三十の三 じゃあね

文字数 4,182文字

「ドロシーに何をする気なのかな?」
 俺は努めてやさしく語りかける。笑みさえ浮かべて。

「やめろ。折坂が怒るぞ」
 執務室長が答える。「傷ひとつ負わないから心配するな。身体にはな」

「これも世のため人のため。麻卦、そうだよな」
「そうとも限りませんよ……」

 俺は禰宜を抱える執務室長を見る。醒めた顔。達観した顔。諦めの顔。……なおもすがる顔。様々な思いが凝縮した人の顔だった。

「瑞希が帰ってくるが、匂いがちょっと変わった」

 これまた早すぎ。そっちにしか興味なさげな川田がドアへと鼻を向ける。
 俺はうごめきだした怒りを飲みこむ。

「ていうか女子の匂いを嗅ぐなよ」
「ドーンうるせ――

ゾクッ

 川田がおびえた。ドーンも頭上でかたまる。俺も。

「ドロシーちゃんをどうするつもりだ?」

 桜井夏奈が握りこぶしで壇上へと向かっていた。折坂さんが執務室長の前に立つ。その手に日本刀が現れる。
 あれがドロシーを殺したもの。初めて見た……。

ドクン

 夏奈を相手に。

「やめろやめろ。桜井ちゃんも松本も折坂も。……一番大事なものを奪うだけだ。もう奪われたからどうにもならないし、強い心があればたいしたことじゃない」

 麻卦さんは儀式用の取り繕った態度を捨てている。
 夏奈をにらんでいた川田が扉へと目を向ける。

「ドロシーとすれ違った。蒼い顔だったけど、また何かひとりよがり……」

 再入場した横根瑞希は、本来の姿になっても言葉をにごす癖はなおらなかった。白い作務衣はそれでもまだ大きめだった。
 小柄な体。おろした髪。相手をしっかりと見据える眼差し。彼女へとかわいいという感情を持ったことはあるけど、きれいとか美しいとは思わなかった。それを凌駕する愛くるしさが横根にはあった。
 でも、ひさしぶりに見る二十歳手前の彼女は、見おぼえあるそのままの容姿なのに、きれいだった。美しかった。重ねた歳相応を身にまとい、ゆがみなき美を感じた。

ゾワッ

 見惚れかけた俺を、強い感情が引き戻させる。川田がじっとりと大人の横根を見ていた。俺の目線に気づく。

「瑞希は子どもを産めるぐらい大きくなった。ドーンも人に変えるかどうか,
松本が決めろ」
 何もなかったように平然と言う。

「カッ、変わるじゃなくて戻るだし。戻らねーし。哲人など関係ねーし」

「だったらそれでよくね? 議論になるのめんどくせー」
 夏奈が不機嫌に言う。
「ドロシーちゃんのがヤバめかもしれない。松本君だけでも公園に行くべきだよ。ついでに蛇に聞いてよ」

 だいぶムカついてしまった。結局夏奈の頭のなかは『たくみ君、たくみ君』だ。
 夏奈は何のかんの楽天的だけど、沈大姐と藤川匠の対決ならば、やはり命の取りあいなのだろうな。昨夜ここの屋上での戦いのように……。
 ドロシーの大切なものってなんだろう。俺なんかに分かるはずない。あんな滅茶苦茶な奴の心など。

「うん。はやく済ませて、みんなで向かおう」

 夏奈へ返事する。大事なのは仲間だ。頭の上で羽繕いを始めたカラスだ。
 俺は頭に手を伸ばす。俺と川田の頭上だと隙だらけの、小柄なハシボソガラスを捕まえる。顔の前に持ってくる。

「ドーン、ひと足先に帰って。そして、みんなを待っていて」

 真っ黒の瞳を覗きこみながら言う。それが正しいに決まっている。
 夏奈も横根も何も言わない。すでに多数決なら決まりだけど……川田は、大人になった横根を味わうように眺めていた。
 いまは、なによりドーンの今後。

「だから行かねーって。さっきドロシーちゃんからキス未遂されただろ。そしたら四玉の箱がなくなるまえぐらいに平気」
「あれは妖術だよ」
「へ?」
「あれのせいで散々な目に遭った。ドーンは人に戻ってリセットすべきだ」

 あんなのは早く取っ払うのがいいに決まっている。

「……なんで? 哲人どうしたの?」
 カラスが不安げなまなざしになる。「やっぱり俺まだいるべきかも」

 また静まった。どん詰まりを強行突破してくれる思玲にいてほしい。

「麻卦降ろして。つまんなくなったから、そろそろ裏殿に帰る」
「かしこまりました」

 幼い禰宜のひと言に、麻卦さんがそっと降ろす。女の子がよろめくので、あわててしゃがんで手を添える。
 俺達を眺めながら、刀を消した折坂さんが二人へと近づく――俺を見てかすかに笑みをこぼしやがった。

「ま、待ってください。あとちょっとだけお願いします」
 横根が壇上へと叫んだ。
「ドーン君はいまここで帰るべきだよ、絶対に。ここまで一番に頑張ってきたのだから当然だよ、絶対に」

「二人ともそう言っているのだから決断しろよ。エスカレーターカラス」
「その言葉を思玲に教えたの、やっぱり桜井だな。お前なんか必修ふたつも落としたくせに」

 二人ともマジうざい。でもカラスと言い合う夏奈はかわいい。やっぱり一番に圧倒的にかわいい。また湧きだす藤川匠へのジェラシー。

「和戸峻!」
 横根が声を張り上げた。「松本君がドロシーを心配しているの分かるよね? なのにここにいるのは、和戸君のためだよ。ドーン君を思ってだよ」

 この女は、なにを勘違いしているんだ? 俺がほんとに大切なのは、ここにいる四人と……思玲だけ。

「……分かっているよ。俺が生き延びているの奇跡なんだろ? また腹を減らすのを心配しているのだろ? その通りだと思うよ」
 俺に両手でつかまれたカラスがうつむく。
「でもさあ、俺一人だけ戻れるはずねーよ。仲間はずれって意味じゃなくて、無責任すぎだよ。そんなの無理だし、ていうか哲人は手を離せよ。羽根が痛い」

 俺は手を緩める。ドーンは器用に小回りして俺の頭に再び着地する。
 ドーンの言葉は正論だ。俺だって同じ立場なら同じことを告げるだろう。そうだけど……迦楼羅になろうと強敵に歯が立たないドーンは、ここで退場すべきだ。
 でも、かける言葉がもうない。
 無音ちゃんがあくびする。麻卦さんが時計を見る。
 横根が俺の頭上を見つめる。

「わ、私もこの杖を捨てる。……ドーン君、一緒に帰ろう」

 外宮をがらんどうに感じる。彼女こそ重要だ。珊瑚の守り。十字羯磨。鮮烈な祈り。そのサポートがあったから、俺達はここまでたどり着けた。
 だけど魂を削る祈り……。俺こそ決断しろよ。

「そうすべきだよ。俺と夏奈と川田は、すぐに追いつける」

 笑みさえ浮かべて言ってやる。
 本来の姿に戻った横根。彼女だってこんな世界からリタイアすべきだ。

「だね」と夏奈はそれだけだ。そわそわしている。頭のなかは『たくみ君』。

「その棒を捨てるとどうなるのだ?」
 川田がいまさら聞いてくる。

「川田のことを忘れ……ない。いまの記憶がなくなるだけ」

 残る三人への記憶は改ざんされるだろう。忌むべき世界での出来事を忘れさせるために。

「だったらそんな汚いものは捨てろ。いまの瑞希には似合わない。俺が変わらず守ってやるし、なんなら夜も同室にいてやる」

 うわっ。横根が後ずさったぞ。でも川田は俺の頭上を見る。

「人になったドーンも守らないとな。お前のが弱そうだから、やっぱり俺はドーンを守る。瑞希すまない」

 その心配はしなくていいと思う。人の世界に戻ったみんなを襲うことを、藤川匠は認めないだろう。峻計の顔の十字の傷……。

「カッ、川田につきまとわれるほうが怖いし。でも瑞希ちゃんの部屋に忍び込むなよ。……俺がカラスを続けるなら、瑞希ちゃんもここに残るってわけか。ずるいというか、ありがとうというか……ひと足先に待つしかねーかもね、たぶん……きっと」

 ドーンが俺から飛び立つ。横根の頭にとまる。

「うん。二人で仲よく待とう」
 横根が頭上へほほ笑む。

「残念だが、禰宜はお疲れになられている。終わりにしてくれ」
 折坂さんが俺達へと頭を下げた。
「禰宜は私の頼みなど聞いてくれない。それに執務室長も今日はおかしい。お前達の肩を持ちすぎている」

「無音様に経験を積ませたいだけだよ。だって来春から形だけでも義務教育だ。後々のために、辛さも知らないとならない」
 麻卦さんが女の子から手を離す。その頭をさする。
「もう瑞希ちゃんはくぐれない。でも特例の超特例で宰相である俺が許可する。五人のなかで一番大好きだからね。かわいいね、年を重ねるほど美人になるタイプだ。アラフォーがピークかな。おじちゃんにはわかる」

 なんていい加減な奴だ。横根は相手にせず、カラスを頭にのせて壇上へ向かう。ドーンは振り返る。
 こっちに居残るしかない三人は見送る。ここからは俺達だけで結末へ向かわないとならない。でも思玲が力になってくれる。……ドロシーにも頼らざるを得ないか。

「私は公園で待っているからね」

 夏奈が駆けだし、祭祀場から出ていく。川田が横根を一瞥したあとに、のしのしと歩いて追いかける。麻卦さん達は何も言わない。
 俺はまだここに残る。見届ける。目はつむるけど。

「影添いの告刀は人の心を強めます。人の思いを奪うこともできます」
 また麻卦さんがあらたまる。
「だが強き心こそが武器。大切な思いならば奪われても取り返せます。松本君なら言わずもがなだけどね。それでは無音禰宜、お願いします」

「うん。かしこんでよ」
 しゃんと立ちあがった女の子の手に、また御幣が現れる。

「ドーン君、頭の上はやめようよ。抱えてあげる」
「マジ? 抱きあって人になったりして」

 横根が手のひらと忌むべき杖を結びつけたリボンをはずす。カラスをやさしく抱えなおす。……輪をくぐりながら横根は杖を捨てるのだろう。彼女は去っていく。ドーンもだ。

「そのまままっすぐに家へ帰れよ」
 俺は冗談ぽく言う。俺は泣かない。笑えないし泣けるはずない。

「待っているから絶対に戻ってこいよ。……じゃあな」

 ドーンはカラスのくせに泣き声だ。俺も「またな」と返す。頭を下げて目をつむる。じきに聞こえだす。

(かしこ)み恐み、祓い賜え、清め賜え。添わせ賜え、穢し賜え」

「ドーン君ごめん、じゃあね」
「ガッ」

 カラスの悲鳴が聞こえた。俺は目を開ける。
 輪は輪郭をなくしていき、その前で無音ちゃんが倒れていた。横根瑞希がすかさず抱きかかえる……。

「すみません。くぐらないのに目を開けていました。でも投げ飛ばした和戸君が消えるのしか見ていません」
 しゃがんだままで麻卦さんを見上げる。強い眼差し。
「罰として、もう少しこっちの世界にいます」




次章「2-tune」
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