十一の五 忌むべき色の杖

文字数 2,765文字

 思玲の話は大げさでなかった。太ももまでむき出しの彼女は、蛇の頭を潰しながら道なき道を進む。

「さっきのが百歩蛇、これはハブ、もちろんコブラもいるぞ」

 毒蛇のとてつもなき人口密度。夏奈もへっぴり腰だ。噛まれることない異形な俺は、夏奈の足もとや頭上の枝に全神経を注いで進む。
 でっかいムカデがいた。テニスコートで戦った多足の百万分の一ぐらいのサイズ。思玲は気づいても殺さない。ただの多足類ならば俺も殺さない。

「隠してある杖でさあ、私も見えないビームをだせるの?」
「ビームではない。我が力を具現したものだ。その光も目に見えるようになる。……杖に攻撃力はないが、桜井は雷木札を持っているだろ」
「あれはお化けリュックに入れたままだし、浮き輪になったとき川に落ちたんじゃね? ははは」
「浮き輪を破れば出てくる。お前はいつまでも馬鹿笑いしているな」

 思玲が立ち止まる。小刀で離れた大木を指し示す。

「あれが日本には滅多にないガジュマルだ」
「へええ初めて見た」
「桜井をからかうのは楽しいな。ただの杉だ。ついてこい」

 またずけずけと歩きだし、手前で立ちどまる。見上げても樹高はわからないけど、直径は1.5メートルはある。根元付近が口を開けていた。

「あの洞に隠してあるが門番はオオスズメバチだ。毎年そこに巣作りする。数匹怒らせただけで刺されまくるのに、おそらく二千匹のタージャーだ。“大家”と書き、“皆さん”という意味だ。心の声ならば説明不要なのにな」

 人の声でも日本語で話せばいいだろ。思玲はカバンから扇も取りだす。

「こっちの世界の生き物を殺しまくりだが仕方ない」

 七葉扇が円状にひろがる。俺達に声かけることなく小刀と交差させる。七色の螺旋が大樹の根もとへ飛ぶ。木がきしみ、向こうへ倒れる。
 猿の群れが悲鳴を上げて、樹上を跳ねていった。

「あいつらはただの猿だ。どうした?」

 光が見えぬ夏奈ですら腰を抜かした。螺旋の光を何度も見てきた俺でさえ、口をあんぐり開けてしまう。妖怪のくせにだ。

「朽ちてはいたが、それでも強い。黒羽扇に匹敵するかもしれぬ。扱いに困るな」
 まんざらでもなさげな思玲が歩きだす。

 思玲はゴルフ場で土壁へと螺旋の光をぶつけた。あのときは天宮の護符と交差させた……。あの木札のが強いはずなのに、土壁は吹っ飛ぶだけだった。

「もしかして、どんどん強くなっていませんか」
 夏奈が立ち上がるのを待ちながら尋ねる。

「乙女だからな。だが二十歳を過ぎると急速に失われる。乙女のままだとな」
 思玲は振り向かずに異形の言葉で告げる。
「この体は哲人が女にしてくれるか? 本気にするなよ」

 思玲は忌むべき世界と重なりあう。異形の俺とでも体を重ねられる。もちろん人の身体でも……。俺よりほどよく年下になった思玲……。そんなことは思わない。

「すごすぎる。年下でも偉そうにできるわけだ」

 夏奈が汚れた尻をはらう。無言で思玲の後を追う。いまの螺旋の光で杖が壊れていなければ、もうすぐ俺は夏奈とも触れ合える。

 思玲がしゃがんで洞の跡を覗く。

「すまぬ。杖まで消滅させてしまった」
 振り向いて人の言葉で言う。「冗談だ。蜂はもういない。桜井来い」

 この女は洒落にならないシーンで洒落にならない洒落を言う。こいつとは絶対に深い関係にならない。

「やば、緊張してきた」

 夏奈がその通りの顔で向かう。
 俺は独鈷杵を手に現し周囲を見る。
 峻計はいないと確信できる。なぜに土壁だけがいた? ……あの野良犬は今ごろ大蔵司と戦っているのか? 六魄が言う、俺と思玲に死をもたらすものと……。
 ちょっと待て。

「ちょっと待って」とあらためて口にする。「夏奈ならば大丈夫なの? ただの人用の罠はないと言い切れるの?」

「ノープロブレムと断言してやる。そうでないと、それを必要とする力なき人間が、手にすることができな――そっちはトラップだ! 細長い箱以外には触るな。目をつぶれ。焼かれて失明するぞ」

 罠だらけじゃないか。夏奈は尻込みしながらも、六十センチほどの泥だらけの木箱を洞から引きずりだす。

「開けていいの?」
「たぶん大丈夫だが、念のためシェジェンから離れよう」
「何それ?」
「蛇の陣と書く。箱に仕掛けてあったのは蜂の陣」

 そんな名称の罠の中にいたのか。秘密主義というより説明不足だ。夏奈は木箱の泥をはらって抱える。思玲がまた蛇を仕留める。

 *

 蛇を殺生しながら小道まで戻る。

「やはり罠があったらあれだから、“怪我治せる女”と合流してからにするぞ」
「だね」

 見た目だけ十代の“考えがころころ変わる女”に夏奈は従う。俺も異論ない。
 思玲は駆け足になる。夏奈は懸命に付いていく。このシチュエーションでも必死になれる夏奈が愛おしい。でもまた転ぶ。泥だらけの膝の夏奈が座りこむ。

「箱がでかすぎるからだ。やっぱり今ここでやる」

 さすが夏奈。いきなり箱を開ける。中身は空っぽだった。

「罠があったらお前の顔は消えていたぞ。開けたならばここで済ます」
 思玲が鋭利な刀を手にしたまま、夏奈のもとへ戻ってくる。
「この杖は楊偉天の血でできている。それと混ざる血を望んでいる。杖に血を与えれば、血の主は杖の主にもなる。……楊聡民のように」

「冗談だよね? ……目がマジだし」
 地面に腰を降ろしたままの夏奈が後ずさる。

「怯えなくて大丈夫だよ」

 忌みすべき世界に慣れ親しんだ俺が聞こえない声をかける。思玲が夏奈へやることが分かる。俺こそが望んでいる。

「騒ぐなよ」思玲が小刀を薙ぐ。

 夏奈の腕の傷は想像したよりも長く深く、四秒後にあふれだす。

「……ほ、ほんとに切った」
 夏奈が悲鳴を上げて傷を押さえようとする。

「違うだろ。垂らせ。杖にかけろ!」

 思玲より早く俺が怒鳴る。
 夏奈は感づく。

「……松本が見えるんだよね」

 夏奈が空の箱の上に腕を突きだす。木箱へと夏奈の赤い血が滴る。
 箱から赤い煙が上がる。

「私は過去に見ている。同じだ。つまり罠はない」
 思玲が唾を飲みこみ言う。
「桜井、血の煙に手を入れろ。さすれば血はとまる。……奴らがいう契りが結ばれる」

「……ここまで来たなら」
 夏奈は言われるままに腕を突っこむ。

「さすれば、こちらの世界に戻ってくる」
 思玲が言う。

 なぜに夏奈をこっちに戻す? 仕方ないだろ。それこそが夏奈のため。真実を知ってもらうため。

「何かある。……細長い。杖だ」

 煙が消えていく。夏奈はドロシーが持っていた指揮棒(タクトスティック)ほどの棒を握っていた。小ぶりすぎる青色の杖。

「その色はなんだ……」思玲が怯えたようにつぶやく。

 夏奈が振りかえる。

「松本君だ……」
 俺と目が合う。その目に涙が浮かぶ。
「でも、たくみ君が呼んでいる」

 その姿が透けていく。

「夏奈!」

 のろまな俺が飛びついたのは、消えていなくなってから。




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