四十八の一 貪慾

文字数 3,128文字

4.6-tune


 暗黒の気配が象られていく。
 貪は黒い龍だ。人の目に見える巨大な異形だ。この姿が知れ渡れば、伝承と隔てられた人の理は瓦解する。

「松本哲人、ずっと見せてもらったぜ。東のはずれの都からな」
 貪は人の声も話せる。
「お前の力をな。授かった力をより強める力。俺様が自由に飛ぶためには、真っ先に殺さないとな」

 貪は夏奈である青龍よりもでかい。翼を生やしている。夏奈である青龍よりも理知的かもしれない。それでいて邪悪な匂いがあふれる。

「な、治らぬ」
 楊偉天が貫かれ裂かれた体を必死にさする。若返るなり朽ち始めた肉体の上で、老人の顔が青ざめる。
「肉体などいらぬ。それより書を儂に……」

 瀕死となり、なおも死者の書を求める。

「楊偉天はもだえ死ぬがふさわしい」
 そう吐き捨てると、貪が空を見る。
「夜半だ。人である松本哲人よ、俺様と儚き勝負をしろ」

 貪が口を開ける。

 吸いこまれる!
 剣を地面に刺して堪える。……楊偉天が吸われる。廃村の名残も。結界に包まれた竹林も。藤川匠は……、意識なきまま吸われない。

「不思議に思うな」貪が笑う。「こいつはお前より力があるからな」

 貪は使い魔達のように心を読む。こんな奴に勝てるはずがない。

「不味いな」

 貪が吐きだす。溶けかけた老人が俺に激突する。結界の溶けた竹林も。またガラスの破片が頬に刺さる。痛覚の消えた俺は剣で耐えるだけ――。

 貪が吐きだしたなにかが当たった。俺の中に入ってくる。
 俺の体が変わる。慣れ親みはじめた、もうひとつのおのれの体へと……。透けた光が戻ってきた!

「異形に戻るとはな」貪が顔をしかめる。「八咫烏の告刀(のりとう)か。激烈な導きだ」

 風がやんだ。不吉すぎる予感。

ともに戦え

 剣が訴えた。

 俺は両手でかかげる。破邪の剣が荒れ果てた森を照らす。目前に迫った貪の鼻へと突きさす。貪が悲鳴をあげて空に戻る。俺をはらおうとする尾を剣で薙ぐ。
 また罵声が響く。

「あの時代、その剣は皇帝が所持していた」
 貪が俺へと向きをなおす。
「命と引き換えに俺様を制した男の息子が褒美でもらったらしい。流れ流れて、いまはお前の手もとだ。最後はどちらの手にころがるかな」

 貪が口を開く。暗黒の炎が放たれる。俺は転がるように避ける。そこに巨大な爪が待ちかまえていた。腹を貫かれて持ちあげられる。神殺の剣で爪を切断する。俺は地面に落ちる。
 貪の爪は俺の中で溶けて消えていく。俺の傷も塞がっていく。

「厄介な新月の力だな。だが俺様を消せる力があると思うなよ」
 貪があざ笑う。
「見ろよ」

 貪の切れた爪が復活する。その爪を振り下ろされる。避けたところに、逆の手が伸びてくる。
 俺の動きが分かるのだから、たやすく捕らえられる。巨大な爪が首へとたどる。こいつに俺を生かし続ける理由はない。首をすくめて抗うしかできない。

「荒ぶる龍よ、やめなさい!」
 ドロシーの怒りに満ちた叫びが聞こえた。
「その異形を殺したら、殺さなくてもお前は私が倒す」

 彼女は逃げない。彼女は手ぶらだ。すでにボロボロだ。逃げてくれ。でも、

「龍を倒すべき存在だと?」
 貪は俺の心を読む。
「純然なる白銀弾だと? だったら今のうちに食うだけだ」

 貪の別の手が伸びる。ドロシーが避けたところを荒々しく握る。彼女は龍の手の中で気を失う。貪が口に放りこむ。
 手にする剣さえ鼓動した。

「でたな。憤怒の力か」貪は動じない。「思ったよりは――」

 なのに貪がもだえる。手放された俺は地面に落ちる。その上にドロシーが着地する。

「あさましき魔獣め」
 俺をクッションに、彼女はすぐに立ちあがる。
「我が力は閉ざされるほどに高まる。私は二度も食われるものか!」

 一度食べられた経験があるのか? いまはどうでもいい。
 貪の喉元から黒い血が垂れる。貪が凶悪すぎる目で俺達を見る。ドロシーが開けた食道の穴は塞がっていく。

「消滅させる」

 貪が裂けるほどに口を開く。人の目に見える暗黒の炎が盛大に放たれる。
 ドロシーが俺に抱きつく。お互いに護布をかぶせるけど、おそらく耐えられない。
 俺は剣をかまえる。彼女だけでも救いたい。

「間に合え!」

 横根の声? 俺達は結界に包まれる。炎を押しとどめる。
 溶けた結界はすぐに復活する。

「間に合った……」
 足もとに十字羯磨をくわえた白猫がいた。

「噠!」
 ドロシーが結界を破る。横根の結界はすぐに包みなおす。
「……この結界は清潔だ」
 印をほどく。

「大姐は戦わないそうだ」
 地面からモグラが顔をだす。
「この姿は初めてだったかな。サキトガにはばれたけど、僕は新月だけ屈強な土竜になれる。そして僕だけが君達への最後の手助けにきた。なぜならば責任の一端があるからだ」

 ありがたいけど聞いている場合ではない。貪の肉球が俺達を押しつぶそうとする。破邪の剣で結界ごと差し返す。貪が悪態をつき前足を戻す。

「川田達は?」露泥無に聞く。

「タ、大姐は現れない」
 見当違いな返事。露泥無であるモグラは邪悪な龍へと目を見ひろげるだけだ。
「大姐の独断を諫めるために、唐に乗って参謀が来る。大姐もあの方だけは苦手だから、もはや今回の事象に干渉しない。デニー様がたどり着くのは明るくなってからだから、松本達には幸いにも儀式は――」

 喋ることで現実逃避してやがる。

「二人とも四玉を守っているよ」
 代わりに横根が答える。
「川田君はこれいらないって。ドーン君が握っても光らなかった。だから笛の練習している」

 天宮の護符もくわえていた。ドロシーが受けとる。

ゴアアアアア

 経験なき突風。マジかよ、廃屋が竜巻に飲みこまれる。結界も吹き飛ばされる。でも貪の炎が届くまえに再生される。横根の感情は荒ぶっている。
 ……あの箱を守ることこそ必要だが、あの中にドロシーの白銀弾もある。貪を倒せる可能性が。

「夏奈さんは?」
 龍を倒すべき存在が白猫に聞く。

「さ、桜井こそがリュックサックを守っている。宝を守護する龍。つまり最強状態だ」
 穴から顔だけ出したモグラが、空に怯えながら答える。
「彼女はすべてを思いだし、き、来た」

 露泥無が穴に逃れる。コンビニエンスストアほどもある貪の顔が、口をひろげて迫ってくる。結界ごと貪の闇に閉ざされる。
 ドロシーの手で護符が光る。

「噠!」

 紅色が結界を割り、迫りくる炎を押し戻す。
 貪が顔を離す。結界を両手で続けざまに切り裂く。迫った爪を破邪の剣で受けとめて、はじき飛ばされる。でも白猫が俺にしがみついてくれた。
 俺を追う貪の爪は結界に押しとめられる。

「これでもダメか?」
 貪は深追いしない。「ならば大陸の娘を先に処分するか」

 黒い炎がドロシーに向かう。彼女は師傅の護布を振りまわす。

「護れ!」

 渦潮のような護りの術。炎を吹き飛ばす。
 破滅的に巡る緋色のサテンに守られながら、ドロシーが天宮の護符をかかげる。龍を倒すべき者が暗黒の貪をにらみかえす。でも護符は輝かない。俺しか守らないお札。

「護布には物理攻撃だ」
 貪は冷静だ。ドロシーを護りの術ごと前足で踏みしだく。
「潰せないだと?」

 貪は四本指なのか。彼女を持ちあげる。爪で彼女を裂こうとする。貪は器用かも――

ドクン

 俺の右手に砕けたはずの法具が戻る。

「やめろ!」

 独鈷杵を投げる。貪の鍵爪に刺さる。その指をも消滅させる。ドロシーは落ち、貪は空へと戻る。

 俺は白猫を抱えてドロシーへと駆けより、抱き起こす。サテンは彼女の肩に降りる。

「ヘヘヘ、あの術を台湾で練習したの思いだせた」
 彼女は平気の笑みだ。「倒せる気がしてきた」

「防戦一方のくせに、俺様をだと?」
「そうだよ」

 俺が答えてやる。
 周囲が白く輝く。三人は清楚な跳ねかえしに再び包まれる。




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