十六の二 人の分際で

文字数 3,900文字

「夏奈はドロシーに謝れ!」

 透けてかわいいらしき俺が怒鳴る。夏奈のために怒鳴る。
 夏奈は聞いていない。

「おい、お化け鳥」と風軍を見上げる。「あんたもたくみ君に従え。みんながたくみ君の配下になる。誰もこいつに付き合わない」

 風軍は見向きもしない。

「人だけど殺していいよね。死体は僕が食べちゃえば、お茶会にばれないよ」
 ドロシーへ、とてつもなきことを確認した。
「松本哲人はどうする?」

「どちらも殺さない。……人間の分際で私に勝てると思うのか」
 ドロシーが鼻水を手でふいて立ちあがる。
「お前は頭も心も器もおろかだ。お前は気色悪い。汗も口も脇も靴も何もかも臭い。お前は何の力も持たない。群れて襲いあう狒狒(ヒヒ)の変種なだけだ。お前達こそ人殺しだ。報いを受けろ」

 俺は夏奈の前に立つ。エスカレートしだしたドロシーからの盾になる。

「哲人さん、どいて。その人間を躾ける」
「松本君も戦うんだよ。そいつは悪だって」

 ドロシーが異形の言葉で心に、夏奈が人の言葉で耳に話しかけてくる。俺は最善を考える……思い浮かぶかよ。

「風軍、哲人さんをさらって」
「うん」

 至近からの急降下。風圧で三人とも転がる。

「殺意がないと反応できないんだね。ドロシーちゃんと同じだ。長生きできない」

 その声とともに俺は宙に浮かぶ。風軍に胴体を乱暴にくわえられて、同時に立ちあがった女子二人を見おろす。
 ドロシーが松葉杖にすがって一歩あゆみ、夏奈の蹴りをおなかに喰らう。背中から転がる。
 夏奈が飛びかかる。

「松本君を返せ!」
()!」

 ドロシーが手のひらを向けて、夏奈が3メートル吹っ飛ぶ。

ドクン

 俺は自分の鼓動を感じる。

「怒らないの」風軍がさらに強く噛む。「ドロシーちゃん、急いで」

「もちろん」

 ドロシーは松葉にすがり体を起こす。
 夏奈はすでに立ち上がっていた。

「おらああああ!」

 なんて奴だ。雄たけびを上げて忌むべき杖を掲げて、ドロシーへ突進する。
 ドロシーが松葉杖をライフル銃みたいに掲げる。石突きを夏奈に向ける。紅色の唇を舌で舐める。
 そして声にする。

(わん)

 猪突猛進の夏奈が、またしても術を受ける。そのまま前屈みに倒れる。

「人間ごときの分際で……やっぱりすごく痛い」
 またドロシーが股間に手を当ててうずくまる。「記憶消しの術だ。活該(ふぉーがい)
 憎々しげに人の言葉を吐きだす。

 *

「哲人ならば平気だよね」

 俺は数メートル上から落とされる。平気じゃない。さらに透けそう。
 風軍が小さくなってドロシーの肩にとまる。
 夏奈は気絶している。忌むべき杖は握りしめている。

「蛇や虫がいる。起こしてあげよう」
「咬まれればいい。ざまみやがれ」

 “活該”は“ざまをみろ”の意味だったのか。今度は心への言葉だから理解できた。

「風軍の上に乗せてあげて」
「いやだ。……この人間はなんで異形と接しられるの? 龍だったから? 人のくせに」
「手にしている杖のおかげだけど、あまりよくない魔道具だと思う」
「……そこから哲人さんの血の匂いがする。とりあげよう」

 なんでわかるのだろう。魔道士を相手にした際のうすら寒くなる瞬間。もちろん俺は首を横に振る。

「そのために俺達は台湾へ来た。ずっと持ってもらう」
 なんであれ夏奈は導きであれを手にした。それよりも、
「ドロシーの記憶消しって二週間消えるのだよね。大丈夫かな」

「最低一ヶ月だよ。加減してないから、もっと消えたと思う。ざまみろ。……まだすごく痛い。ほかの場所だったら哲人さんにさすってもらえたのに、人じゃなくても恥ずかしくて、ちょっと無理」

 ちょっと無理なだけなのか。
 おなかに夏奈の靴跡がくっきりついたドロシーのパジャマを見てしまう(股間は見えない)。薄ピンクのかわいいパジャマ……。六魄に呼ばれて急いで助けにきてくれた。それを夏奈は……。

「へへ、恥ずかしいから見ないで」

 奇跡的な黒い瞳。肩までの黒髪。はにかんだ笑み。
 どれくらい記憶をなくしたか知らないけど、ドロシーを悪人呼ばわりはひどすぎる。当然の仕打ちとは言わないけど、お前達こそ悪の魔導師と街を滅ぼした龍の生まれ変わりだろ……。

 本人が認めたのだから俺も認めるしかない。龍の資質の正体。死者の書に問うまでもなく、夏奈はフロレ・エスタスの生まれ変わりだ。でも人だ。変わっているけど図抜けてかわいい人だ。だから、なおさら、藤川匠には返さない。

 ドロシーだって魔女だ。省略しなければ単なる魔法少女だ。そんなのもいねーよとドーンのツッコミが聞こえそうだとしても、人でなき力を持っているのだから否定できない。でも思玲も劉師傅も同じだろ。
 たしかに彼女は人に怯える。それが危ない言動につながることもある。だけどそれを克服して人の世界に戻りたいと願っている。それだけなのに。

「来てくれてありがとう」
 俺はあらためて、二度と会うことなくてもいつか会いたい会ってやると決意を秘めていたのに即座に再開した人へ、頭を下げる。

「この人間に呼ばれた」
「……(お願いだから)思玲と合流したい。心配してると思う」
 この三角形だけでいたくない。

「仕方ないね。翼の上で祈ってあげる」
 そう言って夏奈をちらり見る。「悔しいけど、置いていけない」

「当然だよ」
 俺達は正義なんだから。ドロシーだって至高の正義だ。

 ***

 ドロシーは姿隠しの結界を張れないので、空に浮かぶ女子二人は台湾の方々に丸見えだ。でも高度2000メートルでは視認は困難だろう。
 人に見えない俺は人に見えない巨大猛禽類の上で、ドロシーから祈りを受ける。彼女は膝枕をしてくれた。祈りが届きやすくなるそうだ。たしかにその通りぽい。

「我、愛すべき異形のために言葉を紡ぐ。人の姿のままだろうと素敵な物の怪へと祈りを捧ぐ」

 触れあえるどころかリュックサックに手を入れられるほど相性が良いからかな。土壁にやられた傷が急速に治まっていく。夕暮れのお寺でカラスにつつかれた傷を治癒されたときよりも。
 理由は分かる。あの時と違って、いまは俺が無条件にドロシーを受け入れているからだ。その祈りも受けいれている。

「うーん……」

 夏奈がまたうなされる。むき出しで風を受けているからではないだろう。
 どれだけ記憶を失っただろう。むごい仕打ちに本来ならばドロシーを責めるべきなのだろうけど、発端は夏奈だから仕方ない。強者へ奇襲攻撃してから宣戦布告して返り討ちされた。体に傷を負わされなかっただけでも良しとすべきか。

「もう大丈夫?」
 夏奈にやられた部位が回復したか、ドロシーに尋ねる。

「最初よりはね。……吐きそうになった」
 ドロシーが寝たままの夏奈をまた睨む。昨日俺も同じ目にあったから分かる。俺は男だから倍以上の痛みだろうけど……潰された金玉も回復してるぞ。
「ただの人に喧嘩で術をぶつけちゃ駄目だよね。十四時茶会にばれたら魔道具を没収される。リミッターであってもだ」

 松葉杖を思いだした。あれは魔道具だった。初見の敵はだまされる。トリッキーだ。術を加減するよう細工してあっても、成長を続ける彼女には意味ない。軽機関銃のリミッターをふっ飛ばして、神殺の結界を破壊している。
 出会った当初よりどんどん強くなるドロシー。戦いを重ねるほどに……。会話が途絶えていた。ドロシーは俺といると必死なぐらい喋ることが多い。黙った彼女の顔にはいつも暗い影が漂う。

「土壁を倒した」
 俺だって影を背負っているよ。ドロシーに髪をさすられながら告げる。
「峻計以上の仇だった。でも消滅させて気分よくなかった」

「おぞましくても異形だものね。私も寂しそうな横顔を見た。頭をさすってあげたくなった。噛まれただろうけどね、へへ」

 想定外の言葉が返ってきた。隻腕の大男さえもかわいく感じたのか。……哀しげな顔。隠せない内面。彼女はがんばって笑う。

「一人で倒したんだ。やっぱり哲人さんはすごい。……足が痺れてきちゃった、へへ」
 笑ったあとに、俺の頭を持ち上げる。頬にキスされる。
「しちゃった。癒しのキスじゃないけど、治りが早まるかも、へへ」
 切れ長な瞳を細める……。

 君のただの口づけで、異形の痛みがガツンと消えたよ。事実だから告げたいけど告げられない。すぐ隣で寝ている人がいる。俺は桜井夏奈を選ぶと心に決めたのだから。

「大蔵司と面識あったっけ?」お約束で話題を逸らす。

「きれいな陰陽士だよね。話してないけど、お寺で見かけた。……君に癒しを与えたお寺」

 祖母が眠る寺。冤罪で俺にサブマシンガンを乱射した寺。

「彼女が思玲と一緒にいる。みんなを日本まで乗せてほしい」

「多すぎるよ。しかも結界をかけられるよね。絶対に無理」
 会話を聞いていた風軍がぼやく。
「到着したよ。視認できない速度で降りるけど、龍女が落ちても僕のせいじゃないからね」

 同時に240度ほどの角度で降下しだす。夏奈が限りなく垂直に転がる。俺は飛びつき左手で引き寄せる。右手でススキみたいな羽毛を抱える。
 夏奈を抱き寄せる俺を、ドロシーが暗い目で見ていた。目が合っても作り笑いしてくれない。

 眼下に森と川が近づく。奴らの居た場所にまた戻ってきた。
 この半日で変わったことは少なくない。それ以上に俺は色々知り始めている。それは――――想像を絶するバッドエンディングの気配。

 みんなでまとまって感動的に帰るなんて高望みしない。五月雨でいいから急いで本来の世界へ立ち去ろう。夏奈からでもいい。川田からでも横根からでも、ドーンだって逃げ帰るべきだ。俺がみんなを見送ってやるから。
 さもないと、それこそどん底が待っていそう。這いあがれないほどの。




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