三十六の二 いずれは無敵

文字数 2,736文字

「逃がしてしまった。もはや私の感では追えない。だが峻計、あなたなら見つけられるだろう」

 張麗豪の声は天上から俺の背後に移動した。ドロシーから緊張が伝わる。

「走れ!」
 護布を背にはためかせながら、握ったままの彼女の手を引く。

ズッドン

 黒い光を背中に受けて、二人そろって吹っ飛ぶ。木を背中にして起き上がる。彼女と俺を護布で包みなおす。挟撃だけはさせない。

「峻計。そいつを殺すつもりか?」
 麗豪がまた空に浮かぶ。
「気持ちは分かるが、なおのこと四玉の箱を探してくれ。箱を開けて殺せば、青龍の光は玉に戻る。なので思玲を探してくれ」

 挟み撃ちに変わりない。空と地面からだ。

「足をつぶそうとしただけです」
 俺への殺意などなかったかのように、あいつが言う。
「結界も張れぬ思玲など後回し。こいつの力をひとつずつ削りましょう。まずは梁勲(リァンシン)の孫」

 おそらくドロシーのことだろう。ヒグラシは遠くで鳴いている。もう五時は余裕でまわったよな。日没まで時間がない。夏奈を呼びたい。こいつらを追い払いたい。いや倒したい。

「ほう。ならば、この娘は生かそう」
 麗豪が眼鏡の縁をあげる。両手に鞭が現れる。
「後々の交渉に使えるかもな。私達を許された老師に報える。――双鞭」

 空から青白い光が二本飛んでくる。俺へと向かったのは囮だった。

好痛(ハオトン)!」
 ドロシーが人の言葉を漏らす。もう一本が扇を持つ彼女の手に巻きつく。彼女の体が浮かんでいく。
「腕が焼ける……」

 俺は彼女の体を引きずり降ろそうとして、一緒に持ち上げられる。もうひとつの鞭が俺を叩きまくる。形見のシャツに焼けた筋がつく。

「ま、松本重い。苦しい。でも離さないで」
 ドロシーの別の手に小銃が現れる。
「こ、これを支えて」

 しがみついている俺の頭に銃床を乗せる。銃口を宙へ向ける。

「殺」

 掃射じゃなく単発だ。術の鞭がちぎれ、俺達は5メートルぐらいから落下する。俺がドロシーのクッションになるが、痛みがないから平気だ。
 背中から護布を引きずりだしたところで、

(トン)……」

 またドロシーが持ち上げられる。今度は首に巻かれている。
 俺の血が激しくうずきだす。なのにサテン越しに後頭部をおもいきり蹴られる。脳震とうを起こすが痛くはない

「その護布はな、万能ではない!」

 振り向いたところに正拳突きが飛んでくる。痛くはないが、奥歯が数本砕けた。
 頬をさすると、新たな歯が生えてきた。中一の秋から差し歯だったところもだ!
 古い歯を手に吐きだし、後頭部をさする。まわし蹴りを避け、抜けた歯をあいつの顔にぶつける。
 目に当たり、あいつは顔をそらす。指を鳴らさず蜃気楼と消える。

「殺せ……」

 ドロシーが七葉扇を振るう。麗豪の鞭を煤竹色の光が裂き、ドロシーが落ちてくる。俺の上にだ。彼女を抱えて護布をかける。彼女の赤くただれた首筋と手首をさする。

「左肩も痛い。頬からも血がでている」

 ほっぺの傷など三日で消えそうなものだが、指定された場所もさする。

「じゃれるな!」

 あいつが姿を現した。俺たちを包むサテンを引かれて、体まで引きずられる。ドロシーが俺の腰に手をまわす。
 ……鞭が俺の首にからみついた。首をくくられてもまたもや苦しくないが、ヤバいに決まっている。
 鞭と峻計とドロシーが、俺を引っ張りあう。

「り、麗豪を倒せ」
 ドロシーに言う。はやくしないと窒息する。
「ひ、人除けの……」

 俺にしがみついていたドロシーの手にMP5が現れる。峻計と布を引きあう俺の前へと顔をあげる。

「へっ、弾切れだ。直接入れる」

 銃口へと吹きこむ彼女の息が俺にもかかる。峻計が護布を手放す。俺と一緒にドロシーもふわりと浮かぶ。唇を舐める彼女と間近で目が合う。汗びっしょりで紅潮して、自分の力への期待に満ちている。俺から手を離す。

「誅」

 落下しながら上空へと銃を乱射する。薄紅色の光が空へと吸い込まれていく。

「ぐああああ…」

 麗豪の悲鳴とともに鞭が消えて、俺は地面に落ちる。杉の枝を折りながら、張麗豪も落下する。俺は地面に転がるドロシーに護布をかける。彼女は振りはらい立ちあがる。
 七葉扇を横たわる男へと向ける。

「天誅だ!」

 淡いグリーンと桜色が混ざった優しくも残酷な光が飛ぶ――。
 マーブルな巨大な光弾は、黒い螺旋に弾かれて空へと消える。黒羽扇を交差させた峻計が、麗豪の前で仁王立ちしていた。

「あなたは狂死したかもしれません」
 峻計は俺達をにらんだまま言う。
「私は老祖師に何度も進言しました。こいつを見くびらぬようにと。お分かりいただけましたよね?」

 その言葉、そのまま返してやる。あいつがいなければ、あいつでなければ、この場でこいつらを何度倒せた?

「……癒えぬ傷をふたつも受けた」
 あいつの背後で麗豪が立ちあがる。
「私のいにしえの呪文では昇の護布に弾かれる。だが、これはどうだろう」
 胸ポケットに手を入れる……。拳銃だ!
「マークが持っていた。奴らは実弾が許されていたな」

 麗豪が空に浮かび銃を構える。俺はドロシーに布をかける。銃音が林に響く。杉の表皮がはじけて落ちてくる。さらに銃声。
 ……貫通していないよな。護布は銃弾さえもはじき返すのか。俺達へと見えないシールドを張っている。

「魔道士もこちらの世界の存在。この国は木霊が多い。刺激すると、麗豪様も飲みこまれます」

 峻計は麗豪を蔑んだ目で見ていた。
 とは言っても、ドロシーだって目をひろげて固唾を飲んでいる。俺だって。人には人の作りし武器も恐ろしい。

「龍を呼んでいたら、お前をここで殺せたのにな」
 峻計が俺をにらむ。
「だが、いずれお前は龍を呼ぶ。しがらみなくお前を殺せる。……あの娘の名前を私は忘れた。急がねば、あの娘もお前を忘れる」

 そんなはずはない。でも夏奈は遠ざかっている。ドロシーが俺の手を握る。

クアアアアアアアアアアア……

 ……はるか遠くから、非業を嘆く叫びが届いた。誰もが動きをとめる。ドロシーがさらに強く握る。

「サキトガか……」
 あいつがついに俺へと笑う。「誰もがお前を殺したがっている」

「だから?」
 ドロシーが前にでる。
「私が松本を守る。私も殺されない! 松本が守ってくれる!」

 身をさらけだし、扇を振るおうとする。俺は彼女を引きずり戻す。
 彼女の立っていた場所に、槍のごとき鞭が突き刺さる。彼女の足が震えだす。

「もう充分に守ってくれたから」
 昨日の今ごろ、なにも知らずにこっちの世界に出没した妖怪変化を守ってくれた。「あとは俺が守る」

「嫌だ。私も守る」

 言葉と裏腹に、俺の胸にうずくまる。……こうして彼女を抱いていると、俺達が無敵のように感じる。あの笑みが遠ざかるように感じる。ヒグラシが鳴くだけだ。カラスが邪魔してくれない。




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