三の一 運命的な再会

文字数 2,860文字

 電車のなかの人間が、寝ころんだ俺を好奇の目で見ている。野良猫がシャツのなかにもぐろうとしていれば当然だ。長い毛に枝葉をからましたうえに、どうせノミもいるのだろ。
 俺は押しのけようとする。なのに、こいつはマジで必至だ。俺のなかに入ろうとする。爪は立ててこないが、これが噂の式神か?

「あのー、大丈夫ですか?」

 入り口近くに立っていた女性が声をかけてくる。俺は離れようとしない野良猫を仕方なく抱えて腰をあげる。

「次の駅で降りますので」
 重たい猫を持ちながら手すりで立ちあがり、女性に照れ隠しの笑みをかける。……さらっとした長髪で真面目な雰囲気の同年代だ。

「メインクーンですか? すごい懐いていますね」
 彼女が野良猫に手を伸ばす。猫は威嚇して、俺へとさらにしがみつく。
「わあ、ラブラブですね」

 どこがだよ。駆け込み乗車した野良猫が俺を押したおしたのを、真横で見ていたくせに。

「離れたほうがいいですよ。危険かもしれない」
 異形かもとは言わない。

「えー、そうなのですか? こんなにかわいいのに」

 隣駅までは間隔が狭い。電車が速度をゆるめる。

「俺のペットじゃないです。飼い主を探しているのかも」

 俺は猫を抱えて電車から降りる。放そうとするが離れてくれない。それどころかブギャーと襟首から潜ろうとする。猫の目線に気づき、俺も駅の外を見る。
 金網の向こうに、先ほどの男の横顔が見えた。必要最低限に顔を向け、俺達を目でとらえ笑っている。
 俺は閉まりかけたドアに飛びこむ。

「関わるんじゃなかった……」
 ドアにもたれながら口にだして言う。

「なんで猫を電車に乗せている! 出たり入ったり落ち着かないしな」
 お爺さんに必要以上にでかい声で注意される。

「すみません。飼い猫じゃないのですけど、離れなくて」
「ああ? ふざけたことを言うな。だったらお前がでていけばいい。ここをどこだと思っている! 公共の場所で大勢が利用する電車だぞ! すぐに降りろ。私は、お前達みたいな自分のことしか考えない輩がゆるせないのだよ!」

 俺の胸もとぐらいから唾を飛ばしてくる。
 お前の大声のが迷惑だろ、とは口にはださない。怖い人間に追われているんです、おそらくこの猫も、なんても口にだせない。
 とりあえず違う車両に移動するか……。しがみつかれたTシャツが伸びないように、猫を抱えて歩く。まわりの視線が辛い。一人だけ真顔のままの人がいた。

「使いますか?」
 さっきの女性はシートに移動していた。座りながら荷台を指さす。プラスチック製のペット用キャリーケースが置いてあった。
「衝動買いしちゃって、中に入れる犬はまだなんです~。いつか返してくれたらいいですよー」

 キャリーケースをどういう衝動で買ったのか? いつ返してもいいだと? 風変わりな子だなんて思っていられない。

「ありがとうございます」
 彼女の前で立ちどまる。猫を胸にぶら下げて荷台へと腕を伸ばす俺を、彼女の隣のおばさんが露骨に不快な顔で見る。猫を無理やりはがすと、Tシャツがびりびりに破れた…。なんでこんな目にあわないとならないのだ。
 閉じこめられた野良猫が暴れる。ケースなどこわしそうな勢いだ。
「すぐに返しますから……。やっぱり洗って返します。よければ連絡先を教えてください」

 立ち去ったおばさんに入れ替わり、彼女の横に座る。
 けっこう美人だが、今日の日に限って運命的な出会いなんてあり得ない。……脈はあるかも。

「懐いているのだから、かわいそうですよー」
 のんびりした口調で笑う……。このタイプは苦手だ(俺はシャキシャキした女性が好みだ)。
「おうちのそばで放してあげたらどうですかあ? この子もいつでも会えますし~」

 こいつにまでまとわりつかれろだと? うわ、さっきのジジイがやってきた。俺をロックオンしている。なんで、こんなに色々なものに憑りつかれないとならない。

「お前は何様だ! ペットなんか乗せてなにを座っているのだ!」
 さっそく来た。

「お爺さん、大きすぎる声は周囲の人まで委縮させますよ」
 隣の女の子がにこやかに言う。
「それに、ペットを既定のサイズに入れて運搬できるのは、交通各社の規定で決まっていると思いますよ」

 爺さんの青筋が彼女に向かう。
「若い者が並んで座って人を愚弄するのか? 面白いじゃないか? 駅員を呼べ! 立て!」

「いい加減にしてくださいよ」
 仕方ない。俺も参戦だ。「あなたの言い分がたとえ正しくても、まわりの人には日ごろのうっぷん晴らしか若い人への妬みにしか聞こえませんよ」

 やばい。俺こそうっぷんが溜まり、余計なことまで言ってしまった。

「お、お前……」
 爺さんの青筋が切れそうだ。でも、ちかくから口笛が聞こえる。
「誰だ! ジジイクタバレと言った奴は誰だ!」

 金髪でピアスと腕に刺青の二人が、「俺だよ」と立ちあがる。爺さんは別車両に去っていく。

「あっ、静かになった。よかったですねー」

 彼女はなにもなかったように俺に笑いかける。たしかにケースの猫が落ち着いている。暴れ疲れたのか知らないけど。

 *

 電車の中で無駄話をする。お互いの素性まではばらさないが、現実から逃避できる。

「最近、なんか喪失感があるのですよー。それで犬でも飼おうかなって思って、先にキャリーバッグを買ったのですよ。……柴犬がいいかな」
 変わった子だ。お望みの品なら昨日から俺の部屋にいるがお勧めはできない。
「喪失というより、なにか忘れているんですよお。そんなことってありませんか?」

 それなら大量にあるらしい。俺は曖昧な笑みをかえすだけだ。
 私鉄電車が終点につく。お互いが逆方向に乗り換えるので、連絡先の交換をする。

「飼ってあげればいいのに~」
 彼女は言うけどその気はまったくない。SNSかと思ったら、
「私、まだガラケーなんですよー。壊れたらスマホと思っているのに、なかなか壊れなくて。バッテリーもまとめ買いしたのがまだひとつ残っているし」

 やっぱり変わった子だ。名前と携帯電話の番号を伝える。

日向(ひなた)です」彼女も名乗る。「返してもらうのは、いつでもいいですよー。子犬を飼うのも思いつきだから、急がないですしい、暑いですしー」

 彼女が携帯電話を操作する。俺のスマホが振動する。画面に彼女の番号が表示される――。その名前まで表示される。この番号は登録されていた。

七実ちゃん 川田彼女

 一瞬のうちに文字は模様と化す。俺と談笑していたはずの女も、ただの通りすがりになる。キャリーバッグの中で猫が暴れだす。頭痛がしてくる。

「あ、ありがとう。あなたから連絡してください。待っていますので」
 俺は逃げるように立ち去る。でも……、もう一度振り返る。乗り換えで交差する人の群れにさきほどの人間がどれであったか、もう分からなくなった。

その娘をとめろ

 ひさしぶりに頭痛の声が聞こえた。おとなであったスーリンが俺の中にかけた声だと、最近は確信している。香港女にさんざん投げこまれた声よりも、はるかに強烈に食いこんでいやがる。




次回「少女同居型アパート」
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