四十の四 龍を狩るもの達

文字数 5,220文字

 貧弱で覇気なき林。人の気配はどこにもない。
 他の生きものへの恨みを抱けぬまま、やせ衰えて木霊も消えた灌木達。そいつらはどこに集うのだろう……。ここで異形が三体戦うだけ。

「肝を刺されてなお元気とはな。松本は新月のときよりしぶとい。性根がけだもの系だ。しかも拳から毒がでていたぜ。その気色悪い服装は毒蛇の証だ。ゲヒゲヒゲヒヒヒ」
 巨大な龍になっても貪は笑う。
「おやおや。翼竜さんが消えちまった。はったりだけか」

 たしかに殲はいない。結界のなかに結界を張ったのか。死なれたら帰り道が困るからそうして欲しいけど、背中の甲羅も胸もぐしゃぐしゃの俺だけに戦わせるはずない。

「見つけた」

 醜悪な龍が空へと焔を吐く。俺にも見えた。殲を囲むのはかすかな結界だけ。

「あちいいい!」と殲が墜落しかける。

 巨大な化け物同士の圧巻な戦い。見入るなよ、スズメバチサイズの俺。威嚇の音、警告音。
 雄たけびをあげろ!

「うおおおおお!!!!!!!」
 邪悪な龍へと飛びこむ。

「ゲヒゲヒ」
 貪が羽根をひろげる。上空に向かい結界にぶつかる。
「この国ぐらい狭くて貧弱な結界だ」
 そこから地面へ黒い焔をはなつ。

 俺は避けようもなく直撃。激熱い。お天狗さんの木札は弱まっている。
 そうだとしても飛びかかれ。

「うおおおおお」

 垂れた尻尾に木札を押しつけろ。

「ゲヒヒヒ」

 貪が尻尾を振るう。やっぱり小蠅。たやすく吹っ飛んで、枝葉をへし折りながら上空に向かい、結界にぶつかる。
 馬鹿め。

「いてえんだよ!」

 俺は結界を蹴り、助走をつけて空を飛ぶ。弾丸のように。狙うは貪の目玉。

「死にぞこないが」

 貪は待ちかまえている。口を広げて炎を吐きだす。
 馬鹿め。

「あちいんだよ!」

 俺は炎を突きぬける。フェイントに引っかかった貪の鼻先を、ずっと握り続けて固まった左拳でぶん殴る。

「くわああああ」

 伝説の邪龍が情けない悲鳴をあげる。その口のなかへリュックサックを――白銀弾だけじゃない。俺とドロシーの人である魂も入っている。食らわせられない。

「野郎!」
「ひっ」

 俺は地面へと落ちていく。

「俺を忘れるな!」
「くえっ」

 貪が尻から押されて、空へと頭からぶつかる。広大な結界が振動する。

「体のわりに軽くねえか? 龍さんが弱っているぞ。松本がここまで追い込んだ」

 低い空から殲の重低音ヴォイスが聞こえた。
 貪は地面へずり落ちる。俺は黒焦げ。
 そうだとしても、まだまだまだまだ雄叫びだ。

「うおおおおおお!」

 俺は林を駆ける。

「俺様が窮地だと?」
 貪が巨大な顔を俺へと向ける。
「それはお前らだろ!」

 人間ぐらい慎重かつ臆病すぎる貪。スズメバチを相手に巨体を活かした戦いを仕掛けてこない。またも殺虫スプレー違った黒い焔。アドレナリンがでまくろうが、もう浴びたくない。
 ドロシーはやく来いよ。俺よりずっと強いドロシーはやく来てよ。
 ドロシードロシードロシードロシードロシー……

 頼るなよ。守るのだろ俺が。

「ぬああああ」

 玄武もどきが顔を覆い突っ込む。俺のまえで邪悪な焔が拡散される。
 さすがは沈大姐一番の式神だ。俺が無謀と理解してくれた。波動で道を築いてくれた。俺が抱えるのは白銀弾とふたつの魂……。
 まだ人に戻れなくていい。川田と一緒に戻ればいい。ドロシーならきっと同意してくれる。
 だから貪の口へと、リュックサックごと。二人の魂ごと。

「おっと」
 貪は素早い。口をふさぎやがる。
「ふん!」

 鼻息をかけやがった。それだけでスズメバチな玄武もどきは弾かれる。樹木にぶつかる。
 貪は林の低い空に全身を窮屈そうに浮かばせる。
 振出しに戻ってしまった……。

「松本の覚悟を感じたぜ。お前が一番に厄介だ。伝説の魔女さえ倒されそうだ。そりゃ怖がれるわけだ」
 貪こそ俺におののいている。

 人の気配は寄ってこない。警察も軍隊も現れない。あの国の首都近くであろうと、夜の出来事だ。
 束の間の膠着状態。林が邪魔で月は見えない。真上には東京ではあり得ない星空。純白の流れ星。
 それは殲の結界を突きぬけて、地面へと軟着陸する。清潔な結界は消えていく。

「コケコッコー」

 まず雄鶏の(とき)が聞こえた。

「松本君!」続いて横根の声が聞こえた。

「加勢にきたぜ」イウンヒョクの声も。「……殴り合いかよ。どの化け物もボロボロじゃねえか」

 ちょっとだけ戸惑ってしまった。なぜにニワトリの顔をした二本脚のグロテスクな化け物に乗って(しかも人の目に見える系)、韓国の魔道士と人である横根が現れる? 近くて遠い某国に?

「ドロシーはまた個人プレイ?」
 真っ暗な林でも、握りしめた杖のおかげで横根は走れる。俺へと転がりこむ。
「何より松本君へ祈るよ」
 胸もとの珊瑚が怖いほどに輝きだす。

「むき出しかよ。もはや姿を隠せないのか?」
 イウンヒョクが洋弓をかまえる。
「狙い放題だ」
 毒矢を連射する。

「く、くそ……」

 貪の怯え声がした。矢を必死に爪ではじくが、数本が突き刺さる。
 ウンヒョクはすでに林の奥へとひそむ。そこからまた巨大なターゲットへと矢を放つ。
 雄鶏の化け物はハシビロコウみたいに棒立ちしている……ぐえっ!

「私は祈ります。忌むべき世界にいた証に。私が立ち去ったあとも戦い続ける人々のために。おぞましき姿になろうと一人で戦い続けた男を、なおも立ち上がらせるために」

 鮮烈な祈りが体中を駆け巡って眩暈が起きる。左手のなかで、お天狗さんの木札がずしりと存在感を示す。俺も木札も復活していく。

「うっ……」横根が声をもらす。「い、祈りが跳ね返された。これが貪の邪悪な力……」

「それは貪から受けた傷でない」
 背中だけがなおも痛む。でも二人をつなぐものだ。受け入れる。
「来てくれてありがとう。やっぱり横根こそ必要だった」

 本当に必要なのはドロシー。俺は立ち上がる。気づけばデニーのタキシードは焼け落ちて、鱗柄のレオタード。気にすることはない。

「コケコッコー」

 ほら見ろ。雄鶏の化け物が喝采してくれた。どういう経緯で加わったか知らないが、こいつも仲間に決まっている。

「翼竜よ、結界をはずしてくれ。おなじドラゴン同士だろ?」
「いまさら龍が媚びるな。同属の末端として恥ずかしいぜ」

 また貪がはじかれ、結界にぶつかる。巨大すぎる身体がうずくまり、顔だけを持ち上げる。俺達へと口をひろげる。でも邪悪な黒い焔は白い結界に阻止される。鶏の化け物もなにげに入っているし。

「やけに弱っているな」
 イウンヒョクが林からでてきた。また貪の巨体へアーチェリーを向けて、矢を放たずにおろす。
「名前は何だったっけ? 思玲ちゃんよりかわいい香港の子。もちろん瑞希ちゃんのがキュートだけどね。で、あの子はポケモンをできるのだろ?」

「さあ? ゲームより読書系かも」
 真面目に答えてから気づく。貪を天珠に封じることだ。
「ドロシーは、日本の上空で離れ離れになった」

「つまり、松本一人で貪を?」
「俺一人じゃ無理だよ。だから横根とウンヒョクが来てくれた」

 本当に来てほしかったのはドロシー。

「デニーさんに頼んで私も志願した。近くになったら、ニョロ子が道案内してくれた。疲れ果てていたけど、いなくなったね」
 横根が教えてくれる。

 ニョロ子はドロシーを探しにいったのだろう。俺の気持ちがわかっている。
 本当は白銀弾のあるリュックサックもいらなかった。おかげで殺し合いにならなかったけど、大事なのは俺よりドロシー。

「封じられないのか。紫毒でとどめをさしたところで復活されるしな」
 ウンヒョクが白い結界に寄りかかりながらつぶやく。

 貪は観念したように攻撃してこない。むしろとどめを刺されるのを待っているみたい……藤川匠の言葉を思いだす。
 貪は明の時代に鏡に封じられたとき、戦ったのは魔道士三人と式神二体。あと一人いれば消滅していたらしい。
 いまここにいるのは、俺とウンヒョクと横根、殲とキモい雄鶏。まさに同じシチュエーションだ。でも消滅させるどころか封ずることもできない。
 そもそも龍を倒すには一人いれば充分だ。

 俺は星空を見上げる。赤いカクテルドレスが登場しないかと。
 待つのではない。エスコートにいくのだろ。

「肉弾戦をしかけて、肝を喰らう」
 結界の外のウンヒョクに声かける。

「十本以上当てたから紫毒まみれだぜ。そんなものは星が4.5のコカトリスさえ食べられない。そうだよなヅゥネ」

 雄鶏がコケコッコーと返事する。こいつはコカトリスだったのか。名前は聞いたことあるが、やっぱりリアルは不気味だな。
 そんなことより決断しろよ俺。ドロシーを探しにいくのだろ?

「今夜は終わりにしよう。続きは明晩だ」
 二人へ告げる。

「……そうだな。さすがにこの国で朝を迎えるのはうまくない」
 イウンヒョクがうなずく。
「おいしいところはヅゥネに任せてやる。龍を倒せば、お堅い人でも処分しないだろ」

コケコッコー

 コカトリスが鬨をあげてくちばしをひろげる。黒色に近い紫毒がレーザー砲のように龍へと向かう。

「ゲヒゲヒヒ、匠様は助けてくれなかった。俺は見捨てられた」
 口を開けて毒を飲みこみながら、貪が笑う。
「なので契約解消だ。明日の夜には千人食ってやる。もちろん日本でな。ゲヒゲヒヒ……」

 その巨体が消える。

「それなら明日は俺も日本で月見だな」
 ウンヒョクが手から弓を消す。

「では急ぎ大姐のもとに戻るぞ」
 上空で殲が姿を現す。林を包んだ結界も消したのだろう。

「その前にドロシー……」
 横根が俺へと寄りかかるように倒れる。純白の結界も消える。

 *

「俺は難しいことを学んでないが、たぶん法具のせいじゃないか。ただの人が異形に祈りをささげたうえに、結界も張った。そりゃ疲れるに決まってら」
 殲のつるつるした鱗の上で、ウンヒョクが教えてくれる。
「しかし異形になって戦うとは、松本は男だ。弓を向けたくなるファッションだけど、これからは哲人と呼ばせてくれ」

 彼は、異形になった俺のこともドロシーのことも覚えている。玄武もどきはレオタードを脱げない姿のままで、松本哲人として存在している。たしかに儀式は成功とはいえなかった。
 お天狗様はまたも絶好調で、翼竜は結界を張れない。おかげで俺は強風を受けまくりだ。気を失ったままの横根は、ウンヒョクの結界に守られている。

 龍を倒す者は戦いに間に合わなかった。そして龍は消滅しなかった。俺がすべきことは決まっている。

「ウンヒョクは横根を連れて東京へ戻って。俺はヅゥネと一緒にドロシーを探す」

 俺の言葉を聞き、ちゃっかり殲に乗せてもらっているコカトリスが、くちばしを開けて威嚇しやがる。毒が少し垂れるし。

「こいつは仮の主であるデニーから、そんな指図を受けていない。自分で考えて行動するほど賢くもない」
「そして私は帰る。薄情とは思わない。あの娘を助ける筋合いは毛頭もない。そもそも私には毛がない」

 ウンヒョクと殲が言うけど、飛べない俺は一人でドロシーを見つけられない。祈りを授かれなかったよろよろ飛行の殲には、そもそも頼らない。
 ……ニョロ子が現れないのは救いかもしれない。あの子(ニョロ子のこと)は、俺の命令に従ってドロシーのそばにいる。彼女が元気な限りは……。
 あのとき、なぜドロシーは俺から体を離した?
 お天狗さんの木札は怯えるほどに激しく発動した?

 月は西に佇んでいるけど、夜はじきに終わる。

「瑞希ちゃんを送り届けるは絶対。それからあらためて上海から殲かヅゥネを、もしくは影添からモモン蛾を借りよう。そしたら付き合ってやる」
 ウンヒョクが言ってくれる。

 ……そうだよ。魂を削った横根の身こそ大事だ。あんな無茶苦茶女にかまうなよ。あいつはまたも俺に傷をぶつけた。
 などと思うものか! 俺が一番に大切なもの。
 弱い彼女を守れるのは、怖い俺だけだ!

「ひっ」
 横根が怯えて目を覚ます。

 大事なのはドロシー。俺が彼女に救いを求めたように、彼女も俺を待っている。二人の魂が詰まったリュックサック。それを手にドロシーを見つけるまで空をうろつく。

 結界がないから巡航速度だけど、明るい日本列島が見えてきた。

「俺はドロシーを探す。そのために天馬が必要なんだ」
 龍を一人で追いつめた化け物が、ニワトリの化け物を見つめる。

「……戦いが終わるまで隠しておけと告げられたが、部外者がいようと教えておく。傷ついたデニー様はこれ以上協力できないし、沈大姐にしてもだ」
 満天の星の下で、殲の重低音が響く。
「またも藤川匠の襲撃を受けた。唐は消滅した。私達は早急に戻る必要がある」

どくん

「思玲は?」
 尋ねながら天珠を押す。露泥無はでない。

「怪我で済んだみたいだ」

 藤川匠……。俺達は陽動に引っかかったのか?
 そしてまたも、俺の大事な仲間に手をだしたな。
 だとしても決断しろ。

「ヅゥネお願いだから馬になって」

 俺に怯えて従えよ。ともにドロシーのもとへ。




次回「女魔道士の矜持」
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