四十九の三  思玲の矛と盾

文字数 1,810文字

「よし! 箱を開けなおす! 死ぬ気で援護しろ!」
 傷だらけの女の子が叫ぶ。
「まだ人の形をした異形どもと、人の形をした屑がいるからな」

「ヒヒヒ……、南京の破戒僧が死んだか。魂は地へともぐったな」
 老人のかすれ声がした。こいつも生きていた。
「麗豪よ。儂は終わりだ。杖をくれてやる。いつか儀式を仕切れ。……最後に死者の書を儂の手に」

 術の鞭が伸びる。泥まみれの冥神の輪をつかむ。

「今宵ばかりは老師のご命令といえども」
 白銀の輪は麗豪の手で再び輝く。
「法董の仇も取りません。私はあなたを見捨てて立ち去ります」

「ヒヒヒ、ならば気配なき暴雪はお前もつけ狙うだろう」

 それを聞き、張麗豪が立ちどまる。

「麗豪様。俺も連れていってくださいよ。道案内しますから」

  麗豪が空からの声に見上げる。
「九郎め。早くもかしずくか。偉大な魔道具を三つも手にした私へと」

「そりゃそうですよ、俺は北七じゃないっすから」
 九郎が体をさらす。「行き先は、生臭坊主と同じ地獄でいいですね」

「なんだと?」
 張麗豪が憎々しげに空へと冥神の輪を向け、

ズドン

 背後から波動の直撃を受ける。

「今のはレベル10」
 琥珀がスマホを持ち浮かんでいた。
「本当の北七にレベル11はもったいない」

 麗豪の体はぬかるみにめり込み動かない。衝撃のはずみであろうか、冥神の輪が脇腹に深く食いこんでいる。こいつも終わりだ。

――琥珀め

 荒れ狂う雷。九郎はすでに近い空から逃げている。琥珀はスマホを立てている。

「峻計、避雷針だ。解除された新機能のひとつ。もう雷術は無効だ」

 アンテナが伸びていた。平成のガラケーかよ。いやいや、そんだけで?

――琥珀め

 小鬼は黒い光を軽やかに避ける。

「新月の夜には、僕の体は危機へ勝手に反応する。僕への攻撃は当たらない」

 新月自慢ばかりだ。月なき夜にも、あまり強くなれなかった俺は、龍のいた場所を見る。結界は消え、巨大な龍も消えていた。

「夏奈は? 横根は?」

「まだだ」
 思玲がドロシーを膝枕しながら答える。
「最悪の鴉と犬が残っているだろ。気にせずに戦え。あと半日だ。和戸も人に戻れ。……すまぬが哲人はまだだ」

 俺は最後まで異形でいい。川田と一緒に帰るから。
 二頭の狼が女性陣を守る。新月の琥珀は気配を追っている。

「俺が戻るのは哲人と川田と一緒だぜ」

 ドーンが空から言う。……当たり前だよな。だったら急いで終わらせよう。

「言っておかないとな。貉は帰った」
 琥珀が俺をちらっと見る。
「沈大姐と一緒にな。こまごましたものは預けておくだと」

 天珠を投げ渡される。露泥無がいなくなるのは今度こそ事実かも……圧倒的感謝。

「こ、琥珀か」
 楊偉天はなおも生きていた。
「め、目が見えぬ。もはやあの書も読めぬのか。琥珀よ、ここに来ておくれ。いや、聡民よ、て、手を握っておくれ」

 琥珀が憎々しげに楊偉天を見おろす。

「僕はそんな名前じゃない」
 そして背を向ける。「麗豪がまだ生きている。奴に握ってもらいな」

「琥珀よ……。思玲はお前を許さぬぞ。弟の仇である楊聡民を」

 でも琥珀は思玲のもとへと浮かんでいく。楊偉天の目から生気が消えていく。

「楊を見送るな」
 思玲は聞いていた。
「老師の魂は浮かびあがろうとして、地に引きずられるだろう。そんなものを見るな」

 俺は老人から目をそらす。……琥珀が人であった名は楊聡民。思玲の憎むべき相手?

「キムハンソプよ。誰も儂を見届けぬ」
 老人が一人喋る。
「息子よ。心のどこかに記憶があるのなら、儂を許してくれ……」

 老人へと誰も話さない。俺は気を緩められない。あいつらから夏奈達を守らないとならない。

「馬鹿犬がさらにでかくなりやがって。峻計はまだいるのか?」
 戻ってきた九郎が俺の頭にとまりやがる。

「お前が探せ。食っちまうぞ」川田が怒鳴る。

「あの鴉と犬が逃げると思えない」雅がつけたす。「松本、どうするのだ?」

 お前の主に聞け。でも分かっている。ここから立ち去るだけだ。
 ……夏奈が人になっても、おそらく異形である俺は抱えられる。横根は忌むべき存在の川田に乗せられる。みんなで風軍に乗り、町へと向かおう。そこで俺とドーンも人に戻る。川田も思玲も……。

「どちらも人に戻ったぞ。桜井はいびきをかいている」
 思玲がさらりと言う。俺に浮かぶのは、安堵よりもなお強い不安。
「だが横根はさきほどより幼い」

 やはりまだ終わっていない。




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