九の二 ブドウ棚の下で

文字数 2,274文字

 デラはほぼ終わっていた。シャインは今が盛り。
 ぶどう畑の奥をたどるように麓へ向かう。俺は地面から10センチほど浮かんで進む。歩くより楽だ。フサフサである白人のおばさんは、畑の重い土の上を音もなく歩く。リクトと思玲は黙ったままだ。
 本当の暗闇。ブドウの葉の下からでは、盆地の夜景も見えやしない。俺の心は一向に晴れない。お天狗さんに行ったところで、護符があるとは思えない。リュックがカラスにつつかれた背中にこすれて痛い。えぐれた首はもっと痛い。
 ドロシーの祈りを思いだす。あの子は暗闇にまだ一人きりかも。木霊達に囲まれているかも……。

「やっぱり戻ろう」
 先頭をいく俺は、カラスを頭に乗せたまま立ちどまる。

「ドロシーを心配しているんだろ? そりゃかわいそうだけど、優先順位ってのが」
 ドーンは、こういうことにはさとい。

「あんた達は戻りな。ゴンゲン様のマチに帰るために、私はここで踏んばる」
 背後からフサフサの声がした。この数時間で初めての緊張した声だ。

「感じとったのか?」やはり緊迫した思玲の声。「蛸か? お前が怯えるのなら犬か?」

 犬なら分かるがタコってなんだよ。……犬も異形か?

「さっきの式神なら、タコじゃなくてクモだろ。ちょっとだけ見てくる」
 ドーンが頭から飛びあがる。ブドウ棚の下を低く飛ぼうとする。

「ドーン、やめな!」フサフサが怒鳴る。「空からも来た。タカが一羽だけだがね。下からは、そうさ化け物の犬だよ。両方の指ぐらいいる。あのでかい怪物もだ。……こいつらは命令されているね。人間と合流しやがった」

 言っているそばから、上空を人に見えぬ大きな影が舞った。暗闇であろうと分かるのは、俺も同じ異形だからか。ドーンが頭に戻ってくる。

「八頭のハイエナを引き連れた蒼き狼。アンディの式神」
 思玲がつぶやく。
「タカも奴の式神。つまり灰風(フイフォン)斑風(パンフォン)。八本足の化け物はシノの式神だ」

 ハイエナと狼? 犬どころではない。ワイルドすぎる。こっちの世界はなんなんだ。

「もうじき囲まれるよ。なんで犬の群れに襲われる羽目になるのだい」
 フサフサが俺にすがる目を向ける。
「その匂いを追っているのさ。哲人が呼んだのだから、なんとかしておくれ。無理ならば遠くに行ってくれ」

 ドロシーのリュックサックのことか。これには箱が入っている。投げ捨てるわけにもいかないけど……。ハイエナが生きた獲物の尻から内臓へと食べていくのを、ユーチューブの閲覧注意で見たことがある。首のえぐれた傷がなおさら痛みだす。
 なんで、こんな目にあわされるのだ。民家の明かりなど届かぬ山麓の畑で、魔道士が指図する化け物に狙われ、助けてくれた女の子を裏切る行為をさせられて……。

「ドーン、おりて」

 箱を手放せないなら、フサフサの言うとおり俺が離れるしかない。

「私も誘う立場だ。背荷物をよこせ」
 思玲がフサフサの背から命じる。
「哲人はお天狗さんまで突っ切れ。火伏の護符を手にして戻ってこい。和戸は哲人を空から援護しろ」

「思玲が囮になるのかよ。無理だって」頭上でドーンが騒ぐ。「哲人、あの力をよこせ。戦うしかねーし」

 カラスをカラス天狗に進化させる力だろうけど、どうやれば湧いてくるのだ。ほかの力にしてもそうだ。あの護符は、雪の中を一人で登ることによって手に入れた。今回はどうやれば手に入るのだ? それに敵は香港だけじゃない。

「大カラスは?」
 俺はブドウ畑に立ちつくしたまま尋ねる。

「化けカラスの気配は追いづらい」
 フサフサはそわそわしながら答える。「ツチカベはいなそうだ」

 台湾の異形がドロシーを狙う可能性はあるだろうか。……俺が彼女のもとへ戻れば、気がかりがひとつ消せる。うまく行けば敵を分散できる。そもそもフサフサとリクトは強そうだ。思玲は知識があるし頭もまわる。この三人ならばタコぐらい撃退できるかも。タカぐらいなら逃げられるかも。ハイエナぐらいなら……。

「思玲は民家に逃げなよ。警察を呼んでもらおう」
 まとめて来られたら逃げられるとは思えない。

「人の世界に関わるなど、二度と口にするな!」

 思玲が怒鳴りかえす。そういう場合じゃないだろ。この前も、何度言い争いをさせられたか……。
 俺は確かにこの世界にいた。切羽詰まるほどに、記憶でなく意識として思いだす。

「スーリン。哲人を困らせないでくれ。なおさらじゃないかい」
 棚に頭が当たらぬようにかがんだフサフサが、うんざりとした顔で俺を見おろす。
「分かったよ。私が全員守っているよ。まだ忘れているようだけど、呼ばれると断れないのだよ」

 こんな顔をした野良猫も見たような。無惨に破壊された墓地にあって、そこだけ残された墓石の影で。上弦間近の月の下で。

「ならば、あそこに忍びこめ。人はいないと思う」
 俺は肥料会社の倉庫を指す。

「俺は哲人と行く」ドーンが頭上できっぱり言う。

「分かった」
 行くべき先しか分からない俺が答える。ドーンとなら立ち向かえる。

「ついでだ。そいつも守ってやるよ。よこしな」
 浮かぶ俺を抱えこむように、フサフサがリュックをむしり取ろうとする。

「これはドロシーに返す!」
 フサフサをすり抜け、俺は来た道へ向かう。

「それを餌に捕囚とするのか?」
 女の子の邪悪な声がした。
「……人質がいれば、腑抜けなアンディ達なら手をだせまいな。しかし、あとが怖いぞ。生き延びたとして、お前も十四時茶会にお呼ばれだ」

 勝手に勘違いしていろ。俺は悪の一味から卒業だ。

「お天狗さんじゃないのかよ」

 ドーンが頭上で逡巡の気配を示し、結局俺に乗りつづける。




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