四十六の一 ゼロチューンな夢物語

文字数 4,752文字

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 木陰が心地よいほどに、日差しは朝から強い。

「ヤバい風邪だったらしいね。お勉強会頑張ってね」
 差し入れを受けとった三石が、俺へと微笑む。
「ドーン君には会っている? なんだか連絡取れないし」

 苦笑いを返すしかできない。
 俺はあの朝から体調を崩し、三日三晩うなされる羽目になった。病気はいきなり治り、四日目には健やかに朝を迎えられた。
 ドーンも体調を崩したが、俺の風邪とは違うたぐいだ。こっちは一週間以上たつが、よくなる兆しは見えない。細かいことは、まだ人に言うべきではないだろう。

「物騒だからな。気をつけて帰れよ」

 先輩の一人に言われて、了解ですと答える。自家用車とレンタカーに分乗して合宿に向かうみんなに手を振る。早朝にクラクションをひかえめに鳴らして、車は見えなくなる。
 俺も集合場所である公園の駐車場から歩いてでる。
 ドーンがいないだけで冴えないサークルに感じる。他に仲がいいのも三石ぐらいだし……。そろそろ学業に専念する潮時かな。

 先輩が心配したように、この界隈は一週間ほど前に大規模な器物損壊が多発した。俺の大学も被害にあったが(上空からの衝撃としか思えないクレーターもあった。なにをどうすれば?)、まだ犯人グループは見つからない。SNSも憶測だらけだが、いくつかの不審死と関連付けるのもあった。
 今の時代にこれだけのことをしやがれば警察は情報をつかんでいるはずだし、慎重なのはおそらく未成年が関わっているのだろう。

 被害にあったひとつであるテニス場の横を歩く。黄色いテープに囲まれた、内側から大きくねじ曲がったフェンス。焼けたネット――。これだけ大規模ことをして、犯人達が捕まらないはずがない。でも、墓地を滅茶苦茶にしたのだけは許せない。未成年だろうがなんであろうが天罰を当ててやれと、成人なりたての俺が願う。
 テニス場の管理室脇の有料ロッカーを見て、あれかなと思いつく(使用したことはある)。記憶にある番号だけが施錠されていた。あとで試してみるか……。あの子がすんなりと渡してくれるかな。

 公園を抜けて線路沿いの道にでる。駅には向かわず大学方面へと歩く。アスファルトの照りかえしで、はやくも汗を感じる。
 途中のコンビニで、ドーンから頼まれた買い物を、あの子から預かったクレジットカードで済ます。店員に怪しまれないように、素早くリーダーに差しこむ。
 店をでたところで、風変わりなカードの所有者名をどうしても確認してしまう。あいかわらず読むのに苦労する。装飾的すぎる字体だからだ。

KAWADA RIKUTO

 誰だろうとは思う。罪悪感を受ける必要もないから、そのまま財布にしまう。歩きなれた駅前通りを途中のT字路で脇に曲がる。
 民家の塀に、うす汚れた毛むくじゃらの野良猫がいる。その後ろの日差しには、カラスがとまっている。

 カラスが猫に俺のことを教えている。野良猫が俺を見おろし笑っている。カラスがカーカーと鳴きながら飛び去るのも、小馬鹿にされたと感じる……。
 みんな、あいつらのせいだ。俺まで想像力豊かになってきた。

 *

 あいかわらず子犬が吠えている。ここ数日通う羽目になったアパートにたどり着く。二階へあがり、ドアホンを鳴らす。ドアスコープから覗かれる気配がして、じきに開く。すずしい風が流れる。

「急いで入れよ。て言うか、お願いだから師傅さんの布をかけて動けよ」
 俺を引きこみ、ドーンが鍵をかける。
「俺もスマホを立ちあげちゃったけど、これが呪いをはじいたから寝こまずに済んだのだし。……この布が、あっちの記憶まで守りやがったけどな。カカ……」

 早朝から始まった。あいかわらずドーンは赤色の布を頭からかぶっている。目の下に隈をこしらえ、脂っぽい髪の毛。なんとかしないとな。

キャンキャンキャン!

 子犬が俺の登場に喜ぶ。屋内なのにつけられたリードをめいっぱい引いて、俺へと尻尾を振る。潰れた片方の目が痛々しい。

「リクト、黙れ。大家にばれるぞ」

 ワンピース姿の女の子があおむけに寝ころんで、スマホをいじりながら言う。

「スーリンちゃん、おはよう」
 俺は靴を脱いで部屋へと入る。「頼まれたものと別にアイスも買ったよ。俺のおごり」

 ドーンと海外の女の子(王思玲というらしい)の関係を、俺は知らない。ここの部屋主である川田という人も、こいつらがなぜここに入りびたっているのかも知らない。
 説明は散々受けたけど(川田陸斗はこの犬だよ、スーリンは台湾の魔道士だったんだよ、他にも女の子が二人行方不明なんだよ、哲人思いだしてくれよなどなど)、夢物語としか受けとれない。
 ドーン達はその世界に没頭している。ヤバいぐらいに。

「またフサフサが来たぞ」
 スーリンが立ちあがる。
「哲人についてきたな。リクトを恐れずに寄ってくるのは、あの猫だけだ」

 女の子は小さいキッチンから水を張ったたらいを持ちだす。年齢は教えてくれないけど小学生の中高年ぐらいだ。スーリンは窓を開けるなり、外へと水をかける。無言でしばらく外を眺める。念でも飛ばしているつもりかよ?
 ふいに振り返る。

「うっとうしい野良猫だ。リウファンに気配も面も割れているくせにうろつかれたら、私の復活がばれてしまうぞ」

 おとなびた口調なうえに言葉がきつい。おかっぱ頭でかわいらしい顔立ちだけど、やはり目がきつい。

「日本語が上手だね。本当に台湾人なのってくらい」
 俺は女の子を最大限にほめてあげる。イントネーションは怪しいけど。

「お前達の声を散々心に聞かされたのだから当然だ。哲人こそ記憶が残っていれば台湾なまりの達人だったろうにな」
 スーリンが窓を閉める。
「やることもないので、こいつで勉強もしているしな。スマホというものも意外に役にたつ」
 スマホをまた操作しだす。
「テツト、シー、ペイチー」と画面に声をかける。『哲人はバカです』電子音声が答える。

 ただの翻訳アプリだ。子どものやることに、俺は目くじらをたてない。
 彼女のスマホは俺のポケットにあったものだ。彼女と初めて会った病みあがりの日に、「フーポーのものだ。私があずかる」と奪いとられた。
 たしかに顔認証が作動した。小鬼がここに閉じこめられたとか余計なことも言いだした。
 この子がなぜ日本に一人でいるのか、両親はなにをしているのか、誰も教えてくれない。聞けるのは夢想した話ばかりだ。

「リクトは本当に哲人が好きだな」
 ドーンは俺にまとわりつく子犬をあわれそうに見る。
「はやく人間に戻してやらないと」

 近頃は、こいつまで夢想に入りびたっている。以前は正反対に位置するタイプだったのに。この数日は自宅にも帰らず、ここで女の子と生活しているようだ。しかもスーリンを頼っているようにすら感じる。まったく頭痛がしてくる。

「あとで散歩に連れていくよ。ここにずっと閉じこめているのだろ?」
 俺はドーンに言ったのに、

「リクトは、人の目に見える忌むべき異形のままだ。外にだすわけにはいかぬ」
 スーリンが即座に答える。「せめて満月が過ぎてからにしろ」

 ドーンにアパートへ連れてこられてから、ずっとこんな調子だ。そうだったねと、俺も調子をあわせてあげる。

「スーリン、箱を開けよ。哲人もOKと言っていたし」
 ドーンがいつものことを言う。「この布のおかげで生きのびたって、向こうの記憶が残ったままでは耐えられねーし。……みんなのことを見捨てられない。もう一度あっちに戻るしかないんだよ」
「まだだ」

 スーリンがアイスバーをくわえながら、きっぱりと言う。おやつに食べなと言っておいたのに。また寝ころびながらスマホをいじっているし。

「フーポーが戻ってからだ。――私こそ、瑞希と桜井がどうなったのか知らねばならない。なすすべもないが、川田にも人の心を、いや人そのものに戻してやりたい。師傅の仇だけは必ずとる。だが哲人はもう引きこまない。和戸は、小鬼と子犬と、術も使えぬ小便くさいガキとだけで行く」

 箱を開けたら夢物語が終わっちゃうものな。
 部屋の隅に小さな木箱が置いてある。そこには人を四神獣に変える玉があって、スーリンのおとなの体が閉じこめられているらしい。その箱を開けると、おそらく俺は座敷わらしになるらしい(なっていたらしい)。

「今日も暑くなるから、でかけるならば水を持っていこうね」

 ソーセージに刺さった棒を抜きながら、念のため言っておく。
 クレジットカード主と同じ名前の子犬に、コンビニで買ったジャンボフランクを食べさせる。尻尾を振りながらじゃれていた子犬が、豹変したようにがっついて食べる。一瞬マジで化け物かと思ってしまう。育ちざかりだものな……。頭が痛い。

 ***

「夏奈ちゃんのメッセージ見ても、まだ思いださないのかよ?」
「あれはウイルスか迷惑だろ。もう削除したよ」

 女の子の洗濯物を窓の外に干しながら、ドーンに答える。
 SNSの文字化けみたいなメッセージなんて(これは川田からだろ?)、ただの模様として目から素通りしていた。
 ドーンがいう写真にいたっては(これが夏奈ちゃん、これが瑞希ちゃん)、どう見ても人の顔に認識できない。心霊写真にすらなっていない。凝視すると気分が悪くなった。
 俺の回答にショックを受けているドーンにかまわず、怠け者の女の子に目を向ける。

「スーリンちゃん。背が低くて洗濯物が干せないのは分かるけど、自分の服ぐらいもっと丁寧に洗おうね。コインランドリーって知っている? 一緒に行ってあげるよ」

「なにが一緒に行ってあげるだ」
 スーリンが寝ころんだままで俺をにらむ。
「お前は剣を持っていった男を捜せ。……香港の連中だとしたら、こればかりはさすがに許せぬ」

 あの朝を思いだす。みるみる体調が悪化した俺は、眠る子犬をドーンに押しつけ、死ぬ思いで一人帰った。ドーンはそこでこの子と合流して、大人の服を引きずる彼女に叱咤され、必死に箱を運び、人だったときに返しそこねた鍵を使い、ここへ逃げこんだらしい。あの青年とは以後会っていない。そんなことより、

「ドーンは約束守れよ。俺が来たら家に帰るのだろ」

 この子から離すべきかもしれない。……俺にもこの子が頭痛の種かもしれない。

「分かっているよ。いろいろ整理しないとならねーし。哲人はあまり出歩くなよ。一番のお尋ね者なんだし」

 ドーンが赤い布を頭からかぶり、びくびくとドアから外を見まわす。

キャンキャンキャン、ウー、キャンキャン、ウー……

 リクトがリードを引っぱる。ドーンだけで行かせないかのように。

「リクト!」

 スーリンが子犬をにらみつける。人の耳には届かぬ声を聞きいれたみたいに、リクトはうなり声を小さくしていく。
 お前だって外に行きたいのにな。聞き分けのいい子犬だ。

「川田、大丈夫だよ。スーリン、夜になってもいじめないでね。異形だろうが子犬なんだし」
 弱々しく言い残して、ドーンがドアを閉める。

「リウファンは箱を囲んだ面々を覚えているだろう。しかし、わざわざ和戸を狙うとは思えぬ」
 またスーリンはうつぶせに寝ころび、スマホをいじりだす。
「連中が目印とした術も消せた。それでも本来ならば護布は箱を隠すのに用いたい。だがネットで探ってみると、和戸はPTSDという奴らしい。布が気休めになるのならば致し方ない。
哲人は間違いなく賞金首だな。人に戻ったお前があさましく箱を持ち逃げしたと思っているだろな。今の悠長な面は、あいつやヤンシャオにも知られている。マジで用心しろ」

「スーリンちゃん、スカートがはだけているよ」

 布をかぶったドーンがいなくなったから、クーラーを弱めながら言う。
 二年生は資料のホチキスとめがあるから、もうじき行かないとな。




次回 カッ、最終回であるはずねーし
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