十九の二 影に添うでなく

文字数 3,602文字

 昨夜と同じで街灯に照らされた公園。大型四駆が道路脇に駐車してあった。町はまだ寝ていない。
 遊具脇の広場には思玲達五人と麻卦執務室長だけがいた。ドーンがおりてきて川田の頭にとまる。

「ちょうど麻卦さんが来たところ。ここは夜になると人除けの術をかけるんだって。だからいつも無人……なのでちょっと吐き気がする」
 横根が異形の言葉で伝える。青い顔で杖を握りしめている。

「瑞希も桜井みたいにこれを舐めればいいのに」
 大蔵司が口の中で何かを転がしながら言う。「ひと粒五万円だから我慢しちゃってかわいい」

「人除けの術の中和剤?」
「ひと粒で五万円!」
「俺も腹が減った」

 遅れて合流したドロシーと俺と川田の発言が重なり、麻卦執務室長がちらり見た。

「お前ら、おかしいぜ。横根にしろ桜井にしろだ。遠ざかっている。付き合いきれない」
 露骨に嫌悪を浮かばせる。
「ヘリコプター全壊の責任の半分は王思玲にある。内装込みで十三億円だから六億五千万円。それと飴代五万円。六億円にまけてやるから、持っている魔道具をすべてよこせ」

「残りは京が支払うのか?」
 思玲は尋ねかえす。

「大蔵司が金を持っているはずないだろ。永く影添大社に忠誠を誓うで許してやる」

「私もそれにしてくれ。異形退治を従来の十分の一にディスカウントしてやる。それと魔道具は何ひとつ渡さない。死者の書もまだ返さない。代わりにだ」
 思玲がカバンに手を突っこみ、小さな革袋を胸の前に掲げる。
「我々の隠し財産だ。台湾から持ってきたが二億円の価値はある。日本円でな」
 
「ダイヤか」
 麻卦さんは中身を確認せずに言う。
「御徒町に知り合いのインド人会社がある。そこで鑑定してもらおう。連中は儲け話には日本人より真面目だからな。中国人よりはるかにな」

 手を突きだしながら思玲へ歩む。思玲は革袋をカバンに戻す。

「チャイニーズはそうらしいが、台湾人を一緒くたにする奴よりはましだ。そして私達は袋小路だ。さらに協力を仰ぎたい。その金でもある」

「奇遇だな。漢民族じゃない俺からも頼みごとがある。残金をチャラにしてやるから龍を退治してくれ。それまでは……」
 麻卦さんが俺達全員を見わたし「川田君と桜井ちゃんは俺達で預かってやる」

 俺は即座に考える。影添大社の実務責任者である執務室長が善意で言うはずない。悪意で預かる。なぜなら川田と……いまとなっては夏奈は異形だから。俺やドーンも異形だけど、手負いの獣人と龍は人の世に恐るべき存在だから。

「私はやだよ」夏奈が言う。
「俺は瑞希と松本とドーンといる」川田も言う。

 俺はもうひとつ考える。じきに化け物になるかもしれないものを、大事な大事な宮司と同じ敷地に置くはずがない。

「牢屋ですか?」
 水牢と、露泥無が口にしていた。

 俺の問いに大蔵司が口笛を吹く。
 麻卦さんが大蔵司をにらむ。

「もちろん川田君には、人に危害を与える恐れがない場所を案内する」
「そこを見せてください」

 俺の頼みに大蔵司がまた口笛を吹く。

「大蔵司。お前は莫大な損失を与えたことを忘れるな。これは折坂からの要望だ。拒否すれば影添大社はお前らに何ら協力しない」

「だったら結構です。夏奈も川田も俺と一緒に行動する」
 ヘリの損害賠償は思玲に抱えてもらおう。

「それでよきでないっすか。私と台輔で見張り番しますよ」
「大蔵司は満月を過ぎるまで宮司の護衛だ。理由は分かっているよな」

 ドーンと横根は黙っている。俺に一任している空気を感じる。部外者であるドロシーは黙ったままだ。と思ったら、

「貪は私が倒します。私は奴を倒せます」
 いきなり宣言する。

「部活動じゃないんだよ。……お嬢ちゃんは梁勲の孫だよな。なんでここにいるの? マジでお前ら滅茶苦茶」

「私と哲人さんだけで龍を倒すためにいます。なので邪魔なものは預かってください」
 そう言って、ドロシーが俺の手を握る。

「手を放せ」夏奈がにらむ。
「そうだよ。協調しようよ」横根はうんざりげだ。

 俺から手を離せるはずなく、ただドロシーの言葉を考える。
 二人でいれば無敵に感じられる。なにより純度百の白銀弾。でも龍の肝。
 俺……か誰かが毒見したあとに、横根や思玲、ドーンに食わすべきかも。夏奈と川田に食べさせちゃいけない。それだけは不吉なほど感じる。

「二人だけであるはずない。みんなで貪を倒そう」
 食べようとは言えない。意見を肯定できない代わりに強く握りかえす。

「猫じゃない瑞希とドーンが戦えるはずない。俺はこいつらを守る」
 カラスを頭に乗せた川田がむっつりと告げる。
「松本と松本の女だけでやれ」

「そ、そりゃそうだけど……」
 動揺してしまった。川田が狩りを断った。

「哲人お得意の言葉の綾だよ。ていうか俺は戦うし」
 ドーンが川田の頭をつつく。「ていうかドロシーちゃんと呼べよ」

「松本の女? 異形とそんな関係だったの?」
 麻卦は引っぱりやがる。やっぱり呼び捨てだ。

「俺も異形だが、瑞希を好いてはいけないのか?」

 川田が言い、「やめろよ」とカラスがまたつつく。夏奈がわざとらしくあくびする。

「堂々巡りじゃないか。大蔵司は宮司のもとへ行け。折坂とお守りをチェンジしろ。無……宮司が何を言おうと一円もまけない。明日一筆書いてもらう。……九月でも今夜は暑いな」
 麻卦が紺色の扇を手にだして、落ちつかぬように首筋をあおぐ。
「……ドロシーちゃんはじろじろ見ないでくれる? 大人のまっとうな意見を述べただけ。しかしかわいいね。巫女姿も似合いそうだし、役立たずの大蔵司とトレードしたい。はやく行け、折坂が怒るぞ」

「思玲またね」
 肩を落とした大蔵司が素気なくビルへ去っていく。

「ここで騒ぎを起こすなよ」
 麻卦さんが煙草に火をつけて、煙に包まれ消える。

 七人だけになる。九月の曇り空。月は見えない。進展は何もなかった。

「どっちにしろ私は家に帰るよ。さすがに外泊だらけでやばいし」
 夏奈が至極当然を口にする。「瑞希ちゃんの親は大丈夫なの?」

「え? すごく怒っているよ。だから連絡していない」
 思春期直前ほどに幼すぎる横根が答える。
「でもみんなといるのが大事だよ、絶対に。だから夏奈ちゃんも一緒にいるべき。これからずっと、絶対にだよ」

「カカカ、瑞希ちゃんが正論だ。夏奈ちゃんも戻るなって」
 ドーンが鳴き声をたてて笑う。

「だったらみんなで千葉に来てよ。マジで帰らないと無理だって」
「遠すぎだし、カカカ……ありかも。ここより」

 みんなの意見は正しいのに正解ではない。同様に口先だけで実践できそうもないのは、どうやって貪を襲う? そもそも倒せるのか?
 奴はどこにいる? 神殺の鏡に封じられたことがある貪は慎重だ。奴はドロシーだけからさえ逃げた……白銀弾の存在を知っていたな。つまり倒すだけならば、あの人だけでも可能かも。致命傷で済ませたいならば……冥神の輪。
 どっちにしろ餌が必要。でも藤川匠一味を誘える餌は……追い詰められようと夏奈を利用などしない。

「考えさせてくれ」
 ずっと黙っていた思玲が言う。「私と哲人でディスカッションする。ゆえに皆から離れる」

 思玲はいきなり歩きだす。公園をでる……。再び死者の書をめくることだ。六魄に尋ねてもいい。

「哲人さん」と、手を離したばかりのドロシーに呼び止められる。「執務室長だけど、あの人って」
「すぐに戻る」

 俺は思玲を走って追いかける。書に囚われてなんかいない。

 ***

「そうだ。二人だけ離れた。琥珀と九郎は、かなり下まで降りてこい」
 思玲が宝珠へ横柄に返答する。
「……降りると見つかる? だったら最高ランクの警戒態勢でしっかり見張れ。先制攻撃だからな。さもないと私と哲人はお陀仏だ」

 ターゲットが二人きり。うまくないよな。でも……。

「来るなら返り討ちにするぞ。琥珀も九郎も無能ではない」
 十代盛りの思玲が忌むべき言葉で告げる。
「人のいない場所にあえてする。ここにはすぐそばにでかい墓場があるよな。私には分かる」

 思玲は谷中へと足早に歩く。彼女の思いつきに二度と従いたくない。だけど白虎をおびき寄せるのは俺も考えていたことだ。だから人に見えない俺は、何も言わずに彼女の後を追う。……盛りの思玲と二人きり。真夜中の墓地で。

「日月譚」
 思玲がぽつり言う。「そこで何があったか。金玉を蹴ったお詫びに、哲人にだけは教えたい」

 何人かが口にした地名。俺の中で死者の書がうずきだした。股間の痛みも思いだした。浮ついた心は消え、話の続きを待つ。

「気が変わった。やめておく」
「ご自由に」

 聞いてはいけない気がする。思玲は語ることで楽になろうとしていても。彼女の帰りを待つ陳佳蘭が忌まわしき話をぼそぼそ告げたよう、誰かに言い残しておきたいだけなら。

 夜の街。すれ違う人の幾人かが、俺の服を着こなす思玲へ振り返る。異形の目でなかろうと、夜の彼女は見目麗しい。




次回「墓場の異形と女魔道士」
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