八の三 さすがに無理
文字数 2,052文字
「ドロシー、龍はいずこだ?」
思玲が意に介せず彼女をにらむ。
「教えない」
痛みに耐えながら、ドロシーが言う。
「白猫であった人の噂、聞いたことはあるか?」
「知っていても教えるか!」ドロシーが叫ぶ。
「カカッ。俺達が聞いてもいいんだぜ」
俺の肩でカラスが笑う。
「手負いの獣と猫女。まずはどっちを選ぶ? あきらめろよ」
ドーンまでなにを言ってやがる。こいつもたしかに荒っぽい一面はあったけど(有り金勝負するんだよとか、あの白人笑いやがったぜとか)、こんな残忍な言葉を口にださなかった。むしろ真逆の男だった。異形に堕ちたからかよ。
「頼みたいこともある」
思玲がドーンを制すように片手をあげる。「琥珀を開放してくれ」
「あの子をあなたになど二度と会わせない」
「私の式神だ」
「だから? 私を食い殺せばいい。魔道団は仲間の復讐を必ず成し遂げる」
ドロシーは泣いていた。もう我慢できない。
「話をあわせろって」
俺の感情にドーンが感づく。
「ブドウ畑で化け物が主を待っていた。俺達を襲う命令をだ。それに、あいつが来るかも。はやく逃げださないと」
あいつとは峻計のこと。俺の生存本能が気づく。
「復讐か。たしかに、そのために生きる者こそ怖い」少女が笑う。
「ならば仲間のもとに逃げかえれ。――フサフサ、その娘の背荷物を頂戴しろ。それ以上腕をひねらぬようにな」
「ふん。指図ばかりで気にいらないけど、ここも従ってやるよ」
フサフサが片手ずつ放して、ドロシーが背にしたリュックを器用に奪いとる。ドロシーは地面に落ちる。そのままうずくまる。
「カカッ、はやく立ち去りな」とドーンが笑う。立ち去ってくれよと、聞こえぬようにつぶやく。
「まだだ」
思玲は気絶したリクトを盾のように抱えていた。「その異形についた印を消してからだ」
俺の頬を顎でしめす。
すでに暗闇だ。虫しか鳴いていない。なのに、ドロシーが地面に手をつき立ちあがるのがはっきりと見える。彼女が俺を見つめる。思玲がタクト棒の提灯をドロシーにかざす。悔し涙がとめどなく流れていた。
「その式神が、印を消したと言っていた。貴様は昼間の人間だ」
彼女は俺をにらむ。
「貴様だけは、異形でなく人間として扱ってやる」
呪いのようににらむ。
「当然だ。こいつらは人だ」思玲がきっぱりと言う。「ここに式神などいない」
「ふん。私は猫だけどね」
フサフサが鼻を鳴らす。
「私はマチ育ちだから、こんなところにいたくないのだよ。はやくしておくれ」
鎖を振りまわす。
「……魔女め。黒魔女め。王思玲、貴様は災いをもたらす魔女だ」
ドロシーが俺のもとまでやってくる。涙が闇にまぎれてくれない。ドーンが肩から飛びたつ。
「私をだましたな。ここにおびきだしたな」
そう言って、ドロシーは俺の頬にくちづけする。彼女の温かい唇が離れ、印が消え去ったと感じる。
「愚かだな。貴様の印がみなを集めただけだ」
女の子がとどめのように笑う。
「感謝はしているぞ。夜道だ。気をつけて帰るがいい」
思玲が提灯を踏みにじる。完全な闇のなか、なにも持たぬドロシーが俺をにらむ。最後に少女の陰影をにらみ、真っ暗な林道を去っていく。曲がり道で見えなくなる。
「はやく消えろよ」
ドーンが見届けるために飛ぶ。漆黒の闇空にカラスがまぎれる。
*
「哲人、スマホを……、いや私が取りだす」
思玲がリュックを拾い、意を決したように外ポケットに手を突っこむ。安堵の顔を見せる。
「ドロシーは木霊を怒らせたようだな。電波をゆがめられた。つまり、これはここでは役立たずではあるがな」
スマホを握る女の子の顔はゆがんでなどいない。それを道に投げる。
「フサフサ、スマホを念入りにぶっ壊し残骸を藪に捨てろ。哲人はリュックを背負え」
女の子が指図を始める。
「リクトに鎖をつけろ。念入りに蹴っ飛ばしてからな。抱えるのはフサフサだ……。箱は?」
リュックの中だと言うと複雑な顔をする。
俺は蹴っ飛ばさずに、若い柴犬を鎖につなげる。鉄塊だ。ずしりと重い。リュックを受けとる。ふわりと背負えた。……背中の傷にこすれて痛い。ドーンがばさりと頭上にとまる。首も痛くなる。
「魔道士のカバンは術のかたまりだ。絶対に手を入れるな。では早々に立ち去るぞ。森を避け人も避けて、お天狗さんを目ざす。なんとしても土着の札を手に入れる」
女の子が矢継ぎ早に言う。
「だが、ちょっとだけ休ませてくれ。……私は魔女なんかでない」
思玲は真っ暗な林道に大の字にあおむけになる。
ドロシーを行かせてはいけないけど、この子を見限られるはずはない。林から覗く空はかすんだ星だけだ。月の光も届かない。そもそも月など……。
「ご本尊に行かなくていいのかよ」
ドーンがリュックの上に乗りなおす。
「もういいや」俺は答え「思玲をおんぶしてやってよ」
フサフサにお願いする。
それでもご神体のある森を見あげる。――お天宮さんは白けていた。
俺達はまるで悪の一味だ。こんな展開を認めるはずない。だから護符をあきらめる。
次回「触れ合っていた二人」
思玲が意に介せず彼女をにらむ。
「教えない」
痛みに耐えながら、ドロシーが言う。
「白猫であった人の噂、聞いたことはあるか?」
「知っていても教えるか!」ドロシーが叫ぶ。
「カカッ。俺達が聞いてもいいんだぜ」
俺の肩でカラスが笑う。
「手負いの獣と猫女。まずはどっちを選ぶ? あきらめろよ」
ドーンまでなにを言ってやがる。こいつもたしかに荒っぽい一面はあったけど(有り金勝負するんだよとか、あの白人笑いやがったぜとか)、こんな残忍な言葉を口にださなかった。むしろ真逆の男だった。異形に堕ちたからかよ。
「頼みたいこともある」
思玲がドーンを制すように片手をあげる。「琥珀を開放してくれ」
「あの子をあなたになど二度と会わせない」
「私の式神だ」
「だから? 私を食い殺せばいい。魔道団は仲間の復讐を必ず成し遂げる」
ドロシーは泣いていた。もう我慢できない。
「話をあわせろって」
俺の感情にドーンが感づく。
「ブドウ畑で化け物が主を待っていた。俺達を襲う命令をだ。それに、あいつが来るかも。はやく逃げださないと」
あいつとは峻計のこと。俺の生存本能が気づく。
「復讐か。たしかに、そのために生きる者こそ怖い」少女が笑う。
「ならば仲間のもとに逃げかえれ。――フサフサ、その娘の背荷物を頂戴しろ。それ以上腕をひねらぬようにな」
「ふん。指図ばかりで気にいらないけど、ここも従ってやるよ」
フサフサが片手ずつ放して、ドロシーが背にしたリュックを器用に奪いとる。ドロシーは地面に落ちる。そのままうずくまる。
「カカッ、はやく立ち去りな」とドーンが笑う。立ち去ってくれよと、聞こえぬようにつぶやく。
「まだだ」
思玲は気絶したリクトを盾のように抱えていた。「その異形についた印を消してからだ」
俺の頬を顎でしめす。
すでに暗闇だ。虫しか鳴いていない。なのに、ドロシーが地面に手をつき立ちあがるのがはっきりと見える。彼女が俺を見つめる。思玲がタクト棒の提灯をドロシーにかざす。悔し涙がとめどなく流れていた。
「その式神が、印を消したと言っていた。貴様は昼間の人間だ」
彼女は俺をにらむ。
「貴様だけは、異形でなく人間として扱ってやる」
呪いのようににらむ。
「当然だ。こいつらは人だ」思玲がきっぱりと言う。「ここに式神などいない」
「ふん。私は猫だけどね」
フサフサが鼻を鳴らす。
「私はマチ育ちだから、こんなところにいたくないのだよ。はやくしておくれ」
鎖を振りまわす。
「……魔女め。黒魔女め。王思玲、貴様は災いをもたらす魔女だ」
ドロシーが俺のもとまでやってくる。涙が闇にまぎれてくれない。ドーンが肩から飛びたつ。
「私をだましたな。ここにおびきだしたな」
そう言って、ドロシーは俺の頬にくちづけする。彼女の温かい唇が離れ、印が消え去ったと感じる。
「愚かだな。貴様の印がみなを集めただけだ」
女の子がとどめのように笑う。
「感謝はしているぞ。夜道だ。気をつけて帰るがいい」
思玲が提灯を踏みにじる。完全な闇のなか、なにも持たぬドロシーが俺をにらむ。最後に少女の陰影をにらみ、真っ暗な林道を去っていく。曲がり道で見えなくなる。
「はやく消えろよ」
ドーンが見届けるために飛ぶ。漆黒の闇空にカラスがまぎれる。
*
「哲人、スマホを……、いや私が取りだす」
思玲がリュックを拾い、意を決したように外ポケットに手を突っこむ。安堵の顔を見せる。
「ドロシーは木霊を怒らせたようだな。電波をゆがめられた。つまり、これはここでは役立たずではあるがな」
スマホを握る女の子の顔はゆがんでなどいない。それを道に投げる。
「フサフサ、スマホを念入りにぶっ壊し残骸を藪に捨てろ。哲人はリュックを背負え」
女の子が指図を始める。
「リクトに鎖をつけろ。念入りに蹴っ飛ばしてからな。抱えるのはフサフサだ……。箱は?」
リュックの中だと言うと複雑な顔をする。
俺は蹴っ飛ばさずに、若い柴犬を鎖につなげる。鉄塊だ。ずしりと重い。リュックを受けとる。ふわりと背負えた。……背中の傷にこすれて痛い。ドーンがばさりと頭上にとまる。首も痛くなる。
「魔道士のカバンは術のかたまりだ。絶対に手を入れるな。では早々に立ち去るぞ。森を避け人も避けて、お天狗さんを目ざす。なんとしても土着の札を手に入れる」
女の子が矢継ぎ早に言う。
「だが、ちょっとだけ休ませてくれ。……私は魔女なんかでない」
思玲は真っ暗な林道に大の字にあおむけになる。
ドロシーを行かせてはいけないけど、この子を見限られるはずはない。林から覗く空はかすんだ星だけだ。月の光も届かない。そもそも月など……。
「ご本尊に行かなくていいのかよ」
ドーンがリュックの上に乗りなおす。
「もういいや」俺は答え「思玲をおんぶしてやってよ」
フサフサにお願いする。
それでもご神体のある森を見あげる。――お天宮さんは白けていた。
俺達はまるで悪の一味だ。こんな展開を認めるはずない。だから護符をあきらめる。
次回「触れ合っていた二人」