚えはあるけどさあ」
俺の帰りを待ちかねたように、青い小鳥が肩にとまる。
「ちょっと手間どってね。でも、おかげで思玲の扇ができた」
それだけしか伝えられない。小鬼はまたあいつらの陣営に戻ったから、みんなに隠さないとならない。峻計に暴かれないために……。さきほどのやり取りを思いだす――。
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――機会が迫ったら、琥珀か哲人のどちらかが『北七』と告げる。その時にあらずと感じたら、『まだ』とでも答えろ
思玲は俺にそう教えた。たしかに聞き覚えのあるやり取りだ。
――いけそうだったら、『そうだ』とでも『北七だ』とでも言えばいい。簡単だろ?
小鬼が言った。この二人にそんな取り決めがあったとは。
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「おかえりなさい。松本君もいますよね?」
ベンチに座った横根が思玲に尋ねる。こんな時間にこんな場所に、なんで人間がいるのだろう……。俺達のために決まっている。自分だけ人に戻って終わらせないためだ。横根こそ、なにがあろうが守らないとならない。
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――矛がなにかだと? 琥珀には波動の術があるだろ? あれを空からあいつへとぶっつける。それこそが矛だ
俺の問いに、思玲は簡潔に答えた。
――あの術はレベル10まである。連中にはそう話して現物も見せた。じつはレベル11がある。恐れ多くも、我が主の結界さえ破壊しかねない強烈なものだ。その存在をあいつらは知らない
小鬼が得意げに言った。心の中で峻計をあざ笑っていそうだった。
――それを上空から地面に向けて喰らえば、どいつであろうと餃子の皮になるかもな
思玲は露骨に笑っていた。
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「ところでさ。あいつらはなんで現れないの? 夏だから、もうじき朝になるし」
街灯の上から、ドーンが思玲に声かける。
「我が師傅がいるのだ。様子を探っておるのだろ。……いずれ来る」
思玲はなにもなかったかのように答える。
「それよりもだ。私の髪型が変わったことを、なぜに誰も聞いてこないのだ」
小鬼にしろ思玲にしろ、たいそうな役者だ。
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――盾とはなんですか?
俺は尋ねる。
――矛から目をそらさせるのが盾だ。要はおとりだな。本来ならば伝令の一羽を使う手筈だったが、あの野郎逃げやがって……。代わりに護符を持つ物の怪という適任者が現れたが(適任であるはずがない!)、師傅は私にしてほしいようだ。一度きりの矛をどこで使うか、哲人が判断しろってことだ
思玲は気にいらないのを隠しているつもりだ。いつも以上に口調にとげがあった。
――思玲様から仰せつかったので、あんたに従うけどな。びびるなよ。ちびるなよ
小鬼は俺への反感を隠すつもりはない。
俺だって、思玲をおとりになんかできるはずがない。
――ずいぶん前から練っていた策だ。まさか日本で披露するとは思いもしなかった
思玲は成功する気でいる。
――楊偉天からの連絡はないのか?
俺は小鬼に聞く。
――僕がつなぎ役だけどね。スマホにコンピューターウイルスを入れちゃった。おかげで楊大大老祖師様の心へと、電話もSNSもできないや。いつか駆除しないとな
小鬼がハハハと笑う。
この程度の作戦に嵌まるならば、峻計も楊偉天も道化だろう。成功するとは、俺にはとても思えなかった。
――急いで直せよ。楊偉天と話して相手の出方を探ったほうがいい。知ったことをなんとか俺達に伝えてくれ。あいつにだけは電話を代わるなよ
俺の指図に、小鬼が舌をうった。主人にそっくりだ――
******
「松本、なにかあったのか?」
足もとから片目の子犬が見上げる。「いや、なにか隠しているのか?」
手負いの獣は白猫なみに勘が鋭くなっている。
「そんなはずないだろ。時間がたつのを心配していただけだよ」
俺も役者に加わる。でも本心だ。楊偉天達に悠長にかまえられたら、あと十数時間で人でなくなる。
「俺達から打ってでるか?」川田が答える。
「犬っころに似合わぬことを申すな」
思玲が俺達へと寄ってくる。
「もう抱かせないぞ。俺はペットじゃないからな」
川田が横根のもとへ逃げていく。……俺が師傅とともにいた時間、ここでなにがあったか推測する。もふもふだものな。
「リクトは元気だね」
横根が子犬の頭をさする。
「瑞希ちゃんまで、その呼びかたはやめてくれよ」
そう言いながらも、川田は横根に尾を向けてうずくまる……。
こいつは人に戻っても、今の記憶がないとしても、七実ちゃんとは終わりそうな気がする(俺は彼女と会っている。背もあってきれいだけど、ぽわんとした感じの子だった。それでいて俺の第一志望だった都内の国立大生だ。彼女は一浪とはいえ、コンプレックスを感じてしまった)。
「ちょっと来ないでくれる? ここは私のテリトリーだし」
桜井が空にくちばしを向ける。それを無視して、ドーンが俺の頭に着地する。
「一人だけ上にいても寂しいし。それよかさー、お札を瑞希ちゃんに浄化してもらったほうがよくね?」
こいつは次なる戦いに心が向いているな。たしかに木札は劉師傅を、つまり生身の人間を傷つけた。本来ならば穢れるに決まっている。
「大丈夫だよ」と俺は答える。ドーンは知らないけど、俺も護符も破邪の剣の光を浴びた。お天狗さんの木札は望まずとも、戦いのための光を受けている。
「来た。すごくたくさん」
ふいに桜井が肩でつぶやく。
「人だよな? なんでこんな時間に」
川田も立ちあがり、空へと鼻を向ける。
「傀儡の群れか? ……あいつの考えそうなことだな」
思玲が七葉扇へと目を落とす。
「新しい扇の力を試すだけだ。川田、ぶっ倒しに行くから案内しろ。哲人はここでみんなを守れ。残りの連中は結界に入れ」
扇を円状にひろげる。
「カカッ、閉じこもってブザーを聞くかよ。俺は入らないぜ。哲人となら戦えるよな」
ドーンが俺の頭で訴える。
劉師傅との戦いにおいて、ドーンは俺の怒りを浴びてさらなる異形となった。もう、そんなことをさせたくないけど……俺達には時間がない。それに俺もドーンとなら戦える。
「和戸君も松本君も隠れたほうがいい。すごく嫌な予感がする」
桜井が言う。
遠くで複数のサイレンが鳴っている。俺まで不吉な予感に襲われるけど、俺が入ると結界は割れる。
小鳥はためらいつつも横根の肩へ飛ぶ。思玲が横根をフェンスの角へとうながす。横根と桜井が消える。思玲はよろめきつつ舞いもささげる。姿隠しの上にかけられた跳ね返しの結界。
出来栄えに不満げな顔を見せつつも、彼女は額の汗をぬぐう。
「人々にかけられた妖術をはらう」
思玲が背筋を伸ばしコートからでていく。片目の子犬が舌を垂らし思玲を追い越す。……操られた無数の人間に襲われたら、俺達は人を傷つけぬように逃げまどうだけだ。傀儡の術を消す思玲の扇が、ぎり間にあった。
次回「聞き覚えはあるけどさあ」