四十二の二 あのときに戻れない二人

文字数 4,793文字

「コケコッコー」
 よく見たらヅゥネがいた。

「おほほ、おひさしぶりです」
 空にはモモン蛾の桃子もいた。原色で我が家サイズの巨大な蛾。顔はたぶんモモンガ。桃子だけが人の目には見えない異形。
「さわやかな人の朝を不穏にさせるあなた方は、桜井ちゃんと入れ替わりにここへ呼ぶ手はずでした。手間が省けましたわ、おほほ」

 ドロシーが命を落とした場所にかよ。まあ本人も率先して再訪しているわけだし。

「こいつらは私の見張り。ずっと閉じこめられて息詰まっていたから、外の空気を吸わせてもらった。川田君は拒否されたけどね」
 手すりにもたれていた夏奈が、俺達へ顔を向ける。浅く染めたショートヘアはラフに伸びたまま。ここの修行衣を着ている。
「これはパジャマ代わり。色々聞いたよ、たくみ君のことも。思玲を殺そうとした」

 松本君ひさしぶり。無事に帰ってきてくれた。
 そんな言葉をかけてくれない。そりゃ幽閉されていた彼女とは時間の流れは違うだろうけど、俺は人でなく化け物だけど、会うなり『たくみ君』。
 ドロシーの俺を握る手が強まる。……俺が実家に戻る直前に、彼女と夏奈は触発だったよな。

「夏奈さんは危険です。すぐに社内へ戻ってください」
 やはりドロシーが、わざわざ人の言葉(日本語)できつく声かける。たどたどしくてかわいいけど。

「おほほ。私達に加えて、女神のごときあなたと閲覧注意の松本ちゃんもいれば、安全すぎるほどですよ。それと、お声をもう少しだけ小さくしてください」
「コケコッコー」

 桃子は俺をちゃんづけしたけど、俺はグロ画像レベルらしいけど、ヅゥネが同意しやがったけど、目を覚ましたニョロ子がうなずいていたけど、もはや俺達は無敵なのか。

「もちろん帰るよ。お化け二人の邪魔するつもりねーし」
 夏奈もわざとらしく人の声をかけてくる。「でも松本君に教えるべきがひとつある」
「哲人さん、脱がして」

 ドロシーが俺と夏奈の間に立ち、背中を向けてくる。……今朝だけは彼女の望むようにしろ。

「試すだけだよ」
 俺は手をつないだままで、彼女のドレスのファスナーを片手でおろそうとする……うなじ、そして白い背中。赤いブラ紐。簡単にはずせた。だったら、
「俺の服も脱がせるかな」
 ファスナーをもとに戻しながら聞く。

「へへっ」

 ドロシーが夏奈へと挑発的な笑みを向けたあとに、俺と向かいあう。シャツから見えるレオタードをつかむ……たやすく引っ張られる。
 なんてことだ。向かい合う二人は自分でドレスやレオタードを脱げなくても、相手を裸にできるではないか。
 これだけイチャイチャすれば、満足してくれただろう。

「俺に教えたいことってなに?」
 ドロシーを脇にどかして尋ねる。屋上で浮遊されたくないから、手はつないでいる。

 夏奈は俺達の手を一瞥して、
「松本くんはさあ、あの子の呪いを受けて、ドロシーちゃんを嫌いになったよね? でも最速で好きに戻った。すげー絆。私らは、二人を会わせる踏み台だった、ははは、たくみ君もね」

 え?

「みんなは違います。夏奈さんだけ梯子(はしご)でした。お礼に、必ず、あなたから龍の資質を抜いてみせます。私と哲人さんで」

 さすが戦場でのダンスパートナー。俺の思いを先んじて訴えてくれた。でも半分だけだ。

 俺達が血みどろになったのだろ。ゼ・カン・ユとフロレ・エスタスが、いまの世でめぐり逢うために。

 そんな言葉を口にするはずない。それを言うなら龍の弟だって……。
 それよりもひどすぎるのがドロシーの言い分。でも、それよりも、それよりも。それよりも……夏奈の口から聞かされるだけで、虚ろが明白になってしまう。
 麻卦さんは匂わせていた。思玲は言いかけていた。ヤッパは口止めした。ドーンも感づいていたよな。ドロシーだって気づいた。そして気づかぬ俺に失望した。
 張本人の俺だけが第三者だった。

「やめろよ」
 夏奈は勘づく。強い目で見てくる。大きな愛らしい瞳。人だった異形を卑しまない心。

「やめない。無音ちゃんを叱るだけだ」
 人の思いを玩具にされた。赦せるはずない。

 コカトリスは怯えている。蛾の化け物も、人の姿の朱雀も。その手が離れる。

「やめてよ。私が変なことを言ったから、ごめん」
 夏奈だけが俺の真ん前に駆けてくる。
「教えてやることは、瑞希ちゃんはあの子に頭をさげて、告刀を授けてもらう。そしたら瑞希ちゃんはあの杖を捨てる。人の世界に戻る。……本人が望んでいるから邪魔をしないで」

「わ、私は浮かんじゃうから、社内に入れさせてもらう」
 ドロシーは3メートルほど上から俺を見おろしていた。平泳ぎみたいに降りてきて、フェンスをつかむ。
「哲人さんも怒るのやめたら来て。シャワー浴びるから、ファスナーおろすの手伝って。目をつぶってね」
 フェンスつたいに非常階段へ消える。

「ああもう、目茶苦茶娘め。ヅゥネちゃんも追いなさい。松本ちゃんまで来たら、私は命を捨てて戦いますよ」
「コケコッコー」

 桃子達が追いかける。影添大社を守るために。
 屋上は、俺と夏奈だけになる。いわれなくグロい俺と、龍の資質があふれる彼女だけに。
 やけに間近な二人。

「追わないの?」夏奈は俺の目を見ながら言う。

「桃子と戦いたくない」
「ちがうよ。あの子を止めるために追ってよ。桃子もみんなやられるよ」
「ドロシーは異形を殺せない。なので戻ってくる」

 彼女が戦うのは、人の姿が相手のときだけだ。魔道具に封印されていた大鹿を消滅させたけど、それは偶発だろう。悪しき異形とは戦う。それはサキトガや貪、すなわち藤川匠の配下。それと暴雪。それと露泥無と琥珀……。
 裏切り者であろうと、あいつらが悪であるはずない。仲間である奴らを倒して張麗豪を逃がしたのは、サキトガに付け込まれた彼女の弱い心のせい。そして俺を助けにきてくれた。

「また真面目君が考えごとに没頭しだした。自分じゃなくてまわりが空気」
 夏奈は再びフェンスに向かい、手すりに腕を乗せて寄りかかる。

「さっきのドロシーの言葉は本意じゃないと思う」
 夏奈の背中に言う。

「どうでもいいし」
「……横根は戻るんだ」

 横根にニョロ子への祈りをお願いしたときを思いだす。ただの人間だから徹夜すれば疲れ果てただろうけど、その祈りを事務的に感じた。鮮烈ではなかった。それでもニョロ子は完治した。

「みんなには言わなくていいと言われた。松本君や川田君が知らない間に消え去りたいって」
 夏奈は朝の都心を眺めたままで言う。

「なんで?」
 俺は夏奈の背中へと言う。年の瀬のショッピングモールの二階。あのときの後ろ姿を思いだす。あのときのまま離れたきりの二人。

「隣に来ないの? あのときみたいに」
 夏奈は振り向かず言う。
「松本君との唯一の思い出。記憶に鍵かけられて忘れていた。でも、傷だらけの思玲を見たら思いだせた」

「俺はそれしか頭になかった、だったら――」
 俺はほくそ笑まない。けど、
 藤川匠め、ざまを見ろ。お前のやることは全て裏目に導かれる。
「エスカレーターから飛び降りたのも?」

「空振りしたハイタッチもね。あのときに仲直りしなかったら、私は瑞希ちゃんを巻き込まずに済んだ」
 夏奈は振り返らない。「さっきはジェラシーで変なことを言っただけ。私の悪い癖。本当は私がみんなを道連れにした。だから瑞希ちゃんをとめない」

「夏奈じやない。俺が引き込んだ」
 七難八苦のために。「俺だって横根をとめないけど、お礼を言わせてもらってから、人の世界に戻ってほしい」

 廃村で白猫になり、俺と二人だけで楊偉天達と戦った横根。何度も祈りでみんなを救った横根。もう頼らないなんて口先だけだから、彼女がいる限りしがみついてしまう。いなくなってもらうのが正解だ。
 でも言葉を交わしてからだよ。

「あのときみたいに隣においでよ」

 夏奈はあのときみたいに振り向かない。でも俺達はあのときと更に更に違う。俺の隣はドロシーなのだから、くっつくわけにはいかない。

「いまの俺はキモイから」そんな言葉でごまかす。

「松本君と同じ部屋にいたくないって、みんなが言っている。でも瑞希ちゃんが会いたくないのはそのせいなんかじゃない」
 夏奈はようやく振り返る。
「私だって平気だよ。松本君はお化けになっても、強くてやさしいままだよ。あのときみたいに」

 悲しげな大きな瞳。惑わさないで。

「服を着ているからごまかせるのかな」
「ごまかした!」
 夏奈が怒った顔になる。「服のせいにした。本当はドロシーちゃんに気を使って、サークル仲間にデレないのだろ? だったらその服を脱いでみせろ」

 感情豹変および二段飛ばしの論理はなんなんだ。ズンズンと俺に向かってくるし。

「脱げ」

 俺の服をつかむし。こんなのをドロシーに見せられない。

「わ、分かった。上着だけね」
 ドロシーのリュックサックを盾にしながら告げる。

 なんで朝の日暮里でレオタード姿にならないとならない。でも夏奈ならば平気な顔で…………唾をかけたそうな(つら)とはこういうものか。露骨に嫌悪を浮かばせるじゃないか。

「キモすぎる。環境課に通報したくなる」
 感情を隠すのが下手な夏奈が、そのとおりの顔をする。
「はやく全部脱いで」

「これは脱げない」
「さっきドロシーちゃんが手にしただろ。嘘つくな。脱げ」

 この女は何者だ。目つきがマジでないか。

「俺はドロシーのところに行く」
 彼女から逃げようとするけど。

「ざけんな! 脱げ! 脱げえええ!!!!!」

 青龍の資質が暴発する。……これは鬱憤だ。夏奈を選ばなかった俺への悔しみだ。
 その気をまともに浴びてしまう――


あなたの刃なら受け入れる。代わりに、あなたも生まれ変わって。次はあなたが私を守る番よ


 西洋の言葉が心に流れ込んだ……。
 ドロシーのリュックを抱きしめてコンクリートに腰を抜かしていた。快晴の空。東の太陽。今夜の月を隠すものはないのかな……。ニョロ子が浮かんで俺を見ている。唖然と。
 悩まされていた背中の痛みが消えている。体が軽くなったのに重い。
 夏奈は驚いた顔で俺を見ている。おおきな目。ころころ変わる愛らしい表情。ずっと見ていたい……。たったいま、俺は何か見たよな。何かの心を感じたよな。だけど消えている。

「ご、ごめんね。松本君を人に戻しちゃった」
 夏奈が腰をおろし、俺へと手を差しだす。

 俺はその手を握りかえす。

選べぬなら、はやく逃げろ

「何やっているの?」

 その声に、夏奈さえも慄いた。赤いカクテルドレスが空に浮かんでいた。

「夏奈さんと何をしているの? ……哲人さんは人に戻ったんだ。私を置いて。夏奈さんと人として抱きあうために」

「ちがうよ。これは偶然が重なって」

「だからなに? 私は桜井夏奈のために戦わされてきた。私の一番な人にとって、私は一番じゃなかった。だから戦わされた。だから自分だけ人になった。私だけ異形。やさしい言葉はうわべだけ。すぐに怒る。いつも怒られてばかり。約束なんて何も守ってくれない。呪いなんかに簡単にひっかかる」

 ドロシーの涙が屋上に落ちる。夏奈が強張った顔で俺にしがみつく。
 ドロシーの手に緋色の護布が現れる。それで涙を拭いたあとに、ローブみたいに頭からかける。
 彼女は空に浮かんでいる。夏奈はなおさら俺にしがみつく。護符が二人を必死に守る。
 ドロシーが俺達へ両手をつきだす。ただれた手のひらは治っていた。
 俺は夏奈のまえにでる。夏奈に傷を負わせない。夏奈だけは守る。

 ドロシーは両手をおろす。涙がとめどない。

「なんで否定しないの? 私じゃなくてその人を守るの? 二人とも、離れてよ!」

 龍の弟の咆哮。盾である俺だけが浴びる。また異国の女性の声が脳に響く。


お姉様は生まれ変わらないで。……ううん。またこの世に現れてよ。でも、あの男に従わずに、自由に生きて。そのために、私も生まれ変わるよ。
さようなら、ごめんなさい




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