五十の三 龍を倒し得る者
文字数 3,098文字
「ふふふ、この有能な飛び蛇は新月の極みに大蛇と化す。法董は知らずに死んだ。この蛇は私達にだけ教えてくれた」
見えない峻計が指を鳴らす。大蛇の頭上に土壁が現れるなり、火焔嶽を振りかざす。俺達へと毒と炎が乱れ飛ぶ。
俺は夏奈へと走る。抱きかかえるなりまた走る。背中に毒と炎を感じる。
「我が主は後方で陣取りください」
思玲をくわえた雅が追い越す。
ドロシーがうずくまり嘔吐した。直撃を受けたな。
「だ、大丈夫。紫毒には耐性があるから、吐けば大丈夫」
彼女が言う。初耳だ。
「その人間も助けて」
横根に目を向ける。……毒ならば海神の玉が守る。でも炎は。
眠る横根を手負いの獣が抱えた。
「瑞希を死なせない。俺はこいつを気にいった」
土壁の攻撃を浴びながら川田が言う。記憶を失せても異形になっても、結局川田は横根を守る。
「松本と女が戦え」
隻眼で俺とドロシーをにらむ。
戦いたいけど、俺も夏奈を守らないとならない。
土壁は空からやりたい放題だ。川田の毛皮が燃える。芝の上に紫の煙が蔓延する。逃げ損ねた蛾が落ちる。投げ捨てられた麗豪が痙攣する――。
姿をさらした峻計が麗豪の頬をさする
「麗豪様。あなたをまだ死なせません」
あいつの声は蔑みだ。「もうすこし頑張っていただかないと」
張麗豪がうつろな目で起きあがる。……傀儡のまなざし。
「果てるまで戦いな」
「……はい……峻計様……」
峻計が消える。ゾンビのごとき張麗豪が鞭を伸ばし、ドロシーが落とした滅魔の輪を拾う。焦点の合わない張麗豪が、脇腹から出血したまま輪を握る。
「川田、逃げろ!」
白銀の餌食になる。……俺も逃げろ。
なのに狼は横根をかばい動かない。土壁の攻撃のほとんどは動かぬ狼へ向かう。それでも川田は動かない。
俺こそ逃げてたまるか! むき出しの箱が目に入る。これこそ守らないと。
「うるさいな。いま何時?」
俺の腕の中で夏奈が目覚めやがる。
「……私、浮いてね? ここどこ? 誰かいないの!」
最悪のタイミングで騒ぎだす。暴れだす。
「夏奈、落ち着いて」
俺の声など届くはずない。泣きわめくだけだ。気配。背後からの黒い螺旋がかすめる。
腕はえぐられると同時に治りだすけど、黒い光が連発で当たる。螺旋でなくても充分の痛打。
――ノウマカイ……
ヤバすぎる。あいつがあれを唱えた。不快が押し寄せる。
「麗豪から聞きだしたが、さすがに唱えるだけでは無理か。人の言う研鑽が必要だな」
あいつは笑うけど、十分な痛撃だ。夏奈が俺の手から落ちる。
「……ゴルフ場? これってやばいよ、助けてよ……君」
夏奈が小声でつぶやく。
「松本……」川田の弱弱しい声。「瑞希も目覚めた」
手負いの獣の顎が落ちる。俺の傷は治っていく。でも闇を貫く暗黒が至近で現れる。
俺は黒い螺旋を避けきれず足がちぎれる。
「ウホ、ようやくかよ」
土壁が川田を笑う。
「飛び蛇さんは、でかくなれば肉でもいただけるのだろ? だったら狼を譲ってやる。俺は人の形と犬の形は食わないからな」
大蛇が土壁へとウインクする。口をひろげ地へと向かう。
さすが隠密の蛇だ。素早すぎる。俺は見ているだけだ。川田は一口で飲みこまれかけて、大蛇は純白の結界にはじき飛ばされる。
「ウホホッ、喰ってたら腹のなかで爆発したな」
蛇は土壁を乗せたまま空高く逃げていく。
「川田君、守ってくれたんだ」
幼い横根が立ちあがる。手には十字羯磨。胸もとでは赤い珊瑚が輝いていた。
「私は祈るよ」
彼女に記憶は残っていた。白い光のなかで、横根が力尽きた狼を抱く。狼の片目が再び開く。
「み、瑞希ちゃんだよね」
夏奈が横根の声に気づく。
「なんなのこれ? みんなは? ……みんなって誰だっけ?」
夏奈が横根のもとへと走る。狼を見てぎょっとする。本人は気づかないけど、結界に包まれる。
俺は芝に手をあて立ちあがる……。失った右足が復活していた! 新月の極みだとしても回復力が特盛以上だ。貪の言っていたように、これが俺の持ち味だったのか。
もう月なき夜も終わるからどうでもいいや。
「雅も瑞希のところに行け」
思玲が四玉の箱を両足の下に仁王立ちする。
「お前も馬鹿犬か? はやく行け! ……どうせ哲人は戦うよな」
女の子が俺を見る。俺はうなずく。
バンカーもないむき出しのフェアウェイ。新月の夜の俺でも峻計の黒い光は脅威だ。ましてや朝が近づく。
ぞわっ
「杖……。これは邪だ!」
ドロシーはリュックをあさっていた。楊偉天の杖を放り投げて、奥へと手を突っこむ。着替えの袋から包み紙をだす――。
敵も味方も、すべての異形から緊張が漂う。恐怖が漂う。
「土壁、あの娘を殺せ! すぐにだ!」
さすが峻計。突拍子もなき存在に気づく。
「麗豪もまだ死ぬな。あの包みを開けさせるな!」
そのくせ自分は姿をださない。
俺は援護するためにドロシーのもとに走る。
黒羽扇の光。麗豪の鞭。彼女に向かうすべての災いを独鈷杵で打ちかえす。彼女の背を守る。
死相の張麗豪が、内臓を垂らしながらやってきた。奴が手にする冥神の輪よりも、背後の気配に凍てつきそうだ。彼女はじきに完全なる白銀弾をだすだろう。
俺も結界に入るべきか? でも跳ねかえしぐらいでは、純度百は……。
ズシン
空から土壁が降ってきた。思玲を足で小突く。少女は箱から動かない。
「峻計さん。娘ってのはこのチビのことか? ……人間の女のガキだけは、やりづらいよな」
土壁は箱を守る思玲に足を乗せる。
「峻計さん……。そっちの娘はなにをする気だ?」
隻腕の異形さえも怯えだす。
「峻計様……」
麗豪が崩れ落ちる。
「私は終わりです。せめて最後は一緒に」
地に伏しながら、冥神の輪を俺へと投げる。同時に黒い螺旋が飛んでくる。避けるとどちらもドロシーに当たる。
俺は冥神の輪を独鈷杵ではじきながら、ドロシーを押し倒す。漆黒の螺旋に背中をたっぷり削られる。
気が遠ざかる。耐えろ。
「君も逃げなよ。仲間のところへ」
ドロシーは俺を見ない。
「紙はあと一枚だ」
俺に背を向けて立ちあがる。
はじかれた白銀の輪は、失速しながら土壁へと向かう。その手から禍々しい槍が消える。
「チビ、当たるぞ」
土壁は思玲をつまみあげて跳躍する。
「やめろ! 箱が!」
思玲が手足をばたつかせる。手にした護符で土壁の足を貫く。
勢い弱まった輪が、芝生の上を車輪のように転がる。軸をぶらしながら四玉の箱にぶつかる。
しょせん異形の箱だった。純度ある白銀が錆びた金属の箱に食いこむ。
「君は絶対に振り向かないで!」ドロシーが叫ぶ。
「峻計、これを見ろ!」
異形である俺を抹殺せんとする光を背中に感じた。ドロシーの影だけが守っている。
土壁がよろめきながら片腕で目を覆う。その足もとで人影がうごめく。
ドーンと風軍が空から落ちてくる。巨大な蛇も――。
「ドロシー、しまえ!」
この光は、じきに俺も仲間も消滅させる。
「へへへ、峻計が落ちた」
ドロシーが笑う。
「こいつは終わりだ。私の勝ちだ」
残忍に笑う。俺の声は彼女に届かない。
横根が泣き叫んでいる。異界のものを根絶やしにする光さえが、力ある所有者に媚びへつらっている。結界の中にいようが川田も雅も……。
「ごめんね」
俺はドロシーの太ももから師傅の護布を引く。緋色のサテンはなめらかに落ちる。傷口を独鈷杵で殴る。
声にならぬ悲鳴。ドロシーが倒れる。光は彼女の体に覆われる。
その先にあいつがいた。顔を覆う対の黒羽扇が溶けていく。縦に裂かれた顔が憎悪の面でむき出しになる。
「哲人さん……」
ドロシーの声が遠ざかる。俺は護布を頭から被り震える。
次回「GWの二人」
見えない峻計が指を鳴らす。大蛇の頭上に土壁が現れるなり、火焔嶽を振りかざす。俺達へと毒と炎が乱れ飛ぶ。
俺は夏奈へと走る。抱きかかえるなりまた走る。背中に毒と炎を感じる。
「我が主は後方で陣取りください」
思玲をくわえた雅が追い越す。
ドロシーがうずくまり嘔吐した。直撃を受けたな。
「だ、大丈夫。紫毒には耐性があるから、吐けば大丈夫」
彼女が言う。初耳だ。
「その人間も助けて」
横根に目を向ける。……毒ならば海神の玉が守る。でも炎は。
眠る横根を手負いの獣が抱えた。
「瑞希を死なせない。俺はこいつを気にいった」
土壁の攻撃を浴びながら川田が言う。記憶を失せても異形になっても、結局川田は横根を守る。
「松本と女が戦え」
隻眼で俺とドロシーをにらむ。
戦いたいけど、俺も夏奈を守らないとならない。
土壁は空からやりたい放題だ。川田の毛皮が燃える。芝の上に紫の煙が蔓延する。逃げ損ねた蛾が落ちる。投げ捨てられた麗豪が痙攣する――。
姿をさらした峻計が麗豪の頬をさする
「麗豪様。あなたをまだ死なせません」
あいつの声は蔑みだ。「もうすこし頑張っていただかないと」
張麗豪がうつろな目で起きあがる。……傀儡のまなざし。
「果てるまで戦いな」
「……はい……峻計様……」
峻計が消える。ゾンビのごとき張麗豪が鞭を伸ばし、ドロシーが落とした滅魔の輪を拾う。焦点の合わない張麗豪が、脇腹から出血したまま輪を握る。
「川田、逃げろ!」
白銀の餌食になる。……俺も逃げろ。
なのに狼は横根をかばい動かない。土壁の攻撃のほとんどは動かぬ狼へ向かう。それでも川田は動かない。
俺こそ逃げてたまるか! むき出しの箱が目に入る。これこそ守らないと。
「うるさいな。いま何時?」
俺の腕の中で夏奈が目覚めやがる。
「……私、浮いてね? ここどこ? 誰かいないの!」
最悪のタイミングで騒ぎだす。暴れだす。
「夏奈、落ち着いて」
俺の声など届くはずない。泣きわめくだけだ。気配。背後からの黒い螺旋がかすめる。
腕はえぐられると同時に治りだすけど、黒い光が連発で当たる。螺旋でなくても充分の痛打。
――ノウマカイ……
ヤバすぎる。あいつがあれを唱えた。不快が押し寄せる。
「麗豪から聞きだしたが、さすがに唱えるだけでは無理か。人の言う研鑽が必要だな」
あいつは笑うけど、十分な痛撃だ。夏奈が俺の手から落ちる。
「……ゴルフ場? これってやばいよ、助けてよ……君」
夏奈が小声でつぶやく。
「松本……」川田の弱弱しい声。「瑞希も目覚めた」
手負いの獣の顎が落ちる。俺の傷は治っていく。でも闇を貫く暗黒が至近で現れる。
俺は黒い螺旋を避けきれず足がちぎれる。
「ウホ、ようやくかよ」
土壁が川田を笑う。
「飛び蛇さんは、でかくなれば肉でもいただけるのだろ? だったら狼を譲ってやる。俺は人の形と犬の形は食わないからな」
大蛇が土壁へとウインクする。口をひろげ地へと向かう。
さすが隠密の蛇だ。素早すぎる。俺は見ているだけだ。川田は一口で飲みこまれかけて、大蛇は純白の結界にはじき飛ばされる。
「ウホホッ、喰ってたら腹のなかで爆発したな」
蛇は土壁を乗せたまま空高く逃げていく。
「川田君、守ってくれたんだ」
幼い横根が立ちあがる。手には十字羯磨。胸もとでは赤い珊瑚が輝いていた。
「私は祈るよ」
彼女に記憶は残っていた。白い光のなかで、横根が力尽きた狼を抱く。狼の片目が再び開く。
「み、瑞希ちゃんだよね」
夏奈が横根の声に気づく。
「なんなのこれ? みんなは? ……みんなって誰だっけ?」
夏奈が横根のもとへと走る。狼を見てぎょっとする。本人は気づかないけど、結界に包まれる。
俺は芝に手をあて立ちあがる……。失った右足が復活していた! 新月の極みだとしても回復力が特盛以上だ。貪の言っていたように、これが俺の持ち味だったのか。
もう月なき夜も終わるからどうでもいいや。
「雅も瑞希のところに行け」
思玲が四玉の箱を両足の下に仁王立ちする。
「お前も馬鹿犬か? はやく行け! ……どうせ哲人は戦うよな」
女の子が俺を見る。俺はうなずく。
バンカーもないむき出しのフェアウェイ。新月の夜の俺でも峻計の黒い光は脅威だ。ましてや朝が近づく。
ぞわっ
「杖……。これは邪だ!」
ドロシーはリュックをあさっていた。楊偉天の杖を放り投げて、奥へと手を突っこむ。着替えの袋から包み紙をだす――。
敵も味方も、すべての異形から緊張が漂う。恐怖が漂う。
「土壁、あの娘を殺せ! すぐにだ!」
さすが峻計。突拍子もなき存在に気づく。
「麗豪もまだ死ぬな。あの包みを開けさせるな!」
そのくせ自分は姿をださない。
俺は援護するためにドロシーのもとに走る。
黒羽扇の光。麗豪の鞭。彼女に向かうすべての災いを独鈷杵で打ちかえす。彼女の背を守る。
死相の張麗豪が、内臓を垂らしながらやってきた。奴が手にする冥神の輪よりも、背後の気配に凍てつきそうだ。彼女はじきに完全なる白銀弾をだすだろう。
俺も結界に入るべきか? でも跳ねかえしぐらいでは、純度百は……。
ズシン
空から土壁が降ってきた。思玲を足で小突く。少女は箱から動かない。
「峻計さん。娘ってのはこのチビのことか? ……人間の女のガキだけは、やりづらいよな」
土壁は箱を守る思玲に足を乗せる。
「峻計さん……。そっちの娘はなにをする気だ?」
隻腕の異形さえも怯えだす。
「峻計様……」
麗豪が崩れ落ちる。
「私は終わりです。せめて最後は一緒に」
地に伏しながら、冥神の輪を俺へと投げる。同時に黒い螺旋が飛んでくる。避けるとどちらもドロシーに当たる。
俺は冥神の輪を独鈷杵ではじきながら、ドロシーを押し倒す。漆黒の螺旋に背中をたっぷり削られる。
気が遠ざかる。耐えろ。
「君も逃げなよ。仲間のところへ」
ドロシーは俺を見ない。
「紙はあと一枚だ」
俺に背を向けて立ちあがる。
はじかれた白銀の輪は、失速しながら土壁へと向かう。その手から禍々しい槍が消える。
「チビ、当たるぞ」
土壁は思玲をつまみあげて跳躍する。
「やめろ! 箱が!」
思玲が手足をばたつかせる。手にした護符で土壁の足を貫く。
勢い弱まった輪が、芝生の上を車輪のように転がる。軸をぶらしながら四玉の箱にぶつかる。
しょせん異形の箱だった。純度ある白銀が錆びた金属の箱に食いこむ。
「君は絶対に振り向かないで!」ドロシーが叫ぶ。
「峻計、これを見ろ!」
異形である俺を抹殺せんとする光を背中に感じた。ドロシーの影だけが守っている。
土壁がよろめきながら片腕で目を覆う。その足もとで人影がうごめく。
ドーンと風軍が空から落ちてくる。巨大な蛇も――。
「ドロシー、しまえ!」
この光は、じきに俺も仲間も消滅させる。
「へへへ、峻計が落ちた」
ドロシーが笑う。
「こいつは終わりだ。私の勝ちだ」
残忍に笑う。俺の声は彼女に届かない。
横根が泣き叫んでいる。異界のものを根絶やしにする光さえが、力ある所有者に媚びへつらっている。結界の中にいようが川田も雅も……。
「ごめんね」
俺はドロシーの太ももから師傅の護布を引く。緋色のサテンはなめらかに落ちる。傷口を独鈷杵で殴る。
声にならぬ悲鳴。ドロシーが倒れる。光は彼女の体に覆われる。
その先にあいつがいた。顔を覆う対の黒羽扇が溶けていく。縦に裂かれた顔が憎悪の面でむき出しになる。
「哲人さん……」
ドロシーの声が遠ざかる。俺は護布を頭から被り震える。
次回「GWの二人」