二十二の三 記念館の大欅

文字数 2,740文字

「もう結界はいらないだろ。はやくどかしてくれ」

 川田の疲れた声が聞こえた。
 汗だくの思玲が姿を現す。俺もそこへと降りていく。

「この薄さなら自分で消せるだろ」

 思玲が中空を足蹴する。現れた狼が伸びをする。

『坊や、また来たね』
『ロタマモ、こう見えても毛がはえた大人だろ。キキキ』

 図書館方面から下卑な声が聞こえる……。大学にはこいつらがいた。

「お前、憑りつかれたのか? あいつらの甘言に乗ったら最後、私の力ではどうにもならぬからな。気を張っていろ。護符でも握っていろ」

 思玲に軽蔑の眼差しを向けられる。
 言われたとおりに、横根の体の下にある木札を取りだす。……はやく逃げろと告げている。俺だけどこに逃げろと言うのだ。

 *

 広い敷地の裏側を奥へと進む。人間数人とすれ違ったが、俺が先行してサインを送り問題なく通過していく。
 大学内でも古びた建物である記念館の裏に行けば、大ケヤキが枝をひろげていた。桜井が飛んでくる。上空で草鈴を落とし、思玲が片手で握るようにキャッチする。俺は横根を抱いたままケヤキへと浮いていく。

 やさしくも気難しくもないけど、この木は泰然としているな。枝葉の中に入っていけば、スズメの一団が昼寝していた。俺だって呑気に過ごしたい……。ここは清らかどころか荘厳な空気がただよう。
 横根を服からだす。

「そこがよくね? 葉っぱを敷いといた」
 ドーンが上の枝から言う。勧められた枝の股に、浅い息の白猫を横たえる。
「一人で抱えてきたんだな。俺、さらに哲人を尊敬しそう。はやく休めよ」

 そんなこと言われると余計に疲れてくる。横根の脇に腰かける。……この大木は横根を受けいれてくれたな。妖怪である俺も受けいれた。使い魔達の呼ぶ声も、老木はかすめてくれる。

「たしかによき木かもしれぬな」
 思玲の声が下から聞こえる。
「木霊があるはずない。この木のもとなら、川田も人と寄り添っていれば誰も不審に思わぬだろう」

 ケヤキは柵に囲まれているけど、思玲達は中に入るつもりか。……雨あがりのひと時なのだから、魔道士と狼がケヤキの下で昼寝しようが誰も(とが)めないだろう。桜井が無言で飛んできて、俺の肩で羽づくろいを始める。横根の息が静かになる。苦しんではないよな。

 隕石が衝突するまでに残された、あきらめを受けいれた人類の最後の安らぎ。そんなシチュエーションに感じてしまう。どうすれば、あきらめずに済むのだろう。

 知らぬまま終わりそうなことが多すぎる。なぜ異形でもないカラスが、俺を本来の人間として見えるのか。同じように、図書館の魔物達やツチカベという野良犬だって気になる。俺が受けたであろう透明無垢な光のことも知りたい。異形になって消えたカラスが言っていた、ミョウオウ様ってなんだ? そして流範が消える間際に残した、劉師傅が死んでも思玲は悲しまないみたいな言い分……。

 なんだか本当に疲れたな。白猫の毛をやさしくさする。横根の体に入れられた珊瑚だって気になるが、彼女がまた目を開けてくれるか、それだけが気にかかる。でも、猫の姿で元気になったところでどんな意味があるのだろう。
 珊瑚の力で横根だけ人に戻ったりして。そして俺達を助けてくれる。あり得そうもないことを夢想する。

 お札を懐にしまいあくびをする。人だったときも含めれば、三十時間はほぼ寝ていない。川田の部屋での数時間の仮眠の前は遅番だったし。
 幻影の桜井は俺の肩を枕にうたた寝だ。今朝がたカラス達にひどい目にあわされたのだから、ゆっくり休んでもらいたい。ふわあああ……
 こんな状況なのにマジで眠い。大ケヤキのせいだ。この老木は祖母を思いださせる。ひろがる枝の向こうの空は、はるか昔の夏休み、縁台でお婆ちゃんの膝に頭を乗せて見上げた空に似ている。
 目を覚ましたら人間に戻っていないかな――

「松本君、起きてよ」

 高校のテニスコートのベンチに座っていた夢の中で(大会でダブルスを組んだ奴が横にいたような)、横根の声が聞こえた。
 まどろみの時間が消える。

「瑞希ちゃん、目を覚ましたんだ! 具合は大丈夫? 水飲む? なんか食べたい?」

 桜井が耳もとで鳴き声と感情を爆発させる。おかげで一気に目が覚める。

「夏奈ちゃん、ごめんね。でも、まだつらいし、胸がすごく熱いよ。心臓がかってに動いているみたい」
 横根は珊瑚が体内にあることを知らないのかもしれない。
「それより、なにか来るよ。逃げようよ」

 ……猫の六感。俺もあふれるばかりに緊張した木札に気づく。俺達以外に異形がいる。

「哲人、降りてこい。桜井は瑞希を守れ。和戸も上にいろ」

 小鳥が枝に飛びおりる。俺は下へと向かう。
 なにかがいる。異形ではない。ただの宅配便のお兄さんだ。

「スミマセン、デモ助ケテクダサイ」

 お兄さんは目の前に降りた俺に気づくこともない。抱えられない大きさの段ボールを乗せた台車を前にして、放し飼いで牙を向ける狼を恐れつつ、汗だくで思玲に懇願している。
 この段ボールが気配の根源だ。

「アナタシカ人ハイナイノデス。アナタニ渡セバ終ワレマスヨネ。ダカラ、コチラニサインヲオ願イシマス」
 配達員のお兄さんは思玲へと端末を差しだす。

 思玲は扇を持った手で眼鏡を持ちあげる。
「こいつはなんと言っている?」
 お兄さんには聞こえぬように、心へと声をかけてくる。

「荷物を受けとれと。そういう手はずがあったのですか?」
 俺は護符を取りだす。……うずいている。発動しかけている。

「そんなものはない」思玲が断言する。

 お兄さんが俺の手もとを凝視する……。木札が浮かんで見えるのだよな。

「ワ、私ガサインシテオキマス。関税トカモケッコウデス。……何ガナンダカ分カラナイ」
 怯えた顔のお兄さんが端末を指でなぞり、荷物を台車ごとおいたまま正門へと走り去る。

「傀儡の術ではない……。その箱に術がかかっているな。青龍を探し求めている」

 思玲が扇を口にくわえて、バッグから小刀をとりだす。それぞれを両手に持ち、亮相にかまえる。

「あれだけ気配を垂れ流せば、たやすく見つけられるわな。お前らは下がれ」

 段ボールが膨らみだす……。
 思玲が扇と小刀を交差させる。金色と銀色の光が螺旋をえがき、段ボールに吸いこまれる。光が目前で爆発する。思玲がさらに両手を交差させる。また螺旋が放たれる。さらにもう一発。
 黒い煙が霧散した術と混ざりたちこめる。彼女は小刀を持ったままの手で、ひたいの汗をぬぐう。黒煙の先に、人ではない気配をいくつか感じる。

「グフフ、穴熊め。箱ごと老祖師の術を消しやがったな。ついでに(ツアン)が溶けちまったぞ」

 野太い声。煙は静まっていく。異様にでかい人間三人が露わになる。もちろん人間であるはずない。




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