三十一の一 一番に大切なもの

文字数 4,825文字

2-tune


「このお姉さんは見てない」
 横根に抱えられた無音ちゃんが言う。「だって私を怖がらないもん」

 麻卦さんが寄ってきて横根を押しのけて、無音ちゃんを奪いとる。女の子は進んで彼へと手を伸ばした。

「今ここで、その杖を手放せ」
 無音ちゃんを抱えた麻卦さんが、転んだ横根を見おろしたままで言い放つ。

「ここではやめろ。はやく公園に行け。そこで捨てろ」
 折坂さんも冷たい目だ。「禰宜がいなければ切り裂いていた」

 しゃがんだままの横根がみるみる青ざめていく。
「ご、ごめんなさい。でもこれは持ち続けます。みんなとつながらなくなる」

「その汚い杖が一番大切なものだ。折坂奪え。そして私はお昼寝する。麻卦連れていけ」

 無音ちゃんは声だけあどけない。大ガラスの竹林を思いだす。無邪気で残酷で、その魂は藤川匠をすがった。嬉しそうに飛びこんでいった……。

 横根はドーンを裏切った。ドーンだけを人の世界に戻した。
 ドーンが限界だったのは間違いないのだから、責めるなどできない。でも横根は、また祈りに魂を削るだろう。そして俺達はきっと甘えてしまう。同じことを繰り返してしまう。
 やっぱり彼女にもリタイアしてもらうべきだ。
 そうだけど……残ってもらいたいは俺の都合だろ。本来の姿に戻った横根と、ここで別れる。それこそが導き。

「横根がいないとドーンが心配だ。俺からもお願いするよ」
 だからそう告げる。

 壇上から目を向けた横根の顔がさらに蒼白になる。涙がにじみだす。彼女のスマホが鳴りだす。

「無音禰宜、杖を奪っても、そんなのは罰になりません。むしろボランティアです」
 麻卦さんが抱えた子に言う。

「ボランティアって?」
「俺や折坂みたいなもの。というのは冗談で、見返り――お礼なしで手助けすること。難しいですかね?」
「いや分かった。さっきの告刀と同じだな。だったらどうする?」

「こっちでドラゴン退治を続ける。魔導師退治を続けさせる。よいしょっと」
 麻卦さんが無音ちゃんを抱えなおす。
「ただし今夜まで。明日の夜を迎えたら、さすがに生き延びられない」
 
「甘すぎる。麻卦まで取り込まれたか?」
 折坂さんが目を細める。

「だったら命尽きるまで戦いを続けてもらう。禰宜はそれでよろしいですか?」
「じゃあヘリコプターのお金を安くしてあげて。大蔵司に頼まれた」
「はいはい。未来の宮司のおっしゃるとおりに、特例の特例にしときますよ」

 しばらくしても折坂さんは言い返さない。横根は震えながら見上げるだけ。
 ならば急げ。

「ありがとうございました。横根行こう」

 図太い俺は三人へ順に頭を下げる。横根も立ち上がり、大人達にお辞儀して俺のもとに降りる。その手を引いて廊下にでる。
 裾を持ち上げる彼女を先に行かせて、非常階段を逃げるように駆けおりる。横根は夏奈へと着信をかけ直す。安堵を伝えるでかい声が聞こえた。

「ごめんね。ごめんなさい」

 横根はなぜか謝りながら事情を説明する。……ここを訪れることはもうないかもな。そうであってほしい。だってそれは、いまよりもどん底のシチュエーションに嵌まったからに決まっている。

「私は最後まで三人と一緒にいるよ、絶対の絶対に」
 通話をやめた横根が振り向かずに言う。

「でも俺達はもう横根に頼らないよ」

 彼女の背中に言うけど、横根は究極の報いを受けたかもしれない。握りしめた杖はまだ縛られていない。

「やっぱりドライだね」彼女がぽつり言う。「お似合いかも」

 ***

 ブランコのすぐそばに、女子四人だけがいた。小雨がまた降りだしたからか、公園にほかに人はいない。思玲と大蔵司と夏奈がかたまり、ドロシーがやや離れていた。俺を見て微笑みかけてうつむく。

「瑞希ちゃんおかえり。着替えを買わないとね」
 桜井はすでに受け入れていた。

「のろい。トイレに寄っていたのか?」
 でも思玲ににらまれる。
「冗談だ。事情は脳天気から聞いた。その決断を私はコメントしないが、私が和戸か麻卦だったら瑞希の尻を蹴っ飛ばしただろうな。姿隠しをかけるからこっちへ来い。話はそれからだ」

 彼女が七葉扇を広げて舞い、俺達は結界に包まれる。雨から解放される。

「噠!」
 ドロシーが手をカニ型にする。結界が粉々に砕けて、また雨が注ぐ。
「ごめんなさい。もう一度かけて。ケビンのぐらい弱い姿隠しなら平気」

「もうやらぬ」思玲が扇をショルダーバッグにしまう。

「これくらいの雨なら平気だよ。一般人の私でも、ははは」

 夏奈の明朗な笑い声に横根がうなずき、園内をきょろきょろと探りだす。

「ドーンは?」俺がみんなに尋ねる。

「気づいたらブランコに座っていた。顔は忘れていなかった。お互いに」
 夏奈がむっとした態度丸出しで言う。

「でも桜井ちゃんと川田を見るなり逃げた。ちなみに私はカラスを忘れた。異形なのにただのカラス? ありえねー」
 大蔵司がおかしそうに笑う。あっけらかんとした顔を今日初めて見た。
「おかげで私が追い払わずに済んだ。ここの存在を知られたら困るからね。……みんなも肝に銘じといて」
 また感情を殺す。

「私は部外者でないから忘れぬ。ちなみに川田は和戸を追いかけた。桜井が電話してもでない。賢明な私が雅を向かわせたので、交替して戻ってくるだろう」
 思玲が眼鏡を拭きながら言い、十九歳に戻った横根をちらりと見る。

「それよりさ、あれはどっちの式神? 邪魔なんだけど」

 大蔵司の冷たい声が続く。公衆トイレを顎でしゃくっていた。
 その四角の小さな建造物の屋根の上で、六つの影が揺らいでいた。

「私が六魄ちゃんに運んでと頼んだ。式神じゃないから哲人さんと共有している」

 ドロシーが大蔵司をにらみ返しながら言う。
 コメントをかえすのも馬鹿馬鹿しくて、俺は思玲へ顔を向ける。

「奴らが夏奈の魂を狙っている。だけど魄は神出鬼没だ。倒すにはどうすればいいかな?」
「あん? 桜井は連中の望みに応じたのか?」
「うん。でも平気っすよ。しらを切るし、ははは」
「そういうことらしい。当面の問題は川田だ。記憶なき和戸は、私達から離れるのが最善だ」

 ドロシーが俺を見ているのを感じる。放置したいけど、彼女こそ戦力だ。だから俺も向きを変える。

「思玲の反応を見ただけだよ。やっぱり無害ぽいね」
(しい)! 六魄ちゃんは無罪だ」

 不安げな顔が百八十度変わる。心の声で返事しろよ。ちゃん付けするな。そんな態度は見せない。俺は役者を続ける。みんなのために、こいつをたぶらかす。

「さっきはごめんなさい。ずっと哲人さんの言った意味を考えていた。やっぱり私はこの社に来るべきじゃなかった」

 例によってずれた回答。夏奈が俺達を見ているし。

「とりあえず六魄を追い払ってね」
 そう告げて、空へと顔を向ける。「ニョロ子いるのだろ。(沈大姐と藤川匠の戦いの結末を)みんなに教えてよ」

「待てよ、執務室長にも見てもらう。台輔呼んできて」
 大蔵司が即座にとめる。

「もう影添わずの結界が張られて入れないな、きゅーきゅー」

 地面から返事が戻る。大蔵司が舌を打つ。

「戦いのときだけ素早いデブを呼んでくる。思玲、それまで待っていて」
 大蔵司がビルへと小走りする。

「マジでスマホを使わぬなら、私が借りてもいいぞ」
 思玲がその背に言い、
「それは冗談というか不要だ。ドロシーが琥珀の遺品を持ち帰ってくれた。安っぽい印鑑もあったが、いらぬ誤解が生じそうなので捨てた」
 バックからスマホだけをだす。
「人でも扱えるままかもしれぬらしいが、トラップが怖い。哲人ならば可能という噂がなくもないかもしれぬ」

 覚えがある展開だ。あの時と同様に、ロック解除の仕方は聞いている。

「思玲の顔で解除できるけど、保証はない」
 顔面に罠をたっぷり受けても自己責任だ。それより「琥珀は本当に死んだのかな」

 夏奈へ尋ねる。悲しみの感情が湧かない。

「一瞬だったけど間違いない。魂は浮かばなかった。……月神の剣。とてつもなく強かった」

 しゃしゃりでるな。お前には聞いてないだろ。

「ドロシーは琥珀を見殺しにしたんだ」
「……藤川匠が素早かった。だけどごめんなさい」

 そうやってうつむいて黙っていろ。

「主であった私でなく哲人に謝るのか? そして私は平気だ。復讐は不要だからな」

「いいえ。私と哲人さんで必ず果たす」
 すぐに顔を上げやがる。

「俺が組むとしたら思玲だよ。琥珀の主だったのだから当然だ」
 こいつとできるだけ行動したくない。「でも思玲も夏奈も望んでない。暴れたいのはドロシーだけだ」

 ドロシーが青ざめた顔で見つめてくるので顔をそらす。

「……哲人」
「あっ、川田君が戻ってきた」

 思玲が怖い顔をしだしたけど、横根の言葉で宙ぶらりんで終わる。

 *

「守ってやると言ったのに、俺を怖がってどうにもならない。スマホと財布がないと騒ぎだした。うるさいから雅に任せて帰ってきた」

 川田が横根の隣で言う。横根が横にずれても貼りつく。

「川田を覚えてはいたんだよね?」俺の問いに、

「ああ。リクトでなく川田と呼ばれた。哲人がどうしただの言っていたが、人の声でわめかれると殴りたくなる。我慢して、胸ぐらをつかんで静かにしろと言うだけにした。シャツが伸びた」

 人になった姿を俺に見せることなく、ドーンは去っていった。人に戻るなり災難に遭ったみたいだけど、俺のことを覚えていてくれる。財布は俺の机にしまってあり、幼い思玲に没収されて消えたスマホはユニットバスに現れただろう。
 ドーンが狙われるはずない。雅がいるならば安心と思おう。そうじゃないと先に進められない。生きていればすぐに会えるわけだし。

「お前ら忙しすぎ。思玲ちゃんがいるのに結界を張らないのかよ」

 傘をさした麻卦さんがやってきた。大蔵司は相合傘を拒んで濡れたままだ。

「白虎には効果なかった」思玲が答える。「一部の人間にも、たやすく」

「このままでいいし。蛇、見せろ」
 夏奈が言っても何も起きない。

「ニョロ子、お願い」

 俺の一言で飛び蛇が中空に姿を現す。同時に視覚が飛び込む。



「峻計からの言付けか? 違うみたいだな」
 藤川匠が俺を見上げた。
「誰の命も奪わないならば許可する。それは伝えたか?」

 さもない街角を歩く藤川匠が縦に揺れる。ニョロ子はうなずいたようだ。

「僕からあいつに伝えることがある。
僕は中国人のおばさんと戦った。命は残してやった。僕を殺さないと、あの人が戦いのまえに宣言したからね。代わりに弦楽器を壊した。コレクションみたいに魔道具を詰め込んだ巾着も消滅させた。式神の翼竜が加勢してきた。速くて強固な結界を張るそいつを倒すのは、簡単でないからやめた。おばさんは足を引きずり、そいつの上に乗って逃げた。以上だ。
……もっと聞きたいみたいだね。僕が伝えてないことがあると感じたか。さすがは有能な飛び蛇だ。でも、これ以上は教えない。僕はお前を信じていないからだ。いまここで殺してもいいとさえ思



 視覚が唐突に終わる。
 ……藤川匠はニョロ子を疑っていた。そして俺の式神になるなり殺そうとした。ニョロ子は慌てて逃げた。
 しかしニョロ子は大胆すぎ。おかげでタイマン勝負の結果を知れた。

「やっぱ、たくみ君すごいね。殺さなかったし、よかったー」

 夏奈は安堵しているけど、沈大姐に圧勝したというのは、やはり凶報かも。

「蛇。藤川匠は峻計に何を許可した?」
 思玲が腕を組みながら言う。

 ニョロ子が俺を見るのでうなずく。また視覚が飛びこむ。

 病室? 首に包帯を巻く父。半身を起こして笑みを浮かべている。やはり微笑む母。二人にスマホを向ける壮信――。
 感情が湧きあがるけど、視覚は弟へとズームしていく。俺の感情すべてを覆うほどに。場面はいきなり切り替わる。

「蛇よ。傀儡の術って知っている? それをかければ、自分で自分を殺させることもできる。いつか見せてあげる」

 闇のなか、顔に傷を負ってないころの峻計が邪悪に笑う。




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