十四 僕の責任
文字数 2,561文字
中学一年の秋のこと。
滝から引き上げられた俺は、後遺症もなく夏休みを過ごした。
二学期になると、頼んだわけでもないのに、小学生時代のサッカークラブの先輩が俺の後ろ盾になってくれた。中学校のヒエラルキー頂点に立つ人達だ。
サッカー部に巣食う不良連中は、もう俺に手をだせない。俺も奴らを刺激しない。軟式テニス部に入って、たまに見かけても互いにスルーした。
俺がやめた後も、そいつはサッカー部を続けていた。サッカーが好きだからなんかでなく、やめると言いだせなかったから。そいつはいじめの対象のままだった。
学校のトイレで、たまたまそいつと出くわした。クラスの棟が違うから滅多に会わなかったのに。
そいつは嬉しそうに笑った。俺は笑い返さない。だってこいつは、俺の嫌な過去に存在しているから。逃げだしもせずに。
「ま、松本、テニスは楽しい?」
そいつは俺の横で用を足し始める。
「ここのサッカーよりはね」
正直に答える。団体球技のが好きだ。グラウンドを思いきり駆ける方が好きだ。でもテニスも面白い。小学生からスクールに行っている奴らにはかなわないけど、じきに追いついてやる。
「なんでこっちで小便してるんだよ!」
「うっ」
そいつはいきなり後ろから蹴られる。
サッカー部のろくでもない一年生部員がいた。蹴ってから、隣にいる俺に気づく。
俺はファスナーを上げて振り向く。
「どいて」
俺はそれだけ言う。
ろくでもない奴はにらむだけだから、肩をぶつけて横を通り過ぎる。
「松本てめえ!」怒鳴りやがる。「川に飛び込んで死にかけたくせに、ははは」
殴ってやろうと思ったけど、こいつらとは二度と関わらない。
「ま、松本!」
そいつも俺に声かける。だから振り返る。
すがる眼差し。俺に? ざけんなよ。自力で何とかしろよ。弱虫。だからいじめられるんだよ。だから違う棟まで逃げる羽目になるんだよ。
中学一年生だった俺。もちろん、そんな言葉はかけない。そいつの次の言葉だけを待つ。
「滝に飛びこむなんて、松本は勇気あるよな。ある意味かっこいい」
「はあ?」
見当違いなセリフ。
「かっこいいはずねーし」
俺は便所からでる。
「松本がいれば生意気かよ。てめえは放課後正座だからな」
ろくでもない奴は、そいつをまた蹴っ飛ばしていたかもしれない。
俺はこの出来事を思いださない。とりわけここから先は、何があろうと思いださない。心の一番奥にしまいこんで鍵をかけておく。だからサッカー部同学年だったそいつの名前も思いださない。思いだせない。
そいつは死ななかったにしろ重傷をおって転校して、残した遺書に俺の名前が書いてあったなんて、何があっても思いださない。
松本君は守ってくれませんでした。自分だけ逃げました
俺はそいつを許したくない。でも書いてあることは事実だ。悔しかった。何よりも悔しかったのは、いじめの主犯どもは、なぜかその後も登校したこと。
サッカー部は活動休止になり、ろくでもない連中の頂点どもが不良丸出しになっただけ。
ここまでの話を、俺は思いださない。思いだしたくない。代わりに、ここから先ははっきりと覚えていてやる。思いだしたくなくても忘れないように、心の奥底へ閉じこめておく。
俺の後ろ盾の先輩が遠征で不在の放課後、元サッカー部三年三人がテニスコートにやってきた。通路に座りこんで、テニス部部員をじろじろ笑う。くずの嫌がらせ。女子二年生のかわいい先輩に抱きつこうとした。
俺は関わらない。
でも声が聞こえた。
「今年のサッカー部の一年は馬鹿が多かったよな。滝に飛び降りたり屋上から飛び降りたり」
「そのくせ死なねーし」
笑い声も聞こえた。
テニス部の先輩達はビビるだけ。
俺は体操着だった。奴らはまだ白シャツだった。
「にらむんじゃねーよ。てめえに手をだせんと思ってんのか?」
奴らが立ち上がる。中一と中三。全員が俺よりでかい。
俺から先に手をだす。
顧問とかがやってくるまでに、第一ラウンドは終わった。俺は三人をのした。どうやって倒したかは覚えていないが、くずどものシャツは真っ赤で、地面から立ち上がれなかった。
「僕のせいじゃありません」
俺は先生に言った。悪いのは奴らです。喧嘩両成敗みたいに終わった。
第二ラウンドは翌朝通学途中。
連中のボスと、そいつと仲良い他校のカスが俺を待っていた。カスはカスのくせに空手を習っていた。中三にして腕にびっしりタトゥーを入れていた。余裕で180オーバーの他校の三年雑魚とナイフを見せつける他校三年雑魚もいた。
このメンバーに一対四は無理。俺は足がすくまない系だから当然逃げる。畑に追い詰めやがったナイフ雑魚をたまたまワンパンでノックアウト。
弱者をたやすく仕留める快感。
二度と刃物を持てなくしてやろう。
よ、よせ、やめてやれよ。そこまでするかふつう。
ひるんだ巨体雑魚はパンチ五発で戦意喪失。さらに喪失させてからスマホを取り上げるが遅かった。
そこからはしんどかった。
俺は後日差し歯になって目がパンダになったけど、二人を立ちあがらせなかった。
とどめに、もう一発ずつ蹴りを入れる。カタルシスって奴かな。
「やり過ぎと思わないかな?」
警察に言われた。
「僕のせいじゃありません」
俺の言葉に刑事さんは呆れたように笑う。
「君の責任だよ」
またも不問になった。なんていい加減な世の中だ。加害者であろうとそう思う。
俺は反省したけど、心の底からではない。だからこの件を誰にも話さないし、ようやく地元を離れてからは、化け物みたいに強いことを自慢しないし匂わせもしない。誰にも気づかせない。
でも自分の言葉は覚えている。
「僕の責任になるのだとしても、僕は二度と傍観者になりません」
その言葉通りには生きよう。姑息だろうが暴力的だろうが。
****
松本君の怖い一面。本人が隠そうと、彼の影を誰もが感じる。そして怯える。心を読めるものがいたとしても、触れられないほどに。
心がつながって私は誰よりも感じたはずなのに……何かを忘れている。思いだせない。
すごく大事な二人だけの記憶。重たい本を押しつけられたっけ? 木枯らしが吹いていたような……。
なのに思いだせない。ごめんね、松本君。たくみ君の次に大好きな松本君。
次回「死人の女王だと?」
滝から引き上げられた俺は、後遺症もなく夏休みを過ごした。
二学期になると、頼んだわけでもないのに、小学生時代のサッカークラブの先輩が俺の後ろ盾になってくれた。中学校のヒエラルキー頂点に立つ人達だ。
サッカー部に巣食う不良連中は、もう俺に手をだせない。俺も奴らを刺激しない。軟式テニス部に入って、たまに見かけても互いにスルーした。
俺がやめた後も、そいつはサッカー部を続けていた。サッカーが好きだからなんかでなく、やめると言いだせなかったから。そいつはいじめの対象のままだった。
学校のトイレで、たまたまそいつと出くわした。クラスの棟が違うから滅多に会わなかったのに。
そいつは嬉しそうに笑った。俺は笑い返さない。だってこいつは、俺の嫌な過去に存在しているから。逃げだしもせずに。
「ま、松本、テニスは楽しい?」
そいつは俺の横で用を足し始める。
「ここのサッカーよりはね」
正直に答える。団体球技のが好きだ。グラウンドを思いきり駆ける方が好きだ。でもテニスも面白い。小学生からスクールに行っている奴らにはかなわないけど、じきに追いついてやる。
「なんでこっちで小便してるんだよ!」
「うっ」
そいつはいきなり後ろから蹴られる。
サッカー部のろくでもない一年生部員がいた。蹴ってから、隣にいる俺に気づく。
俺はファスナーを上げて振り向く。
「どいて」
俺はそれだけ言う。
ろくでもない奴はにらむだけだから、肩をぶつけて横を通り過ぎる。
「松本てめえ!」怒鳴りやがる。「川に飛び込んで死にかけたくせに、ははは」
殴ってやろうと思ったけど、こいつらとは二度と関わらない。
「ま、松本!」
そいつも俺に声かける。だから振り返る。
すがる眼差し。俺に? ざけんなよ。自力で何とかしろよ。弱虫。だからいじめられるんだよ。だから違う棟まで逃げる羽目になるんだよ。
中学一年生だった俺。もちろん、そんな言葉はかけない。そいつの次の言葉だけを待つ。
「滝に飛びこむなんて、松本は勇気あるよな。ある意味かっこいい」
「はあ?」
見当違いなセリフ。
「かっこいいはずねーし」
俺は便所からでる。
「松本がいれば生意気かよ。てめえは放課後正座だからな」
ろくでもない奴は、そいつをまた蹴っ飛ばしていたかもしれない。
俺はこの出来事を思いださない。とりわけここから先は、何があろうと思いださない。心の一番奥にしまいこんで鍵をかけておく。だからサッカー部同学年だったそいつの名前も思いださない。思いだせない。
そいつは死ななかったにしろ重傷をおって転校して、残した遺書に俺の名前が書いてあったなんて、何があっても思いださない。
松本君は守ってくれませんでした。自分だけ逃げました
俺はそいつを許したくない。でも書いてあることは事実だ。悔しかった。何よりも悔しかったのは、いじめの主犯どもは、なぜかその後も登校したこと。
サッカー部は活動休止になり、ろくでもない連中の頂点どもが不良丸出しになっただけ。
ここまでの話を、俺は思いださない。思いだしたくない。代わりに、ここから先ははっきりと覚えていてやる。思いだしたくなくても忘れないように、心の奥底へ閉じこめておく。
俺の後ろ盾の先輩が遠征で不在の放課後、元サッカー部三年三人がテニスコートにやってきた。通路に座りこんで、テニス部部員をじろじろ笑う。くずの嫌がらせ。女子二年生のかわいい先輩に抱きつこうとした。
俺は関わらない。
でも声が聞こえた。
「今年のサッカー部の一年は馬鹿が多かったよな。滝に飛び降りたり屋上から飛び降りたり」
「そのくせ死なねーし」
笑い声も聞こえた。
テニス部の先輩達はビビるだけ。
俺は体操着だった。奴らはまだ白シャツだった。
「にらむんじゃねーよ。てめえに手をだせんと思ってんのか?」
奴らが立ち上がる。中一と中三。全員が俺よりでかい。
俺から先に手をだす。
顧問とかがやってくるまでに、第一ラウンドは終わった。俺は三人をのした。どうやって倒したかは覚えていないが、くずどものシャツは真っ赤で、地面から立ち上がれなかった。
「僕のせいじゃありません」
俺は先生に言った。悪いのは奴らです。喧嘩両成敗みたいに終わった。
第二ラウンドは翌朝通学途中。
連中のボスと、そいつと仲良い他校のカスが俺を待っていた。カスはカスのくせに空手を習っていた。中三にして腕にびっしりタトゥーを入れていた。余裕で180オーバーの他校の三年雑魚とナイフを見せつける他校三年雑魚もいた。
このメンバーに一対四は無理。俺は足がすくまない系だから当然逃げる。畑に追い詰めやがったナイフ雑魚をたまたまワンパンでノックアウト。
弱者をたやすく仕留める快感。
二度と刃物を持てなくしてやろう。
よ、よせ、やめてやれよ。そこまでするかふつう。
ひるんだ巨体雑魚はパンチ五発で戦意喪失。さらに喪失させてからスマホを取り上げるが遅かった。
そこからはしんどかった。
俺は後日差し歯になって目がパンダになったけど、二人を立ちあがらせなかった。
とどめに、もう一発ずつ蹴りを入れる。カタルシスって奴かな。
「やり過ぎと思わないかな?」
警察に言われた。
「僕のせいじゃありません」
俺の言葉に刑事さんは呆れたように笑う。
「君の責任だよ」
またも不問になった。なんていい加減な世の中だ。加害者であろうとそう思う。
俺は反省したけど、心の底からではない。だからこの件を誰にも話さないし、ようやく地元を離れてからは、化け物みたいに強いことを自慢しないし匂わせもしない。誰にも気づかせない。
でも自分の言葉は覚えている。
「僕の責任になるのだとしても、僕は二度と傍観者になりません」
その言葉通りには生きよう。姑息だろうが暴力的だろうが。
****
松本君の怖い一面。本人が隠そうと、彼の影を誰もが感じる。そして怯える。心を読めるものがいたとしても、触れられないほどに。
心がつながって私は誰よりも感じたはずなのに……何かを忘れている。思いだせない。
すごく大事な二人だけの記憶。重たい本を押しつけられたっけ? 木枯らしが吹いていたような……。
なのに思いだせない。ごめんね、松本君。たくみ君の次に大好きな松本君。
次回「死人の女王だと?」