四十二の三 スタンドバイミー
文字数 2,478文字
俺は二階で待つ。踊り場で剣を持つ師傅の影が、血の色の明かりの中で舞う。追いつめられた獅子が、最後の気力を振り絞ろうとする。
犬にかまれたくらいで師傅が弱まるとは思えない。峻計の呪いがどんなものか知るはずないけど、本来の師傅ならはじき飛ばしそうだ。だとすると、すべての根源は俺から受けた傷なのだろうな。
ブルブル……
尻ポケットがまたうごめきだす。ほんとに、またかよだ。
『でなよ。いくじなし』
俺の心が読める桜井に叱咤されて、スマホを取りだす。
香港魔道伝服務有限公司
画面にはそう記されていた。香港? 受信マークを押す。
『你好 』
人間の言葉で挨拶される。若い女性かな。
「ニーハオ」心の声を返すしかできない。「悪いのですけど、話している時間は――」
『日語……? なんで日本の異形がでるの! やっぱり日本ってなんでもありなのね』
スマホ経由で心への声を飛ばし返される。
『君は物の怪系? けだもの系? ……失礼しました。こちらは香港マジカルロードクラウドサービス。そちらの端末から預けられたものに、重大な規約違反がありました』
声がでかくて耳が痛くなる。それよりもクラウドサービス?
琥珀がそこから白虎の煙をだしたよな。どう考えても電話の向こうのこいつも、こっちの世界に関わりある奴だ。黙ったままの俺におかまいなく話しつづけられる。
『ペナルティとして十日間の使用禁止になります。違約金も発生しますので、後日徴収にうかがいます。それと、お預けのなまものがどうしても話したいと言うのですが、琥珀ちゃんなわけだし、本来の回線料金で特別に代わりますね。……私の一存だから内緒にね。
じゃあね異形ちゃん、いつか会いたいね。ヘヘ』
保留音に変わる(スタンドバイミーだ)。
一方的に話されたけど、琥珀って言ったよな? あいつは峻計から逃げるために、スマホ経由で自分の身を預けたのか?
「琥珀の携帯電話か……」
劉師傅が階上に来た。俺の横を素通りする。電話を耳に当てながら彼を追う。……あの威圧する覇気はどこにいったのだろう?
保留音がぷつりと終わる。
『思玲様でしょうか? こたびは面目ございません』
マジで琥珀の声だ。
「俺だよ。無事だったんだな」
みなが生きている感謝を、埋もらせるほどに伝えたい。
『哲人かよ。思玲様に代わってくれ……。あんたのがいいな』
小鬼が感慨もなく話しはじめる。
『ドロシーから聞いただろうけど、しばらくサービスが利用禁止になった。生鮮品に生きた異形も含まれるなんて、細かい文字まで読むはずないよな。つまり俺は十日ほど閉じこめられる。だから特別にそのスマホを貸してやる』
ドロシーって、さっきの声がでかい女の子? そんなことより、
「待てよ、俺らの今の状況が分かっているのか?」
こっちは生死の境だぞ。
『画面ロックは思玲様のお顔でも解除できる。かってに登録させていただいた』
琥珀はおかまいなく話し続ける。
『立ちあがった画面の右下に、どくろマークと数字の11を組み合わせたアプリボタンがある。それが吹っ飛ばしのレベル11だ。俺や哲人みたいな新月系だと三倍増しのアプリだ。ショートカットだから、押して三秒後に作動する』
そのための電話だったのか。あいつを倒すためのレベル11。
『言っておくけど、プライベートなデータは別にロックしてあるからな。解除に一回でも失敗すると無残な目にあうからな。じゃあな、思玲様によろしく』
「ざけんなよ」
電話を切ろうとする琥珀を押しとめる。「楊偉天と話したのだろ? 不死身な理由とか分からないのか? あと、新月系ってなんだよ」
『この通話代は、しゃれにならないほど高い。僕には支払い能力がないから、請求は我が主にまわる。今後は思玲様に取り立てがいく』
琥珀が早口で言う。
『新月満月は思玲様に聞いてくれ。楊が不死身であるはずないだろ。「たぶん鏡」って、竹ちゃん、いや竹林が言っていたけど、爺さんは俺達にも隠していた。大鴉が一度だけ蘇ることも、張本人達が知らなかった。
……そうそう。爺さんは、哲人が座敷わらしでなくなって喜んでいたぜ。お前がチビ妖怪に戻るもありだぜ』
座敷わらしを恐れた? あのか弱い妖怪に、妖術士を恐れさせる力などあっただろうか。宙に浮かべて、助けを呼びつけて……、他になにがある?
『ドロシー、終わったよ。哲人、かましてやれよ』
電話がぷつりと途切れる。スマホを前ポケットにしまう。
『矛だね』桜井が言う。『あのジジイに喰らわそう』
そうしてやりたいけど、そうしたところで別の楊偉天が現れるだけだ……。劉師傅の背中を追いかける。
「師傅さん、琥珀は生きていました」桜井が声にだす。
師傅が振り返る。
「なにがあろうと楊に知られるな」
また前を向く。俺は俺の中で、桜井と顔を見あわせる。
*
三階と四階の踊り場で、劉師傅がひざまずく。
「案ずるな。戦いの場にいけば、私は力が湧きあがる」
師傅は剣を前に向け立ちあがる。口もとをぬぐう。
「琥珀が言うには、楊偉天は座敷わらしを避けていたようです。どの力を恐れたのですか?」
いたたまれなくて話題を変える。
「座敷わらしは運気を操る。だが気休め程度だ。楊が恐れるとは思えぬ。それに頼るべきではない。琥珀は主に似て短絡的なところがある」
たしかに、俺がみんなに幸運(悪運)を授けたかもしれない。その力は今もあるかもしれない。横根に白玉がかすかに入りこみ、そのおかげで彼女がまだ生きているように……。
これくらいのラッキーなんて、あの老人ならねじ伏せる。そもそも幸運ばかりが続くはずがない。他に力があるはずだ。などと考える間もなく、屋上の鉄扉にたどり着く。
『空の匂いだ』
桜井が喜色を隠しきれない。不吉がよぎる。
「……あのわらべの妖怪には、たしかに力があったかもな」師傅がぼそりと言う。「だが私は二度も頼らぬ」
一度はこの人を助けたというのか? もはや問いかえす時間もなかった。
「覚悟してくれ」
師傅がドアを開ける。真っ暗な西の空がひろがる。楊偉天が待ちかまえていた。
次回「終わっているはずない」
犬にかまれたくらいで師傅が弱まるとは思えない。峻計の呪いがどんなものか知るはずないけど、本来の師傅ならはじき飛ばしそうだ。だとすると、すべての根源は俺から受けた傷なのだろうな。
ブルブル……
尻ポケットがまたうごめきだす。ほんとに、またかよだ。
『でなよ。いくじなし』
俺の心が読める桜井に叱咤されて、スマホを取りだす。
香港魔道伝服務有限公司
画面にはそう記されていた。香港? 受信マークを押す。
『
人間の言葉で挨拶される。若い女性かな。
「ニーハオ」心の声を返すしかできない。「悪いのですけど、話している時間は――」
『日語……? なんで日本の異形がでるの! やっぱり日本ってなんでもありなのね』
スマホ経由で心への声を飛ばし返される。
『君は物の怪系? けだもの系? ……失礼しました。こちらは香港マジカルロードクラウドサービス。そちらの端末から預けられたものに、重大な規約違反がありました』
声がでかくて耳が痛くなる。それよりもクラウドサービス?
琥珀がそこから白虎の煙をだしたよな。どう考えても電話の向こうのこいつも、こっちの世界に関わりある奴だ。黙ったままの俺におかまいなく話しつづけられる。
『ペナルティとして十日間の使用禁止になります。違約金も発生しますので、後日徴収にうかがいます。それと、お預けのなまものがどうしても話したいと言うのですが、琥珀ちゃんなわけだし、本来の回線料金で特別に代わりますね。……私の一存だから内緒にね。
じゃあね異形ちゃん、いつか会いたいね。ヘヘ』
保留音に変わる(スタンドバイミーだ)。
一方的に話されたけど、琥珀って言ったよな? あいつは峻計から逃げるために、スマホ経由で自分の身を預けたのか?
「琥珀の携帯電話か……」
劉師傅が階上に来た。俺の横を素通りする。電話を耳に当てながら彼を追う。……あの威圧する覇気はどこにいったのだろう?
保留音がぷつりと終わる。
『思玲様でしょうか? こたびは面目ございません』
マジで琥珀の声だ。
「俺だよ。無事だったんだな」
みなが生きている感謝を、埋もらせるほどに伝えたい。
『哲人かよ。思玲様に代わってくれ……。あんたのがいいな』
小鬼が感慨もなく話しはじめる。
『ドロシーから聞いただろうけど、しばらくサービスが利用禁止になった。生鮮品に生きた異形も含まれるなんて、細かい文字まで読むはずないよな。つまり俺は十日ほど閉じこめられる。だから特別にそのスマホを貸してやる』
ドロシーって、さっきの声がでかい女の子? そんなことより、
「待てよ、俺らの今の状況が分かっているのか?」
こっちは生死の境だぞ。
『画面ロックは思玲様のお顔でも解除できる。かってに登録させていただいた』
琥珀はおかまいなく話し続ける。
『立ちあがった画面の右下に、どくろマークと数字の11を組み合わせたアプリボタンがある。それが吹っ飛ばしのレベル11だ。俺や哲人みたいな新月系だと三倍増しのアプリだ。ショートカットだから、押して三秒後に作動する』
そのための電話だったのか。あいつを倒すためのレベル11。
『言っておくけど、プライベートなデータは別にロックしてあるからな。解除に一回でも失敗すると無残な目にあうからな。じゃあな、思玲様によろしく』
「ざけんなよ」
電話を切ろうとする琥珀を押しとめる。「楊偉天と話したのだろ? 不死身な理由とか分からないのか? あと、新月系ってなんだよ」
『この通話代は、しゃれにならないほど高い。僕には支払い能力がないから、請求は我が主にまわる。今後は思玲様に取り立てがいく』
琥珀が早口で言う。
『新月満月は思玲様に聞いてくれ。楊が不死身であるはずないだろ。「たぶん鏡」って、竹ちゃん、いや竹林が言っていたけど、爺さんは俺達にも隠していた。大鴉が一度だけ蘇ることも、張本人達が知らなかった。
……そうそう。爺さんは、哲人が座敷わらしでなくなって喜んでいたぜ。お前がチビ妖怪に戻るもありだぜ』
座敷わらしを恐れた? あのか弱い妖怪に、妖術士を恐れさせる力などあっただろうか。宙に浮かべて、助けを呼びつけて……、他になにがある?
『ドロシー、終わったよ。哲人、かましてやれよ』
電話がぷつりと途切れる。スマホを前ポケットにしまう。
『矛だね』桜井が言う。『あのジジイに喰らわそう』
そうしてやりたいけど、そうしたところで別の楊偉天が現れるだけだ……。劉師傅の背中を追いかける。
「師傅さん、琥珀は生きていました」桜井が声にだす。
師傅が振り返る。
「なにがあろうと楊に知られるな」
また前を向く。俺は俺の中で、桜井と顔を見あわせる。
*
三階と四階の踊り場で、劉師傅がひざまずく。
「案ずるな。戦いの場にいけば、私は力が湧きあがる」
師傅は剣を前に向け立ちあがる。口もとをぬぐう。
「琥珀が言うには、楊偉天は座敷わらしを避けていたようです。どの力を恐れたのですか?」
いたたまれなくて話題を変える。
「座敷わらしは運気を操る。だが気休め程度だ。楊が恐れるとは思えぬ。それに頼るべきではない。琥珀は主に似て短絡的なところがある」
たしかに、俺がみんなに幸運(悪運)を授けたかもしれない。その力は今もあるかもしれない。横根に白玉がかすかに入りこみ、そのおかげで彼女がまだ生きているように……。
これくらいのラッキーなんて、あの老人ならねじ伏せる。そもそも幸運ばかりが続くはずがない。他に力があるはずだ。などと考える間もなく、屋上の鉄扉にたどり着く。
『空の匂いだ』
桜井が喜色を隠しきれない。不吉がよぎる。
「……あのわらべの妖怪には、たしかに力があったかもな」師傅がぼそりと言う。「だが私は二度も頼らぬ」
一度はこの人を助けたというのか? もはや問いかえす時間もなかった。
「覚悟してくれ」
師傅がドアを開ける。真っ暗な西の空がひろがる。楊偉天が待ちかまえていた。
次回「終わっているはずない」