二十一 雨あがりの旧街道
文字数 3,982文字
どん詰まりでやるべきこともないから、俺達が出会ったときを思いだしたりしてしまう。雨の去った町はすがすがしいが、男子三人を囲む状況はさほど変わらない。
「八方ふさがりだな」
分かりきった現状を、川田がまた口にだす。
狼は、マンション前駐車スペースの大型四駆の下にひそんでいる。車上には、カラスと妖怪がまとわりついている。
国道にはパトカーがこちら側に一台、向こう側には大型車両まで停まる。ここまでなんとか来られたけど、さすがに川田も突っ切るとは言わなくなった。
「機動隊までいればね」
あれが機動隊の車両なのか。こういうことはドーンのが物知りだ、などと感心している場合ではない。
「何人か川田にスマホを向けていた」
注目の的だと、俺はみなまで言わない。一部のツイッターあたりでは、かなり話題だろう。放し飼いの大型犬がカラスを乗せて走れば仕方ないが、暇人が探しに来るかも。
「夜まで待つしかね? 俺が思玲のところに飛んでくよ。状況説明して、すぐに戻る」
ドーンがルーフキャリアで羽づくろいをしながら言う。そのくせ飛びたたない。
「怪我をしていなければ、迎えに来てもらうのにね」
俺はボンネットでワイパーに挟まった木の枝をいじりつつ言う。飼い犬の真似をできないのでリードをまた買ってきてください、なんて頼めるはずない。
片側二車線の国道は渋滞気味だ。ここで待っているなんて言ったミカヅキは現れやしない。こうも不憫な身の上ならば、カラスであろうが頼りたいのに。
見えない服に手を突っこみ、中身を確認する。大事な木箱はちゃんとある。しかし腹にも当たらず、外にも落ちず、俺の服というか体はどういう構造だろう。
「俺へのあてつけか?」
いきなり声がして、俺とドーンは飛びあがるほどにびくりとする。……ミカヅキのからりとした声色と正反対の、地中からうめくような声。
「臭い匂いがしていたが、お前かよ」
川田のうなり声が車の下から伝わる。
狭い側道を挟んだビルの隙間で、わずかな闇に伏せるように、大きな黄土色の犬がにらんでいた。……ただの犬だ。俺達と同類ではない。なのに人の世界に属さぬ気配が漂う。
「そのカラスを背中に乗せていたな。ミカヅキもからんでいるのか? ケイダイの騒ぎもお前達だろ? あのババアと一緒に、俺を追いつめるためにな。ツチカベめ、はやく捕まれと笑っていたのだろ」
この犬の声は猜疑で凝りかたまっている。
「わけの分からないことを言うな。俺達はたまたまここにいるだけだ」
川田のうなり声が強まる。人に養われていない、おのれの力だけで生きる犬を前にして、虚勢を張っているようにも聞こえる。
「そうやって吠えていろ。そして貴様が人に捕まり、ホケンジョでもだえて死ね」
その犬は残忍な目で笑う。
「ここは俺の縄張りだ。野犬は俺しか生きていけない。まだ荒らすのならば、夜に現れる」
そう言うと、ツチカベという名前らしい野良犬は狭い奥へと消えていく。雨で湿った土色の背中は、皮膚病のためか短毛があちこちはげ落ちていた。
「無視しろよ。あの犬はヤバいぞ」
俺は下へと降りる。
「人だらけの町で生きのびているのだ。ろくな奴じゃない」
川田がようやくうなり声をとめる。
まともな犬であるはずがない。異形でもないただの犬なのに、服の中で木札がちょっとだけ存在感を示した。
「待たせて悪かったな。俺もあの犬だけは苦手でな」
空からカラスが降りてきて、またもやどきりとさせられる。ミカヅキはマンションのエントランスの上にとまり、俺達を見おろす。
「ハシボソのドーンは先に桜井夏奈のところへ飛べ。『私は外で待っているよ』だと」
「いきなりすぎって言うか、なんで俺が飛べると分かるんだよ」
「今朝と顔つきが違うからな」
ミカヅキは面倒くさげに答える。「飛んだら飛んだまま、こいつらを迎えに来るな。俺の道しるべがずれるからな」
ドーンがガガッと笑う。
「俺もカラスだからか知らないけど、こいつの言葉に逆らえね」
空に浮かぶ。雲の隙間から日差しを浴びる。
「カッ、赤色かよ。珍しいな」
ミカヅキはハシボソガラスを見おくると、ツチカベのいたところを一瞥し、俺に目を向ける。
「言付けだ。えーと、『瑞希ちゃんと思玲さんは結界にいる』だな。雨がやんだから、俺は別の縄張りを見まわって、ねぐらに帰って寝る。ゆっくり行けよ。人に戻れなかったら、また会おうな」
即座に羽根をひろげる――。
「待てよ!」呼びとめるに決まっている。「俺と川田も神社に行きたいけど、警察だらけなんだよ。……カラスで言えば、鷲や鷹だらけの状況かも」
ドーンを先に行かせたうえに簡単な伝言だけで済ませるな。今朝もだけど、こいつは喋るだけか?
「今しがた導いてやっただろ。ミツアシと呼ばれる俺がな」
こいつの回答は答えになっていない。俺のあきれ顔を見て、ミカヅキもあきれる。
「道しるべはあるのだから、案ずるなってことだ。哲人は川田を信じて、川田は哲人を信じて、自分も信じていけば、ゴンゲン様はすぐそこだ。お前らはよそ者かつ異形だから長居はやめてやれよ」
ミカヅキが飛びたつ。雲が消えさった空に、漆黒を鉄紺色に光らせながら小さくなる。狼も車の下からカラスを見おくる。
「どうするんだよ」顔だけだした川田が聞いてくる。
「たぶんだけど……」
ミカヅキが残した言葉は謎めいてみえるが、おそらく単純なものだろう。でも続きの言葉をだせない。
「たぶんなんだよ」
「たぶんはたぶんだよ」
会話が詰まる。二人乗りバイクがエンジンをふかしてあおるのに、パトカーは停車したままだ。
「たぶんたぶんしか言わないなら、俺もたぶんを言うぞ」
狼が空を見る。
「たぶん俺は七実と終わりかけている。それに瑞希ちゃんは、たぶん松本のことが好きだろうな」
このタイミングで持ちだすかよ。
「松本が桜井を好きなんて、たぶん瑞希ちゃんも知っているよな。みなそれぞれ、たぶんこれが青春って奴かな」
吹きだしてしまう。川田がまた名言を吐いたって、ドーンに教えてやりたい……こいつには救われる。
「狼でいるときぐらい言わせろ、松本だって幼児だろ」
川田が俺に牙を向けて、「悪かった」と謝る。
俺は笑いを飲みこむ。たぶんの続きを口にする。
「並んで歩けば大丈夫かも。自分を信じて」
言ってから後悔する。こんな思いつきを口にだすんじゃなかった。
「それなら行くか」
川田がのそのそと車の下からでる。体がなおさら固くなったと伸びをする。
「や、やっぱりやめよう」
車の下に戻そうと、川田の前に浮かぶ。また鼻さきで押しかえされる。
「うまくいきそうな気がする。あのカラスは言っていたよな。おたがいを信じろと」
片目の狼が歩道にでる。でくわした自転車のおばさんが転びそうになる。……おばさんが前方のパトカーに目を向けた。
「俺は松本を信じているから大丈夫だ。感謝してるぐらいだ。町田だかでチンピラにからまれたときからずっとな。だから、あのときと同じく横にいてくれ」
川田がパトカーの先にある信号へと歩きだす。
感謝されることなんてしていない。アパートに入りびさせてもらって、自習に机を貸してもらい、歯磨きセットまで置かせてもらって、俺のが感謝すべきだ。
あのときだって、俺はなにもしていない。連中は居酒屋で因縁をつけたうえに、店の外で執念深く待っていた。俺は囲まれた川田へと駆けよって、こいつの横でびびっていただけだ(ドーンはバスケの試合で欠席だった)。
でも、そう言ってくれるのならば、
「突っ切らずにゆっくりとな」
覚悟を決めて、川田の横へふわふわと浮かぶ……。
違うだろ!
俺は地面へと足をおろす。妖怪になってから大嫌いなアスファルトには水たまりが残り、太陽に照らされた水蒸気がこそばゆい。川田と同じ地面に足をつける。俺も川田を信じている。こいつの頑固さもやさしい正義感も大好きだ。
さきほどのおばさんがガードレールに自転車をもたげて、パトカーの窓を叩く。川田を指さす。警官がでてくる。助手席からも。どちらも片目の黒い狼を見つめる。
「自分も信じろよ」
川田に念押しする。俺だって自分を信じろと。
信じられるに決まっている。たとえ人に戻れなかったとしても、この二十年もの人生に誇りをもってやる。だから川田の横をゆっくりと歩く。人間どもには見えないだろうけど、大型犬と歩む人として。ただの飼い主と犬ではない。犬は飼い主をパートナーと信頼し、飼い主は犬をかけがえなきものと信頼する。ありふれていようが、深い絆に結ばれた一人と一匹として。
一人と一人として。
ハシブトガラスの長に導かれたままに、狼が警官達の横を通り過ぎる。それでもまだ目で追われるのを感じる。
ふと思う。路地で待っていろと、でかい狼を見かぎりドーンと一緒に思玲達のもとに行くのもありだったなと。そんな思いが浮かばなかったことに、小さく笑みをこぼす。
「なにを笑っていやがる」
川田が俺を見上げる。子どもの背丈の妖怪へでなく、もっと高い位置にある俺の目線へと。
警官達の視線はもう追ってこない。彼らに俺は見えなくても、信頼できる人間と歩く犬としか川田も見えていない。若い連中二人と見えていたら、このうえないけどな。
「お前なんかが友人になってくれてありがとうな」
川田がまた唐突に言う。「そのまま返すよ」と、俺も前を向いたままで答える。二人とも信号で立ちどまる。横根も七実ちゃんも今は関係ないだろ。続きはアパートでやろう。人間に戻れたのなら。
「さっそく暑いな」
川田がぼやく。信号が青になり、また並んで歩きだす。
長い横断歩道を渡りきれば、じきにあいつらと合流できる。なにひとつ好転していないけど、とりあえずはみんなでひとつになる。
時間はまだある。
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次回「権現様の檜舞台」