十六 本心は一羽邪魔だ

文字数 3,998文字

 中庭のキンモクセイの木陰にたたずむ。

「いつまでも落ちこむなって」
 ドーンが頭上から覗きこもうとする。俺は顔をそむける。
「アアそうっすか」
 そっぽを向いて羽づくろいを始める。

 カラスの死骸は重かった。俺は校庭の反対側から正門そばの石碑の裏まで二往復した。異形の身だと夏の太陽もきつかった。その間、桜井はキンモクセイの枝で傷に苦しみ、ドーンが彼女を見守った。

「元気だそう」
 桜井が俺の前に浮かぶ。
「あいつらは、私も和戸君も殺すつもりだった。今はこっちの世界だし……松本君ありがとう」

 浮かぶこともできなかった桜井は、合流したら回復していた。ねじれていた羽根はもとに戻り、こびりついた血のりも消えうせ、ラピスラズリの光沢も蘇っていた。
 治るのが早すぎだ。これも青龍の資質ゆえか。

 俺は彼女(インコでなく)の顔を見つめる。桜井もまっすぐに見つめかえし、すこしはにかむ……。
 彼女が人である姿に感じられるのは二人きりのときだ。今だってチノパンをはいた桜井が木の枝に座り、足をぶらぶらさせながら笑みを浮かべている。実際は小鳥が羽ばたきもせず浮かんでいるだけなのに。ドーンと二人でいようがカラスにしか見えないのに……。
 青い光を分けあったからかな? 俺に分かるはずない。思うことは、幻でない笑顔を見たいだけ。その為に、カラスだろうと魔物だろうと人だろうと邪魔をさせない。
 そういえば桜井には俺がどう見えるのだろう。今は俺も人として接していると感じるけど。それを彼女に聞こうとするけど、ハシボソガラスが下を向きやがる。二人だけの瞬間が終わり小鳥の姿だけになる。

 俺は鳴らない草鈴を再びくわえる。すぐにやめて「何時だった?」とつっけんどんに尋ねる。

「駅前の時計は九時二十五分で気温は二十九度オーバー。お寺にはテレビ局の中継車が来てた。大学の壊れた門でもリポートしてた」

 飛ぶことを覚えたドーンは本来のフットワークを発揮する。喜んであちこちへと飛んでくれる。草鈴が壊れて連絡が取れない思玲達を探してもらったが、見つけられなかった(遠出はするなとも言っておいた)。
 思玲もまだ笛を鳴らしていない。みんなはどこにいるのだろう。別れてから三時間以上になるのに音信不通だ。
 探しにいきたいが、

「どこにいるか分かんなくて?」
 桜井の言うように、動きまわるべきではないかも。

「心配なら笛を鳴らすよな」
 ドーンも楽観的だ。「それよか気になることがある」

 俺達のいる枝までばさりと降りる。桜井がびくりと俺の肩に飛ぶ。あたたかい羽毛が頬をくすぐる。

「急に来るなよ。和戸君でもびっくりするだろ。気になるって、どうせ笑えることじゃね」
「スマホだよ」

 ……まだそんなことを言っているのか。
 俺のあきれ顔をドーンが読みとる。

「俺のを探すとかじゃねーし。ラインとかに俺らの記録が残ってるだろ。こんな生きものになろうと、それが消えるとは思えなくね?」

 それは俺もちょっと考えたけど……、それがどうした?

「ありかも!」
 桜井がキンキン声をだすから耳が痛くなる。
「そりゃ古くさい術だかで、二十一世紀の技術を消せるわけないしね。私のSNSだってパスワードを知らなきゃ削除できないし。……つまり」

「俺達と本来の世界の接点は消せない?」
「だね!」

 二人はハイタッチを交わしていたかも。俺は冷めた目でやり取りを聞くだけだ。

「どうせカラスは悪役だから、人のを借りようかな」
「そしたら私が画面をタッチする! 今の視力ならパスワードだって盗み見できるし」
「人に戻れば証拠隠滅だしね。哲人はどうする? まだまだ緑にひたりたい?」

 妖怪になってからの俺の行動パターンを観察してやがる。

「笛が聞こえるまで付き合うよ。あまり期待するなよ。残念な結果だと思うから」
 カラスが触れもせず死ぬ世界だ。ネットよりもドライに決まっている。

「いやいや。これを足がかりに人に戻れたりして、ははは」
 インコが俺の肩から浮かびあがる。

「カカッ、まずは駅前に行こ」
 カラスも飛びたつ。小鳥のあとを追う。

「人だらけのところかよ」
 座敷わらしも仕方なくふわふわとついていく。

 ***

――みんな肌身離さずだな。隙なくね?
――ワンチャン待つしかないし
――お、横に置いた
――ちゃんと見なよ。顔認証だし

 二人は駅前広場のベンチを探りながら、さきほどのカラス達を彷彿させるやり取りをくり返す。俺はすこし離れて桜の枝にぽつんと座るだけだ。人の注目を浴びるのに慣れている駅前の桜は、物の怪に対してあまりフレンドリーに感じられない。
 眼下にいるおばさんたちの会話が聞こえる。

「キノウノ夜、アソコノオ寺ガ云々」
「テレビデモシテタワヨ。大学ノ門モ壊サレテ云々」

 なにが治外法権だ。充分すぎるほど大騒ぎだ。
 草鈴はまだ聞こえない。駅前のデジタルの時計表示を見るとちかちかするが、もう10:47だ。この時間で気温は34.8℃。
 駅ビルの上空には雲ひとつない。俺は暑くないけど、ドーンはだらしなくくちばしを開けている。

――松本君も手伝いなよ

 桜井の頼みでも、スマホなんて人の光のまき散らしには近寄りたくない。それよりも、思玲になにかあったから笛が聞こえないのかも(川田と横根は吹けそうにない)。草鈴を壊されたのが悔しい。……みんなを探しにいくべきだよな。

――そういやさ、川田君って彼女と続いているの?
――七実ちゃん? よく知らね。一年のときに余計なこと言っちゃって、写真も見せてくれね
――新宿で見かけたよ。姉妹って聞いたら違うって。母親だったら引くし。ははは
――俺は会わずじまいになるかも。なんか疎遠っぽいし。……かわいかった?
――まじめそうで利口そうだったよ。それよりさあ、親父君は横根に気があるんじゃね? けっこうマジで。だから疎遠じゃね?

 この状況で、そんな話題で盛り上がれるな。インコとカラスの雑談が続くけど、

――チャンス!
――行くぞ!

 いきなり二人の声が重なる。
 人間からは死角の軒さきから、ドーンが噴水脇のベンチへと滑空する。起動したままのスマホに着地する。つかんで飛ぼうとするが、やはりというか爪から滑る。くちばしで挟もうとして、それも滑る。
 俺達と同年代の女の子が悲鳴をあげて、横にいた男が立ちあがりカラスを追いはらう。

「リアかよ」ドーンが空へと逃げていく。

「ははは。三度目のチャレンジも失敗。松本君の言ったとおりだったね」
 桜井が俺の肩に飛んでくる。
「でも面白かった。スプラッシュの先っぽにとまったときと同じくらい。言いすぎかな」

 へこたれず前向きな小鳥が笑みを浮かべる。二人きりの時間だから、人である桜井が俺の肩に頭を乗せている。幻覚であろうと心が救われる。
 もう一度、幻なんかでない彼女の笑顔を見たい。手を伸ばして捕まえて、服の中に押しこみたい。

「聞こえた?」

 桜井が真顔になる。ドーンが戻ってきた。枝葉を揺らして真横で羽根をたたむ。小鳥がまたびくりとする。

「今、笛だか鈴が鳴らなかった?」

 ドーンも言うけど俺には聞こえなかった。耳へと意識を集中する。じきにチリチリチリとかすかに聞こえた。

「遠いね。頑張ったんだ」
 桜井が木立から外へでる。

「隣町の公園あたりかよ。でも俺の羽根なら電車より早い」
ドーンも羽根をひろげる。

 俺も桜の木から浮かびあがる。
 カラスとコザクラインコが競りあうように飛んでいく。ふわふわと飛ぼうが追いつけない。蒼天の空にも消えない紺色を帯びた小鳥と、漆黒に褐色をまとったカラスが、あっという間に小さくなる。
 見た目とおりに、俺はみそっかすになってしまった。

 *

「子どものときの松本君が必死に浮かぶのかわいい、ははは」

 すぐに桜井は戻ってきて、俺の速度にあわせてくれる。人である桜井が横向きで空を飛んでいる。すごい幻影だ。

「俺は木箱を抱えているから遅いんだよ。ドーンに持たせようかな」
「和戸君だと速攻で落とすよ。さっきの二回目だって、くちばしでくわえて落として、足でキャッチしようとして全然駄目で、お爺さんがまさかのスーパーキャッチだったしははは、あれはヤバかったね」

 人である桜井と他愛もない話を交わしていると、頑張れば思えなくもない。告白しかけてぎくしゃくした関係だったから、こんな時間がかけがえない。俺達は必ず人に戻ってやるけど、そしたら俺達の関係もまた振りだしに戻るのか……。

『たくみ君?』

 喜びにあふれた笑顔を思いだしてしまう。
 そいつが誰だか知らないけど、今の記憶はなにもない明日か明後日の俺に、わき目などしないで、もう一度彼女に告白してもらいたい。

 空からだと巨大な都市のほんの一角だ。
 酷暑にさらされた町の上空を進む。空のはずれでは、午前だというのに雲が湧きあがり積みあがっている。ミカヅキが言ったとおりに、じきに大暴れしそうな図体になりつつある。
 線路に沿って進むと、隣駅に接した緑地公園が見えてきた。そこからカラスが一羽浮かぶ。俺達を見つけて一直線に向かってくる。
 若鳥のように必死な羽ばたきはドーンだった。

「川田を見かけたか?」
 すれ違いざまに声をかける。背後でUターンし、もどかしげに俺に速度を合わせる。
「一人で流範を追ったらしい。哲人達は思玲のとこへ行ってやれ。俺は川田を連れかえる。あいつまでやられたくない」

 下界をさぐりながら矢継ぎ早に言う。……川田まで?

「待てって。なにがあったの?」
 町のなかへと翼を強めようとするドーンの前を、インコがふさぐ。

「瑞希ちゃんがやられたんだよ。流範に!」
 ドーンが飛び去っていく。

「傷なんて、私ら簡単に治るよね?」

 人である桜井が蒼ざめて俺の顔を覗く。俺の返事を待たず、小鳥となり一直線に飛んでいく。
 俺もふわふわ追う。仲間になにが起きようが呑気にしか飛べない俺を、入道雲が笑っている。




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