十五の四 越すべき峰のひとつ
文字数 3,085文字
シノの言葉の余韻が漂うなか……
「お前はドロシーに天珠を渡せ」
ケビンが俺に言う。
こいつは空気を読めないのか。俺はポケットに隠そうとして、ドロシーにならばと思いなおす。ケビンは言葉を続ける。
「そして俺と一緒に来い。上海もだ。お前は信用しない」
「なんで松本を連れていくの? ならば私も行く」
ドロシーがケビンをにらむ。
続く言葉を察したのか、フサフサがまた逃げだそうとする。
「こいつに、こいつらを御させる」
ケビンがフサフサと川田を一瞥する。「俺は異形を四体連れて狩りにでる」
この男が言うこいつとは俺。こいつらとはフサフサと川田と露泥無。ケビンは、この五人で香港の後始末に行くというのか。
「狩りだとよ」川田が俺の顔を見あげる。「しかもあれは雌狼だよな」
こいつもでっかい狼だったよな。すでにうずきだしていやがる。でも駄目だ。
「俺達にはすべきことがある」
俺はケビンの顔の前まで浮かぶ。
「奇遇だな。俺にもやるべきことがある」
ケビンがそれだけ言う。
「カカッ、また結界かよ」ドーンが俺の頭に乗る。「でも竹林は見抜くぜ」
こいつも戦いに心が向かっている。あわよくば狩りに加わろうとしている。でも駄目に決まっている。
「無益な戦いになるかもしれない」俺はケビンに言う。「誰かが傷つくかも知れない」
俺達には、もっと大事な戦いが待っている。
「見逃してもらった礼だ。ケビンと行ってやれ」
女の子が口を開く。
「箱を持っていけ。和戸も行け。……ケビンと一緒がもっとも安全だ」
安全であるはずない。異形のハイエナの群れを追うのだぞ。
「だったら俺だけが行く!」
「ケビンが使えるは姿隠しだけだよな」
俺の決意など耳に入れずに、思玲は腕を組む。「見つかれば、黒い光ならば一発で吹き飛ばす……。闇を降らされたら、跳ねかえしも意味ないがな」
闇に消えた大ケヤキ――。あいつは結界を見抜いた。……どこにいても安全などない。あいつがいる限り。
「……分かったよ」
青い光を持つ俺がいなければ、彼女達は巻き添えにならない。フサフサはすでに四玉に巻きこまれているから、あきらめてもらう。
「でも説得から始める」
戦いで仲間が傷つくリスクは受け入れられない。話し合いで終わらなければ退散しよう。
「へへ、やっぱり松本はファンタジックだ」
ドロシーの安堵が伝わる。
「箱は重いから、君にリュックを貸しておく。君が戦わないのなら、私も銃を持たない。タクトスティックだけで充分。……着替えとか突っこんであるから、箱以外は探らないでね」
大音量でミュージックを垂れながす車が、あっという間に去っていく。ケビンの手に槍が現れる。いきなり振るう。運搬車が破壊され、軽油の匂いが充満する。
「道沿いの壊れた農機にいるとは思うまい」
ケビンが口角をゆがませる。
「ケビンは結界を裏がえしにもできる。内側の姿隠しに人がひそみ、重ねた結界の上を草葉で擬態する。上の者との模擬戦で通用した」
シノが言う。
……こいつらは得意げになにをやっているんだ。
「いいかげんにしろ!」
こんなことをゆるせるか。
「その車は人のものだ。拝借だけなら大目に見た。出荷のシーズンに、その人はどうすればいいんだ! 直せ! すぐに直せ!」
予想以上の沈黙がながれて、俺は逆に動揺しかける。
「だ、大丈夫。この国の奴らに連絡するから大丈夫」
ドロシーが口を開ける。「犯人を仕立ててもらって、賠償金も倍額支払う。だから松本は怒らないで……まだ」
「連中の本業みたいなものだからな。会ったことはないが、執務室長の狸親父が取り仕切る」
思玲が不快そうな目になる。
「そりゃ我々も使ったことはあるが、異様に高くないか?」
「仕方ない」シノが言う。「思玲は私達の財布が重いと言ったよね。本当に金があふれているのは、術も使えぬ日本の世襲魔道士だ」
***
カラスは連れていかないと言い張るケビンに根負けして、ドーンが荷台へ飛ぶ。
……陽炎につつまれた屋上で、カラスであった峻計と相打ちした瀕死の迦楼羅。ドーンもあいつと禍根がある。ここに残るべきかもしれない。
「ハイエナも説得から始めてね。雅が戻れば、あの子達も戻ってくるかも」
ドロシーが俺から天珠を受けとりながら言う。……整った顔立ちに浮かぶ無垢な笑み。夏奈の一撃必殺な笑顔に匹敵するかも。
女子を比較している場合ではない。
俺がうなずくと、彼女はシノとともにタイヤがはずれた荷台に乗りこむ。
「あなたは誰よりも必死だった。だから信じられる。……私はあなたに預けたい」
シノが俺の手のひらへとふたつの笛を授ける。ケビンが受けとろうとしなかっただけでなく。
金属製が鷹笛。木製が犬笛。
「使い魔について知っていることを、思玲とドーンに教えてほしい」
俺は彼女に頼む。シノはキリスト教徒だと聞いている。魔道士でキリシタンならば、西洋の悪魔に関しても詳しいかも。
「ゼ・カン・ユだったよね。あっちの知り合いに聞いてみる。向こうはいま昼だから」
シノが疲れはてた笑みを向ける。
彼女は立ちなおろうとしている。やっぱり彼女も強い。思玲も荷台に飛び乗る。
「天珠がふたつある意味も教えておく」
黒猫が観念したように言う。
「これは傍受不可能の無線機だ。異形でなくても思玲の感なら使えると思う」
それを聞き、ケビンが思玲を見つめる。
「俺のひとつ下だったのにな。その姿では挨拶しづらい。……お前を香港に連行するのは後回しだ。俺を信じて異形どもに指図した礼にな」
そう言って槍先に術を唱える。
「ちょっと待って」
俺には思玲にも聞いておくべきことがある。
「張って誰ですか?」
慌てると無意識に敬語を使ってしまった。おとなであった思玲を思いだす。
「むき出しにするなよ。腹にしまっておけ」
子どもである思玲が荷台から顔を覗かせる。
「これはお前が持っていけ」
だから人の話を聞け。琥珀のスマホを受けとりながら、もう一度聞きなおす。
「手すりが油だらけではないか……。張麗豪、洒落て呼ぶならレイモンド。私の兄弟子。いまは亡き祭凱志に続く、楊の二番弟子」
女の子が手を服にこすりながら言う。
「奴は大陸から戻るなり峻計と合流したな。――やさ男に見えて妖術使い。さらには舞う」
「舞うとは?」ケビンが尋ねる。
「師傅は高く跳躍した。楊偉天は宙に浮かぶ。麗豪は空を自在に舞い飛ぶ」
もはや人間でないだろ。もうひとつだけ聞かないと。
「あの護符の力は?」
火伏せでも土着でもないのに、竹林の声は怯えていた。使い魔なんかでなく、俺の手にした木札に。
「あれは……、おそらく破邪」
邪を破る。破邪の剣に比肩するとでも? でも思玲が消える。トラクターは結界につつまれた。
ケビンが槍を返し、見えないなにかを重たげに持ちあげる。泥と虫だらけのブルーシートを、俺とフサフサに荷台へかけさせる。思玲に言われたとおりにリュックサックを服の中に隠す。
「行くぞ」
ケビンが黒猫をつまんでガブロに乗る。馬も人も消える。川田が喜々と駆けだす。
「犬の群れを襲うらしいよ」
フサフサは動きだそうとしない。
「これも白猫の娘を助けるためにかい?」
そんなはずはない。でも導きがあるのならば、そうかも知れない。急峻な峰にたどりつくには、前衛の山も越えなければならない。その先に彼女達がいると信じて。
「襲わない。連れ戻しにいくんだよ」
俺はふわふわと路上にでる。すぐにフサフサに抱えられる。
豊満な白人女性が見えない馬を追っていく。深夜の山間の道を音もなく。妖怪だろうがでくわしたくない光景だ。
次回「魔道士と愉快じゃない異形達」
「お前はドロシーに天珠を渡せ」
ケビンが俺に言う。
こいつは空気を読めないのか。俺はポケットに隠そうとして、ドロシーにならばと思いなおす。ケビンは言葉を続ける。
「そして俺と一緒に来い。上海もだ。お前は信用しない」
「なんで松本を連れていくの? ならば私も行く」
ドロシーがケビンをにらむ。
続く言葉を察したのか、フサフサがまた逃げだそうとする。
「こいつに、こいつらを御させる」
ケビンがフサフサと川田を一瞥する。「俺は異形を四体連れて狩りにでる」
この男が言うこいつとは俺。こいつらとはフサフサと川田と露泥無。ケビンは、この五人で香港の後始末に行くというのか。
「狩りだとよ」川田が俺の顔を見あげる。「しかもあれは雌狼だよな」
こいつもでっかい狼だったよな。すでにうずきだしていやがる。でも駄目だ。
「俺達にはすべきことがある」
俺はケビンの顔の前まで浮かぶ。
「奇遇だな。俺にもやるべきことがある」
ケビンがそれだけ言う。
「カカッ、また結界かよ」ドーンが俺の頭に乗る。「でも竹林は見抜くぜ」
こいつも戦いに心が向かっている。あわよくば狩りに加わろうとしている。でも駄目に決まっている。
「無益な戦いになるかもしれない」俺はケビンに言う。「誰かが傷つくかも知れない」
俺達には、もっと大事な戦いが待っている。
「見逃してもらった礼だ。ケビンと行ってやれ」
女の子が口を開く。
「箱を持っていけ。和戸も行け。……ケビンと一緒がもっとも安全だ」
安全であるはずない。異形のハイエナの群れを追うのだぞ。
「だったら俺だけが行く!」
「ケビンが使えるは姿隠しだけだよな」
俺の決意など耳に入れずに、思玲は腕を組む。「見つかれば、黒い光ならば一発で吹き飛ばす……。闇を降らされたら、跳ねかえしも意味ないがな」
闇に消えた大ケヤキ――。あいつは結界を見抜いた。……どこにいても安全などない。あいつがいる限り。
「……分かったよ」
青い光を持つ俺がいなければ、彼女達は巻き添えにならない。フサフサはすでに四玉に巻きこまれているから、あきらめてもらう。
「でも説得から始める」
戦いで仲間が傷つくリスクは受け入れられない。話し合いで終わらなければ退散しよう。
「へへ、やっぱり松本はファンタジックだ」
ドロシーの安堵が伝わる。
「箱は重いから、君にリュックを貸しておく。君が戦わないのなら、私も銃を持たない。タクトスティックだけで充分。……着替えとか突っこんであるから、箱以外は探らないでね」
大音量でミュージックを垂れながす車が、あっという間に去っていく。ケビンの手に槍が現れる。いきなり振るう。運搬車が破壊され、軽油の匂いが充満する。
「道沿いの壊れた農機にいるとは思うまい」
ケビンが口角をゆがませる。
「ケビンは結界を裏がえしにもできる。内側の姿隠しに人がひそみ、重ねた結界の上を草葉で擬態する。上の者との模擬戦で通用した」
シノが言う。
……こいつらは得意げになにをやっているんだ。
「いいかげんにしろ!」
こんなことをゆるせるか。
「その車は人のものだ。拝借だけなら大目に見た。出荷のシーズンに、その人はどうすればいいんだ! 直せ! すぐに直せ!」
予想以上の沈黙がながれて、俺は逆に動揺しかける。
「だ、大丈夫。この国の奴らに連絡するから大丈夫」
ドロシーが口を開ける。「犯人を仕立ててもらって、賠償金も倍額支払う。だから松本は怒らないで……まだ」
「連中の本業みたいなものだからな。会ったことはないが、執務室長の狸親父が取り仕切る」
思玲が不快そうな目になる。
「そりゃ我々も使ったことはあるが、異様に高くないか?」
「仕方ない」シノが言う。「思玲は私達の財布が重いと言ったよね。本当に金があふれているのは、術も使えぬ日本の世襲魔道士だ」
***
カラスは連れていかないと言い張るケビンに根負けして、ドーンが荷台へ飛ぶ。
……陽炎につつまれた屋上で、カラスであった峻計と相打ちした瀕死の迦楼羅。ドーンもあいつと禍根がある。ここに残るべきかもしれない。
「ハイエナも説得から始めてね。雅が戻れば、あの子達も戻ってくるかも」
ドロシーが俺から天珠を受けとりながら言う。……整った顔立ちに浮かぶ無垢な笑み。夏奈の一撃必殺な笑顔に匹敵するかも。
女子を比較している場合ではない。
俺がうなずくと、彼女はシノとともにタイヤがはずれた荷台に乗りこむ。
「あなたは誰よりも必死だった。だから信じられる。……私はあなたに預けたい」
シノが俺の手のひらへとふたつの笛を授ける。ケビンが受けとろうとしなかっただけでなく。
金属製が鷹笛。木製が犬笛。
「使い魔について知っていることを、思玲とドーンに教えてほしい」
俺は彼女に頼む。シノはキリスト教徒だと聞いている。魔道士でキリシタンならば、西洋の悪魔に関しても詳しいかも。
「ゼ・カン・ユだったよね。あっちの知り合いに聞いてみる。向こうはいま昼だから」
シノが疲れはてた笑みを向ける。
彼女は立ちなおろうとしている。やっぱり彼女も強い。思玲も荷台に飛び乗る。
「天珠がふたつある意味も教えておく」
黒猫が観念したように言う。
「これは傍受不可能の無線機だ。異形でなくても思玲の感なら使えると思う」
それを聞き、ケビンが思玲を見つめる。
「俺のひとつ下だったのにな。その姿では挨拶しづらい。……お前を香港に連行するのは後回しだ。俺を信じて異形どもに指図した礼にな」
そう言って槍先に術を唱える。
「ちょっと待って」
俺には思玲にも聞いておくべきことがある。
「張って誰ですか?」
慌てると無意識に敬語を使ってしまった。おとなであった思玲を思いだす。
「むき出しにするなよ。腹にしまっておけ」
子どもである思玲が荷台から顔を覗かせる。
「これはお前が持っていけ」
だから人の話を聞け。琥珀のスマホを受けとりながら、もう一度聞きなおす。
「手すりが油だらけではないか……。張麗豪、洒落て呼ぶならレイモンド。私の兄弟子。いまは亡き祭凱志に続く、楊の二番弟子」
女の子が手を服にこすりながら言う。
「奴は大陸から戻るなり峻計と合流したな。――やさ男に見えて妖術使い。さらには舞う」
「舞うとは?」ケビンが尋ねる。
「師傅は高く跳躍した。楊偉天は宙に浮かぶ。麗豪は空を自在に舞い飛ぶ」
もはや人間でないだろ。もうひとつだけ聞かないと。
「あの護符の力は?」
火伏せでも土着でもないのに、竹林の声は怯えていた。使い魔なんかでなく、俺の手にした木札に。
「あれは……、おそらく破邪」
邪を破る。破邪の剣に比肩するとでも? でも思玲が消える。トラクターは結界につつまれた。
ケビンが槍を返し、見えないなにかを重たげに持ちあげる。泥と虫だらけのブルーシートを、俺とフサフサに荷台へかけさせる。思玲に言われたとおりにリュックサックを服の中に隠す。
「行くぞ」
ケビンが黒猫をつまんでガブロに乗る。馬も人も消える。川田が喜々と駆けだす。
「犬の群れを襲うらしいよ」
フサフサは動きだそうとしない。
「これも白猫の娘を助けるためにかい?」
そんなはずはない。でも導きがあるのならば、そうかも知れない。急峻な峰にたどりつくには、前衛の山も越えなければならない。その先に彼女達がいると信じて。
「襲わない。連れ戻しにいくんだよ」
俺はふわふわと路上にでる。すぐにフサフサに抱えられる。
豊満な白人女性が見えない馬を追っていく。深夜の山間の道を音もなく。妖怪だろうがでくわしたくない光景だ。
次回「魔道士と愉快じゃない異形達」