四十三の二 朝空遠からず

文字数 3,996文字

「どうしてでられないの?」

 桜井が手から顔だけだして困惑する。横根がまとわりつく子犬を蹴とばし歩きだす。

「その娘は妖術にまみれている。白虎の娘は、青龍への罠であり籠であった。さすがは我が老師。幾重もの策だ」

 なにを感嘆していやがる。

「だったら、あなたが横根の術を解いてください!」

 叫んでしまう。護符を持つ俺が手をだしたら、横根はおそらく死ぬ。
 振り向くと、師傅は楊偉天を抱き寄せていた。

「我が力は尽きる」師傅が言う。

 月神の剣が楊偉天を眉間から刺し抜いていた。楊偉天の杖は、師傅の胸に押しあてられていた。

「これより先は思玲を頼れ」

 楊偉天が消えゆくままに、劉師傅の体は前へと崩れる。
 生暖かい風が俺の横を過ぎる。風が師傅の頭を飛び蹴りする。数メートルもはじかれ、そのまま動かない。……焔暁が地面を歩き、師傅を見おろし笑う。燃える足で踏みつけようとする。

「やめろ」

 俺の声に、焔暁がびくりとする。
「やべっ、札つきの明王もどきが怒りだした」
 羽根をばたつかせて歩いて逃げる。

『哲人、俺をだせよ』

 ドーンの声が腹から聞こえた。こいつまで飛びでないように服を押さえる。カラスがグエッと悲鳴をあげる。……なにをやっているんだ。落ち着けよ俺。

「カッカッ、焔暁がいつもの朱雀くずれみたいだった」
 すぐ上で竹林が笑う。
「こけこっこー」

 落ち着いていられるか! 拳をかかげて上空へと跳ねる。

「かくれんぼと追いかけっこ」

 たやすく逃れた竹林の声を聞きながら着地する。
 見えない敵にかまっていられない。次なる楊偉天が現れるまえに、桜井を助ける。俺は横根へと向かう。

「松本、こっちに来るな! お前は思玲だ!」

 なにも見えない川田が、横根の前で立ちふさがる。
 そうだよ、思玲を助けるんだろ。彼女に頼るために……。
 俺は振りかえる。地面にはりつけになったままの思玲を見おろす。

「み、な、を、救、え」
 夜空しか見えない彼女が、結界越しに必死に伝える。
「師、傅、は、健、在、か?」

 俺達を助けるために苦しみを背負った思玲……。

「思玲!」

 俺は結界に飛び乗り、はじき返される。すぐに起き上がり、護符を握った手で結界をぶん殴る。はじき返されても、なおも殴りつける。……拳の骨が砕けそうだ。それでも殴り続ける。

――劉昇も虫の息か。焔暁、こいつらの処遇は老祖師にお決めいただくぞ
――見て。白虎の娘が行き場がなくておろおろ。カッカッカッ

 竹林も姿を現し、大カラスが三羽ならんで俺達を嘲笑する。俺はひたすらぶん殴る。結界がついに割れる。

「哲人、我が師傅は」

 思玲の声が聞こえた。答えるよりはやく、結界が再生される。あやうく手が挟まりかける。閉ざされた結界を俺はまた殴る。

――瑞希ちゃん……

 夜より深い闇に閉ざされても、川田はなおも人のために嘆く。

――瑞希ちゃん。川田君が呼んでいるよ。お願いだから帰ろうよ

 空は低くどよめいている。

――思玲の結界をひっくり返したうえに、はね返しをかけられたんだぜ。あいつが闇を落とそうが、消せるはずないだろうのにな

 焔暁がまた俺を笑う。俺は殴るのをやめる。

 大ケヤキの下で、暗黒を降らす峻計へと向かった扇の破片――。俺は握りこぶしをほどいて、大人の手には小さすぎる木札を見つめる。

「ありがとうございました」
 焦げた護符に礼を述べる。思玲を閉じこめる結界に押しつける。奴らへの怒りをこめる。
「消し去れ!」

 空間にひびが入るなり割れていく。すぐに再生しようとする結界を、両手で無理やりひろげる。思玲を抱きあげる。閉ざされていく結界から引きずりだす。

「し、昇様は?」

 黒目がちな瞳で、師傅の名を聞いてくる。俺は彼女を抱きしめながら、手のひらを開ける。
 木札は不均等に四片へと割れていた。
 最後まで異なる役目をさせてしまった。黒ずんだ木っ端をポケットへとしまう。

「やった。護符が割れた。誰が試す?」

 真上から竹林の声がする。こいつらは抜け目なさすぎる。

「俺がやりなおす。四玉を割らぬように頭だけ吹っ飛ばす」

 視界の隅で、流範が舞いあがる。
 東の空の縁がかすかに青い。そのはるか上空から、奴が起こす風切音が近づく。俺は思玲をさらに抱き寄せる。
 剣が風へと向かう。

 二羽の大カラスがフェンスを突き破り、闇へと消える。
 俺達の前に剣が落ちてきた。流範と竹林をはじき飛ばした月神の剣は、コンクリートに浅く刺さり、横へと倒れる。

「思玲、すまぬな」
 劉師傅は立ちあがっていた。俺が抱えた彼女へと、償いのような笑みを向ける。「すまなかった、玲玲(リンリン)……」

 師傅はうつぶすように力が絶える。


「松本君、師傅さんが」
「松本、あの人は」

 桜井と川田が感づく。横根は無表情のままだ。

「この野郎! 竹林まで吹っ飛ばしやがったな」

 焔暁が師傅の亡骸を足蹴にするのを、思玲が俺の肩ごしに見る。

「……どけ」

 思玲が俺の腕をはらいのける。立ちあがり扇をひろげる。焔暁へと亮相にかまえる。円状の扇から、幾重もの孔雀色の光(おそらくは七重)を描き飛びだす。

ズドン

 直撃を受けた焔暁が、ドアを突き破り屋内に飛ばされる。ガタガタと音をたて、階下に転がっていく。
 思玲は割れた眼鏡を投げ捨てて振り向く。

「状況は?」
「じ、状況って、師傅が亡くなっちまったら! た、魂が――」
「見るではない!」
 頬をおもいきりはたかれる。「私達みたいなものは死者に寄り添ってはいけない。惑わせるつもりか? 悲しんでもいけぬのだ」

 俺は頬に手をあてながら、思玲を見る。彼女の目から涙がとめどなく流れていた。……くそ。思玲が耐えるのならば、俺も師傅から顔をそむける。

「横根は傀儡になって桜井を捕らえています」
 それをまず伝える。
「ドーンは羽根を折られて俺が守っています。川田は両目も鼻もやられました。護符は割れました。……琥珀は生きています」

「よい話がひとつでもあって幸いだ。……このような剣で戦われていたのか」
 思玲がおおぶりな剣を片手に持ち「瑞希と桜井を救う。そして、瑞希に私達を救わせる」

 俺は彼女の背にうなずく。俺達に師傅の死に寄り添う時間はない。

 横根は小鳥を両手で握ったまま、屋上の真ん中で棒立ちしていた。足もとにまとわりつく子犬を足で追いはらい、次なる楊偉天の登場だけを待っている。
 思玲が扇をたたみ、横根へと向ける。

「奴の妖術だろうが消してやる」

 亮相にかまえる。術を受けた横根がのけぞる。

「無駄ダヨ、スーリン」
 横根が能面の顔で棒読みに話しだす。「カンゼンナ傀儡ダ。オマエデハ消セナイ」

「これならどうだ」

 思玲が破邪の剣で亮相にかまえる。見えない光を浴びて、横根がまたのけぞる。

「ムダダヨ、昇」また喋りだす。「ツルギガ弱イ。ツカレテイルノカ」

 ……あの老人は思玲や師傅の行動を見越して、横根に言葉をインプットしやがったんだ。

「桜井をだせ!」
 俺は横根の手を包み、無理やりこじ開けようとする。

「やめて、瑞希ちゃんの手が引きちぎれる!」

 桜井が悲鳴をあげる。……護符がなくても同じだ。俺は思玲に押しのけられる。

「瑞希」
 思玲がやさしく抱きしめる。「心は苦しんでいるのだろ? だから、なおさら無理強いするぞ。術から逃れてくれ」

「無駄ダヨ、スーリン」横根が口を開く。「情ニウッタエルノハヤメナサイ」

「やめない!」思玲が強く抱く。「みんなのもとへ戻ってこい」

「無駄ダヨ、スーリン――」

 横根は涙を流しながら、同じ言葉をくり返す。……思玲が横根から手を離す。座りこむ。

「言っておくべきだよね。私の中のこいつが朝空を飛びたがっている。もうじき瑞希ちゃんの手を食いちぎると思う。私を殺したほうがいいかも」

「ふざけるな! こんなの、もうじき終わるだろ? お前のもうじきよりもうじきだ」

 吠えて叱咤する子犬を直視できない。人間の子どもですら勝てそうな図体なのに、なんで戦い抜いて、なおも戦いつづけようとするのだ。こいつこそ抱きしめてあげて、ミルクを飲ませて温かいタオルで寝かしつけてあげたい。

『終わりが近いならば俺も戦うぜ。また哲人に殴られようがな』

 いつから目が覚めていたのだろう。布の中からドーンが告げる。
 みんなを守りたい。でも俺になにができるんだ。考えろよ。それしか俺には能がないのだから……。
 なにも浮かばない。
 横根の足もとに草鈴が落ちている。もうこたえてくれる相手もいない笛だ。しゃがんで拾うと、川田が足を引きずりながら寄ってきた。

「松本、俺にも試させてくれ。瑞希ちゃんの顔まであげてくれ」
 閉ざされた目の子犬が訴える。

 抱きあげた犬のぬくもりを感じながら、あたりを見わたす。東の空が白みはじめている。都心のビル群の影が、うっすら縁どられている。朝が近い。

「また来たな。ハエよりしつこい。いつか倒してやりたいな」

 目が見えぬ子犬がにらむ西へと顔を向ける。こっちの空はまだ闇だ。その闇へと、人と異形のシルエットが浮かんでくる。結界をまとわない竹林もふらふらと飛んでいる。こいつらを何度乗り切らないとならない。

「今はまだ放っておけ。瑞希ちゃんが先だ」

 思玲が月神の剣と七葉扇を両手にかまえ、俺達と楊偉天のあいだに立つ。俺は子犬を横根の前へと差しだす。
 子犬がひとしきり鼻を動かす。余計痛むだけだとぼやく。

「でも瑞希ちゃんがそこにいるのは分かるよ」
 川田が横根に笑いかける。
「瑞希ちゃんの笑顔をみんな見たいってさ。はやく、みんなであっちの世界に戻ろうね」

 川田の言葉はあたたかい。思玲が扇と剣で楊偉天の術を必死にはね返している。
 そのすぐ後ろで、子犬が横根の頬を舐める。

「川田君……、傷だらけ」
 横根が泣きながら崩れ落ちる。
「私なんか猫のときから迷惑ばかりだ。ごめんなさい」

 謝られることなんて、なにもしていない。
 子犬が俺の手から飛びおりる。




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