五十三の一 ガールズカムバック

文字数 3,556文字

4.9-tune


 東京に戻って三日が過ぎた。まだまだ夏休みだけど、異形である身には関係ない。それでも俺は学校へと来る。友と並んで夜空を見あげる。

「カカッ、また腹が減ってきた」ドーンがぼやく。「哲人、笛をだして」

 迦楼羅と化したドーンが人の耳には聞こえぬ旋律を鳴らす。あいみょんだ。林道での法董との死闘を思いだす。
 迦楼羅がカラスに戻る。くわえた笛を俺に渡す。


 *****


 あの朝、三人は始発電車で東京へと戻った。俺はキセル乗車し、ドーンは横根が気づくように線路に沿って飛ぶ。

「スリルがヤバいし」
 異形だからトンネルも平気だった。

「松本、俺は強くなれたのか?」
 川田は片方の目がつぶれたままで、俺達の記憶も残していた。

 横根も気づいたけど、俺とドーンはすぐに分かった。川田は異形のままだ。人の姿をした手負いの獣だ。……言いたくないけど、手負いの獣人だ。

「川田君、変わらず無口だし。めっちゃ怖いし、ははは」

 なのに夏奈の記憶は異形の川田を受けいれる。
 川田は中途半端に本来の世界へ戻された。中途半端に法具を振るった俺の仕業だ。

 彼女達は新宿からそれぞれの町へ乗り換える。

「香蓮がいないから家まで帰らんとならねー。十代最後の夜遊びが瑞希ちゃんとだなんてね。ははは」

 夏奈はお気楽だ。横根は緊張したままだ。十字羯磨を握りしめている。

「スマホの盗難届をだす。犯人は藤川匠と言うべきかな? 中身見られたかな?」
 見えない俺へと尋ねる。

 俺には分からないし、それを言葉で伝えられない。うす汚れたセーラー服の横根が電車に乗るのを見送る。夏奈もここから一人きりだ。不安だけど、ドーンと川田も心配だ。俺は友を選ぶ。

「川田君またね。異形さん達も」
 夏奈がただのハシブトガラスに手を振る。

「俺はどこに行けばいい?」

 川田は人の記憶がないままで、俺達が見えるし、異形の言葉しか発しない。はた目から見れば、ケビン以上に偏屈な隻眼の男だ。
 電車に乗るのを嫌がるので、俺と川田は歩いてアパートを目指す。ドーンが早朝の東京の空を飛ぶ。誰も異形と気づくはずない。

「腹が減ったのに、人間しかいないな」

 川田は赤信号を平気で渡る。車に轢かれても平気だった。車が大破した。人の目に見える忌むべき異形……。
 川田の手を握り走って逃げる。

 *

 ドーンは自宅のマンションに帰らない。川田は部屋に着くなり朝寝する。俺は四玉の箱を開ける。
 青、白、クリアの大きめなビー玉が三個だけ。なにかが起きる気配はない。
 独鈷杵を懐からだす。気迫をこめてドーンを叩く。痛がって部屋を逃げまわるだけだった。
 川田は熟睡しているのに、たまに目を開ける。俺達が気づけないなにかに感づくように。


 十四時をまわると焦りだす。横根がアパートにやってくる。

「私を見てもお母さんは普通だった。お姉ちゃんが買ってくれた」

 彼女は真新しい服を着ている。どう見ても私服のかわいい中学生だ(ドーンは小学生と言っていた。中一か小六ぐらいってことだ)。
 似合っているなんて、俺もドーンも口にださないし、だしても伝わらない。珊瑚のペンダントだけが大人びる。

「夏奈ちゃんに家から何度も電話したよ。ようやくお昼に起きたみたい」
 横根がカラスに微笑む。
「なにかあったら川田君に連絡してと言っておいた。……藤川匠のことを聞いたんだ。なんで知っているのってびっくりされた。……青龍だった記憶は消えている」

 たくみ君に呼ばれたら、記憶なき夏奈は喜びでかけるだろう。夏奈こそを守る。……ドーンの次に。

「ドーン君がおなか空いても大丈夫ように買ってきたよ」
 横根が中型インコ用の餌袋を差し入れる。「フサフサには高級キャットフード」

「洒落になんねーし」
 ドーンが本気で怒る。横根へとガーガーうるさい。

 川田が起きた。段ボールの子犬用トイレで用を足そうとする。また眠る。現れた横根に興味を持たない。
 彼女は押し入れの奥から大きなカバンを取りだす。中身を確認しながら涙する。

「やべっ、腹減ってきた」カラスが騒ぎだす。「なんだかムカついてきたし」

 いきなりドーンが迦楼羅と化す。カラスが消えて横根があわてる。川田が目を開けて閉じる。

「哲人、ヤバい。なんとかして。ヤバいもの食いそう」
 迦楼羅が俺にすがりつく。

「落ち着けよ」

 俺に妙案などない。今度こそ本気で切りつけるべきか。ドーンは俺の心を察して天井に逃げる。

「魔法具以外(魔をつけるな)でなんか考えろよ……。笛を返して。吹きたくなった」
 迦楼羅が横笛を吹く。
「カカカッ、落ち着けるし。食欲もおさまりそう」

 ドーンが調子に乗って、さらに魔笛を吹き鳴らす。……沈大姐は、この展開も考えてドーンに笛を持たせたのだろうか? 考えすぎかな。

「ドーン、うるせえ」

 川田が異形の声で怒鳴る。ドーンがカラスに戻り、くちばしから笛が落ちる。横根がきょとんとする。

 *

「思玲様は牢に入れられた」
 琥珀は夕方にやってきた。
「差し入れは許されたから、婆やが見つくろったものを九郎に持たせた。天珠を没収されたらしく、もう我が主と連絡は取れない。それでも僕は行かない。ドロシーの顔を二度と見たくない」

 理由を並べようが、琥珀は主を避けている。
 掃除を済ませた横根は買い出しにでている。川田が目覚める。あくびする。浮かぶ小鬼をうまそうに見つめる。

「琥珀は食うなよ」
 なんで人の姿に戻っても、こんなことを言わねばならないのだ。

「思玲様は川田の状況をご存知か? 満月の夜までにはなんとかしないとな」
 琥珀が浮かんだままで言う。

 思玲は失敗とだけ言って、それ以上は告げなかった。すこし年をとろうが、言葉が足りないのは変わらずだった。

「満月になると?」ドーンの問いに、

「獰猛になる。よくて殺人鬼かな。自衛隊がお相手するだろう」
 恐ろしいことを平然と答えやがる。
「それより玉が割れたらしいな。直してやるから光のかすを寄こせ」
 そんなのは見かけなかった。
「散り散りになったな。ならばお手上げだ」

 期待してないから平気ではあった。さらに琥珀が俺へと手を突きだす。

「まったく使ってない」
 スマホを返す。ゴルフ場での最終戦では存在を忘れていた。……レベル11で大蛇を吹っ飛ばしていたら、どんな展開になっていただろう。箱は割れず、思玲は少女のままで、川田は狼のままで……。
「人に戻る方法を検索できる?」

 俺の頼みを、琥珀は鼻で笑う。
「香港から日本に向かう道すがら、暇つぶしに調べた。使えそうなのがふたつある。ひとつは上海不夜会所有。本命のもうひとつは影添大社――」

「瑞希が帰ってきた」
 川田が立ちあがる。「俺はでかけるぜ。狩りの時間だ」

 押しとめるに決まっている。数分して横根が戻る。あいかわらず誰とも会話できなくて、ため息をつく。……筆談という手があった。俺は川田のデスクでペンと紙を持つ。

松本だよ

 異形が記した文字は落書きと化す。琥珀が小馬鹿に笑う。

「プラチナ会員は人にもメッセージできる。厳密には妖術だけどな」
 スマホを操作しだす。人の目には浮かんだスマホを横根の顔に突きだす。

我是琥珀(われこれこはく)……」横根が画面を読む。「琥珀(フーポー)もいたんだ」

 あまり感慨深げではない。俺とドーンは飛びつく。スマホを奪いとる。手書き入力だ。

『ドーンで』
『松本だよ』

 挨拶を皮切りに、横根との筆談が続く。

「そうだったんだ……」
 彼女は深刻な話に顔を曇らせたり「それを書くと松本君が怒るよ」
 ドーンのギャグに笑ったりした。

「あの法具は消えちゃったよ。でも、なにかあったら現れるかも」

 横根が自分の手のひらを見つめる。珊瑚と十字羯磨があれば、横根は守られまくっている。……聞かないとな。
 俺は画面へ器用にくちばしでタッチするカラスからスマホを奪取する。

『夏奈の話を教えて。ロッカーの手紙。峻計が言ったこと』

 見るなり横根の顔が青ざめる。ふて寝の川田がちらりと俺を見る。

「つ、伝えるよ。で、でも、ちょっと待って」
 彼女が玄関を見る。逃げたがっている。

「瑞希、これをやる。俺はいらん」

 いきなり川田が人の声を放つ。ポケットにあったスマホを横根へと投げる。パスワードはドーンが知っていた。
 横根は躊躇しながら立ち上げる。スケジュール欄のメモに記入しだす。
 無言でスマホを川田に手渡す。川田が俺へと画面を向ける。


嘘だと思うけど、夏奈ちゃんは二十歳になると同時に老化が始まる。龍の資質に自分の体を食い殺されて、数年で老衰死する。あり得ないよね?


「あり得るな」
 琥珀が上から覗いていた。「貉も言っていた」

 あっちの世界の連中は冷淡だ。

『嘘に決まっているよ』

 俺は小鬼のスマホに嘘を書きこむ。妖怪のくせに、顔から血が引くのを感じた。




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