二十八の三 この国の存在

文字数 2,283文字

 ピンクの軽自動車は獣人達を跳ね飛ばし、俺の10センチ手前で停まる。

台輔(だいすけ)、駄目でしょ!」
 運転席から女性が降りてくる。あやしい英語がプリントされたTシャツとショートパンツ。サングラスを外す。
「すみません。この子はたまに聞き分けがなくて」

 日本語から心への言葉に切り替えた……。彼女は轢いた白人男女を見おろし、

「間違えて東名に乗ったので近道で時間稼ぎしようとしたら、さらに迷ってしまいまして。そしたら台輔がこっちとか言うので。あなた方は折坂(おりさか)さんとおなじですよね。ここはどこで……、ち、ちょっと消滅しないでくださいよ!」

 俺と同年代ぐらいの茶髪でショートヘアの女性が、胸もとからなにかだす。緑色のペンダントを溶けていく女獣人へとかざす。祈りを始めようとする。

「やめろ!」人の言葉で大声をだすと目がくらむ。「そいつは悪者だ」

 異形の言葉で付け足す。彼女が俺へと目を向ける。
 当事者でなければ、映画のロケだと思うかも。彼女は主演女優ばりのオーラがあった。

「……なるほど。だから台輔が轢いたのね。ついに実戦デビューだね!」
 女性が車へと手を振る。プップッとクラクションが返される。彼女があらたねて俺を見る。
「どっちにしても私に祈りの資質はないので、翡翠の勾玉も形だけです。死にかけているあなたは、もしかして魔道団ですか?」

「そいつも俺も香港の同盟軍だ!」
 琥珀が叫ぶ。
「お前は陰陽士だな。こいつらは敵だ! 一体も逃がすな! 代金は魔道団に請求しろ!」

 陰陽士。昨夜もきいた。

「承ります」
 彼女が思案したのは一瞬だった。その手に神楽鈴が現れる。
「私は影添大社(かげそえたいしゃ)の主任巫女。名は大蔵司京(だいぞうじきょう)。人を救うのに稟議などクソくらえ。――空封!」

 彼女が手をかざし、幾多の鈴が鳴る。……人の目に見えぬしめ縄が広場を囲んで円を描く。べつのしめ縄が青空にドームのように十字を描く。

「くそっ」

 流範が地面にどさりと落ちてくる。黒羽根が舞う。これは術だよな。陰陽士とは日本の魔道士のことか?

「地封」

 大蔵司と名乗った女性が地面にかしずくように鈴を鳴らす。しめ縄が狭まっていく。結界に閉ざされたと感じる。

『この国の祓いの者よ』ロタマモの声がする。『私は偶然の通りすがりだ。開放しないと報いを与えねばならない』

 使い魔さえも閉ざされた。

「この結界は姿を隠せません。かわりに内外からの攻撃にやり返します」
 彼女はロタマモをスルーしているが、つまりこれは跳ねかえしの結界。
「台輔、思う存分倒してやり……、やっちゃ駄目! ガソリンが半分切っているじゃない!」

 車のエンジン音が高まりかけて沈む。
 円状の地面のしめ縄は車を中心に半径3メートルぐらい。上空に半円をえがく十字のしめ縄もそれくらいか。敵も味方も密接に封じられた、アグレッシヴな空間だ。

――ダ、スウォリアクスカゾ……

 ロタマモのさえずりとともに、神楽鈴が鳴らされる。いくつもの鈴の音に、おぞましき呪文がかき消される。

「昼間は人間の時間だよ。梟も悪しき異形だね」
 大蔵司が空をにらみ、ついで俺と琥珀を見る。
「大峠という町に着くまでにストップする恐れがあるので、式神は使いません。夏季休暇明けに昇級試験の結果がでるまでは、攻撃系の術は使えません。約束の時間は正午なので、あなたがたではやく終わらせてください。結界のお代は請求しませんので」

 正午のチャイムが鳴り響く。

「ふざけやがって!」

 飛びあがった流範が低い空にはじき返される。地面に叩きつけられて羽根が舞う。
 一頭になった獣人が大蔵司に飛びかかろうとして、車がクラクションで威嚇する。
 琥珀が座りこむ俺から離れる。

「ははは、ロタマモ。昼の世界に閉じこめられたな。哲人を倒す手段も消えたな」
 邪悪に笑う。
「流範も逃げられないな。このスペースだと、ガチョウみたいに歩くしかないだろ」

「逃げるものか! 裏切り者を消す!」

 流範が跳ねるように飛ぶ。ひろげた羽根が結界をかすめて、体が横転する。黒い羽毛が舞って消える。流範が憎々しげに空を見る。

「流範、まずはお前からだ。……僕はお前と竹ちゃんを嫌いじゃないぜ。焔暁もな。だけど楊の手先への憎しみは、明潭のダムが溢れるほどだ。――哲人、護符を貸せ」

 地面に転がる流範へと、琥珀が木札を片手に浮かんでいく。

「笑わせるな」

 流範が舞いあがる。巨体は結界に当たり、ピンボールのようにはじき返される。地面に激突する。よろよろ飛びたち、また地面に叩き伏せされる。黒い羽根が舞う。
 こいつの巨体とスピードに、この空間は狭すぎる。そして、この結界は刃でできている。

「笑えよ」

 琥珀が流範に飛びかかる。雷型の木札をめった突きにする。羽根がさらに舞い、カラスの絶叫を結界が吸収する。
 いにしえの呪いが聞こえて、大蔵司が鈴をかき鳴らす。流範が小鬼を振り払い、飛びたとうとして結界にはじき返される。くちばしが折れ曲がる。小鬼は低く浮かび、また大カラスへと飛び乗る。

「やめろ……」
 俺は立ちあがれない。それでも叫ぶ。
「やめろ!」

 黒い血を浴びた琥珀がびくりと俺に目を向ける。突き刺す手がとまる。流範は動かない。

『哲人君』ロタマモの呼ぶ声。『このままではすべてが間にあわなくなる。特約を加えたいのだが』

「うるさい」
 こいつの声は二度と聞かない。

『傾けるだけでいい。ホホホ、桜井夏奈はたとえ人に戻ったとしても』

 耳もとでささやかれるようだ……。そこだ!

「ホゲ!」

 ロタマモの悲鳴が聞こえた。……俺は見えないなにかをつかんだ。あのフクロウを捕まえた。地面へと引きずり落とす。




次回「絶対に離さない」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み