四十の三 ダンスパートナー

文字数 5,098文字

 貪は人の姿でも空に浮かべた。
 どこまでも闇。頼りなき浮遊感。

「火伏せのしわざで手がしびれて離しそうだぜ。そしたらお前は朝鮮の古都へ真っ逆さま。二度と日本に戻れない、ゲヒゲヒヒ」
 貪が邪悪な笑みを俺へと寄せる。
「だが殲がお前を拾う。なので俺はお前を手放さない。殺意を向けずにいれば、じきに護符も落ちつく。なのでダンスのお相手をしてくれ。俺様が殲を倒すまで。ゲヒゲヒヒ」

 褐色肌の若い男が股間を押しつけてくる。舌で俺を舐めようとするから、顔を背けてしまう。こいつはまた笑う。

 考えろ。それが俺の武器。
 貪は殲に狙われぬために小さくなった。サキトガがしぼんで逃げおおせたのと同様だ。そして貪はこの姿でも殲を倒せるのだろう。
 そしたら俺は某国の首都に落とされる。この高さからだと妖怪な俺でもたぶん死ぬし、そうでなくても長編小説を投稿できるほどの展開が待っていそう。

「お前の飛行機がやってこないな」
 貪は待ってくれない。「試しに落としてみるか」

 貪が俺から手を離す。同時に落下。妖怪のくせに胃がすっと上がる。

「見つけた」
 その声とともに、貪が俺を背後から抱える。その手に黒い槍が現れる。指が一本欠けた手。俺が消した指――
「あらよっと」

 投じられた長槍が真下の闇に刺さる。

クワアアアアア

 殲の悲鳴が響きわたる。姿は現さない。

「ゲヒヒヒ、それは俺の牙だぜ。痛いだろ?」
 その手に槍が戻ってくる。「俺は英語も知っているぜ。せーの、ワンモアタイム」

 貪の片手が俺から離れる。

「や、やめ」

 またもフリーフォールの俺。ぐんぐん落ちる。ぐんぐん、ぐんぐん……。某国首都のか細い灯りが、個別に見えだした。ひときわ明るい宮殿みたいな建造物。そこに向かって落ちる……。

「殲!!!!!」叫ぶ以外に道はない。

 速度を増す一方の俺を、上空からの槍が追い越す。

クワッ

 殲が悲鳴を飲みこむ。俺はつるつるの鱗に着地する。
 俺を拾うために姿を晒した殲。真上に貪が浮かんでいた。両手に槍。

「ほれっ、ほれっ」

 一本は俺へと。もう一本は殲の頭へと。

ドクン

「クエエエ~」

 護符が発動しやがって、殲が悲鳴をあげたじゃないか。
 俺へと飛んできた槍を、それでもお天狗様ははじく。
 殲の頭上に槍が突き刺さる。

「クエエエエエエ!!!!!」

 殲が絶叫してもだえる。俺はツルツルの上で耐えることできず、また闇空に落とされる。……俺もしくはドロシーと、殲の相性悪すぎ。
 背後から抱えられて落下速度が落ちる。それどころか浮上する。
 黒い影が眼下を飛翔するのが見えた。もはや殲は結界を張れないのか?

「いてて……まだ護符は元気。あの翼竜もすごい忠誠心だな。お前の布団になるために、なおも下に向かったぜ」
 貪が俺の耳に口を寄せる。
「俺様はそこまで匠様に従えないぞ。だってあの方は最強でなくなった。もっと怖い魔道士から守ってもらえない」

「ドロシーのことか?」
「夏梓群のほかに誰がいる? 俺より怖い龍を抑えるのは匠様ではないのかもな」
「ドロシーでもない」
「……さてと、俺様はお前と一緒に翼竜へ突っ込むぜ。俺を避けなきゃ槍でグサリ。避けたらお前は地面に加速してズドンだ。ゲヒヒゲヒヒ」
「お前をズドンとするのはドロシーだよ。ドロシー」

 死の舞踏。俺は人である貪に抱きしめられながら、結界を張れぬ翼竜へと急降下していく。
 また貪の手に槍が現れる。
 貪は賢い。けど愚かだ。貴様の口から彼女の名前を聞かされた。
 もう一人の花咲き誇る夏。春じゃない。麗しいだけじゃない。陽に立ち向かうように強く咲く夏の花。

「ドロシードロシードロシードロシードロシードロシー」
「おかしくなったか?」

 うるさい。龍を倒す者の名を声にして聞かせてやっただけだ。
 生と死の狭間で離れ離れになり、俺は完膚なきまでに気づかされる。俺なんかより大事なのはドロシー。自分の身より大切なのはドロシー。彼女を守るために、まだまだ死ねない。
 そのためだけに、俺はあきらめない。
 真下へ叫ぶ。

「殲! 波動だ! 俺ごとぶっつけろ」

 殲が上を向く。間近でくちばしを開く。渦が見えた。



 **デニー**

「……分かった。念のため黄衣部队(ファンイフゥトゥイ)を招集しておけ」

 私はスマートフォンを切る。留守居からの連絡によると、貪が中国間際まで近づいているらしい。野放しではないか。藤川匠は何をしている?
 私には何もできない。ドロシーに任せるしかない……。
 異形になったあの子を見るたび、人であったときの華麗さを思いだしてしまった。松本に任せるだけなのが悔しい。でもいずれ、奴は彼女を忘れざるを得ない。そしたら私しか彼女を守れない……。
 しかし、あの子と殲でも苦戦中か。逃げる龍を追うのは難しい。仲間が松本だけでは厳しいだろうな。

 沈大姐とは連絡が取れない。あの方はよくあるから心配はしない。それよりもドロシー。あの子はいまも可憐に戦っているのだろうか……。
 ここはなんなんだ。今度は若い男が階段を降りてきた。この気配は魔道士だ。子犬を抱えている。

「……コカトリスかよ。つまり、お前が藤川匠か?」

 男の手に洋弓が現れる。緊張した顔で私を見てくるが、韓国語の忌むべき声……。
 私は深圳での麻卦の言葉を思いだす。白虎を狩る、凄腕の魔道士。

「いや。君はイウンヒョクだな。なぜにここへ現れた?」
 私は中国語の忌むべき声を返す。

「質問に答えろ。お前は誰……中国人か。……その子は見覚えあるような、ないような」

「横根瑞希です。影添大社に保護されていました。本来の年齢に戻れました」
 彼女が言う。その言葉に希望が生まれていた。
「思玲を助けてくれましたよね。この人はデニーさん。上海から正義のために来ました。彼も助けてあげてください」

 正義だと? 私が?

「匂いでわかるよお。このかわいい子は嘘言ってないよお。この人も悪じゃない」

 ウンヒョクの胸もとで子犬が……子熊じゃないか。しかも半島生まれだ。いずれ凶暴凶悪なんてものじゃない。

「この

は黒乱。こいつが悪しき匂いを嗅ぎつけたから、ボランティアでやってきた。自堕落なホールへ踊りにきたわけじゃないぜ」
 ウンヒョクは私をにらんだままだ。
「正義のチャイニーズを助けるはいいが、そのコカトリスはあんたの式神か?」

「みたいなものだが処分の予定だ」
「そりゃかわいそうだ。こんなかわいい顔しているのに」

 ウンヒョクがヅゥネの頭をさする。雄鶏の化け物は拒絶しない。こいつは禽獣系使いの資質があるな。
 私に妙案が浮かぶ。あの子の力になれる。

「上海の部下から連絡があった。君の祖国の隣に化け物が現れたらしい。心当たりがあるのでは?」

 その言葉に、ウンヒョクの顔が凍る。
「暴雪……白虎か?」

「さあ? だが、コカトリスは飛ぶのが恐ろしく速い。貸してやってもいいぞ」
 毒をまき散らす邪悪な異形をだ。

「暴雪の気配はないからあ、冥界に行ったのかと思っていた。ごめんなさい~。でも癒すためかな? それともお、獲物があっちにいったのかなあ」

 黒乱と呼ばれた子熊の言葉に、ウンヒョクの顔がさらに暗くなる。

「そ、それは白虎じゃないと思います。たぶん貪です。松本君とドロシーが追撃しています」

 なんて馬鹿正直な娘だ。融通をきかせてくれ。こいつを龍狩りに巻き込みたかったのに……。この子の記憶を消すのはやめよう。人の世界に戻るまで、正義である私を覚えていてもらいたい。
 イウンヒョクが私を腹立ちげに見下ろす。

「噂どおりに上海さんはあくどいね。だが、俺よりずっとひどい傷だ」
 子熊を地面に降ろし「黒乱は彼に癒しを与えろ。それでデニーさんは歩ける。さすがに戦うのは無理だけどな」

「はあい」と子熊が、ちょこちょこ歩いてくる。
「代わりに、そいつにウンヒョクさんを乗せてあげてよ。お祭りに参加するって」



 **松本哲人**

「なんて奴だ!」

 貪の悲鳴と同時に、俺は空高く吹っ飛ぶ。貪が俺から離れかける。……背骨がきしんだ。でも俺はお天狗さんが守ってくれる。しかも満月系で甲羅が(たぶん)硬い玄武だ。これくらいの衝撃は、峻計の漆黒の螺旋よりぬるい。
 ドロシーの紅色の閃光よりもはるかにちょろい!

 俺のドロシーへの思いのが、はるかに強い!

「貪め!」
 俺は右手で貪の肩をつかむ。こいつと離れない。左手には発動した火伏せの護符。握りしめる。
「踊れ!」
 奴の顔面へと拳を食いこませる。

「ゲヒー!!!」

 貪が悲鳴をあげる。
 俺は右手を離さない。

「踊れ! 踊れ! 一人で踊れ」
「ゲヒッ、ゲヒッ」

 俺のダンスパートナーは貴様じゃない。人の形になった邪龍を殴りまくる。奴の顔を左右へ交互に揺らす。

「松本めゲヒイ!!!」

 貪が浮かび上がろうとするので、頭突きを喰らわせる。俺は痛くない。奴は悶絶する。

 月が西から地上を照らす。暗い海のきらめきが見える高さ。
 俺と貪は地球に引っ張られる。
 貪の口が裂ける。炎を吐こうとする。
 俺は奴の口へと拳をめり込ませる。

「一緒に墜落したいか? それまでダンスを続けるか?」
 右手は離さない。もっと抱き寄せる。
「でかくなれよ。ここから肝を抜いてやる。まずそうだが食ってやる」

 貪が俺の拳を噛み砕こうとして、お天狗さんの怒りが絶頂になる。

「ギヤアアア」

 貪の裂けた口がさらに裂ける。黒い血が俺にかかりまくる。
 それでも右手を離さない。左手を喉の奥へとえぐりこませる。

「……松本は何者だ?」
 伝説の龍が俺の手をくわえたままで言う。

「そのセリフは聞き飽きた」
 さらに拳を食いこませる。

「高度3000メートルから時速800キロメートルを越えて地面に激突する。あと二十秒後だ。細かい計算は貉に尋ねたことがある」

 見えない翼竜が警告する。お前だって露泥無を頼っていたな。俺らだって何度も助けられた。

「十八、十七、十六……」
 俺はカウントダウンを始める。「はやく龍になれ。そのまま口に飛びこんでやる。十二、十一、十」

九、八、七

 眼下は北朝鮮の深夜の大地のまま。とりあえず海ではない。……護符の怒りがおさまっている。つまり貪は俺への殺意を消した。

六、五、四

 ……はやく龍になれよ。俺を殺したいと思えよ。時速800キロで激突するぞ。
 抱きあった貪が、俺の拳をくわえたままで俺を笑う。なおも企む目。

三、二

「龍になれし!」
「お前が下だ!」

 貪が空中でステップする。俺は仰向けの姿勢になる。貪がのしかかる。
 西に間際の望月。東の雲は薄れていく。なおも天を満たす星。
 ようやく護符が発動する。

一、零

「ぐえ」
「げひ」

 あり得ぬ衝撃にも、二人とも声をもらしただけ。周りは痩せた灌木。林に落ちたみたい。
 ……痛みがじわじわと広がりだす。ドロシーに受けた背中の傷から全身へと。あっという間に激痛で、胸に槍が刺さっているのを現実感なく見てしまう。

「衝撃の力を応用したぜ。俺の牙が護符に勝った」
 貪が立ち上がる。欠けた指。
「俺がお前の肝を喰ってやる。生きたままでな」
 俺の心臓を槍でえぐりだそうとする。
「お前のパートナーが来るまえにな」

 一人きりのドロシー。いまどこにいる?

「邪魔だ!」貪を払いのける。

 時間がかかり過ぎだろ。すぐに助けにいくのだろ。
 俺は立ち上がり、胸の槍を引き抜く。へし折る。

「俺様の牙を……」
 貪も立ち上がる。
「法具がなくても怖い力だな……!」
 俺の背後へと目を見ひろげる。

 俺も感じた。頭のすぐ上を通過する波動を。
 貪が林ごと吹っ飛ぶ。
 俺の頭に何かが落ちてくる。痛くはないけど……ドロシーのリュックサックだ。

「飛び蛇はすぐに去った。へとへとだったぞ」
 上空低くで殲が教えてくれる。

 俺は空を見る。まだ見えない。でもきっとドロシーが来てくれる。

「お前から安堵を感じるぜ。その背荷物も覚えているぜ。つまりダンスタイムは終わりだ」
 林の上に黒煙が漂う。貪が実体化していく。巨大すぎる龍になっていく。
「じやあな。あばよ」
 こいつはリュックサックから――純度百の白銀弾から逃げる。
「……おいおい死にぞこないの翼竜め。結界をはずせ」

「自力で壊せよ、ははは。龍の旦那も弱っているな」
 殲が俺の前に降りる。巨体なのに貪と比べると、大蛇の獲物のトカゲ。
「俺の残りの力で林全部を結界で覆った。さあさあ踊り明かそうぜ。さもないと、俺があんたを食ってやる」

「……やけっぱちだな」
 閉ざされたはずの貪が笑う。「翼竜ちゃんを殺せば結界は消える。俺は飛び去り、松本はこの国に残される」

「御託はいらない」
 俺が言う。「今夜の祭りは終わりなのだろ?」

 終わらせるのは俺じゃないにしても。




次回「龍を狩るもの達」
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