四十二の二 新月空中戦

文字数 2,830文字

 雲を越えて急上昇する。誰も下を見ない。

「ひとつの方向に向かっているみたい。この高さならば、陸の連中には見つけられないんだ」

 風軍が教えてくれる。
 下にジェット機が飛んでいる。これより上は宇宙だ。この高度から垂直に地上へと狩りをするのか? 末恐ろしい異形だが、俺達が乗っていることを考慮してくれ。

「ドロシーや龍の気配は?」俺が質問する。

「ドロシーちゃんは分からないけど、龍はずっと上だね」
 風軍が首を星空に向ける。
「ここまで飛んだから気づけたんだ。あの怪獣と追いかけっこしているのかも」

 無死に違いない。

「これ以上昇るなよ。すでに寒いし息苦しいし、極めて」

 カラスに戻ったドーンが巨大な羽毛にもぐってぼやく。俺だって白猫をカイロ代わりに抱えている。
 星五個とレジェンドの戦いだろうが、本来ならば凍死しようが窒息死しようが夏奈のもとへ行きたい。とても無理だから地上に呼び戻したい。

「もう少し降りてくれ」

 手負いの獣も音を上げる。大ワシが下へと滑空する。

 ***

 旅客機とふわりとすれ違う。なんでわざわざそういうことをする。川田達は人の目に見えるだろ。

「これだとまけないな。あのおじさんの名前、なんだっけ?」
 風軍が首を後ろにまわし俺を見る。
「黒くてでかくて消えて、ギギギと笑う奴。下に降りたからやってきちゃったよ」

 サキトガだ。……恐れる必要はない。俺達には珊瑚がある。心は読まれない。

『ギギギ、新月の夜だと読めたりして』

 マジかよ。でも、むしろ待っていた。こいつはまだドロシーの魂をひそめているかも。

『まだ持っていたっけな? すでに我が主に捧げちゃったりして』
 声はすぐ上からだ。
『ここから時速1200キロで地面に激突するのは三十七秒後だ』

 見えない爪が風軍の背中を払い、全員が空に投げだされる――。飛べないのは、川田と横根。

「風軍は川田を救え。ドーンは戦え」
 白猫を抱えながら命じる。

 大ワシが急降下する。ふたたび迦楼羅と化したドーンもあとを追う。……川田は大丈夫だ。

『なぜならサキトガは俺を狙うから。ご名答』

 俺は巨大な爪を避けるが、宙に浮かぶクラゲのようにゆったり高度を下げる。

「横根、シャツの中に入って」
 絶対に手放すわけにはいかない。

「や、やだよ。恥ずか……」

 静岡の真っ暗な海が見える高さにいることに気づき、自分からもぐってくる――。
 俺は意識を外にだけ向けて、潜水の要領で地上を目指す。
 サキトガの気配が近づく。

『横根瑞希。松本哲人はこの状況下で、中学生になったお前の体に興味を示している』

 なんて奴だ。

『教えることがあったな。パンパカパーン、哲人君の前回のお相手は――』

 こんなはるかな上空で、なんて奴だ。

「サキトガ来い! 俺の魂を奪うのだろ! 俺の腹には純度100があるからな!」

 誘う声をさまたげる。緋色のサテンを頭巾のようにかけて頭と首を守る。手で足を守りながら高度を下げる。これならば俺を切り裂けば、リュックも裂けて共倒れだ。

『殺す必要ないし』

 巨大な爪につかまれて、横根が服の中で「ふぎゃ」と悲鳴をあげる。巨大な闇の妖魔が改まる。

『やり直すぜ。松本哲人。契約を反故にしたうえに関わったロタマモを消滅させ、龍を脅したな。報いとして――、ギギャッ』

 上空から気配もなく、隻眼の狼が降ってきた。サキトガの耳に飛びつき食いちぎる。俺はなおさら締めつけられる。

「……まずいな」川田の声。

『こ、この俺を食ったな。ゆるせね、ギギャー!』

 疾風のように、迦楼羅の赤い護符がサキトガの目を突き刺した。……爪で押された背骨がきしむ。俺のなかで、(全裸の)横根が俺にもたれこむ。

「俺もカラスだから目を狙うんだよ、カカカッ」
 ドーンはヒット&ウエイで飛んでいく。

「すべる体だな」
 サキトガの耳をさんざんに噛み砕いた川田がぼやく。
「風軍、受けとめろ」
 空へと飛び降りる。

「いきなりだよ」

 風軍の声が下から聞こえた。戦わずとも待機してくれるようだけど、俺と横根は攻撃のとばっちりを受けまくっている。やめろとも無理するなとも叫べない。苦悶するサキトガの爪に圧迫されて苦しい。

『俺のが痛いんだよ!』

 サキトガがさらに力を加える。人である横根が薄らぐ。
 ドクンと鼓動が割りこんだ。

「痛い自慢するな!」

 俺はサキトガの爪をこじ開けて、体を開放する。
 川田を乗せた大ワシが上空を舞っている。ドーンはつむじ風のようだ。俺は目から黒い血を流す巨大な妖魔の顔へと浮かぶ。でかいが倒してやる。

『妖魔こそが新月の具現。ロタマモは今宵見つめるだけで敵を殺せたのにな』
 サキトガである闇が笑う。
『俺だって、今夜はこんなこともできるんだぜ』

 口を開けるなり、黒い炎を盛大に吐きだす。緋色のサテンで受けとめる。心のなかで(素っ裸の)横根を抱きとめながら、本体は炎の中心へと突進する。

「カウントダウンはどうした?」

 サシならばともかく、四対一ならば念波があろうがきついだろう。などと思ったら、黒い炎が上空にまき散らされる。

「あつい!」
「あちち!」
「あつー!」

 風軍、川田、ドーンが直撃を喰らう。でも機会だ。

「どりゃ!」

 俺はサキトガの顎に頭突きして、さらに殴りまくる。

『痛いな』
 一撃ではらい落される。
『用事だけ済ます。――違約の報いだ。貴様の魂もいただく』

 空中で体が薄らいでいく――。裸の横根は目を開けていた。

『ま、松本君。珊瑚だよ』

 人の姿である彼女はやはり中学生ぐらいのままで、海神の玉だけをまとっていた。人の姿である俺は、胸もとで赤く輝く珊瑚を握る。なのに実体が消えていく。
 あの時も、横根は珊瑚ごと魂を持っていかれた……。

『私は好きな人のために祈ります』
 幼い横根がつぶやき始める。
『邪悪な力をさまたげて、その魂を守るために』

 俺の実体が戻ってくる。また爪に掴まれる。

『やっぱりお前達は殺すべきだな』
 サキトガが口を開く。
『ロタマモよお、俺も白銀弾で消滅しろってことかな』

 巨大な魔物の口から、いにしえの人々の怨嗟が漏れる。俺も横根もそれに加わる――。
 空気の渦が夜闇を裂いた。

『なんてこっちゃ』

 サキトガの巨大な体が回転しながらはじき飛ばされる。俺達も一緒に地上へと飛ばされる。……弦楽器の音?

「ギギャアアアアア」

 旋律が刃となり、サキトガの首が切断される。俺達を握る手が消滅していく。

「見事な囮だった。僕の手筈のおかげだけどね」
 闇空から露泥無の声がした。
「でも松本と横根は地面に激突して微塵と化す。大姐、どうかこいつらをもう一度お助けください」

「当然だ。梟を倒した礼をするさ。奴がいたら、今夜は私らが狩られる立場だった」
 沈大姐の声もした。
「殲、包んでやれ。露泥無は拾ってやったわけじゃない。そっちに行け」

 ヨタカが「ぐえっ」と俺に飛びこんできて、ついで俺達は結界に包まれる。

「私は蝙蝠の残骸を追う」

 姿を見せぬまま、大姐は遠ざかる。おそらく結界をまとった翼竜も。




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