十八の一 座敷わらしと野良猫女
文字数 2,402文字
「麗豪さん、のろくてすまんな」
隻腕の作務衣の男が水音を立てながら現れた。
「はっは、こいつはまさかのフサフサだ。でかくて素早くてあくどい野良猫だったぜ」
駅前にいた男。やはり異形だった。そんな言葉で片づけられない。
「ふん。あんたはひねくれた臭い野良犬だったよね」
俺を挟んで、白人女性がにらみつける。
「いまでも臭いままだよ、ツチカベ」
「土壁 と呼べ。……お前がリーダーだな?」
男が俺をうれしそうに眺める。
「本来の姿である松本哲人よお会いたかったぜ(昼間の俺が本来だ)。俺と同じで片腕なのか。ちっちゃいくせに、やはり根性の座った奴だな。だけどな、男のガキは大嫌いだ」
鞭がしなる音がした。俺に飛びかかろうとした狼が転がる。
「逃げずに戦うというのか。さすがだ。だが、お前の相手は私だ」
眼鏡の男の手に鞭が戻る。
立ちあがった雅は俺だけを見る。こいつになどかまっていられない。いや、すべてにかまえろ。……川に落とされた木札がどこにあるか。よどみに流されて、流木にでもひっかかっていればいいけど。川に飛びこむか? いまの体で泳げそうにない。
「ハイエナはどいつが殺した? 服従と裏切りしか能がない奴らだから、どうでもいいがな」
隻腕の男は楽しそうだ。
「麗豪さんよお。その犬を一人で倒すのは難しそうだぜ」
「お前はお喋りだな。街の野犬であったときの反動か?」
男は静かに言う。
「けだもの使いの資質なき者は、一人で屈服させねばならない。式神とするには」
淡い縦縞の半袖シャツに、カーキ色の薄手のチノパン。その静かな佇まいからは若いのか老けているのか分からないけど、こいつが張麗豪。楊偉天配下の妖術士。
「だったら、そっちはそっちでやってくれ」
土壁がでかい声で笑う。
「俺はこいつらをぶち殺す。腐れ縁だからな。――フサフサ、楽しいよな。存分に笑えるぞ。吠えられるぞ」
ウォーンと吠えてみせる。空はさらに暗くなっていく。
「野良犬め。なにげに呼んだだろ。お前が名前を変えるのなら」
フサフサが肩の傷を押さえながら、にやりと笑う。
「私もフーサと呼んでおくれ」
風が谷へと吹いてくる。狼が立ちあがる。こいつは俺だけを見て……、飛びかかってくる。俺は背をむけて逃げる――。背中を見せるなよ。
風を切る音がして、首になにかが絡む。俺は無造作に持ちあげられる。真下で、狼が空気を噛む音が二度聞こえた。
「奴の気を散らすな」
男の操る術の鞭が、俺の首を締めつけ持ちあげる。
「しかし、まさかの鉢合わせだ。四神に関わるものを殺していいものか」
もう俺の詳細が伝わっているじゃないか。首が焼けて苦しい。
「お、俺を殺しちゃヤバい」
理由はないけど、俺はあえぎつつ言う。首のうしろのかさぶたがはがれる……。こいつが悩んでいるうちに死ぬ。俺は涙目を開ける。野良猫女は河原で土壁と睨みあっていった。
ひとすじの鞭を避けて、蒼い影が俺へと跳躍する。鞭が引かれ、俺は避けさせられる。
「土壁。どちらも痛めるだけにしろ」
首を絞める術の鞭が弱まる。俺は岩の上に顎から落ちる。俺を開放した鞭が狼を追いはらう。雅は森に消える。
宙に浮かぶ張麗豪が俺を見下ろす。
「竹林から聞いた。お前は峻計の仇敵だな。土壁に背負わせるから、しばらくそこで見ていろ」
また俺へと鞭をふるう。……青白い術が俺をがんじがめにする。片手ではどうにもならない。フサフサが沢へ入るのが見えた。土壁も水に入り、つんのめって豪快に転ぶ。フサフサは目も向けずに、ばしゃばしゃと俺へと突進する。
「逃げるよ!」
岸に転がる俺を持ちあげる。川沿いの巨岩を跳ねながら、俺を縛る術を爪で切り裂こうとする。
「なんだよ。折れちまったじゃないかい」
フサフサが鞭の先端をくわえる。腕のなかで俺をぐるぐる回してほどく。振りかえるなり、ほどけた鞭を背後に振る。顔面にジャストして、雅が吹っ飛ぶ。術の鞭は消えていく。
駆けだすフサフサの胸もとを見る。雅に裂かれたシャツを血がとめどなく染めて消えていく。彼女の顔を見あげる。蒼白な顔で俺へにやりと笑いかえす。
「この人間もどきが猫だったというのか?」麗豪の声が聞こえる。「理屈としてとらえれば、白虎の光を猫が浴びた。ありえるのか?」
俺は上空を見る。人間が空から追ってくる。沢の流れは強まっていく。
「林に逃げよう」ここだとむき出しだ。
「私はそのほうがいいけどね」フサフサが荒い息で言う。「哲人は、あの犬に食われるよ。あれは森だと気配を消した」
雅のことか。……狼とちがい、張麗豪は俺を殺さないかも。おそらくフサフサも殺されない。だとしても生きたままで捕らえられる。術の鞭に縛られて、あいつに見おろされるのを想像してしまう。
前方からイオンを感じる。
「崖だ」フサフサがつぶやく。「跳ねるよ。残った手で頭を抱えな」
おそらく滝だ。頭を抱えたくても、フサフサにがっしりと抱えられている。身を任せた状態で宙を感じたのは一瞬だった。フサフサは地面に着地する。水しぶきを浴びる。
「ふん。低かった……。あちちちち!」
フサフサが沢に飛びこむ。岸へと投げられた俺は上流を見る。
5メートルはあるコンクリートの堰堤の上に、土壁が立っていた。手にする槍を消して、「ひゃっほー」と飛び降りる。水しぶきがあがる。
「うるさいな。二兎を追うには賢いパートナーが欲しい」
空を切る音を聞き、俺は岩の上を転がる。鞭は連発で放たれる。青白い光に捕まりかけて、川へと逃れる。堰堤の下の流れは静かで広い。そこから顔だけをだす。
「あの狼が逃げるはずない。延々と、こいつを狙うはずだ」
今度は下流から張麗豪の声がする。
物静かな言い分によると、俺は異形と魔道士に加え、なおも狼に狙いつづけられている。
俺は川の中で立ちあがる。ポケットを探ろうとして、左腕がないことを思いだす。どっちにしろ護符はそこにはない。
次回「火焔嶽」
隻腕の作務衣の男が水音を立てながら現れた。
「はっは、こいつはまさかのフサフサだ。でかくて素早くてあくどい野良猫だったぜ」
駅前にいた男。やはり異形だった。そんな言葉で片づけられない。
「ふん。あんたはひねくれた臭い野良犬だったよね」
俺を挟んで、白人女性がにらみつける。
「いまでも臭いままだよ、ツチカベ」
「
男が俺をうれしそうに眺める。
「本来の姿である松本哲人よお会いたかったぜ(昼間の俺が本来だ)。俺と同じで片腕なのか。ちっちゃいくせに、やはり根性の座った奴だな。だけどな、男のガキは大嫌いだ」
鞭がしなる音がした。俺に飛びかかろうとした狼が転がる。
「逃げずに戦うというのか。さすがだ。だが、お前の相手は私だ」
眼鏡の男の手に鞭が戻る。
立ちあがった雅は俺だけを見る。こいつになどかまっていられない。いや、すべてにかまえろ。……川に落とされた木札がどこにあるか。よどみに流されて、流木にでもひっかかっていればいいけど。川に飛びこむか? いまの体で泳げそうにない。
「ハイエナはどいつが殺した? 服従と裏切りしか能がない奴らだから、どうでもいいがな」
隻腕の男は楽しそうだ。
「麗豪さんよお。その犬を一人で倒すのは難しそうだぜ」
「お前はお喋りだな。街の野犬であったときの反動か?」
男は静かに言う。
「けだもの使いの資質なき者は、一人で屈服させねばならない。式神とするには」
淡い縦縞の半袖シャツに、カーキ色の薄手のチノパン。その静かな佇まいからは若いのか老けているのか分からないけど、こいつが張麗豪。楊偉天配下の妖術士。
「だったら、そっちはそっちでやってくれ」
土壁がでかい声で笑う。
「俺はこいつらをぶち殺す。腐れ縁だからな。――フサフサ、楽しいよな。存分に笑えるぞ。吠えられるぞ」
ウォーンと吠えてみせる。空はさらに暗くなっていく。
「野良犬め。なにげに呼んだだろ。お前が名前を変えるのなら」
フサフサが肩の傷を押さえながら、にやりと笑う。
「私もフーサと呼んでおくれ」
風が谷へと吹いてくる。狼が立ちあがる。こいつは俺だけを見て……、飛びかかってくる。俺は背をむけて逃げる――。背中を見せるなよ。
風を切る音がして、首になにかが絡む。俺は無造作に持ちあげられる。真下で、狼が空気を噛む音が二度聞こえた。
「奴の気を散らすな」
男の操る術の鞭が、俺の首を締めつけ持ちあげる。
「しかし、まさかの鉢合わせだ。四神に関わるものを殺していいものか」
もう俺の詳細が伝わっているじゃないか。首が焼けて苦しい。
「お、俺を殺しちゃヤバい」
理由はないけど、俺はあえぎつつ言う。首のうしろのかさぶたがはがれる……。こいつが悩んでいるうちに死ぬ。俺は涙目を開ける。野良猫女は河原で土壁と睨みあっていった。
ひとすじの鞭を避けて、蒼い影が俺へと跳躍する。鞭が引かれ、俺は避けさせられる。
「土壁。どちらも痛めるだけにしろ」
首を絞める術の鞭が弱まる。俺は岩の上に顎から落ちる。俺を開放した鞭が狼を追いはらう。雅は森に消える。
宙に浮かぶ張麗豪が俺を見下ろす。
「竹林から聞いた。お前は峻計の仇敵だな。土壁に背負わせるから、しばらくそこで見ていろ」
また俺へと鞭をふるう。……青白い術が俺をがんじがめにする。片手ではどうにもならない。フサフサが沢へ入るのが見えた。土壁も水に入り、つんのめって豪快に転ぶ。フサフサは目も向けずに、ばしゃばしゃと俺へと突進する。
「逃げるよ!」
岸に転がる俺を持ちあげる。川沿いの巨岩を跳ねながら、俺を縛る術を爪で切り裂こうとする。
「なんだよ。折れちまったじゃないかい」
フサフサが鞭の先端をくわえる。腕のなかで俺をぐるぐる回してほどく。振りかえるなり、ほどけた鞭を背後に振る。顔面にジャストして、雅が吹っ飛ぶ。術の鞭は消えていく。
駆けだすフサフサの胸もとを見る。雅に裂かれたシャツを血がとめどなく染めて消えていく。彼女の顔を見あげる。蒼白な顔で俺へにやりと笑いかえす。
「この人間もどきが猫だったというのか?」麗豪の声が聞こえる。「理屈としてとらえれば、白虎の光を猫が浴びた。ありえるのか?」
俺は上空を見る。人間が空から追ってくる。沢の流れは強まっていく。
「林に逃げよう」ここだとむき出しだ。
「私はそのほうがいいけどね」フサフサが荒い息で言う。「哲人は、あの犬に食われるよ。あれは森だと気配を消した」
雅のことか。……狼とちがい、張麗豪は俺を殺さないかも。おそらくフサフサも殺されない。だとしても生きたままで捕らえられる。術の鞭に縛られて、あいつに見おろされるのを想像してしまう。
前方からイオンを感じる。
「崖だ」フサフサがつぶやく。「跳ねるよ。残った手で頭を抱えな」
おそらく滝だ。頭を抱えたくても、フサフサにがっしりと抱えられている。身を任せた状態で宙を感じたのは一瞬だった。フサフサは地面に着地する。水しぶきを浴びる。
「ふん。低かった……。あちちちち!」
フサフサが沢に飛びこむ。岸へと投げられた俺は上流を見る。
5メートルはあるコンクリートの堰堤の上に、土壁が立っていた。手にする槍を消して、「ひゃっほー」と飛び降りる。水しぶきがあがる。
「うるさいな。二兎を追うには賢いパートナーが欲しい」
空を切る音を聞き、俺は岩の上を転がる。鞭は連発で放たれる。青白い光に捕まりかけて、川へと逃れる。堰堤の下の流れは静かで広い。そこから顔だけをだす。
「あの狼が逃げるはずない。延々と、こいつを狙うはずだ」
今度は下流から張麗豪の声がする。
物静かな言い分によると、俺は異形と魔道士に加え、なおも狼に狙いつづけられている。
俺は川の中で立ちあがる。ポケットを探ろうとして、左腕がないことを思いだす。どっちにしろ護符はそこにはない。
次回「火焔嶽」