四十一の二 夜咲く妖花
文字数 2,181文字
「あんなのが用心棒でいるならば、この島国に閉じこもり儀式だけに特化した世襲魔道士も生き延びられたわけだ」
猫である露泥無がやってくる。
「それはそうと、あの香港娘は逃れようのない罪を犯した。幸いにも、どちらの世界の記憶も残していられるのは――、そんな化け物の人間は思玲と沈大姐ぐらいだ。彼女の祖父でさえ、すでに孫の存在を忘れているだろう。松本には繰りかえすけど、忘れられたまま消え去るのが、あの娘にとって最善だ」
こいつの長広舌など誰も聞いていない。
「僕も貉と同意見だ。あの人間は思玲様の命を危うくした」
琥珀だけが追随する。
ドロシーが張麗豪を逃がしたいきさつは聞いている。サキトガの仕業だとしても、彼女の弱さのせいだ。
「哲人、のろくね?」
「松本、狩りの時間だ」
カラスと狼はプレッシャーしか与えてこない。でも作戦を練らないと、奴らに勝てるはずない。
思玲が怒ってなければいいが。
***
「あの娘を助ける義理はない」
自動販売機で買ったサイダーを飲みながら少女が言う。
「私は式神とともに麗豪を追う。ついに別れのときが来たな。護符は返すぞ」
予想外の返事のあとに、思玲が汗まみれでげっぷをする。べったりした髪へと帽子をかぶる。シャワーをさせてあげたいなんて思う。
「桜井はスルーかよ。龍のままでいいのかよ。狼が子分になるなりそれかよ」
ドーンが俺の頭から文句を言う。
雅が即座に少女の前にでる。川田が俺の横にならぶ。
「ス、思玲にはやるべきことがあるんだよ」
白猫が二頭の間に入る。
「私達だけでいいよ。護符は思玲が使っていいよね」
俺だって思玲である女の子を引きずりまわしたくない。じっとしていてもらいたい。……本音を言うと一緒に来させたい。来てもらいたい。
「この護符はお飾りだ。討伐のものではない」
思玲が天宮の木札をかかげる。ほんのりと輝くだけだ。
投げ渡される。……俺を守るための木札か。俺には扱えない護符。思玲を守らないお札。
「か、陽炎だけ教えてよ。楊偉天の鏡のことを」横根が声をだす。
あの鏡の秘密は、台湾の長の証であるからと教えてくれなかった。劉師傅も琥珀も。
「聞いてないのか? 道すがら哲人から聞いておけ」
だから俺は聞いていない。
「そんな大事なことをか?」
思玲は教えてくれる。
「あの鏡には明の時代に暴れた龍を封じてある。いわゆる貪だ。青龍など比較にならない邪悪にして醜悪なドラゴンだ。
当時の魔道士が力を結集させて、なんとか抑えこんだらしい。だから、あの鏡には魔道士の力がたっぷりと入りこんでいる。そんな鏡は私などに扱えられない。あのジジイだからこそ、その力を小出しにできるわけだ」
端折りすぎだが……、古来の力が結界を作り、ダミーの老人を作り、導きを差しだしたというのか。そして封じられた龍から波動をださせる……。力を小出しにした結果、鏡の力は弱まっていくのなら、いつか龍はめざめるかもしれない。
思玲が真っ暗な空を見上げる。
「琥珀、時間は?」
少女が尋ねる。20時11分と返事される。
「雅、行くぞ。しょせん私はカラスウリだ。異形とともに一人で夜に花咲く宿命だ」
狼に乗り、少女は去っていく。琥珀だけがおろおろしていた。
「リクトと風軍に、獣人につけた印を教えてある。いずれ行きつく場所は同じかも。貉。松本達を見捨てるなよ」
フードをかぶり、そっぽを向く。
ドーンが木の枝に飛び乗り、琥珀を見おろす。
「カッ、別れるのなら言っておくじゃん。お前が傷ついた瑞希ちゃんを吹き飛ばしたことを、俺は覚えているぜ。どうせ言い分を並べるだけだろうから、問わなかっただけだ」
小鬼が振りかえる。なにか言いたげな顔をしたが、浮かびながら主達を追っていく。
「思玲の決断は至極全うだ」
琥珀が見えなくなって、露泥無である黒猫が口を開く。
「蒼き狼と新月の小鬼。こいつらだけを侍らせれば、張麗豪を倒せる可能性はある。猫や鴉を守りながら戦うより、はるかにだ」
「お前の喋りかた、だいぶ気にさわるんだけど」
ドーンが苛立ちを隠せない。そうなると川田が歩いてくる。
「異形の気配がないと襲いづらいな」
露泥無へと不敵に笑う。
「川田君、ドーン君、無視しよう。そいつはなにも分かっていないだけだよ」
横根の目の色も変わっている。
横根は露泥無にぼろくそに言われたよな。自分の身代わりに魂を奪われた人がいれば、彼女はひとりでも向かう人間なのに……。
甘えているから激情する。横根の気性に一抹の不安が残る。前回は、ただの白猫が無謀なことをして一度死んだ。
「ならば会話は終わりだ。サキトガは強大になった。天珠があろうと、念波で大姐が来るべき時間を読んだ」
黒猫が俺達に背を向ける。
「しかも新月だ。あの魔物を討伐できる可能性はゼロだし、僕は完全なる闇になっても殺される可能性がある。つまり今夜は君達と行動をともにする必要はない。傍から眺めることさえ危うい。ましてや老耄と化した者がハイイロクマムシの封印を解いたとなればね。君達が生き延びられたのならば、明け方に会えるだろう」
露泥無が林に去っていく……。一緒に来るものだと思いこんでいた。
「食っちまうか?」
川田が言う。俺は首を横に振る。
「俺達だけかよ」
ドーンがぼそり言う。俺はまた首を横に振る。この四人だけじゃない。もう一羽いる。
次回「翼の四人」
猫である露泥無がやってくる。
「それはそうと、あの香港娘は逃れようのない罪を犯した。幸いにも、どちらの世界の記憶も残していられるのは――、そんな化け物の人間は思玲と沈大姐ぐらいだ。彼女の祖父でさえ、すでに孫の存在を忘れているだろう。松本には繰りかえすけど、忘れられたまま消え去るのが、あの娘にとって最善だ」
こいつの長広舌など誰も聞いていない。
「僕も貉と同意見だ。あの人間は思玲様の命を危うくした」
琥珀だけが追随する。
ドロシーが張麗豪を逃がしたいきさつは聞いている。サキトガの仕業だとしても、彼女の弱さのせいだ。
「哲人、のろくね?」
「松本、狩りの時間だ」
カラスと狼はプレッシャーしか与えてこない。でも作戦を練らないと、奴らに勝てるはずない。
思玲が怒ってなければいいが。
***
「あの娘を助ける義理はない」
自動販売機で買ったサイダーを飲みながら少女が言う。
「私は式神とともに麗豪を追う。ついに別れのときが来たな。護符は返すぞ」
予想外の返事のあとに、思玲が汗まみれでげっぷをする。べったりした髪へと帽子をかぶる。シャワーをさせてあげたいなんて思う。
「桜井はスルーかよ。龍のままでいいのかよ。狼が子分になるなりそれかよ」
ドーンが俺の頭から文句を言う。
雅が即座に少女の前にでる。川田が俺の横にならぶ。
「ス、思玲にはやるべきことがあるんだよ」
白猫が二頭の間に入る。
「私達だけでいいよ。護符は思玲が使っていいよね」
俺だって思玲である女の子を引きずりまわしたくない。じっとしていてもらいたい。……本音を言うと一緒に来させたい。来てもらいたい。
「この護符はお飾りだ。討伐のものではない」
思玲が天宮の木札をかかげる。ほんのりと輝くだけだ。
投げ渡される。……俺を守るための木札か。俺には扱えない護符。思玲を守らないお札。
「か、陽炎だけ教えてよ。楊偉天の鏡のことを」横根が声をだす。
あの鏡の秘密は、台湾の長の証であるからと教えてくれなかった。劉師傅も琥珀も。
「聞いてないのか? 道すがら哲人から聞いておけ」
だから俺は聞いていない。
「そんな大事なことをか?」
思玲は教えてくれる。
「あの鏡には明の時代に暴れた龍を封じてある。いわゆる貪だ。青龍など比較にならない邪悪にして醜悪なドラゴンだ。
当時の魔道士が力を結集させて、なんとか抑えこんだらしい。だから、あの鏡には魔道士の力がたっぷりと入りこんでいる。そんな鏡は私などに扱えられない。あのジジイだからこそ、その力を小出しにできるわけだ」
端折りすぎだが……、古来の力が結界を作り、ダミーの老人を作り、導きを差しだしたというのか。そして封じられた龍から波動をださせる……。力を小出しにした結果、鏡の力は弱まっていくのなら、いつか龍はめざめるかもしれない。
思玲が真っ暗な空を見上げる。
「琥珀、時間は?」
少女が尋ねる。20時11分と返事される。
「雅、行くぞ。しょせん私はカラスウリだ。異形とともに一人で夜に花咲く宿命だ」
狼に乗り、少女は去っていく。琥珀だけがおろおろしていた。
「リクトと風軍に、獣人につけた印を教えてある。いずれ行きつく場所は同じかも。貉。松本達を見捨てるなよ」
フードをかぶり、そっぽを向く。
ドーンが木の枝に飛び乗り、琥珀を見おろす。
「カッ、別れるのなら言っておくじゃん。お前が傷ついた瑞希ちゃんを吹き飛ばしたことを、俺は覚えているぜ。どうせ言い分を並べるだけだろうから、問わなかっただけだ」
小鬼が振りかえる。なにか言いたげな顔をしたが、浮かびながら主達を追っていく。
「思玲の決断は至極全うだ」
琥珀が見えなくなって、露泥無である黒猫が口を開く。
「蒼き狼と新月の小鬼。こいつらだけを侍らせれば、張麗豪を倒せる可能性はある。猫や鴉を守りながら戦うより、はるかにだ」
「お前の喋りかた、だいぶ気にさわるんだけど」
ドーンが苛立ちを隠せない。そうなると川田が歩いてくる。
「異形の気配がないと襲いづらいな」
露泥無へと不敵に笑う。
「川田君、ドーン君、無視しよう。そいつはなにも分かっていないだけだよ」
横根の目の色も変わっている。
横根は露泥無にぼろくそに言われたよな。自分の身代わりに魂を奪われた人がいれば、彼女はひとりでも向かう人間なのに……。
甘えているから激情する。横根の気性に一抹の不安が残る。前回は、ただの白猫が無謀なことをして一度死んだ。
「ならば会話は終わりだ。サキトガは強大になった。天珠があろうと、念波で大姐が来るべき時間を読んだ」
黒猫が俺達に背を向ける。
「しかも新月だ。あの魔物を討伐できる可能性はゼロだし、僕は完全なる闇になっても殺される可能性がある。つまり今夜は君達と行動をともにする必要はない。傍から眺めることさえ危うい。ましてや老耄と化した者がハイイロクマムシの封印を解いたとなればね。君達が生き延びられたのならば、明け方に会えるだろう」
露泥無が林に去っていく……。一緒に来るものだと思いこんでいた。
「食っちまうか?」
川田が言う。俺は首を横に振る。
「俺達だけかよ」
ドーンがぼそり言う。俺はまた首を横に振る。この四人だけじゃない。もう一羽いる。
次回「翼の四人」