十一の二 奴らが居た場所
文字数 3,458文字
「大蔵司と哲人は梟と大鴉を倒した。昼だったとしてもだ。それに私が加われば峻計も敵ではない」
思玲が運転しながら言う。根拠なき自信がうらやましい。
「十億円を少しでも減らすために、私もマジで協力する。桜井ちゃんは結界に入れとこ。五分間は誰も手をだせない」
大蔵司の手に神楽鈴が現れる。すぐに引っこめる。……緊張しているかも。
「短いって、ははは」
「桜井、ここからは真面目タイムだ。――后里だ。ここで下りる。楊偉天達の居た場所まで一時間はかからない」
地元だけあって道を知っている。ハイウェイを離れた大型四駆は、パームツリーが街路樹の解放的な市街を進む。連結したような白い壁の二階建て三階建てが目立つ。
「以後は感じないの?」
思玲に聞くけど返事をよこさない。それこそ運転と索敵に集中している。
「待ち構えているのだろう。……わざと姿をさらしておびき寄せたのかもしれない」
リュックサックが答える。
「降りたのは失敗だったかな。気づかぬ振りが最善だったかも、ぐえっ」
「カバンが偉そうに話すな」
大蔵司が振り向くなりリュックサックへと神楽鈴を一振りした。
「な、なに。これがのけぞったよ」
夏奈が露泥無であるリュックを足もとに放り投げる。窓から捨てなくてよかった。
「みんな昂っているから」と俺が拾い上げてやる。
「浮かんだ。松本哲人め、キモイからやめろよ」
夏奈が露骨に嫌悪を浮かべる。感情の起伏激しすぎだけど、それに従い二人の間に置く。
*
放し飼いの犬が普通に道を歩いている。土壁がいるのならば、この光景を見てどう思うだろうか。奴には野良犬だった時の記憶が残っている。
車は町を離れ田舎道に入る。俺の故郷周辺みたいな山間道になる。
「もしゼ・カン・ユ一味が揃っているならば君達でも勝てるはずない。ましてゼ・カン・ユはよみがえった力を断片しか見せていない。策を練らないと殺されて終わりだ」
「気が散るからハラペコは不吉を言うな。大蔵司、もう一度躾けてやれ」
「だね。こいつ嫌い」
「いいかげんにしろ!」
「あっ、松本哲人が怒った?」
夏奈が感づく。「でしょ? やっぱ私すごくね? ははは」
「物心つかぬ赤子は異なる世界に気づく。つまり桜井の脳みそもベイビーなだけだ。そして哲人が怒ると怖いから、もうハラペコはいじめない」
「思玲 ちゃんの言い分だと、陰陽士も魔道士も赤ちゃんになっちゃうね」
「だから日本語読みするな。大蔵司京 め」
「京さんの台湾語読み? かっこいい。桜井夏奈は?」
「夏の字だったよな? インジンシャーナイ……だが……夏の……群生も……」
「しゃあない? 大阪人じゃねーし、ははは」
「馬鹿笑いするな。集中できぬ」
「露泥無。藤川匠がいると思った理由を教えて」
この女子三人は緊迫感なき脱線系だ。勝手に会話させて、俺だけ聞けばいい。
「いるかもしれないと言っただけだ。思玲が思慮浅きまま台湾に戻ってきたのは、敵が授かった導きかもしれない。ならば藤川匠が貪に乗って現れてもおかしくない」
あり得る話なのか? 飛び蛇がいた。少なくとも何かがいる。
「やっぱり引き返すべきかな?」
リュックサックに尋ねる。前の二人に聞こえても仕方ない。
「どうせ君達は引き下がらない。でも全滅したら、僕は封印されたまま台湾山中にずっと転がる。
君達は甘く考えている。貪は有史以来最悪の龍だ。それを従えるのは――ゼ・カン・ユである藤川匠は、幼い娘の魂を生け贄に強大な力を得た。それに対抗するために、それぞれの長所を生かした策を立てるべきだ」
黄品雨……。竹林が人であったときの名前。虐げられたあの子の魂は、藤川匠へと邪気なき笑みで飛びこんでいった。
「ハラペコの案はもっともだ。私も怖くなってきた」
思玲が言い、窓を全開にする。
「だが貪は最悪であっても最強ではない。そしてここにはいない。私には分かる」
祖国の空気を嗅ぎながら彼女は断言する。
「根拠は?」大蔵司が尋ねる。
「貪欲な異形は私に欲望する」思玲が答える。「強大なそれを感じない。……峻計は欲望を隠せる。土壁は貪欲でない、川田のようにな」
「でも満月が近づいている」
大蔵司が窓の外に目を向ける。「そういう奴らこそ鬱憤晴らしに祭りを始める」
***
空気が中華な南国の香りから、凛とした山の匂いに変わっていく。すれ違いできない荒れた林道。大型四駆車は林へ頭を突っこむように切り返す。尻をバックで突っこみ停まる。
「すぐ逃げられるように向きを変えておいた。ここから十分歩かないとならない」
思玲がシートベルトをはずしながら大蔵司を見つめる。
「魔道士避けの罠がたっぷりと仕掛けてあると思え。香港魔道団もトラップを置き土産にしているだろう。私の前を歩くな。何にも触れるな。足もとにこそ注意しろ。樹上からも蛇は落ちてくる」
車内で夏奈がうたた寝するほど時間があったのに、こいつは到着してから言う。みんなは黙ったままで、思玲はさらに続ける。
「早めに言うと哲人が理屈をこねくりだすからシークレットにしていたが、もういいだろう。
名もつけられぬままに封印された杖は、楊偉天の息子が作った。手に傷をつけて血を垂らし握れば、資質なき者も異形が見える。忌むべき声も聞こえる。手を離せば、もしくは血がかすめば、本来の世界に戻れる。
その忌むべき杖には魔道士避けが仕掛けられている。楊偉天が私にレクチャーしながらかけたから間違いない。陰陽士だって魔道士だから触るなよ。
さらには式神避けの術もかけてあるかもしれぬ。異形である哲人が触れれば腕が吹っ飛び、新月の夜まで生えてこないかもしれない。
ゆえに、それを取りだせるのは桜井だけだ。では行くぞ。私、哲人、桜井、大蔵司の順だ。ハラペコは大蔵司が背負え。背後からの防弾リュックだ。ここから先は自己責任だからな」
まくしたて終えた思玲が林へと歩きだす。
「思ったよりまっとうな理由でしたね。もっとすごいシークレットかと思った」
その背中に俺が言う。
「敬語が混ざるのは余裕がある時だな。お前は死なぬ程度だからだ。……大蔵司が知ったら逃げたかもしれない。飛び蛇がいたのならば、あいつを巻き込めたのは幸運だ」
*
陸軍所有地。立ち入り禁止
そう漢字と英語で表記されたゲートは破壊されていた。
「大嘘を記すのが許されている。ここまではトラップがないから、ただの人でも来れる。ここから先がマイ責任だ」
思玲がゲートを七葉扇で払う。
「新たな罠は仕掛けられてないな」とつぶやく。深呼吸のあとに再び歩きだす。
「この先に白虎も来たことある」
思玲に尋ねる。
「よく知っているな」
「琥珀に聞いた」
「……時間軸が違う。琥珀はまだいなかった」
でも俺はたしかに聞いた。小鬼はごく普通に言った。事実を淡々と告げただけに感じた。
幅一メートルほどの未舗装の小道が林を縫う。行き来がなくなり日にちを過ぎただろうに、なぜだか林に飲みこまれていない。それはゆっくりと下っていく。沢の音がかすかに聞こえる。
「やはり魔道団が来た痕跡がある。我々も楊偉天と敵対していたゆえ文句はないが、ここで何をしたか聞いておくべきだったな」
思玲が言うけど、あの友好関係では教えてくれるはずない。日本に向かった若手チーム一員のドロシーも知らないだろう。
ここに彼女がいたらはるかに安心できたのに。また無敵を感じられたのに。夏奈を守るために……。
「なんか気分悪いかも」背後で夏奈が言う。
見えない俺が立ちどまると彼女はふわりとよろめく。触れ合えないままだ。ドロシーとは手もつなげるのに。
「早々に転ぶな。かすんだ人除けの術など我慢しろ」などと思玲が言う。
「消してあげる」
最後尾から鈴の音が聞こえた。
「すげえ、治ったぽい」
「鈴の音だけでか。大蔵司は我々の敵になるなよ」
「十億円を免除されたら分からないよ」
「ははは」
「桜井は馬鹿笑いするな。この先が懐かしの棲み処だ」
崖で分けられた沢の向こうにも森が広がるだけ。その手前に、ふるびたという形容詞より老朽化がふさわしい全長十数メートルのつり橋がかかっていた。
乱雑に板を縄でつなぎ合わせて、手すりも両脇に縄が一本ずつだけ。その十数メートル下では沢が音をたてて流れている。そこからの風を受けて橋は揺れている。きしんだ音を立てている。
ここまで来た一般人がいたとしても、ここで引き返すだろう。
「落とされてなくてよかった。ここが最初の難所だ」
思玲が振り返る。
「おいハラペコ。一人ずつ歩くか、まとめて進むか。どちらが上策だ?」
次回「綱渡り」
思玲が運転しながら言う。根拠なき自信がうらやましい。
「十億円を少しでも減らすために、私もマジで協力する。桜井ちゃんは結界に入れとこ。五分間は誰も手をだせない」
大蔵司の手に神楽鈴が現れる。すぐに引っこめる。……緊張しているかも。
「短いって、ははは」
「桜井、ここからは真面目タイムだ。――后里だ。ここで下りる。楊偉天達の居た場所まで一時間はかからない」
地元だけあって道を知っている。ハイウェイを離れた大型四駆は、パームツリーが街路樹の解放的な市街を進む。連結したような白い壁の二階建て三階建てが目立つ。
「以後は感じないの?」
思玲に聞くけど返事をよこさない。それこそ運転と索敵に集中している。
「待ち構えているのだろう。……わざと姿をさらしておびき寄せたのかもしれない」
リュックサックが答える。
「降りたのは失敗だったかな。気づかぬ振りが最善だったかも、ぐえっ」
「カバンが偉そうに話すな」
大蔵司が振り向くなりリュックサックへと神楽鈴を一振りした。
「な、なに。これがのけぞったよ」
夏奈が露泥無であるリュックを足もとに放り投げる。窓から捨てなくてよかった。
「みんな昂っているから」と俺が拾い上げてやる。
「浮かんだ。松本哲人め、キモイからやめろよ」
夏奈が露骨に嫌悪を浮かべる。感情の起伏激しすぎだけど、それに従い二人の間に置く。
*
放し飼いの犬が普通に道を歩いている。土壁がいるのならば、この光景を見てどう思うだろうか。奴には野良犬だった時の記憶が残っている。
車は町を離れ田舎道に入る。俺の故郷周辺みたいな山間道になる。
「もしゼ・カン・ユ一味が揃っているならば君達でも勝てるはずない。ましてゼ・カン・ユはよみがえった力を断片しか見せていない。策を練らないと殺されて終わりだ」
「気が散るからハラペコは不吉を言うな。大蔵司、もう一度躾けてやれ」
「だね。こいつ嫌い」
「いいかげんにしろ!」
「あっ、松本哲人が怒った?」
夏奈が感づく。「でしょ? やっぱ私すごくね? ははは」
「物心つかぬ赤子は異なる世界に気づく。つまり桜井の脳みそもベイビーなだけだ。そして哲人が怒ると怖いから、もうハラペコはいじめない」
「
「だから日本語読みするな。
「京さんの台湾語読み? かっこいい。桜井夏奈は?」
「夏の字だったよな? インジンシャーナイ……だが……夏の……群生も……」
「しゃあない? 大阪人じゃねーし、ははは」
「馬鹿笑いするな。集中できぬ」
「露泥無。藤川匠がいると思った理由を教えて」
この女子三人は緊迫感なき脱線系だ。勝手に会話させて、俺だけ聞けばいい。
「いるかもしれないと言っただけだ。思玲が思慮浅きまま台湾に戻ってきたのは、敵が授かった導きかもしれない。ならば藤川匠が貪に乗って現れてもおかしくない」
あり得る話なのか? 飛び蛇がいた。少なくとも何かがいる。
「やっぱり引き返すべきかな?」
リュックサックに尋ねる。前の二人に聞こえても仕方ない。
「どうせ君達は引き下がらない。でも全滅したら、僕は封印されたまま台湾山中にずっと転がる。
君達は甘く考えている。貪は有史以来最悪の龍だ。それを従えるのは――ゼ・カン・ユである藤川匠は、幼い娘の魂を生け贄に強大な力を得た。それに対抗するために、それぞれの長所を生かした策を立てるべきだ」
黄品雨……。竹林が人であったときの名前。虐げられたあの子の魂は、藤川匠へと邪気なき笑みで飛びこんでいった。
「ハラペコの案はもっともだ。私も怖くなってきた」
思玲が言い、窓を全開にする。
「だが貪は最悪であっても最強ではない。そしてここにはいない。私には分かる」
祖国の空気を嗅ぎながら彼女は断言する。
「根拠は?」大蔵司が尋ねる。
「貪欲な異形は私に欲望する」思玲が答える。「強大なそれを感じない。……峻計は欲望を隠せる。土壁は貪欲でない、川田のようにな」
「でも満月が近づいている」
大蔵司が窓の外に目を向ける。「そういう奴らこそ鬱憤晴らしに祭りを始める」
***
空気が中華な南国の香りから、凛とした山の匂いに変わっていく。すれ違いできない荒れた林道。大型四駆車は林へ頭を突っこむように切り返す。尻をバックで突っこみ停まる。
「すぐ逃げられるように向きを変えておいた。ここから十分歩かないとならない」
思玲がシートベルトをはずしながら大蔵司を見つめる。
「魔道士避けの罠がたっぷりと仕掛けてあると思え。香港魔道団もトラップを置き土産にしているだろう。私の前を歩くな。何にも触れるな。足もとにこそ注意しろ。樹上からも蛇は落ちてくる」
車内で夏奈がうたた寝するほど時間があったのに、こいつは到着してから言う。みんなは黙ったままで、思玲はさらに続ける。
「早めに言うと哲人が理屈をこねくりだすからシークレットにしていたが、もういいだろう。
名もつけられぬままに封印された杖は、楊偉天の息子が作った。手に傷をつけて血を垂らし握れば、資質なき者も異形が見える。忌むべき声も聞こえる。手を離せば、もしくは血がかすめば、本来の世界に戻れる。
その忌むべき杖には魔道士避けが仕掛けられている。楊偉天が私にレクチャーしながらかけたから間違いない。陰陽士だって魔道士だから触るなよ。
さらには式神避けの術もかけてあるかもしれぬ。異形である哲人が触れれば腕が吹っ飛び、新月の夜まで生えてこないかもしれない。
ゆえに、それを取りだせるのは桜井だけだ。では行くぞ。私、哲人、桜井、大蔵司の順だ。ハラペコは大蔵司が背負え。背後からの防弾リュックだ。ここから先は自己責任だからな」
まくしたて終えた思玲が林へと歩きだす。
「思ったよりまっとうな理由でしたね。もっとすごいシークレットかと思った」
その背中に俺が言う。
「敬語が混ざるのは余裕がある時だな。お前は死なぬ程度だからだ。……大蔵司が知ったら逃げたかもしれない。飛び蛇がいたのならば、あいつを巻き込めたのは幸運だ」
*
陸軍所有地。立ち入り禁止
そう漢字と英語で表記されたゲートは破壊されていた。
「大嘘を記すのが許されている。ここまではトラップがないから、ただの人でも来れる。ここから先がマイ責任だ」
思玲がゲートを七葉扇で払う。
「新たな罠は仕掛けられてないな」とつぶやく。深呼吸のあとに再び歩きだす。
「この先に白虎も来たことある」
思玲に尋ねる。
「よく知っているな」
「琥珀に聞いた」
「……時間軸が違う。琥珀はまだいなかった」
でも俺はたしかに聞いた。小鬼はごく普通に言った。事実を淡々と告げただけに感じた。
幅一メートルほどの未舗装の小道が林を縫う。行き来がなくなり日にちを過ぎただろうに、なぜだか林に飲みこまれていない。それはゆっくりと下っていく。沢の音がかすかに聞こえる。
「やはり魔道団が来た痕跡がある。我々も楊偉天と敵対していたゆえ文句はないが、ここで何をしたか聞いておくべきだったな」
思玲が言うけど、あの友好関係では教えてくれるはずない。日本に向かった若手チーム一員のドロシーも知らないだろう。
ここに彼女がいたらはるかに安心できたのに。また無敵を感じられたのに。夏奈を守るために……。
「なんか気分悪いかも」背後で夏奈が言う。
見えない俺が立ちどまると彼女はふわりとよろめく。触れ合えないままだ。ドロシーとは手もつなげるのに。
「早々に転ぶな。かすんだ人除けの術など我慢しろ」などと思玲が言う。
「消してあげる」
最後尾から鈴の音が聞こえた。
「すげえ、治ったぽい」
「鈴の音だけでか。大蔵司は我々の敵になるなよ」
「十億円を免除されたら分からないよ」
「ははは」
「桜井は馬鹿笑いするな。この先が懐かしの棲み処だ」
崖で分けられた沢の向こうにも森が広がるだけ。その手前に、ふるびたという形容詞より老朽化がふさわしい全長十数メートルのつり橋がかかっていた。
乱雑に板を縄でつなぎ合わせて、手すりも両脇に縄が一本ずつだけ。その十数メートル下では沢が音をたてて流れている。そこからの風を受けて橋は揺れている。きしんだ音を立てている。
ここまで来た一般人がいたとしても、ここで引き返すだろう。
「落とされてなくてよかった。ここが最初の難所だ」
思玲が振り返る。
「おいハラペコ。一人ずつ歩くか、まとめて進むか。どちらが上策だ?」
次回「綱渡り」