二十七の二 連れと途中下車
文字数 2,195文字
風景は田舎から山あいへ変わっていく。小鬼が首をかしげる。
「よく手を入れられるな」
リュックの荷物を整理する俺に言う。
「貉も生きていたし、もしかして術は仕掛けられてないのか?」
小鬼が手を差しこんで、「わあ」と引っこめる。
「指が消えた。罠じゃ済まない。加減しろよ。あの女はうっとうしいだけじゃなく……」
琥珀が人差し指と中指を吸う。俺は平気だ。充電器はあったけど、コードの規格があわなかった。
「琥珀は彼女となんで知り合いなの?」
「ドロシーは子供のときに祖父に同行して台湾に来ている。その絡みで、たまに連絡がある。つまり俺も九郎もビジネス絡み」
つまり彼女は劉師傅や思玲でなく楊偉天と会っているわけだな。……箱の脇からはみ出ているのはブラ紐だよな。けっこう雑に入れているかも。やましい気持ちが湧いてきたけど、四玉の箱と小鬼の視線が邪魔だ。大事なものが入っているというし、俺はあさったりしない。
「そういや哲人は異形だったくせに、ドロシーと電話で会話できたよな。あの女がかまってほしくての嘘だと思ったけど……、ドロシーには哲人がお似合いかもな」
琥珀は俺が彼女のリュックをしまうのを見ながら言う。
「お前の順位も教えろよ」
こいつはデリカシーのかけらもない。
「俺に順位なんてないよ。一人だけ」それだけ答える。
*
電車が田舎の町を抜けて、また林に入る。しばらくして急停車する。
『ただいま鹿と衝突しました。安全確認のため――』
ふざけんなよ。俺の故郷の田舎は僻地だ。海岸に滞在できる時間は二時間もないのに。琥珀も舌を打つ。
「巻きこんじゃったな」
小鬼が浮かびあがる。
「異形が鹿を投げたのを視認した。立ち去らないと人にも犠牲がでる」
琥珀が荷物棚の下をすいすいと進む……。
海どころか山にいるうちに登場だ。天珠も意味なかったか。奴らのが一枚上だ。席を立ち琥珀を追う。
「命なきものにだったら、これぐらいはできる」
琥珀がドアへと手をかざす。ロックが解除された音がする。俺が手でこじ開けて、線路脇へと飛び降りる。もはや海に叫ぶどころではなくなった。
楊偉天の一味と藤川匠の手下。俺に寄ってきたのはどっちだ?
「人の姿をした異形だが確認しきれなかった」
琥珀が横に浮かぶ。
「隻腕だったか?」
あの凶相を思いだしてしまう。
「いや。白人の男女だった」
おそらく西洋の妖魔。本命がヒットした。
奴らは契約のため俺を襲えないはず。それでも昼間から現れたということは、それほどまでに俺を夏奈と会わしたくないのだな。意地でも行くべきか。
俺は電車の後方に走り、単線をまたいで反対側に行く。木に手をかけて段差から林へ降りる。
「そっちには民家がある」
琥珀が言いたいことは分かる。でも住居あるところに道がある。ヒッチハイクするか、車を奪ってでも進まないと。人を巻きこまないなんて悠長なことは言ってられない――。
チリチリチリチリ
琥珀のパーカーのポケットから鈴の音が乱れて鳴る。……劉師傅の草鈴。峻計ほどの敵が現れたら教えると言っていた。
『ホホホ、私の存在がばれてしまったな』
眠たげなほどに悠長な誘う声。
『なおも逃げずにめざすとは、本当におもしろい子だ』
峻計より、楊偉天より、こいつの声にこそ震えてしまう。よりによって。
「耳を傾けるなよ」
琥珀が緊張した声で言う。
「晴れた昼間だ。そこまで怖くはないからな。はは、うっすら見えやがる」
林がいきなり終わり、石垣から民家の庭へと1メートル以上落っこちる。両膝と両手で着地する。
――な、なんだ、てめえは。でていけ、でていけ! おかみさんと俺の縄張りだ!
飼い犬が狂ったように吠える。人はでてこない。開いたままの納戸に農機具が並ぶ。鎌、鍬、鋤……。
転がるバールを選ぶ。いつか返そう。路地にでる。
「梟ジジイ! 僕が天珠を持っているのを知っているよな」
琥珀が空の一端をにらむ。俺も見上げるがなにも見えない。
「上海女を俺も呼べるぜ」
『主に似て嘘が苦手だな。ハイブリッドな異形よ』
ロタマモが言い返す。
『写真を見た飼い主は気づきかけているぞ。人であった小鬼よ』
俺は立ちどまる。琥珀を見あげる。こいつも楊偉天によって――。
「哲人への惑わしだ。気にするな」
小鬼が俺を追い越す。……たしかに足をとめている場合ではない。路地を抜ける。
「バールなんて異形に効果ない。奪われて脳天をなぐられるだけだ」
言われて投げ捨てる。いつかお詫びしたい。軽トラックが路上駐車してある。琥珀は鍵を開けられたな。
「車を始動できるか?」
エンジンキーなしで。
「巻きこまない。自分の足で走れ!」
こいつは真面目だ。
昨日と同じだ。太陽に照りつけられたアスファルトを走る。ロタマモは以後話しかけてこない。二車線の道に車は多くない。電柱に手を置き、息をととのえる。シャツは汗をしぼれそうだ。
まだ特急電車に一時間も乗っていない。この地点から人の足で静岡まで行くなんて不可能だ。車を奪うなんて冷静に考えれば無理だ。県内のうちに捕まるか事故を起こす。考えないと……。
前の路地から、二人連れが飛びだしてきた。白人のバックパッカーであるはずなく、完璧なまでに異形の気配が漂っている。若い白人男女は無表情で俺へと歩いてくる。
こいつらは人に見える存在だ。俺は人の体のままで忌むべき異形と戦わねばならない。
次回「白昼のタコ殴り」
「よく手を入れられるな」
リュックの荷物を整理する俺に言う。
「貉も生きていたし、もしかして術は仕掛けられてないのか?」
小鬼が手を差しこんで、「わあ」と引っこめる。
「指が消えた。罠じゃ済まない。加減しろよ。あの女はうっとうしいだけじゃなく……」
琥珀が人差し指と中指を吸う。俺は平気だ。充電器はあったけど、コードの規格があわなかった。
「琥珀は彼女となんで知り合いなの?」
「ドロシーは子供のときに祖父に同行して台湾に来ている。その絡みで、たまに連絡がある。つまり俺も九郎もビジネス絡み」
つまり彼女は劉師傅や思玲でなく楊偉天と会っているわけだな。……箱の脇からはみ出ているのはブラ紐だよな。けっこう雑に入れているかも。やましい気持ちが湧いてきたけど、四玉の箱と小鬼の視線が邪魔だ。大事なものが入っているというし、俺はあさったりしない。
「そういや哲人は異形だったくせに、ドロシーと電話で会話できたよな。あの女がかまってほしくての嘘だと思ったけど……、ドロシーには哲人がお似合いかもな」
琥珀は俺が彼女のリュックをしまうのを見ながら言う。
「お前の順位も教えろよ」
こいつはデリカシーのかけらもない。
「俺に順位なんてないよ。一人だけ」それだけ答える。
*
電車が田舎の町を抜けて、また林に入る。しばらくして急停車する。
『ただいま鹿と衝突しました。安全確認のため――』
ふざけんなよ。俺の故郷の田舎は僻地だ。海岸に滞在できる時間は二時間もないのに。琥珀も舌を打つ。
「巻きこんじゃったな」
小鬼が浮かびあがる。
「異形が鹿を投げたのを視認した。立ち去らないと人にも犠牲がでる」
琥珀が荷物棚の下をすいすいと進む……。
海どころか山にいるうちに登場だ。天珠も意味なかったか。奴らのが一枚上だ。席を立ち琥珀を追う。
「命なきものにだったら、これぐらいはできる」
琥珀がドアへと手をかざす。ロックが解除された音がする。俺が手でこじ開けて、線路脇へと飛び降りる。もはや海に叫ぶどころではなくなった。
楊偉天の一味と藤川匠の手下。俺に寄ってきたのはどっちだ?
「人の姿をした異形だが確認しきれなかった」
琥珀が横に浮かぶ。
「隻腕だったか?」
あの凶相を思いだしてしまう。
「いや。白人の男女だった」
おそらく西洋の妖魔。本命がヒットした。
奴らは契約のため俺を襲えないはず。それでも昼間から現れたということは、それほどまでに俺を夏奈と会わしたくないのだな。意地でも行くべきか。
俺は電車の後方に走り、単線をまたいで反対側に行く。木に手をかけて段差から林へ降りる。
「そっちには民家がある」
琥珀が言いたいことは分かる。でも住居あるところに道がある。ヒッチハイクするか、車を奪ってでも進まないと。人を巻きこまないなんて悠長なことは言ってられない――。
チリチリチリチリ
琥珀のパーカーのポケットから鈴の音が乱れて鳴る。……劉師傅の草鈴。峻計ほどの敵が現れたら教えると言っていた。
『ホホホ、私の存在がばれてしまったな』
眠たげなほどに悠長な誘う声。
『なおも逃げずにめざすとは、本当におもしろい子だ』
峻計より、楊偉天より、こいつの声にこそ震えてしまう。よりによって。
「耳を傾けるなよ」
琥珀が緊張した声で言う。
「晴れた昼間だ。そこまで怖くはないからな。はは、うっすら見えやがる」
林がいきなり終わり、石垣から民家の庭へと1メートル以上落っこちる。両膝と両手で着地する。
――な、なんだ、てめえは。でていけ、でていけ! おかみさんと俺の縄張りだ!
飼い犬が狂ったように吠える。人はでてこない。開いたままの納戸に農機具が並ぶ。鎌、鍬、鋤……。
転がるバールを選ぶ。いつか返そう。路地にでる。
「梟ジジイ! 僕が天珠を持っているのを知っているよな」
琥珀が空の一端をにらむ。俺も見上げるがなにも見えない。
「上海女を俺も呼べるぜ」
『主に似て嘘が苦手だな。ハイブリッドな異形よ』
ロタマモが言い返す。
『写真を見た飼い主は気づきかけているぞ。人であった小鬼よ』
俺は立ちどまる。琥珀を見あげる。こいつも楊偉天によって――。
「哲人への惑わしだ。気にするな」
小鬼が俺を追い越す。……たしかに足をとめている場合ではない。路地を抜ける。
「バールなんて異形に効果ない。奪われて脳天をなぐられるだけだ」
言われて投げ捨てる。いつかお詫びしたい。軽トラックが路上駐車してある。琥珀は鍵を開けられたな。
「車を始動できるか?」
エンジンキーなしで。
「巻きこまない。自分の足で走れ!」
こいつは真面目だ。
昨日と同じだ。太陽に照りつけられたアスファルトを走る。ロタマモは以後話しかけてこない。二車線の道に車は多くない。電柱に手を置き、息をととのえる。シャツは汗をしぼれそうだ。
まだ特急電車に一時間も乗っていない。この地点から人の足で静岡まで行くなんて不可能だ。車を奪うなんて冷静に考えれば無理だ。県内のうちに捕まるか事故を起こす。考えないと……。
前の路地から、二人連れが飛びだしてきた。白人のバックパッカーであるはずなく、完璧なまでに異形の気配が漂っている。若い白人男女は無表情で俺へと歩いてくる。
こいつらは人に見える存在だ。俺は人の体のままで忌むべき異形と戦わねばならない。
次回「白昼のタコ殴り」