二十八の一 ゼロから始まるナイトライフ

文字数 3,284文字

 黄昏時も終わりを告げた。闇が急速に校内を包む……。

 ヤバいヤバい、マジでヤバい、冷静になればなるほど、語彙が浮かばぬほどまずい。
 箱を奪われた。あの玉がないと、人に戻れる可能性がゼロかも。

「邪魔だ。どけ! あいつがあんなに怒っている。遅れたら殺される」

 戻ってきた鬼と出くわし、片手ではらいのけられる。
 こいつは黄玉だよな。峻計が呼んだのは水色腰巻だと思うが、また仲間うちでやりあえばいい。俺はそれどころじゃない。

 絶望的だ。やっぱり、あいつから箱を取りかえさないと。
 無理に決まっている。生きたままで八つ裂きにされるだけだ。
 まだ一日近くある。もう二十一時間しかない。
 なにか考えろ。絶対に浮かぶはずない。それでも考えろ。さもないと、みんなの人の心がなくなる。俺は一人、異形としてさ迷うことになる。しかも心が残ったままで……。
 どうにかしないとマジで終わりだ。自分だけ人に戻れた女になど、かまっていられるか。

松本君を責めないで!

 俺を押しのけて、化け物からの盾になろうとした白猫……。どん底ぎりぎりの動揺を抱えて図書館へ向かう。しかしヤバすぎる。

 *

 事務室はまだ明かりがついていた。夜に発する蛍光灯がまぶしい。

「さっきの声は峻計かよ? イエローパンツが小便漏らしたぜ。マジで」
 暗い空にカラスの影が浮かぶ。
「瑞希ちゃんはまだ事務室。川田は?」

 動揺は隠さないと伝染する。

「操られたままだ。俺は横根を守れと言われた(箱はないけど)。ドーンは川田を守ってくれ(箱はないけど)」

 俺にしろドーンにしろ、どうやって守れと言うんだ? しかも四玉は手もとにない。

「顔色が悪いぞ。哲人でも青ざめることがあるんだな」

 空から俺を覗きこみやがった。あいかわらず目のいい奴らだ。……恐慌は隠さないと肥大する。

「だ、大丈夫。まだ大丈夫だから」
「動揺するなよ。心配するなって。また鼻をつついて意識を戻させる、カカカ」

 羽音が遠ざかる。「無理するな」と大声をかける。
 とにかく箱を取りかえさないと、俺も桜井も川田もドーンも人に戻れない。かと言って横根を見捨てない。彼女はせっかく人間に戻れたのだから。忌まわしい記憶も消えたのだから……。
 当事者がでてきた。なかへと会釈をしてドアを閉める。
 彼女を見て決意できた。まずは、この人間を守る。その先のことは、その先に考えよう。でもヤバすぎる。

「横根」どうせ聞こえないと分かっているけど、「横根! 横根!」

 絶叫にも彼女は気づきやしない。スマホで電話しながら正門へと向かうだけだ。

「ヨコネー!」

 彼女の前で人の言葉を発しようとする。小走りの彼女からふわりと流される。触れることすらできない。
 ……前方から、黄玉と呼ばれる鬼が笑いながら現れた。

「白い玉はもとに戻ったぞ。あいつの前で割るなんて俺より頭が悪いな。横根ってのが、白虎もどきの名前かよ。……まずまずうまそうな人間だよな。グヘヘヘ」

 隆々とした肉体が闇に浮かぶ。さすが異形だ。夜が訪れ、力が満ちていやがる。

「暗くなったから、護符も戻ったぞ」
 俺は横根の背後に浮かぶ。木札を鬼へと向ける。お約束のはったりだ。いずればれる。

「グヒヒ、人へのものが夜のおかけでか? それはないだろ。俺でも分かる」

 数秒ももたない。鬼は臆することなく向かってくる。俺は片手でつかまれ、アスファルトへと叩きつけられる。地面に接する直前にふわりと逃れる。
 鬼は横根へと飛びかかる。小走りの横根は、鬼の手もとからするりと去っていく。

「やっぱし、じかに触れねえな。喰らう気でいけば簡単なのに、面倒くさいよな」

 鬼が校内の案内板をたやすく抜きとる。それを彼女に投げるつもりかよ。
 横根が背後の気配に感づき振り返る。怯えたように走りだす。鬼が埋もれていた案内板の先端を彼女へと振りかざす。
 俺は黄玉へと体当たりする。ふわふわとではなく砲弾のように……鉄筋の壁にぶつかった衝撃だ。

「邪魔するとお前から殺すぞ」

 手もとがずれて鬼が怒鳴る。中空にくらくら浮いているのを捕まりそうになり上空へ逃げる。
 黄玉が俺へと案内板を投げる。ロケットみたいに飛んでくるが、目測は大きくはずれた。避けるまでもなく校舎に飛びこむ。ガラスが割れる音がする。

「グヘッ、騒ぎをでかくしたらまずいよな」

 鬼は逃げるように横根を追う。俺は鬼を追いかける。
 こんなのを相手に、人の子ども程度の妖怪になにができるのだろう。思玲の案である、桜井を呼びつけるなんて論外だ。彼女は逃げ続けていればいい……。
 俺達全員が死んだとして、ただ一人で異形に変わるときを迎えろというのか。そもそも箱が……。
 もう考えるな。今やるべきことをやれ。

 鬼を上空から追い越して急降下する。顔面に蹴りを入れる。高いところから着地したような衝撃に足がしびれる。蠅の様に追いはらわれる。
 ……ツノが急所だったりして。ゲーム的発想で二本のツノを引っぱる。鬼は気づいてもくれない。
 鬼が横根を追い抜き、両手をひろげる。彼女に覆いかぶろうとして横にしりぞく。

「思玲の珊瑚じゃないかよ」
 鬼が俺へと顔をあげる。
「穴熊が持っていたときよりも嫌な気配だ。あれが光っているならば先に教えろ。俺にはお手上げだ」

 鬼が片鼻を押さえ、俺へと鼻水を飛ばす。あやうく避けられたが、あんなのが当たったら黒い光よりトラウマだ。
 鬼が両手を口の前にあわせる。

ハウ、ハウ、ホオオオ……

 人の耳には聞こえぬ吠え声が響く。

「海藍宝から、あいつにうまく伝えてもらうしかないな」

 鬼は横根が曲がった角へと向かう。正門までもうすこしだ。そこまでいけば、とりあえずは人だらけの世界だ。

「黄玉、俺と勝負しろ」
 鬼の前へ浮かぶ。逃げまわって、彼女から遠ざけてやる。

「サイコロでか? 俺は強いぜ。グハハ」
 鬼は横根を追うだけだ。
「だが遊べないぜ。あの娘から目を離すわけにはいかない。あいつか琥珀が来るまでな。……琥珀に人を殺す度胸はないから、来るのはあいつか」

 峻計が来たら、どうあがいても俺が彼女を守れるはずがない。それぐらいは俺でも分かる。なんとかして、この鬼を横根から離れさせないと。

 *

 正門が見え、横根は歩みをゆるめる。校内の闇へと一度振り向いて通用口に向かう。入出簿のチェックを求められたみたいだが、名前が記されているはずない。
 横根は守衛への挨拶もそこそこに通用口を抜ける。背後の鬼にも浮かぶ妖怪にも気づくことなく。

「まぶしいな! くそくそ!」
 車のライトに照らされたらしく、鬼がいらだちを露わにする。
「チビ。お前は平気なのかよ?」

 仲間みたいに話しかけるな。それに平気なはずがない。光を避けて、俺はさらに上空へと浮かぶ。横根は校門前の三叉路で立ちどまる。

ハウ、ハウホ……

 喧騒にまぎれて、鬼の吠え声がかすかに聞こえる。黄玉が校舎に向けて遠吠えを返す。横根はなにも気づかない。

「あいつだけ来るとよ。鴉がうっとうしいみたいだな」

 信号が変わり横根が歩きだす。ここから先は人ごみが増す。……人の明かりも。
 あいつが来る前に突破口を見つけなきゃ。

「おい黄玉。お前みたいに力持ちで頑丈な奴が、なんであんな小さい珊瑚を怖がるのだよ」

 横断歩道を渡る鬼が振りかえる。
「グヘヘ。敵から見ても、俺はそんなにすごいかよ」
 喜んでやがる。
「あんな玉は怖くもないけどな。あれは俺達避けになりやがるんだ。思玲の奴は喧嘩屋だから、くそみたいに清い玉もお飾りだったのにな。グヒヒ」

「教えてくれてありがとうな。お礼に俺も教えてやるよ。ここから先は人の明かりだらけだ。はやく引きかえせ」

「ふざけんな」と鬼が返す。
 あまり役に立たない情報だった。ただ思玲やドーンには悪いけど、やはり珊瑚の玉が鍵を握っている。とはいえ彼女の胸もとにかざしたところで、浮かぶ木札にパニックを起こすだけだろうな。それに……、今は珊瑚も邪鬼除けなだけだろう。
 おそらく祈りって奴が必要だ。海神の玉である珊瑚を思玲に戻さないと…………資質がないと言っていたよな。




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