三十三の四 頼るべきは
文字数 2,224文字
半月は西の空に傾いて、民家に隠れて見えない。土曜の夜の家屋に明かりはなおも多い。
あいつらを追いはらったところで、なにひとつ進展していない。ひとつずつクリアしていかないとならない。まずは横根だ。
「瑞希ちゃんは、どうしても思玲と会いたいのか? でも俺はやめるべきだと思う」
子犬が俺達を見上げる。「桜井、それをはやく聞いてくれ」
「むかつくんだけど。狼のときどころか、人のときよりえらそうだし」
桜井がぼやく。「瑞希ちゃん、親父君がはやく帰れって言ってるよ」
「ちゃんとに伝えろ!」
川田が狼狽して鳴き声をたてる。横根はきょとんとする。
「駅前の交番に行くしかなくね。大宮までの終電はとっくに終わっているし。珊瑚の玉なんて、俺がくわえて持っていくよ」
ドーンが通用口の鉄柵から言う。
桜井がドーンの意見を横根に伝える。予想どおりに横根は首を横に振る。
「ちゃんとお礼を言うべきだよ。みんなだって人に戻ったら思玲のことを忘れるし、誰か一人は人の姿で心を伝えるべきだよ、絶対に」
「人に戻る直前に、みんなでお礼を言う。横根のぶんもね。――桜井よろしく」
俺は通訳を頼む。……人に戻るために、なにをすべきか。俺達になにができるというのか? やるべきことはあるよな。俺一人で。
「もう面倒くせ!」
桜井が甲高い鳴き声をたてる。
「犬を追いはらえ、結界を壊せ、瑞希ちゃんに伝えろ。みんな私任せじゃね?
私はどっちかというと和戸君に賛成だけど、瑞希ちゃんが行きたいのなら、みんなで連れていってあげればいいって。小鬼はまだ無傷なわけだし、はやく思玲さんも守ってあげよう」
今は私のが強いのだから、と付け足しそうな勢いだ。ドーンはやはり不服そうだが、俺と川田は桜井の意見に従う。
「はいはい、多数決ね。ていうか思玲はどこよ?」
ドーンが肝心なことを聞く。
「隣町の公園。テニスコートとかがある一角」
桜井が答える。そこで二回ぐらい練習をしたから場所は分かる。
「それならば桜井が道案内(斥候)だ」俺はみんなを見わたす。「川田は抱っこされずにしんがりになれよ。ドーンは空からみんなを見守る」
「哲人はどうすんだよ」ドーンが聞いてくる。
「俺は劉師傅を探すよ。俺のせいで怪我をしたかもしれないから」
俺達は四玉と破邪の剣がないと人に戻れない。俺達では峻計から木箱も取りかえせない。師傅が傷ついているのなら、俺達のために助けなければならない。
「一人でか?」子犬の片側の目が光る。
「師傅さん? やばくね? どうしてもって言うなら、瑞希ちゃんを送ってから一緒に行くけど」
小鳥は不安というか不満そうだ。
俺こそみんなと動きたいけど、
「俺はターゲットではないから。危ないのは横根と桜井だ」
標的ではないけれど、峻計は俺へと怒りを燃やしている。劉師傅も俺を憎んでいるかもしれない。でも危険であればこそ。
***
「松本君、気をつけてね」
涙目の横根がきょろきょろと俺を探す。ここだよと、俺は木札を左右に振る。
みんなを見おくり一人だけ残されると急に不安になる。夜にうごめく妖怪だろうが怖くなって当然だ。静まりかえった駅前通りへと向かう。
……劉師傅がすでに回復したのなら、鋼色の光が飛んできそうだ。峻計の扇も復活して、黒い光で狙われるかもしれない。
みんなを守るためだ、みんなを守るためなんだよ。俺は念じる。俺の妖怪としての力に働きかける。
*
あてもないのでアパートに立ち寄る。二階にある川田の部屋は洗濯物が干したままだ。夕立でびしょ濡れになって、今は生乾きだ。それをずらして真っ暗な部屋を覗く。
敷いたままの布団、床に置いたままのスナック菓子の袋、俺が仮眠中に川田が遊んでいたテレビゲームのコントローラー……。たわいもない日常が、すぐに帰ってくるはずだった部屋主を待ち続けている。
窓に鍵がかかってないけど、人の作ったサッシは俺には重すぎた。部屋に入るのはあきらめて振り返る。
「いい加減にしやがれ、妖怪変化め」
隣屋の塀から怒鳴り声が届く。
「二度と呼べないように、のどっ首を食いちぎってやりたいね」
野良猫のどぎつい悪態を聞けて、俺は安堵する。たしかにフサフサを呼んだのだから。
「危険なことは頼まないよ。危なくなったら逃げていい」
暗闇に目を光らせる大柄な野良猫に声をかける。
「一緒に人間を探してもらいたい。近くにいるのなら、フサフサだったら簡単に見つけられると思う」
あてもなく劉師傅を見つけるなんて、俺には無理だ。桜井ならできるかもしれないけど、さすがにあの人の前に連れていけない。手負いの獣だかには横根を守ってもらわないと。
だとすると、そんな力がありそうなのは、生身のくせに結界を見抜き、あらゆるものと言葉を交わせる野良猫しかいない。
「分かってやっているのだろ。呼ばれたら断れないのだよ」
うす汚れて毛むくじゃらの猫が路地へと飛びおりる。
「付き合ってやるさ。なにかあったら、お札で守っておくれ。そして、とっとと人に戻ってもう呼ばないでおくれ」
俺も細い道へと降りる。
「昨夜墓地であった人間の女性がいただろ。あれよりすごい男性がいるはずだ。一緒に探してほしい」
野良猫が不愉快そうに鼻を鳴らし、了承したことを伝えてくれた。……空の匂いが変わる。まさに夜半をすぎたなと、妖怪である俺には分かる。深夜の極みも近づきつつある。
フサフサが闇へと潜る。俺はその後ろに浮かぶ。
次回「座敷わらしとやさぐれ猫」
あいつらを追いはらったところで、なにひとつ進展していない。ひとつずつクリアしていかないとならない。まずは横根だ。
「瑞希ちゃんは、どうしても思玲と会いたいのか? でも俺はやめるべきだと思う」
子犬が俺達を見上げる。「桜井、それをはやく聞いてくれ」
「むかつくんだけど。狼のときどころか、人のときよりえらそうだし」
桜井がぼやく。「瑞希ちゃん、親父君がはやく帰れって言ってるよ」
「ちゃんとに伝えろ!」
川田が狼狽して鳴き声をたてる。横根はきょとんとする。
「駅前の交番に行くしかなくね。大宮までの終電はとっくに終わっているし。珊瑚の玉なんて、俺がくわえて持っていくよ」
ドーンが通用口の鉄柵から言う。
桜井がドーンの意見を横根に伝える。予想どおりに横根は首を横に振る。
「ちゃんとお礼を言うべきだよ。みんなだって人に戻ったら思玲のことを忘れるし、誰か一人は人の姿で心を伝えるべきだよ、絶対に」
「人に戻る直前に、みんなでお礼を言う。横根のぶんもね。――桜井よろしく」
俺は通訳を頼む。……人に戻るために、なにをすべきか。俺達になにができるというのか? やるべきことはあるよな。俺一人で。
「もう面倒くせ!」
桜井が甲高い鳴き声をたてる。
「犬を追いはらえ、結界を壊せ、瑞希ちゃんに伝えろ。みんな私任せじゃね?
私はどっちかというと和戸君に賛成だけど、瑞希ちゃんが行きたいのなら、みんなで連れていってあげればいいって。小鬼はまだ無傷なわけだし、はやく思玲さんも守ってあげよう」
今は私のが強いのだから、と付け足しそうな勢いだ。ドーンはやはり不服そうだが、俺と川田は桜井の意見に従う。
「はいはい、多数決ね。ていうか思玲はどこよ?」
ドーンが肝心なことを聞く。
「隣町の公園。テニスコートとかがある一角」
桜井が答える。そこで二回ぐらい練習をしたから場所は分かる。
「それならば桜井が道案内(斥候)だ」俺はみんなを見わたす。「川田は抱っこされずにしんがりになれよ。ドーンは空からみんなを見守る」
「哲人はどうすんだよ」ドーンが聞いてくる。
「俺は劉師傅を探すよ。俺のせいで怪我をしたかもしれないから」
俺達は四玉と破邪の剣がないと人に戻れない。俺達では峻計から木箱も取りかえせない。師傅が傷ついているのなら、俺達のために助けなければならない。
「一人でか?」子犬の片側の目が光る。
「師傅さん? やばくね? どうしてもって言うなら、瑞希ちゃんを送ってから一緒に行くけど」
小鳥は不安というか不満そうだ。
俺こそみんなと動きたいけど、
「俺はターゲットではないから。危ないのは横根と桜井だ」
標的ではないけれど、峻計は俺へと怒りを燃やしている。劉師傅も俺を憎んでいるかもしれない。でも危険であればこそ。
***
「松本君、気をつけてね」
涙目の横根がきょろきょろと俺を探す。ここだよと、俺は木札を左右に振る。
みんなを見おくり一人だけ残されると急に不安になる。夜にうごめく妖怪だろうが怖くなって当然だ。静まりかえった駅前通りへと向かう。
……劉師傅がすでに回復したのなら、鋼色の光が飛んできそうだ。峻計の扇も復活して、黒い光で狙われるかもしれない。
みんなを守るためだ、みんなを守るためなんだよ。俺は念じる。俺の妖怪としての力に働きかける。
*
あてもないのでアパートに立ち寄る。二階にある川田の部屋は洗濯物が干したままだ。夕立でびしょ濡れになって、今は生乾きだ。それをずらして真っ暗な部屋を覗く。
敷いたままの布団、床に置いたままのスナック菓子の袋、俺が仮眠中に川田が遊んでいたテレビゲームのコントローラー……。たわいもない日常が、すぐに帰ってくるはずだった部屋主を待ち続けている。
窓に鍵がかかってないけど、人の作ったサッシは俺には重すぎた。部屋に入るのはあきらめて振り返る。
「いい加減にしやがれ、妖怪変化め」
隣屋の塀から怒鳴り声が届く。
「二度と呼べないように、のどっ首を食いちぎってやりたいね」
野良猫のどぎつい悪態を聞けて、俺は安堵する。たしかにフサフサを呼んだのだから。
「危険なことは頼まないよ。危なくなったら逃げていい」
暗闇に目を光らせる大柄な野良猫に声をかける。
「一緒に人間を探してもらいたい。近くにいるのなら、フサフサだったら簡単に見つけられると思う」
あてもなく劉師傅を見つけるなんて、俺には無理だ。桜井ならできるかもしれないけど、さすがにあの人の前に連れていけない。手負いの獣だかには横根を守ってもらわないと。
だとすると、そんな力がありそうなのは、生身のくせに結界を見抜き、あらゆるものと言葉を交わせる野良猫しかいない。
「分かってやっているのだろ。呼ばれたら断れないのだよ」
うす汚れて毛むくじゃらの猫が路地へと飛びおりる。
「付き合ってやるさ。なにかあったら、お札で守っておくれ。そして、とっとと人に戻ってもう呼ばないでおくれ」
俺も細い道へと降りる。
「昨夜墓地であった人間の女性がいただろ。あれよりすごい男性がいるはずだ。一緒に探してほしい」
野良猫が不愉快そうに鼻を鳴らし、了承したことを伝えてくれた。……空の匂いが変わる。まさに夜半をすぎたなと、妖怪である俺には分かる。深夜の極みも近づきつつある。
フサフサが闇へと潜る。俺はその後ろに浮かぶ。
次回「座敷わらしとやさぐれ猫」