四十の四 龍を狩るもの達
文字数 5,220文字
貧弱で覇気なき林。人の気配はどこにもない。
他の生きものへの恨みを抱けぬまま、やせ衰えて木霊も消えた灌木達。そいつらはどこに集うのだろう……。ここで異形が三体戦うだけ。
「肝を刺されてなお元気とはな。松本は新月のときよりしぶとい。性根がけだもの系だ。しかも拳から毒がでていたぜ。その気色悪い服装は毒蛇の証だ。ゲヒゲヒゲヒヒヒ」
巨大な龍になっても貪は笑う。
「おやおや。翼竜さんが消えちまった。はったりだけか」
たしかに殲はいない。結界のなかに結界を張ったのか。死なれたら帰り道が困るからそうして欲しいけど、背中の甲羅も胸もぐしゃぐしゃの俺だけに戦わせるはずない。
「見つけた」
醜悪な龍が空へと焔を吐く。俺にも見えた。殲を囲むのはかすかな結界だけ。
「あちいいい!」と殲が墜落しかける。
巨大な化け物同士の圧巻な戦い。見入るなよ、スズメバチサイズの俺。威嚇の音、警告音。
雄たけびをあげろ!
「うおおおおお!!!!!!!」
邪悪な龍へと飛びこむ。
「ゲヒゲヒ」
貪が羽根をひろげる。上空に向かい結界にぶつかる。
「この国ぐらい狭くて貧弱な結界だ」
そこから地面へ黒い焔をはなつ。
俺は避けようもなく直撃。激熱い。お天狗さんの木札は弱まっている。
そうだとしても飛びかかれ。
「うおおおおお」
垂れた尻尾に木札を押しつけろ。
「ゲヒヒヒ」
貪が尻尾を振るう。やっぱり小蠅。たやすく吹っ飛んで、枝葉をへし折りながら上空に向かい、結界にぶつかる。
馬鹿め。
「いてえんだよ!」
俺は結界を蹴り、助走をつけて空を飛ぶ。弾丸のように。狙うは貪の目玉。
「死にぞこないが」
貪は待ちかまえている。口を広げて炎を吐きだす。
馬鹿め。
「あちいんだよ!」
俺は炎を突きぬける。フェイントに引っかかった貪の鼻先を、ずっと握り続けて固まった左拳でぶん殴る。
「くわああああ」
伝説の邪龍が情けない悲鳴をあげる。その口のなかへリュックサックを――白銀弾だけじゃない。俺とドロシーの人である魂も入っている。食らわせられない。
「野郎!」
「ひっ」
俺は地面へと落ちていく。
「俺を忘れるな!」
「くえっ」
貪が尻から押されて、空へと頭からぶつかる。広大な結界が振動する。
「体のわりに軽くねえか? 龍さんが弱っているぞ。松本がここまで追い込んだ」
低い空から殲の重低音ヴォイスが聞こえた。
貪は地面へずり落ちる。俺は黒焦げ。
そうだとしても、まだまだまだまだ雄叫びだ。
「うおおおおおお!」
俺は林を駆ける。
「俺様が窮地だと?」
貪が巨大な顔を俺へと向ける。
「それはお前らだろ!」
人間ぐらい慎重かつ臆病すぎる貪。スズメバチを相手に巨体を活かした戦いを仕掛けてこない。またも殺虫スプレー違った黒い焔。アドレナリンがでまくろうが、もう浴びたくない。
ドロシーはやく来いよ。俺よりずっと強いドロシーはやく来てよ。
ドロシードロシードロシードロシードロシー……
頼るなよ。守るのだろ俺が。
「ぬああああ」
玄武もどきが顔を覆い突っ込む。俺のまえで邪悪な焔が拡散される。
さすがは沈大姐一番の式神だ。俺が無謀と理解してくれた。波動で道を築いてくれた。俺が抱えるのは白銀弾とふたつの魂……。
まだ人に戻れなくていい。川田と一緒に戻ればいい。ドロシーならきっと同意してくれる。
だから貪の口へと、リュックサックごと。二人の魂ごと。
「おっと」
貪は素早い。口をふさぎやがる。
「ふん!」
鼻息をかけやがった。それだけでスズメバチな玄武もどきは弾かれる。樹木にぶつかる。
貪は林の低い空に全身を窮屈そうに浮かばせる。
振出しに戻ってしまった……。
「松本の覚悟を感じたぜ。お前が一番に厄介だ。伝説の魔女さえ倒されそうだ。そりゃ怖がれるわけだ」
貪こそ俺におののいている。
人の気配は寄ってこない。警察も軍隊も現れない。あの国の首都近くであろうと、夜の出来事だ。
束の間の膠着状態。林が邪魔で月は見えない。真上には東京ではあり得ない星空。純白の流れ星。
それは殲の結界を突きぬけて、地面へと軟着陸する。清潔な結界は消えていく。
「コケコッコー」
まず雄鶏の鬨 が聞こえた。
「松本君!」続いて横根の声が聞こえた。
「加勢にきたぜ」イウンヒョクの声も。「……殴り合いかよ。どの化け物もボロボロじゃねえか」
ちょっとだけ戸惑ってしまった。なぜにニワトリの顔をした二本脚のグロテスクな化け物に乗って(しかも人の目に見える系)、韓国の魔道士と人である横根が現れる? 近くて遠い某国に?
「ドロシーはまた個人プレイ?」
真っ暗な林でも、握りしめた杖のおかげで横根は走れる。俺へと転がりこむ。
「何より松本君へ祈るよ」
胸もとの珊瑚が怖いほどに輝きだす。
「むき出しかよ。もはや姿を隠せないのか?」
イウンヒョクが洋弓をかまえる。
「狙い放題だ」
毒矢を連射する。
「く、くそ……」
貪の怯え声がした。矢を必死に爪ではじくが、数本が突き刺さる。
ウンヒョクはすでに林の奥へとひそむ。そこからまた巨大なターゲットへと矢を放つ。
雄鶏の化け物はハシビロコウみたいに棒立ちしている……ぐえっ!
「私は祈ります。忌むべき世界にいた証に。私が立ち去ったあとも戦い続ける人々のために。おぞましき姿になろうと一人で戦い続けた男を、なおも立ち上がらせるために」
鮮烈な祈りが体中を駆け巡って眩暈が起きる。左手のなかで、お天狗さんの木札がずしりと存在感を示す。俺も木札も復活していく。
「うっ……」横根が声をもらす。「い、祈りが跳ね返された。これが貪の邪悪な力……」
「それは貪から受けた傷でない」
背中だけがなおも痛む。でも二人をつなぐものだ。受け入れる。
「来てくれてありがとう。やっぱり横根こそ必要だった」
本当に必要なのはドロシー。俺は立ち上がる。気づけばデニーのタキシードは焼け落ちて、鱗柄のレオタード。気にすることはない。
「コケコッコー」
ほら見ろ。雄鶏の化け物が喝采してくれた。どういう経緯で加わったか知らないが、こいつも仲間に決まっている。
「翼竜よ、結界をはずしてくれ。おなじドラゴン同士だろ?」
「いまさら龍が媚びるな。同属の末端として恥ずかしいぜ」
また貪がはじかれ、結界にぶつかる。巨大すぎる身体がうずくまり、顔だけを持ち上げる。俺達へと口をひろげる。でも邪悪な黒い焔は白い結界に阻止される。鶏の化け物もなにげに入っているし。
「やけに弱っているな」
イウンヒョクが林からでてきた。また貪の巨体へアーチェリーを向けて、矢を放たずにおろす。
「名前は何だったっけ? 思玲ちゃんよりかわいい香港の子。もちろん瑞希ちゃんのがキュートだけどね。で、あの子はポケモンをできるのだろ?」
「さあ? ゲームより読書系かも」
真面目に答えてから気づく。貪を天珠に封じることだ。
「ドロシーは、日本の上空で離れ離れになった」
「つまり、松本一人で貪を?」
「俺一人じゃ無理だよ。だから横根とウンヒョクが来てくれた」
本当に来てほしかったのはドロシー。
「デニーさんに頼んで私も志願した。近くになったら、ニョロ子が道案内してくれた。疲れ果てていたけど、いなくなったね」
横根が教えてくれる。
ニョロ子はドロシーを探しにいったのだろう。俺の気持ちがわかっている。
本当は白銀弾のあるリュックサックもいらなかった。おかげで殺し合いにならなかったけど、大事なのは俺よりドロシー。
「封じられないのか。紫毒でとどめをさしたところで復活されるしな」
ウンヒョクが白い結界に寄りかかりながらつぶやく。
貪は観念したように攻撃してこない。むしろとどめを刺されるのを待っているみたい……藤川匠の言葉を思いだす。
貪は明の時代に鏡に封じられたとき、戦ったのは魔道士三人と式神二体。あと一人いれば消滅していたらしい。
いまここにいるのは、俺とウンヒョクと横根、殲とキモい雄鶏。まさに同じシチュエーションだ。でも消滅させるどころか封ずることもできない。
そもそも龍を倒すには一人いれば充分だ。
俺は星空を見上げる。赤いカクテルドレスが登場しないかと。
待つのではない。エスコートにいくのだろ。
「肉弾戦をしかけて、肝を喰らう」
結界の外のウンヒョクに声かける。
「十本以上当てたから紫毒まみれだぜ。そんなものは星が4.5のコカトリスさえ食べられない。そうだよなヅゥネ」
雄鶏がコケコッコーと返事する。こいつはコカトリスだったのか。名前は聞いたことあるが、やっぱりリアルは不気味だな。
そんなことより決断しろよ俺。ドロシーを探しにいくのだろ?
「今夜は終わりにしよう。続きは明晩だ」
二人へ告げる。
「……そうだな。さすがにこの国で朝を迎えるのはうまくない」
イウンヒョクがうなずく。
「おいしいところはヅゥネに任せてやる。龍を倒せば、お堅い人でも処分しないだろ」
コケコッコー
コカトリスが鬨をあげてくちばしをひろげる。黒色に近い紫毒がレーザー砲のように龍へと向かう。
「ゲヒゲヒヒ、匠様は助けてくれなかった。俺は見捨てられた」
口を開けて毒を飲みこみながら、貪が笑う。
「なので契約解消だ。明日の夜には千人食ってやる。もちろん日本でな。ゲヒゲヒヒ……」
その巨体が消える。
「それなら明日は俺も日本で月見だな」
ウンヒョクが手から弓を消す。
「では急ぎ大姐のもとに戻るぞ」
上空で殲が姿を現す。林を包んだ結界も消したのだろう。
「その前にドロシー……」
横根が俺へと寄りかかるように倒れる。純白の結界も消える。
*
「俺は難しいことを学んでないが、たぶん法具のせいじゃないか。ただの人が異形に祈りをささげたうえに、結界も張った。そりゃ疲れるに決まってら」
殲のつるつるした鱗の上で、ウンヒョクが教えてくれる。
「しかし異形になって戦うとは、松本は男だ。弓を向けたくなるファッションだけど、これからは哲人と呼ばせてくれ」
彼は、異形になった俺のこともドロシーのことも覚えている。玄武もどきはレオタードを脱げない姿のままで、松本哲人として存在している。たしかに儀式は成功とはいえなかった。
お天狗様はまたも絶好調で、翼竜は結界を張れない。おかげで俺は強風を受けまくりだ。気を失ったままの横根は、ウンヒョクの結界に守られている。
龍を倒す者は戦いに間に合わなかった。そして龍は消滅しなかった。俺がすべきことは決まっている。
「ウンヒョクは横根を連れて東京へ戻って。俺はヅゥネと一緒にドロシーを探す」
俺の言葉を聞き、ちゃっかり殲に乗せてもらっているコカトリスが、くちばしを開けて威嚇しやがる。毒が少し垂れるし。
「こいつは仮の主であるデニーから、そんな指図を受けていない。自分で考えて行動するほど賢くもない」
「そして私は帰る。薄情とは思わない。あの娘を助ける筋合いは毛頭もない。そもそも私には毛がない」
ウンヒョクと殲が言うけど、飛べない俺は一人でドロシーを見つけられない。祈りを授かれなかったよろよろ飛行の殲には、そもそも頼らない。
……ニョロ子が現れないのは救いかもしれない。あの子(ニョロ子のこと)は、俺の命令に従ってドロシーのそばにいる。彼女が元気な限りは……。
あのとき、なぜドロシーは俺から体を離した?
お天狗さんの木札は怯えるほどに激しく発動した?
月は西に佇んでいるけど、夜はじきに終わる。
「瑞希ちゃんを送り届けるは絶対。それからあらためて上海から殲かヅゥネを、もしくは影添からモモン蛾を借りよう。そしたら付き合ってやる」
ウンヒョクが言ってくれる。
……そうだよ。魂を削った横根の身こそ大事だ。あんな無茶苦茶女にかまうなよ。あいつはまたも俺に傷をぶつけた。
などと思うものか! 俺が一番に大切なもの。
弱い彼女を守れるのは、怖い俺だけだ!
「ひっ」
横根が怯えて目を覚ます。
大事なのはドロシー。俺が彼女に救いを求めたように、彼女も俺を待っている。二人の魂が詰まったリュックサック。それを手にドロシーを見つけるまで空をうろつく。
結界がないから巡航速度だけど、明るい日本列島が見えてきた。
「俺はドロシーを探す。そのために天馬が必要なんだ」
龍を一人で追いつめた化け物が、ニワトリの化け物を見つめる。
「……戦いが終わるまで隠しておけと告げられたが、部外者がいようと教えておく。傷ついたデニー様はこれ以上協力できないし、沈大姐にしてもだ」
満天の星の下で、殲の重低音が響く。
「またも藤川匠の襲撃を受けた。唐は消滅した。私達は早急に戻る必要がある」
どくん
「思玲は?」
尋ねながら天珠を押す。露泥無はでない。
「怪我で済んだみたいだ」
藤川匠……。俺達は陽動に引っかかったのか?
そしてまたも、俺の大事な仲間に手をだしたな。
だとしても決断しろ。
「ヅゥネお願いだから馬になって」
俺に怯えて従えよ。ともにドロシーのもとへ。
次回「女魔道士の矜持」
他の生きものへの恨みを抱けぬまま、やせ衰えて木霊も消えた灌木達。そいつらはどこに集うのだろう……。ここで異形が三体戦うだけ。
「肝を刺されてなお元気とはな。松本は新月のときよりしぶとい。性根がけだもの系だ。しかも拳から毒がでていたぜ。その気色悪い服装は毒蛇の証だ。ゲヒゲヒゲヒヒヒ」
巨大な龍になっても貪は笑う。
「おやおや。翼竜さんが消えちまった。はったりだけか」
たしかに殲はいない。結界のなかに結界を張ったのか。死なれたら帰り道が困るからそうして欲しいけど、背中の甲羅も胸もぐしゃぐしゃの俺だけに戦わせるはずない。
「見つけた」
醜悪な龍が空へと焔を吐く。俺にも見えた。殲を囲むのはかすかな結界だけ。
「あちいいい!」と殲が墜落しかける。
巨大な化け物同士の圧巻な戦い。見入るなよ、スズメバチサイズの俺。威嚇の音、警告音。
雄たけびをあげろ!
「うおおおおお!!!!!!!」
邪悪な龍へと飛びこむ。
「ゲヒゲヒ」
貪が羽根をひろげる。上空に向かい結界にぶつかる。
「この国ぐらい狭くて貧弱な結界だ」
そこから地面へ黒い焔をはなつ。
俺は避けようもなく直撃。激熱い。お天狗さんの木札は弱まっている。
そうだとしても飛びかかれ。
「うおおおおお」
垂れた尻尾に木札を押しつけろ。
「ゲヒヒヒ」
貪が尻尾を振るう。やっぱり小蠅。たやすく吹っ飛んで、枝葉をへし折りながら上空に向かい、結界にぶつかる。
馬鹿め。
「いてえんだよ!」
俺は結界を蹴り、助走をつけて空を飛ぶ。弾丸のように。狙うは貪の目玉。
「死にぞこないが」
貪は待ちかまえている。口を広げて炎を吐きだす。
馬鹿め。
「あちいんだよ!」
俺は炎を突きぬける。フェイントに引っかかった貪の鼻先を、ずっと握り続けて固まった左拳でぶん殴る。
「くわああああ」
伝説の邪龍が情けない悲鳴をあげる。その口のなかへリュックサックを――白銀弾だけじゃない。俺とドロシーの人である魂も入っている。食らわせられない。
「野郎!」
「ひっ」
俺は地面へと落ちていく。
「俺を忘れるな!」
「くえっ」
貪が尻から押されて、空へと頭からぶつかる。広大な結界が振動する。
「体のわりに軽くねえか? 龍さんが弱っているぞ。松本がここまで追い込んだ」
低い空から殲の重低音ヴォイスが聞こえた。
貪は地面へずり落ちる。俺は黒焦げ。
そうだとしても、まだまだまだまだ雄叫びだ。
「うおおおおおお!」
俺は林を駆ける。
「俺様が窮地だと?」
貪が巨大な顔を俺へと向ける。
「それはお前らだろ!」
人間ぐらい慎重かつ臆病すぎる貪。スズメバチを相手に巨体を活かした戦いを仕掛けてこない。またも殺虫スプレー違った黒い焔。アドレナリンがでまくろうが、もう浴びたくない。
ドロシーはやく来いよ。俺よりずっと強いドロシーはやく来てよ。
ドロシードロシードロシードロシードロシー……
頼るなよ。守るのだろ俺が。
「ぬああああ」
玄武もどきが顔を覆い突っ込む。俺のまえで邪悪な焔が拡散される。
さすがは沈大姐一番の式神だ。俺が無謀と理解してくれた。波動で道を築いてくれた。俺が抱えるのは白銀弾とふたつの魂……。
まだ人に戻れなくていい。川田と一緒に戻ればいい。ドロシーならきっと同意してくれる。
だから貪の口へと、リュックサックごと。二人の魂ごと。
「おっと」
貪は素早い。口をふさぎやがる。
「ふん!」
鼻息をかけやがった。それだけでスズメバチな玄武もどきは弾かれる。樹木にぶつかる。
貪は林の低い空に全身を窮屈そうに浮かばせる。
振出しに戻ってしまった……。
「松本の覚悟を感じたぜ。お前が一番に厄介だ。伝説の魔女さえ倒されそうだ。そりゃ怖がれるわけだ」
貪こそ俺におののいている。
人の気配は寄ってこない。警察も軍隊も現れない。あの国の首都近くであろうと、夜の出来事だ。
束の間の膠着状態。林が邪魔で月は見えない。真上には東京ではあり得ない星空。純白の流れ星。
それは殲の結界を突きぬけて、地面へと軟着陸する。清潔な結界は消えていく。
「コケコッコー」
まず雄鶏の
「松本君!」続いて横根の声が聞こえた。
「加勢にきたぜ」イウンヒョクの声も。「……殴り合いかよ。どの化け物もボロボロじゃねえか」
ちょっとだけ戸惑ってしまった。なぜにニワトリの顔をした二本脚のグロテスクな化け物に乗って(しかも人の目に見える系)、韓国の魔道士と人である横根が現れる? 近くて遠い某国に?
「ドロシーはまた個人プレイ?」
真っ暗な林でも、握りしめた杖のおかげで横根は走れる。俺へと転がりこむ。
「何より松本君へ祈るよ」
胸もとの珊瑚が怖いほどに輝きだす。
「むき出しかよ。もはや姿を隠せないのか?」
イウンヒョクが洋弓をかまえる。
「狙い放題だ」
毒矢を連射する。
「く、くそ……」
貪の怯え声がした。矢を必死に爪ではじくが、数本が突き刺さる。
ウンヒョクはすでに林の奥へとひそむ。そこからまた巨大なターゲットへと矢を放つ。
雄鶏の化け物はハシビロコウみたいに棒立ちしている……ぐえっ!
「私は祈ります。忌むべき世界にいた証に。私が立ち去ったあとも戦い続ける人々のために。おぞましき姿になろうと一人で戦い続けた男を、なおも立ち上がらせるために」
鮮烈な祈りが体中を駆け巡って眩暈が起きる。左手のなかで、お天狗さんの木札がずしりと存在感を示す。俺も木札も復活していく。
「うっ……」横根が声をもらす。「い、祈りが跳ね返された。これが貪の邪悪な力……」
「それは貪から受けた傷でない」
背中だけがなおも痛む。でも二人をつなぐものだ。受け入れる。
「来てくれてありがとう。やっぱり横根こそ必要だった」
本当に必要なのはドロシー。俺は立ち上がる。気づけばデニーのタキシードは焼け落ちて、鱗柄のレオタード。気にすることはない。
「コケコッコー」
ほら見ろ。雄鶏の化け物が喝采してくれた。どういう経緯で加わったか知らないが、こいつも仲間に決まっている。
「翼竜よ、結界をはずしてくれ。おなじドラゴン同士だろ?」
「いまさら龍が媚びるな。同属の末端として恥ずかしいぜ」
また貪がはじかれ、結界にぶつかる。巨大すぎる身体がうずくまり、顔だけを持ち上げる。俺達へと口をひろげる。でも邪悪な黒い焔は白い結界に阻止される。鶏の化け物もなにげに入っているし。
「やけに弱っているな」
イウンヒョクが林からでてきた。また貪の巨体へアーチェリーを向けて、矢を放たずにおろす。
「名前は何だったっけ? 思玲ちゃんよりかわいい香港の子。もちろん瑞希ちゃんのがキュートだけどね。で、あの子はポケモンをできるのだろ?」
「さあ? ゲームより読書系かも」
真面目に答えてから気づく。貪を天珠に封じることだ。
「ドロシーは、日本の上空で離れ離れになった」
「つまり、松本一人で貪を?」
「俺一人じゃ無理だよ。だから横根とウンヒョクが来てくれた」
本当に来てほしかったのはドロシー。
「デニーさんに頼んで私も志願した。近くになったら、ニョロ子が道案内してくれた。疲れ果てていたけど、いなくなったね」
横根が教えてくれる。
ニョロ子はドロシーを探しにいったのだろう。俺の気持ちがわかっている。
本当は白銀弾のあるリュックサックもいらなかった。おかげで殺し合いにならなかったけど、大事なのは俺よりドロシー。
「封じられないのか。紫毒でとどめをさしたところで復活されるしな」
ウンヒョクが白い結界に寄りかかりながらつぶやく。
貪は観念したように攻撃してこない。むしろとどめを刺されるのを待っているみたい……藤川匠の言葉を思いだす。
貪は明の時代に鏡に封じられたとき、戦ったのは魔道士三人と式神二体。あと一人いれば消滅していたらしい。
いまここにいるのは、俺とウンヒョクと横根、殲とキモい雄鶏。まさに同じシチュエーションだ。でも消滅させるどころか封ずることもできない。
そもそも龍を倒すには一人いれば充分だ。
俺は星空を見上げる。赤いカクテルドレスが登場しないかと。
待つのではない。エスコートにいくのだろ。
「肉弾戦をしかけて、肝を喰らう」
結界の外のウンヒョクに声かける。
「十本以上当てたから紫毒まみれだぜ。そんなものは星が4.5のコカトリスさえ食べられない。そうだよなヅゥネ」
雄鶏がコケコッコーと返事する。こいつはコカトリスだったのか。名前は聞いたことあるが、やっぱりリアルは不気味だな。
そんなことより決断しろよ俺。ドロシーを探しにいくのだろ?
「今夜は終わりにしよう。続きは明晩だ」
二人へ告げる。
「……そうだな。さすがにこの国で朝を迎えるのはうまくない」
イウンヒョクがうなずく。
「おいしいところはヅゥネに任せてやる。龍を倒せば、お堅い人でも処分しないだろ」
コケコッコー
コカトリスが鬨をあげてくちばしをひろげる。黒色に近い紫毒がレーザー砲のように龍へと向かう。
「ゲヒゲヒヒ、匠様は助けてくれなかった。俺は見捨てられた」
口を開けて毒を飲みこみながら、貪が笑う。
「なので契約解消だ。明日の夜には千人食ってやる。もちろん日本でな。ゲヒゲヒヒ……」
その巨体が消える。
「それなら明日は俺も日本で月見だな」
ウンヒョクが手から弓を消す。
「では急ぎ大姐のもとに戻るぞ」
上空で殲が姿を現す。林を包んだ結界も消したのだろう。
「その前にドロシー……」
横根が俺へと寄りかかるように倒れる。純白の結界も消える。
*
「俺は難しいことを学んでないが、たぶん法具のせいじゃないか。ただの人が異形に祈りをささげたうえに、結界も張った。そりゃ疲れるに決まってら」
殲のつるつるした鱗の上で、ウンヒョクが教えてくれる。
「しかし異形になって戦うとは、松本は男だ。弓を向けたくなるファッションだけど、これからは哲人と呼ばせてくれ」
彼は、異形になった俺のこともドロシーのことも覚えている。玄武もどきはレオタードを脱げない姿のままで、松本哲人として存在している。たしかに儀式は成功とはいえなかった。
お天狗様はまたも絶好調で、翼竜は結界を張れない。おかげで俺は強風を受けまくりだ。気を失ったままの横根は、ウンヒョクの結界に守られている。
龍を倒す者は戦いに間に合わなかった。そして龍は消滅しなかった。俺がすべきことは決まっている。
「ウンヒョクは横根を連れて東京へ戻って。俺はヅゥネと一緒にドロシーを探す」
俺の言葉を聞き、ちゃっかり殲に乗せてもらっているコカトリスが、くちばしを開けて威嚇しやがる。毒が少し垂れるし。
「こいつは仮の主であるデニーから、そんな指図を受けていない。自分で考えて行動するほど賢くもない」
「そして私は帰る。薄情とは思わない。あの娘を助ける筋合いは毛頭もない。そもそも私には毛がない」
ウンヒョクと殲が言うけど、飛べない俺は一人でドロシーを見つけられない。祈りを授かれなかったよろよろ飛行の殲には、そもそも頼らない。
……ニョロ子が現れないのは救いかもしれない。あの子(ニョロ子のこと)は、俺の命令に従ってドロシーのそばにいる。彼女が元気な限りは……。
あのとき、なぜドロシーは俺から体を離した?
お天狗さんの木札は怯えるほどに激しく発動した?
月は西に佇んでいるけど、夜はじきに終わる。
「瑞希ちゃんを送り届けるは絶対。それからあらためて上海から殲かヅゥネを、もしくは影添からモモン蛾を借りよう。そしたら付き合ってやる」
ウンヒョクが言ってくれる。
……そうだよ。魂を削った横根の身こそ大事だ。あんな無茶苦茶女にかまうなよ。あいつはまたも俺に傷をぶつけた。
などと思うものか! 俺が一番に大切なもの。
弱い彼女を守れるのは、怖い俺だけだ!
「ひっ」
横根が怯えて目を覚ます。
大事なのはドロシー。俺が彼女に救いを求めたように、彼女も俺を待っている。二人の魂が詰まったリュックサック。それを手にドロシーを見つけるまで空をうろつく。
結界がないから巡航速度だけど、明るい日本列島が見えてきた。
「俺はドロシーを探す。そのために天馬が必要なんだ」
龍を一人で追いつめた化け物が、ニワトリの化け物を見つめる。
「……戦いが終わるまで隠しておけと告げられたが、部外者がいようと教えておく。傷ついたデニー様はこれ以上協力できないし、沈大姐にしてもだ」
満天の星の下で、殲の重低音が響く。
「またも藤川匠の襲撃を受けた。唐は消滅した。私達は早急に戻る必要がある」
どくん
「思玲は?」
尋ねながら天珠を押す。露泥無はでない。
「怪我で済んだみたいだ」
藤川匠……。俺達は陽動に引っかかったのか?
そしてまたも、俺の大事な仲間に手をだしたな。
だとしても決断しろ。
「ヅゥネお願いだから馬になって」
俺に怯えて従えよ。ともにドロシーのもとへ。
次回「女魔道士の矜持」