二十八の一 白昼のタコ殴り
文字数 2,571文字
「見てみな、怖いだろ? ゼ・カン・ユのもとへ逃げろ」
琥珀が天珠をだす。
「もはやゼ・カン・ユ様と呼んではいけない」
赤毛の長身の男が言う。
「匠様とお呼びしなければならない」
復唱しているかのようだ。
「匠様はまだお帰りではない。今夜だ」
ブロンズの長身の女が言う。
「そして匠様が二十歳となる八月二十一日を迎える」
ゆるせない。藤川匠は夏奈と生年月日が同じだ。
琥珀がポケットにしまう。
「怯えないや。さすがは犬のごとき忠誠心の獣人だ。式神ランクは星ひとつ」
俺の横に降りてくる。
「十二磈程度の強さだ。脳みそはさらに劣る。でも奴らとちがい満月系だから、僕には御せられない」
十二磈程度ならば、いまの俺よりはるかに強いだろう。
お婆さんが運転する軽トラックが、俺達をわき見しながらゆっくり去っていく。逃げ場はない。どうすればいい……。
――太陽が異形から見守ってくれる
誰かが言っていたよな。
俺は道を横切り空地へと走る。フェンスと倉庫と畑に囲まれた、乾いた土の空間だ。いつかの校庭のように太陽しか存在していない。振りかえりかまえる。獣人達は歩いてついてくる。
俺はリュックサックをおろす。指揮棒はドロシーが持っているが、MP5がある。
「銃を使えるか?」琥珀に聞く。
「ドロシーのか? あの女の吐息にしか反応しない」
専用モデルかよ。小鬼にも武器があった。スマホだ。
「波動は?」
「レベル1以外はロックされている。あいつらには、ほどよいマッサージだ」
「しびれる電波は?」
「この機種には内蔵されてない」即答される。「でも、その護符は人でも扱える」
俺はお天宮さんの木札をかざす。雷型の護符は太陽にへたれたように輝き消える。琥珀が唖然と見る。
『ホホホ、哲人君が次に向かう場所は心を隠していようが分かるのだよ』
ロタマモが頭上で笑う。
『電車でのんびり来るとは思わなかったがな。――東洋の法具。横根瑞希の手紙に記されていたかな』
法具? まどわしだ。いや……、
深く考えるな、まどわされるな。あいつのいにしえの呪いの言葉にだけ注意しろ。いつでも心で歌えるように。
「ロタマモ様、こいつを殺してよろしいのでしょうか?」女の獣人が言う。
『あと八時間は特記事項が有効だ。なのでコ・ムウ、自分で考えておくれ』
「つまり、こいつを食い殺してもよいかと」男の獣人が言う。
『ホホホ、クマダ。私はなにも言えないが、契約に関与していないお前達が独断で斯様なことをしたら、我らが主はお喜びになられるかもな』
獣人達に牙が生えたじゃないか! ヤバすぎる。打開策を考えないと。
「ロタマモ! お前は俺に関わっている! これは契約違反だ!」
空に叫ぶ。
「だから横根の魂を返して、お前達はどこかに帰れ!」
上空にはトンボも飛んでない。夏の真っ昼間にスズメも鳴いていない。
『ホホホ、都合のよいことを言わないでほしい。私はたまたまの通りすがりだ』
こいつこそ都合いい。
『サキトガは上海の貉を見張っている。哲人君を囮に、当代最強の祓いの者を呼ばれてはたまらないからな』
こいつはお見通しだ。それを聞いて、小鬼が天珠をだそうとする。
「露泥無に沈大姐を呼ばせるな」
あわてて告げる。川田がお持ち帰りになってしまう。
琥珀は舌を打ち、
「いにしえの呪いの言葉を知っているか?」
いやというほど知っている。
「まだ昼間だから、聞かされても死ぬまで五分ぐらい悶絶できる。安心しろ」
とても安心できない。……あれがあった。
「解除できなかったときのペナルティ、新機種にもある?」
「売りのひとつだ。強化された」
ならば、それは武器だ。
「思玲様のお顔を登録するまではパスワードだ。一文字でも間違えれば、いまの哲人なら地獄行きだ」
「文字を打ちこまないでいると?」
「十秒後にスリープに戻る」
獣人に文字を打ちこんでくださいとは言えない……。武器はもうひとつある。
「降参だ」
ドロシーのリュックを差しだす。「箱はこの中に――」
『ホホホ、コ・ムウとクマダ。そこに入れた手は満月まで戻らぬぞ』
こいつが邪魔だ。
タンクトップに短パンの白人の男女は、俺をにらんだまま動こうとしない。逃げだすのを、背中を向けるのを待っている。
俺はリュックを背負いなおす。
「琥珀、逃げるぞ!」
背中を向けて、すぐに振りかえる。二人とも面前にいた。護符をがむしゃらに振りかざす――。太陽と青空が見えて、背中から地面に落ちる。リュックに押されて、肺の空気が音をたてて抜けた。
獣人が牙を向けて飛びかかってきて、男は赤い炎を、女は吹雪を受けてよろめく。3D化された百裂拳を浴びてどちらも吹っ飛ぶ。
「哲人の意図が分かった。こいつらに画面を向けて適当に押した」
浮かぶ琥珀がスマホの電源をとめる。
「三回間違えるとロックされるけどな」
呼吸が復活して立ちあがる。……俺はまだ無傷だ。奴らの爪を木札がはじき返した。俺を守るべきものが持つ護符。
「受けとれ!」
投げた護符を、琥珀は空中で跳ねるようにキャッチする。照れ笑いをかすかに浮かべて、護符をかざす――。なにも起きない。
「僕に使えるはずないだろ」
投げかえされる。
『コ・ムウとクマダよ。あれしきをおそれるとは情けない』
遠巻きにうかがっていた白人達がじりじり寄ってくる。俺はじりじり逃げる。白人同士がじりじり距離を開ける。意図なら分かる。挟撃する気だ。
「どりゃあああ!」
こっちから突っこんでやる。クマダとかいう獣人の爪を受けとめて、タックルする。跳ねかえされて転がる。
生きものの硬さではない。いてぇ! ポニーテールのコ・ムウがそばかすの顔で、俺の足首をくわえて顔を覗いていた。
「喰らえ!」
琥珀がコ・ムウへとスマホをかざす。白人女性は炎と吹雪を顔面に受けて牙を離す。俺もあぶられたが文句など言えない。クマダに押し倒される。両肩に爪を食いこまれて絶叫する。
「歌え!」
琥珀に怒鳴られる。スマホから不吉な諷経が始まる。
『おおーまきばはみーどーりー』心で絶唱する。『よく晴れったもーのーだ。へい!』
白人男性が尻尾を巻くように逃げていく。
『ホホホ。琥珀よ、おもしろい玩具だな』
ロタマモの声。
『ならば私も聞かせないわけにはいくまい。哲人君が巻きこまれてしまうかも知れぬが、それは事故だ』
次回「歌うな吠えるな誘うな飛ぶな」
琥珀が天珠をだす。
「もはやゼ・カン・ユ様と呼んではいけない」
赤毛の長身の男が言う。
「匠様とお呼びしなければならない」
復唱しているかのようだ。
「匠様はまだお帰りではない。今夜だ」
ブロンズの長身の女が言う。
「そして匠様が二十歳となる八月二十一日を迎える」
ゆるせない。藤川匠は夏奈と生年月日が同じだ。
琥珀がポケットにしまう。
「怯えないや。さすがは犬のごとき忠誠心の獣人だ。式神ランクは星ひとつ」
俺の横に降りてくる。
「十二磈程度の強さだ。脳みそはさらに劣る。でも奴らとちがい満月系だから、僕には御せられない」
十二磈程度ならば、いまの俺よりはるかに強いだろう。
お婆さんが運転する軽トラックが、俺達をわき見しながらゆっくり去っていく。逃げ場はない。どうすればいい……。
――太陽が異形から見守ってくれる
誰かが言っていたよな。
俺は道を横切り空地へと走る。フェンスと倉庫と畑に囲まれた、乾いた土の空間だ。いつかの校庭のように太陽しか存在していない。振りかえりかまえる。獣人達は歩いてついてくる。
俺はリュックサックをおろす。指揮棒はドロシーが持っているが、MP5がある。
「銃を使えるか?」琥珀に聞く。
「ドロシーのか? あの女の吐息にしか反応しない」
専用モデルかよ。小鬼にも武器があった。スマホだ。
「波動は?」
「レベル1以外はロックされている。あいつらには、ほどよいマッサージだ」
「しびれる電波は?」
「この機種には内蔵されてない」即答される。「でも、その護符は人でも扱える」
俺はお天宮さんの木札をかざす。雷型の護符は太陽にへたれたように輝き消える。琥珀が唖然と見る。
『ホホホ、哲人君が次に向かう場所は心を隠していようが分かるのだよ』
ロタマモが頭上で笑う。
『電車でのんびり来るとは思わなかったがな。――東洋の法具。横根瑞希の手紙に記されていたかな』
法具? まどわしだ。いや……、
深く考えるな、まどわされるな。あいつのいにしえの呪いの言葉にだけ注意しろ。いつでも心で歌えるように。
「ロタマモ様、こいつを殺してよろしいのでしょうか?」女の獣人が言う。
『あと八時間は特記事項が有効だ。なのでコ・ムウ、自分で考えておくれ』
「つまり、こいつを食い殺してもよいかと」男の獣人が言う。
『ホホホ、クマダ。私はなにも言えないが、契約に関与していないお前達が独断で斯様なことをしたら、我らが主はお喜びになられるかもな』
獣人達に牙が生えたじゃないか! ヤバすぎる。打開策を考えないと。
「ロタマモ! お前は俺に関わっている! これは契約違反だ!」
空に叫ぶ。
「だから横根の魂を返して、お前達はどこかに帰れ!」
上空にはトンボも飛んでない。夏の真っ昼間にスズメも鳴いていない。
『ホホホ、都合のよいことを言わないでほしい。私はたまたまの通りすがりだ』
こいつこそ都合いい。
『サキトガは上海の貉を見張っている。哲人君を囮に、当代最強の祓いの者を呼ばれてはたまらないからな』
こいつはお見通しだ。それを聞いて、小鬼が天珠をだそうとする。
「露泥無に沈大姐を呼ばせるな」
あわてて告げる。川田がお持ち帰りになってしまう。
琥珀は舌を打ち、
「いにしえの呪いの言葉を知っているか?」
いやというほど知っている。
「まだ昼間だから、聞かされても死ぬまで五分ぐらい悶絶できる。安心しろ」
とても安心できない。……あれがあった。
「解除できなかったときのペナルティ、新機種にもある?」
「売りのひとつだ。強化された」
ならば、それは武器だ。
「思玲様のお顔を登録するまではパスワードだ。一文字でも間違えれば、いまの哲人なら地獄行きだ」
「文字を打ちこまないでいると?」
「十秒後にスリープに戻る」
獣人に文字を打ちこんでくださいとは言えない……。武器はもうひとつある。
「降参だ」
ドロシーのリュックを差しだす。「箱はこの中に――」
『ホホホ、コ・ムウとクマダ。そこに入れた手は満月まで戻らぬぞ』
こいつが邪魔だ。
タンクトップに短パンの白人の男女は、俺をにらんだまま動こうとしない。逃げだすのを、背中を向けるのを待っている。
俺はリュックを背負いなおす。
「琥珀、逃げるぞ!」
背中を向けて、すぐに振りかえる。二人とも面前にいた。護符をがむしゃらに振りかざす――。太陽と青空が見えて、背中から地面に落ちる。リュックに押されて、肺の空気が音をたてて抜けた。
獣人が牙を向けて飛びかかってきて、男は赤い炎を、女は吹雪を受けてよろめく。3D化された百裂拳を浴びてどちらも吹っ飛ぶ。
「哲人の意図が分かった。こいつらに画面を向けて適当に押した」
浮かぶ琥珀がスマホの電源をとめる。
「三回間違えるとロックされるけどな」
呼吸が復活して立ちあがる。……俺はまだ無傷だ。奴らの爪を木札がはじき返した。俺を守るべきものが持つ護符。
「受けとれ!」
投げた護符を、琥珀は空中で跳ねるようにキャッチする。照れ笑いをかすかに浮かべて、護符をかざす――。なにも起きない。
「僕に使えるはずないだろ」
投げかえされる。
『コ・ムウとクマダよ。あれしきをおそれるとは情けない』
遠巻きにうかがっていた白人達がじりじり寄ってくる。俺はじりじり逃げる。白人同士がじりじり距離を開ける。意図なら分かる。挟撃する気だ。
「どりゃあああ!」
こっちから突っこんでやる。クマダとかいう獣人の爪を受けとめて、タックルする。跳ねかえされて転がる。
生きものの硬さではない。いてぇ! ポニーテールのコ・ムウがそばかすの顔で、俺の足首をくわえて顔を覗いていた。
「喰らえ!」
琥珀がコ・ムウへとスマホをかざす。白人女性は炎と吹雪を顔面に受けて牙を離す。俺もあぶられたが文句など言えない。クマダに押し倒される。両肩に爪を食いこまれて絶叫する。
「歌え!」
琥珀に怒鳴られる。スマホから不吉な諷経が始まる。
『おおーまきばはみーどーりー』心で絶唱する。『よく晴れったもーのーだ。へい!』
白人男性が尻尾を巻くように逃げていく。
『ホホホ。琥珀よ、おもしろい玩具だな』
ロタマモの声。
『ならば私も聞かせないわけにはいくまい。哲人君が巻きこまれてしまうかも知れぬが、それは事故だ』
次回「歌うな吠えるな誘うな飛ぶな」