二十五の二 完全アウェイ

文字数 3,205文字

 非常灯だけの世界。
 妖怪だから行き先がはっきりと分かる。清廉な空気と、閉じこめられたまがまがしい気配へだ。
 図書館には何度も来ているが、存在すら知らなかった階段から地下へと降りる。思玲が未施錠のドアを開ける。無数の本を感じる。
 地下階全面の書庫は、人により意図的に乾燥をもたらされていた。日本でも有数の私立大学だけあって、幾重もの通路の両脇に本棚が連なる。思玲とともにその奥へと進む。二人とも黙ったままだからコードを通る電気の音しか聞こえない。
 じきに核心にたどり着く。

貴重洋書保管室。入室には許可が必要です

 そう記された部屋の前で立ちどまる。思玲がドアノブをまわし手前に引く。暗闇に癒された俺は、彼女を追い越し室内に進もうとする。思玲が俺を後ろに引っぱり、先にドアを抜ける。

「西洋の術だな」

 彼女がつぶやく。たしかに聖なる力を感じる。でも、これは慈愛の術ではない。戦いにおける城壁のごとき術だ。

「暗すぎる。なにも見えぬ」思玲がまたつぶやく。「ここなら人の明かりも大丈夫だろ」

 スイッチを押す音がして、蛍光灯がしばたきながら灯る。頭痛と吐き気を我慢する……。とても無理。

『馬鹿野郎。話もできないだろ』
『私達はアナログだ。灯を用意するから消せ』
「先に用意しておけ」

 思玲がまたスイッチを押す。暗闇に戻る。すぐに灯される。室内が血の色に照らされる。

「この邪悪な明かりはなんだ。ふざけるな」
 彼女は憤る。
「……人の心を弱める明かりか。あさはかだな。哲人、木札をだせ。おこぼれで浄化してもらえ」

 俺には人の明かりよりましだ。赤く灯された室内は、いく冊もの古びた洋書が保管されている。入り口に書かれたとおり貴重な本なのだろうが数は多くない。空いたスペースのが目立つ。スキャニング済とか分別されている。本によっては、ラッピングみたいに処理されたものもある。
 学術めいた室内の一角に、褪せた金属製の小箱が無造作に置いてあった。箱の表面には、開封禁止とクラシックな英語がつづられている。文を囲み、鳥や龍のエッジングがほどこされている。そこから聖なる術と邪悪な気配が漂ってくる。これだ……。
 俺は木札を取りだす。両面の呪文めいた文字が消えていることに、ようやく気づいた。ただの木札になりさがったそれを箱へとかかげる――。
 聖なる術は揺らめきすらしない。

「駄目みたいです」

 俺のコメントに、思玲があきれた目を向ける。

「心を伝えろ。私によこせ」
 彼女が木札を奪いとる。それを胸に押しあてて、箱を抱き寄せ呪文を唱える。すこしだけ時間がたつ。
「まったくもって駄目だな」
 木札を突き返してくる。

『それはそうだ。お前達は東のはずれの異端だろ。お前達の神など、いにしえの連中には受け入れがたき邪神だ』
『キキッ、せっかくお目にかかれたのに、噂の切り札も面目丸つぶれだな』

 最初に教えろよ……。俺達を連れこむために、こいつら目論んだな。

「だったら早くでましょう。俺はだいぶ元気になったから。ここに来るまでの闇がいい感じで(思玲の胸の温もりのが救いになったけど、それは伝えない)、螺旋の光のダメージは消えました。黒い光の傷はまだ痛いけど、さっきよりはましです」
 木札をそそくさとしまう。

「あいつの術のが勝るなど百も承知だ。お前の穴の開いた服をみれば分かる。そこからまるだしの焦げた尻を見ればな」
 思玲が気にいらなさそうに言う。

 そういう状況だったんだ。今さら感覚で尻を隠す。

『無駄話はやめにしよう。哲人君、それに駆けだしの魔導師よ。そろそろ本題に入らせてもらおう』

 使い魔のあらたまった口調に、嫌な予感が顔をだす。

「戻りましょう。ここはお天狗さんの完全アウェイですよ。契約は合意に至らなかったってことで」
 呼ぶ声など無視だ。

『キキキ。ロタマモ聞いたか? 面白い妖怪だ。いや、人だ』
『サキトガ、こういう人間は案外大成するかもしれないぞ。我々の主も幼き頃そうだったと聞く』

 ドアが閉まり鍵のかかる音がした。

『ここからが契約の時間だ』

 部屋がさらに血の色に染まる。

『本来なら身をさらさねばならぬが、封じられた身なので幻影で許してほしい』

 ロタマモって奴の声だ。……ふるびた箱から闇があふれてくる。それがかたまりとなる。箱の上に大きなフクロウが現れる。天井へと羽ばたく。
 俺は思玲に張りつく。

『キキキ、俺も上からで失礼するよ』

 サキトガって奴のかん高い声が続く。
 黒いかたまりは部屋の上へと漂い、ひとつの形となる。異様にでかいコウモリが、逆さつりになって見おろす。俺は思玲にしがみつく。

「予想どおりの醜さだな。封印された貴様達など、怖くないと言わなかったか」
 俺に貼りつかれたまま、思玲はドアノブをまわす。
「……開かぬか。命あるもの以外には術をかけられるようだな。封じられてなおか」

 彼女は蛍光灯のスイッチも押しやがるが、人の明かりは灯らなかった。

『ホホ。本来の力を推し量らないでくれ』
 ロタマモという名のおぞましいフクロウが俺達に顔を向ける。
『王思玲ならびに松本哲人。願望を聞くまでは帰せない』

『ただし時間がないな。大鴉はすでにこの祠へ来た』
 コウモリとフクロウの使い魔が、いやしい声で交互に語りかける。
『あいつは人に術をかけた。なにごともなく事務室に入れた。フラッペもお呼ばれできそうなのに、あいつはずいぶんとお怒りだ』
『キキ、ああいう輩は尊厳が強いよな。やられた相手を無残に殺さねば、心が落ち着かないぜ。どうする?』

「御託を並べるな」
 思玲がドアから離れる。
「人を相手には、干からびたイモリ程度の力もないくせに。なんなら私が消してやってもいい」

『キキキ、法具をすべて捨ててきただろ。あの鴉を怒らせるためだけに』
 サキトガがさかさまで笑う。『ウチワやナイフがあったところで、お前の力で消せるかな』

『そこまで言ったらかわいそうだ。いくら最初の師に大切なものを奪われ、次の師も情に欠け正義だけを振りかざす者だとしてもな』

 ……これぞ呼ぶ声だ。弱みにつけこみ奈落へと誘う声だ。

「まずはそこを責めるわな」
 血の色に照らされた思玲が憎々しげに顔を歪める。
「だが私は、心を覗き疑心をもたらすものへ怒りを覚えるだけだ。それから、あれは法具ではない。魔道具だ。それと私は魔導師でない。東洋では力あるものを魔道士と呼ぶ。勉強しておけ! ついでにフラッペとはどんな飲み物だ? そこまで伝えろ!」

「思玲、冷静に。ここをでる方法だけ考えよう」

 俺は彼女の目を覗きこむ。
 人の心を弄ぶ魔物とともに、俺達まで封じこめられた。あてずっぽうな作戦はろくな結果にならないと、またしても教えられた。

「私は落ち着いている。魔物などと言葉を交わす気もない」
 思玲が俺をにらみ返す。「そもそも、こいつらの力が尽きれば外にでられる」

『あいつが来ているのだぞ。すぐそこまで』
『……たしかに。お前が老師についで恐れるあの鴉がな』
『その二人以上にお前が恐れるあの男も、いずれ来るかもしれない』
『あの男がお前の助けになると信じているのか? 劉昇は――』
「いい加減にしやがれ! 覗くなら、心の奥までしっかりと覗け!」

 思玲が目一杯に怒鳴る。

「我が先達は異形や魔物から人々を守るために、古来より血を流してきた。おのれの身を犠牲にしてきた。私も……、か弱き私とてその末端だ! 楊偉天も劉師傅も関係ない。魔物と取引するぐらいなら、戦って倒れることを喜んで選ぶ!」

 中国語が西洋の言語を圧倒した。思玲の剣幕に、室内が沈黙に包まれる。

「魔物達、ドアを開けたほうがいいと思うよ。あいつが来たら、誰もがろくな目にあわないよ」

 俺の言葉に、フクロウとコウモリが目を合わせた。

『ホホホ、本当に面白い子供だ』
 ロタマモが笑う。
『さすがに祓いの者を口説くのは無理だな。ならば、この子と話を詰めるとしよう』




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