七の三 リュックサックとタクトスティック
文字数 2,888文字
「君は座敷わらしだね。私は妖怪にも詳しいの。へへへ、今風の服だ。かわいい」
はにかんだあとに真顔となり、ドロシーも立ちあがる。
「
王姐とは思玲で、仲間とはシノとアンディだろう。救ってもらった身で言うのもなんだが、この女は絶対に勘違いしている。あの女の子が強いはずない。つまりドロシーは、思玲が術も使えぬ少女になったことを知らない。
「思玲は悪い人間じゃない」
俺の言葉に、ドロシーは横に首を振る。
「鴉もどき達にひどいことをやらせたのは誰? 君は餌になるところだったよ」
切れ長の目で、やさしく俺を覗きこむ。
「あの女は人間さえも配下にした。――数時間前に若い男と接触した。追いつめたら、とんでもないことをしでかした。典型的な愚かな人間だったよ」
思いきり俺のことだ。あの愚かな人間と気づかれてなさげだが、この話題から離れたほうが無難だ。俺は日なたへとでる。八月中旬の太陽が傾きだしている。
「さっきのカラス達は大カラスの子分らしい。そいつらが三羽、いや二羽来るかも」
俺は地面に腰をおろし、箱を護布で包む。
焔曉は抜け殻になったと言っていた。魂が抜け落ちたことを意味するのなら、一羽はもういないのだろう。とにかくあの五人で集まらないといけない。そのためには、この女をまかないとならない。
俺は四玉の箱を持ち上げる……。無理だ。妖怪であろうがさすがに重い。
「だから?」ドロシーは俺の言葉を気にも留めない。「その箱はなに?」
「大事な箱。楊偉天が狙っている」
つっけんどんに答えると、彼女が息を飲んだ。
「あんなのに狙われているの? 君はそれを奪ったから襲われたの? でも私となら大丈夫かも」
ドロシーもしゃがみ、サテンの上から箱を持ち上げようとする。ぴくりともしない。
「なんでこんなに重いの? 仕方ないな。私が運んであげる。代わりに王姐のもとに連れていって。こっそりとだよ」
陽のかげりとともに、草むらの虫の声が騒がしくなりだした。野鳥がおやすみと早めのあいさつを交わす。彼女は小柄なリュックを地面におろし立ちあがる。昼間も背負っていた迷彩柄だ。細い棒を取りだす。
「私は扇でなくてタクトスティックなの」
また、はにかむように笑う。彼女の端麗な顔立ちが柔和に変わる。
「PKの術を使える者はそうはいない。制御が難しいけど、魔道具自体が弱いから問題ないよ。……ほかにも魔道具はあるから心配しないでね」
ドロシーが小ぶりな棒を振るい宙に術を描く。指揮されたように、四玉の箱がすーっと浮かびあがる。サイコキネシスだ――。箱はまたたく間に山門を超え、天高く浮かび上がる。小さな点になり見えなくなる……。
「だ、大丈夫、まだ大丈夫」
あんぐりとする俺の横で、ドロシーが指揮棒を空へと威勢よく振るう。小さな赤色の点になった箱が、みるみる落下してくる。彼女はリュックの口をひろげて待ちかまえる。隕石のような勢い落ちてきたそれを、俺の脳天すれすれでキャッチする。腰が抜けかけた。
なにもなかったように、ドロシーがリュックを軽々と背負う。くちびるを突きだし俺へと投げキスをする。
「ヘヘ、あの二人への目印」
彼女が俺の手を握る。「GPSは作動しているけど念のため。じゃあ行こうか」
またかよ。なんで俺につけるのだよ。これだと空に逃げても追跡される。……ドロシーは悪意ない顔で微笑んでいる。それを信じるべき…………。
東京での、人を人と思わぬ態度を思いだす。
「思玲をどうするつもりだ」
あの子も人間だった。俺の声に、彼女の目がさらに細くなる。小学生の男の子がいきがっているぐらいにしか思わないのだろう。でも、
「痛めつけてでも香港に連れていく」
笑みを飲みこみやがった。
「台湾の内紛の巻き添えで先輩達が死んだ。平常時業務に小鬼ちゃんが契約していた流れで、私が王姐に連絡した。彼女と小鬼の話が一致して、手助けすべきだと思った。でも十四時茶会に報告したら、『思玲の目を見て判断すべき』と決議した」
小鬼とは噂の琥珀のことかも。十四時茶会は……、夢物語でも聞いていないよな。
「それを王姐に伝えた」
ドロシーは話を続ける。
「『貴様達の手助けなど無用。我々に関わるな』と返事が戻った。それで『香港に連行して尋問』と十四時茶会が決めた。ケビンとサポートにシノが選ばれた。私も志願した。妖怪変化がいまだたむろする国に行くためにね。アンディも手をあげた。でも、ここまで来てケビンだけ召還された……。ヘヘ、三人いれば充分だから心配しないでね」
こいつは喋ることで怯えをごまかしている。黄昏の異国の山寺に座敷わらしとだけなら当然だ。とにかく、とても思玲のもとに連れていけない。ドーンも巻き添えになってしまう。
カラスは消えたし怖い魔道士も去った。ここは子供のころから何度も来た場所。お化けなんか見たことないし。多少でかいカラスが来ても、フサフサのが強そうだ。あのおばさんがいれば、あいつらは安全かも。
だったら俺はやるべきことをしよう。あの林を抜けると集落にでる。そこを抜けて林道を登れば、お天狗さんが、おそらくまだある。
俺はふわりと前へ進む。それだけで首と背中の傷がずきずきする。
「俺は自分の用事のためだけに山の神社へ行く。あなたは帰るべきだと思う」
彼女に告げる。紙垂型の護符はまだあるだろうか。
「へへ。そこに王姐がいるんだね。暗に教えてくれた」
なんで都合よく解釈するのだよ。着信音がして、ドロシーがうんざりとした顔になる。リュックからスマホを取りだす。
「ワッツアップって人間用のアプリ。――ケビンは戻った。台湾の式神を捕獲。王姐は近くにいる。先行して偵察する」
俺にも伝えるためか、異形への声を口にしながら打ちこむ。それを外ポケットにしまい俺の手を握る。にっこりと目をほそめ、
「シノ達は、なにかあれば警報を鳴らすから大丈夫だよ。私だって鳴らすし」
こいつらは魔術プラス21世紀の技術だ。俺達は連絡相手もないスマホだけなのに。そもそもシノは、俺の手をポケットに入れさせたマジシャンじゃないか!
「あいつらは俺を操ろうとする」
夢物語で聞いた傀儡の術を思いだす。逃げないと。
「大丈夫。君を式神にさせないから」
ドロシーはなにか勘違いしている。人や異形を操る術だと言うと、
「ヘヘ。妖術なんか使えないよ。筋肉への電気信号を操作するなんてせこいのはあるけど、異形はかからない。人間もよほど怯えてないと無理」
彼女はなにか思いだしたように嘲笑を浮かべる。たしかに俺は怯えていたよ。
「もう午後六時過ぎだ。急いだほうがいいね」
彼女が俺を握る手にはめた腕時計をのぞく。
「へへ。日本の山なら新月の前夜祭があるかもね」
彼女はやや汗ばんだ手で俺の手を引っぱる。この女は強がっていると感づく。
術のマーキングを受けた右頬が無用に火照る。これがある限り、ドロシーと大峠のお天狗さんへと向かうしかない。握る手だけは振りほどく。
次回「子どもだけど純粋ではない」