三十九の三 狂おしき朱雀

文字数 4,673文字

 自分の意志で人の作りし世界へ飛び降りる。
 このシチュエーションだと火伏せの護符は発動しない。でも玄武には甲羅がある。だから固い。そう思い込んで飛び降りてやった。……たぶん死なない。

 アスファルトに穴が開いたけど、俺は体が痺れただけ。巻き込みも違法駐車のアウディのトランク部分だけ。上々の出だしだった。



 **松本哲人**

 しゃがみこんだドロシーが泣き顔を向けてくる。デニーは俺の登場に安堵を隠しきれない。……彼女のリュックサックを肩にかけてやがる。

ズドン

 飛んできた黒い光は俺の身体に弾かれる。お天狗さんの守護は絶好調だ。痛いけど。

「俺のパンチで顔が腫れたままか。目を逸らさずにいられないだろうな」
 顔を頭巾で覆う峻計をにらむ。
「俺を護る神の怒りだ。飛び蛇にやられた目は二度と戻らないよな」

「おのれ!」

 峻計が俺へと杖を向ける。憎悪のこもった漆黒の光を避けずに胸で受けとめる。極めて痛いけど顔をゆがませるだけ。よろめきながらも笑ってやる。

「松本はその力で人々を守ってくれ」
 デニーが叫ぶ。「私がドロシーを守る」

 取りこまれているんじゃねーよ。それは俺だけの特権だ。

「逆にしよう。ドロシーおいで」

「へへっ、イクワルめ、恋人が助けにきてくれた」
 ドロシーは涙もふかぬまま笑顔になる。立ちあがる。
「お前らは終わりだ。ひとりも逃さない」

 その手に護布が現れる。(手伝おうとしないから俺一人で)玉を包んだはずなのに、別れるなり知らぬ間に。いつでもどこでも独断ドロシー。

 駆け寄ってくる彼女を腕に抱くのを想定していた俺は、彼女のもとへ歩く。デニーに借りた仕立てのよいタキシード。お天狗さんと一緒だから威風堂々とできる。でも裸足。よく見れば下に着ているのはレオタード。
 その姿で、護布を片手にかけて前へと垂らすドロシーを背後から抱く。

「それは今夜は不要だよ」
(つい)

 真紅のドレス。白いヒール。銀色にきらめく耳飾り。それらを隠してしまう緋色の護布をしまわせる。

「あんなのも持っていたのか。どっちにしろ、ダンディボーイに触ることはできない……お手上げだよ」
 シズメが呆れ顔をする。
「イクワルさん、僕達は引き揚げるべきかな」

死人(しびと)は黙れ!」
 峻計が感情露わに怒鳴る。「私にはもはや行く当てがない。お前達にはとことん付き合ってもらう。嫌ならば私に殺されろ」
 聡民の杖を掲げる。

「噠!」

 はやすぎ。峻計がしかけた結界は、空間を閉ざすことも護符を発動させることもなく消え去る。

「ぐえっ」
「くっ」

 黒人の姿の異形と白人の姿の異形が、胸を抑えひざまずいた。

「私の術を見極めるは至難だぞ。さらには強烈だ。身をもって知っただろ」
 デニーは気絶する人々の前に移動していた。偃月刀を片手に立たせて仁王立ちする。

「寝起きでこのノリはつらい。ハロウィンでもあるまいし、ママとキスできそうにない」
 シズメが恨めしそうに立ちあがる。

「へへ、哲人さんが来ただけで形勢大逆転だ」
 ドロシーは背後の俺に身を傾けている。上品なコロンの香り。

「だがドロシーよ、お前を抱く男の本心を、若いお前は気づけない」

 堕天使の声に、ドロシーがぴくりとする。
 なぜか俺までぴくりとするけど。

「具体的じゃないぞ」小馬鹿に笑い返してやる。

「隠れることもできない。傷つけることもできない。人質も奪われた。イクワルとシズメは口さきだけの役立たず。……なぜか俺を攻撃してこない。つまり、デニーの天珠は俺様を封じるほどのクソ。さすがは現王朝直属の上海だが、だったらあばよ」

 いきなり飛龍が出口へ突進する。人の目に見える姿のままで駆け抜けていく。貪は逃げ足速い。

()!」
 デニーが扇を振るう。青白い光が二つ、貪を追っていく。
「私に尻を向けるとはな。愚かすぎるぞ」

「私は逃さないと言った」
 ドロシーがぽつり言う。「だからデニーさんがマーキングしてくれた」

「あなたはなぜに気づける? 大姐さえも見抜けぬものだぞ」
 デニーが彼女へと敬愛に似た表情を浮かべ、シズメとイクワルへ侮蔑にも似た顔を向ける。
「異教の魔物よ。お前達は封を解いてもらい自由になったな。だが裏切れ。龍に関わらないのならば見逃してやる」

「だったらあんたは一人で貪を追いかけろ」
 またまたムカついてしまう。「俺がこいつらを倒す。ここからださない」

「お前が? 私達を?」
 イクワルが俺を笑う。「私を倒せるものは地上でそうはいない。ましてや、私が主と会うのを妨げられるものなど」
 その背に灰色の羽根がはえる。
「ふふふ……」

 堕天使の背から無数の羽毛が舞いだし、ホールに渦巻こうとする。

「だから?」
 ドロシーが俺の胸の前でイクワルをにらむ。
「だったら私がダーリンをサポートする。お前は私を辱めた。お前のラテン語は古くさい。お前は人の姿だ。だからお前はおしまいだ。だから哲人さんはもっと私を抱きしめて」

 彼女の肩に置いていた俺の手をつかみ、おのれのへその前で組ませる。
 堕天使らしき異形へと、彼女は両手を突きだす。

「噠!!!!!」

 紅色の閃光。イクワルが胴体で分断される。

「ふっ、たいした力だ。だが……」
 ふたつに分かれたイクワルの薄ら笑いが凍っていく。
「お前は何者だ。お前こそ災禍をもたらす…………主よ」
 イクワルが瞬時に溶けていく。漂う羽毛も消えていく。
「会えぬままの新たな主よ、我が魂はいずこへ向かえばいいのですか。ああ……」

 堕天使が消える。ドロシーはすでにシズメへ顔を向けていた。

「峻計がちらりと言ったな。やっぱりお前は死人(しびと)の吸血鬼だ。星は5。人の血を吸い下僕にする。弱点は多いが生半可な魔導師では太刀打ちできない。不死身なので封じるしか手立てがない」

 まんま漫画のドラキュラじゃないか。ドロシーが抱えた俺ごと向きを変えるなり、

「噠!」

 紅色の閃光が水平にひろがり、漆黒の光を飲みこむ。床に人達が倒れているのに。

「しつこいお前は最後だ! 哲人さんとデニーさんは逃がさないように見張って」

「独壇場だね。梓群は忌むべき姿こそ強い」
 あいつはあきれ笑いを浮かべる。
「まるで性根が異形みたい」

「貪さんに置いてかれて、イクワルさんがたやすくやられた……。やはり野蛮な連中の口車に乗らなければよかった」
 シズメが両手をあげる。
「僕は封じられてばかりなんで青年の姿のまま。悪さはそんなにしてないから、お手柔らかに閉じこめてね。……君は狂おしいほどに素敵だ。なぜに東洋の連中は欲望に耐えられる? 僕も闇のなかでZENをして過ごそうかな」

「たやすく捕囚になる呪われし存在を、貪が目覚めさせたのは先ほどの日没。シズメは早々に二人の血をすすり、下僕にもせず(しな)びらせた。干からびた蛙と揶揄した」
 峻計が口もとをゆがませて告げる。
「苦悶とともに封じるべきかもな」
 公正なる憎悪。

「だから?」
 ドロシーが峻計をにらむ。シズメへと指をさす。
「こいつからは人の血の匂いがする。そんな化け物は封じない。未来永劫、羽虫になって過ごせ!」
 そして両手をつきだす。
「噠!!!!!!!」

「ちょっ」
 手をあげたままの吸血鬼が紅色に包まれる。跡形もなく消え去る。

「あれ? もしかして?」
 ドロシーが両手をおろす。

「……消滅したのではないか?」
 デニーが固唾を飲む。

「……そうみたいね」
 峻計が思わずうなずく。

「峻計、終わりだな」
 乱入してからドロシーの胸の下に両手をまわす以外何もしていない俺が告げる。
「ドロシー、こいつも消し去って」
 抱く手をさらに強める。

「あっ」ドロシーの耳が赤らむ。「へ、変な声をだしちゃった、ごめんなさい。……異形になるといろいろ敏感になるのかも」

 そんな言葉に反応しかけた俺は、彼女から下半身を離す。

「まだ前夜祭も始まっていない。じゃれるには早い」
 峻計が杖でホールの床を叩く。黒い穴ができる。

「逃がすか!」
 デニーが偃月刀をふるう。

 青白い光は、蜃気楼と化した峻計を素通りする。
 かすんだ裸体の峻計が幾つも現れて俺達を囲む。いずれもが十字の傷とつぶれた片目。

「いまの梓群は最強の魔物」
「夜の私ですら勝てるはずがない」
 峻計どもが笑いながら口々にする。
「お前を倒せるのはフロレ・エスタスのみ」
「イクワルが言ったよな。お前は龍を守るために化け物にさせられた」
「永遠にその姿だ。ふふふ」

「噠!」
 ドロシーが手を突きだす。蜃気楼の峻計が一人消える。
「はずれだ。くそ!」
 また手を突きだす。

「やめろ、人がいるだろ」
 俺は彼女の手も抱きかかえる。
「ドロシーは汚い言葉を禁止だ」
 異形であろうと人の姿であろうと、彼女に似合うはずない。

「ふふふ、私の実体はすでに大江戸線だよ」
 蜃気楼の峻計達が笑う。
「お前達は貪を追いな。梓群ならば消滅できる」
「私は貪欲なくせに小狡く立ち回る奴が嫌いだった」
「奴は竹林を殺した。魂は生き延びたとしても、私は奴を憎んだ」
「ゼ・カン・ユと夏梓群。それに私。貪はすべてに怯える臆病者になった。奴はすでに伝説の邪龍ではない。ふふふ……」

ふふふふふふ……

ふふふふふふふ……

 無数の峻計達が笑いだす。全員が俺を見る。

「そして明日の日没を迎えたら、松本は思玲とともに私と戦え」
「梓群もデニーも誰も呼ぶな。二人きりで来い。守らなければ、私は毎日百人殺す。殺し続ける」

「……藤川匠が許すはずない」
 俺は実体でなき峻計達へと言う。

「私はゼ・カン・ユの寝首を狙っていた。従った振りをしていただけだ」
「その機会までは完璧なまでに従順するつもりだった。あらたな傷をつけられるまでは」
「人を殺しすぎた。私はゼ・カン・ユに抹殺される。それまでにお前らが奴を殺してくれ、ふふふ」
「これもすべてお前達のせいだからな。松本哲人と王思玲。二人への憎しみが勝り、甘くて呑気なゼ・カン・ユに従いきれなかった」
「なのに奴は竹林の魂を持っている。私には殺せ……」
「老祖師の遺言のごとき儀式は、私が遂行しよう。四神獣である必要ない」
「思玲の屍から異形を生みだしてやる。野犬から人の姿を生みだしたようにな、ふふふふふ……」

 囲む峻計達から憎悪があふれだす。みずからの憎しみに包まれながら消えていく。

「場所はお前達に指名させてやる。裏切り者の飛び蛇を遣わせろ」

 その声を最後に静寂がおとずれる。床のホールも消えていた。
 ドロシーが俺の手をほどく。

「峻計は夢魔。代償があれば望んだものの姿を変えられる。自分の姿もだ……。私だけじゃない。あなたも化け物になった」
 振り向いて俺を見上げる。
「だから私は哲人さんを信じる。魔物の声なんか届かない」

 峻計の呪詛など耳を素通りしたみたいに俺だけを見る。救いようなく利己主義で自分勝手。そうだけど……。

「だから王姐でなく、私が一緒に戦う」

 見つめられながら思う。彼女に赤い瞳なんか似合わない。人であるドロシーが一番だ。

「抱擁を始めるつもりでないだろうな。私であろうと妬いてしまう」

 デニーは意識ない人達を、顔も向けずに扇ではらっていた。そんな適当で記憶を消せるのか。やはりこの人は恐ろしい。
 彼は雨合羽の帽子をかぶり、俺達へ優しくはない顔を向ける。

「私は明日など知らない。だがそのために、まずは龍を狩ろう」
 リュックサックを肩にかけたままで言う。

「哲人さん行こう!」

 俺はドロシーに手を握られる。
 涙に溶けないメイク。汚れも汗の匂いもないままのイヴニングドレス。開いた胸もと。浮かぶ彼女に引かれても、俺の身体はふわりと浮かばない。

 銃声に振り向けば、デニーが倒れていた。




次回「俺の責任」
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