五十二の二 明け方前の五人
文字数 2,393文字
ドロシーはリュックを片側の肩だけにかけて、手にはドーンをぶら下げていた。
それでも俺の鼓動は躊躇する。緋色のサテンが結ばれた太もも。
低い空で風軍が翼をひろげる。巨体と化す。寝ぼけた目も狩りの目に変わる。俺達へ向ける。
「雅、座っていろ」思玲が式神に命じる。
「や、やめて、どうしたの? ドーン君を放して」
横根は青ざめている。
「また思玲がなにか言ったの? いつものことだから、ゆるしてあげてよ」
日本語はドロシーに多少は伝わるけど……。夏奈はポカンとしている。
「落ち着けよ。俺達は敵じゃないだろ」
俺は動揺しながら言う。思玲を守らないとならない。でもドロシーとは戦えない。戦えるはずない。
「だから?」ドロシーは俺を見ない。「我々は魔道団。任務を遂行することだけが与えられた使命だ」
ドーンは気絶した振りをしている。俺へと目くばせする。……こいつは戦う気でいる。でも迦楼羅に変わらない。俺の怒りに呼応するのだから、なれるはずない。
「あの光をだされたら俺達の負けだ」
川田が四肢をあげる。
「殺しはしない。手を噛み砕き、二度となにも持てなくする」
刹那に黒い狼がドロシーへと向かう。
俺は独鈷杵を手にしていた。言葉より先に、川田の背へと振りおとす。狼が絶叫をあげて地面に倒れる。
「川田、やめろ……」
狼が一撃で溶けていく。風軍がオロオロしながら降りてくる。ドロシーは立ちすくんでいる。ドーンがその手で暴れる。
「玄武の光は現れない」
背後で思玲が言う。「だが成功したかも知れぬ。……やっぱり失敗っぽいな」
狼は瞬時に消えて、見覚えある図体の人間がタンクトップ姿でうつ伏せる。短パンのポケットからスマホの通知音が何度も鳴る。
「だとしても、ドロシーと川田の両方を助けるためにとっさにできたな。和戸では試すな。二度もうまくいかぬぞ。鳥の刺し身ができるだけだ」
可憐になった思玲がドロシーへと歩く。
「和戸を解放しろ。私は投降する」
思玲が風軍の背に乗る。雅が駆けだしあとに続く。思玲が振りかえる。
「導きがあるのならば、お前達はいまの姿でいろってことだ。四玉の箱を忘れるな」
俺へと笑う。
「琥珀にはしつこく連絡する。九郎とともに哲人達を守れとな。雅は香港の式神だった。処遇は十四時茶会が決めるだろう。――ドロシー、はやく乗れ。結界を張ってやる」
思玲は武装解除しない。ドロシーは気にもしない。俺だけを見る。
「王姐を連行するのが当初からの使命だった。本来の力を持つ彼女を見逃すのは許されない。シノもケビンも許されない。アンディも」
切れ長な瞳に涙が溜まる。
「君がこっちの世界に残るのならば、私は身を挺してでも君を守る。思玲を奪った私のお詫びだ」
贖罪なんていらない。おそらく思玲は覚悟していたのだから。深手を負ったドロシーはリタイアしないとならないし、あっちの世界に長らくいた仲間三人も、ひとまず人の形に戻れたのだから。
俺はうなずき。
「いつか一緒に人の世界に帰ろう」
笑顔など作れないけど。
ドロシーが涙を拭き風軍に乗る。
「王姐、社の護符を返してあげて」
もう俺へと振り向かない。
「哲人は納得するのかよ」
ドーンが俺の頭に乗る。俺はなにも言わない。東京方面の空がかすかに白みはじめた。夏の新月はじきに終わる。
「……俺もちょっと人になっていい?」
ドーンがおずおずと続ける。「川田みたいに本能まみれになりたくねーし。すぐにカラスに戻って哲人に付き合うからさ」
「俺こそ最後まで付き合うよ」
ドーンは、箱が割れたことも朱雀の玉が消滅したこともまだ知らない。
こいつから人の心がなくなるまで、まだ十二時間はある。ドーンならば最後まであがく。俺も手助けする。横根の記憶もまだ消さない。彼女にも助けさせる。
人の形に戻った川田には、俺とドーンの記憶は残っているだろうか。
でも今は、力に目覚めたころの思玲の姿を焼きつけるだけだ。……きれいだな。誰よりもなんて言わないけど。
「いまから僕が香港まで飛ぶの?」
風軍がぐずる。
「シノちゃんとケビンちゃんは置いていくの? ほかの人は死んじゃったのでしょ? もうドロシーちゃんしか操縦できないよ」
操縦って飛行機のか? 彼女は聞こえない振りをする。
「王姐。私はあなたの弁護人になる。お爺ちゃんにすがりつく。あなたはゆるされる」
ドロシーの言葉を、思玲は鼻で笑う。
「この雷木札は桜井に持たせろ」
俺へと天宮の護符を投げる。
「道理ではないが、哲人と同じくあの娘を守るかもしれない。風軍。私のは強いだけに重い。梁大人の式神ならば耐えろ」
いつもと変わらず、彼女は話を切る。
「思玲は戻ってくるのですか?」
最後に俺は尋ねる。楊偉天を倒し、劉師傅の仇は果たした。それでも俺達のもとに帰ってきてくれるのだろうか?
「当然だろ」
年ごろの思玲ににらみつけられる。
「全員が人に戻るのを見届ける」
彼女は風軍の背で瑞々しく舞う。扇を振るい見えなくなる。跳ねかえしの上にかけられた姿隠し。
静かなままだけど、風軍は結界をまとい飛びたっただろう。羽根の風圧さえも隠されたままで。
「な、なにが起きたの? 思玲達はどこか行ったの?」
横根がうろたえる。
「ま、松本君はいるよね? 誰か教えてよ!」
カフェテラスで四玉の箱を囲んだ五人だけがここにいる。俺もドーンも彼女に伝えられない。……朝日が差しこむまでどれくらいだろうか? 俺達はどこに向かうべきなのだろうか?
「瑞希ちゃん、東京に帰ろか。これってやっぱ夢じゃなさげだし」
夏奈がぽつりと言う。横根へと笑みを向ける。
「だって中国人が消えて、川田君がいきなり現れるんだもの。いきなり思いだしたんだ。変人ぽいけど野性味あって女子に人気の川田君を。……あとの二人はいつ思いだせるの?」
次章「4.9-tune」
次回って、マチに帰るしかないだろ。私はもうお空だけどね
それでも俺の鼓動は躊躇する。緋色のサテンが結ばれた太もも。
低い空で風軍が翼をひろげる。巨体と化す。寝ぼけた目も狩りの目に変わる。俺達へ向ける。
「雅、座っていろ」思玲が式神に命じる。
「や、やめて、どうしたの? ドーン君を放して」
横根は青ざめている。
「また思玲がなにか言ったの? いつものことだから、ゆるしてあげてよ」
日本語はドロシーに多少は伝わるけど……。夏奈はポカンとしている。
「落ち着けよ。俺達は敵じゃないだろ」
俺は動揺しながら言う。思玲を守らないとならない。でもドロシーとは戦えない。戦えるはずない。
「だから?」ドロシーは俺を見ない。「我々は魔道団。任務を遂行することだけが与えられた使命だ」
ドーンは気絶した振りをしている。俺へと目くばせする。……こいつは戦う気でいる。でも迦楼羅に変わらない。俺の怒りに呼応するのだから、なれるはずない。
「あの光をだされたら俺達の負けだ」
川田が四肢をあげる。
「殺しはしない。手を噛み砕き、二度となにも持てなくする」
刹那に黒い狼がドロシーへと向かう。
俺は独鈷杵を手にしていた。言葉より先に、川田の背へと振りおとす。狼が絶叫をあげて地面に倒れる。
「川田、やめろ……」
狼が一撃で溶けていく。風軍がオロオロしながら降りてくる。ドロシーは立ちすくんでいる。ドーンがその手で暴れる。
「玄武の光は現れない」
背後で思玲が言う。「だが成功したかも知れぬ。……やっぱり失敗っぽいな」
狼は瞬時に消えて、見覚えある図体の人間がタンクトップ姿でうつ伏せる。短パンのポケットからスマホの通知音が何度も鳴る。
「だとしても、ドロシーと川田の両方を助けるためにとっさにできたな。和戸では試すな。二度もうまくいかぬぞ。鳥の刺し身ができるだけだ」
可憐になった思玲がドロシーへと歩く。
「和戸を解放しろ。私は投降する」
思玲が風軍の背に乗る。雅が駆けだしあとに続く。思玲が振りかえる。
「導きがあるのならば、お前達はいまの姿でいろってことだ。四玉の箱を忘れるな」
俺へと笑う。
「琥珀にはしつこく連絡する。九郎とともに哲人達を守れとな。雅は香港の式神だった。処遇は十四時茶会が決めるだろう。――ドロシー、はやく乗れ。結界を張ってやる」
思玲は武装解除しない。ドロシーは気にもしない。俺だけを見る。
「王姐を連行するのが当初からの使命だった。本来の力を持つ彼女を見逃すのは許されない。シノもケビンも許されない。アンディも」
切れ長な瞳に涙が溜まる。
「君がこっちの世界に残るのならば、私は身を挺してでも君を守る。思玲を奪った私のお詫びだ」
贖罪なんていらない。おそらく思玲は覚悟していたのだから。深手を負ったドロシーはリタイアしないとならないし、あっちの世界に長らくいた仲間三人も、ひとまず人の形に戻れたのだから。
俺はうなずき。
「いつか一緒に人の世界に帰ろう」
笑顔など作れないけど。
ドロシーが涙を拭き風軍に乗る。
「王姐、社の護符を返してあげて」
もう俺へと振り向かない。
「哲人は納得するのかよ」
ドーンが俺の頭に乗る。俺はなにも言わない。東京方面の空がかすかに白みはじめた。夏の新月はじきに終わる。
「……俺もちょっと人になっていい?」
ドーンがおずおずと続ける。「川田みたいに本能まみれになりたくねーし。すぐにカラスに戻って哲人に付き合うからさ」
「俺こそ最後まで付き合うよ」
ドーンは、箱が割れたことも朱雀の玉が消滅したこともまだ知らない。
こいつから人の心がなくなるまで、まだ十二時間はある。ドーンならば最後まであがく。俺も手助けする。横根の記憶もまだ消さない。彼女にも助けさせる。
人の形に戻った川田には、俺とドーンの記憶は残っているだろうか。
でも今は、力に目覚めたころの思玲の姿を焼きつけるだけだ。……きれいだな。誰よりもなんて言わないけど。
「いまから僕が香港まで飛ぶの?」
風軍がぐずる。
「シノちゃんとケビンちゃんは置いていくの? ほかの人は死んじゃったのでしょ? もうドロシーちゃんしか操縦できないよ」
操縦って飛行機のか? 彼女は聞こえない振りをする。
「王姐。私はあなたの弁護人になる。お爺ちゃんにすがりつく。あなたはゆるされる」
ドロシーの言葉を、思玲は鼻で笑う。
「この雷木札は桜井に持たせろ」
俺へと天宮の護符を投げる。
「道理ではないが、哲人と同じくあの娘を守るかもしれない。風軍。私のは強いだけに重い。梁大人の式神ならば耐えろ」
いつもと変わらず、彼女は話を切る。
「思玲は戻ってくるのですか?」
最後に俺は尋ねる。楊偉天を倒し、劉師傅の仇は果たした。それでも俺達のもとに帰ってきてくれるのだろうか?
「当然だろ」
年ごろの思玲ににらみつけられる。
「全員が人に戻るのを見届ける」
彼女は風軍の背で瑞々しく舞う。扇を振るい見えなくなる。跳ねかえしの上にかけられた姿隠し。
静かなままだけど、風軍は結界をまとい飛びたっただろう。羽根の風圧さえも隠されたままで。
「な、なにが起きたの? 思玲達はどこか行ったの?」
横根がうろたえる。
「ま、松本君はいるよね? 誰か教えてよ!」
カフェテラスで四玉の箱を囲んだ五人だけがここにいる。俺もドーンも彼女に伝えられない。……朝日が差しこむまでどれくらいだろうか? 俺達はどこに向かうべきなのだろうか?
「瑞希ちゃん、東京に帰ろか。これってやっぱ夢じゃなさげだし」
夏奈がぽつりと言う。横根へと笑みを向ける。
「だって中国人が消えて、川田君がいきなり現れるんだもの。いきなり思いだしたんだ。変人ぽいけど野性味あって女子に人気の川田君を。……あとの二人はいつ思いだせるの?」
次章「4.9-tune」
次回って、マチに帰るしかないだろ。私はもうお空だけどね