二十四の三 ご指名

文字数 4,082文字

『お前だけは何度でも殺したい。ささやかな願いが叶う』

 黙っていろ。こいつなんかどうでもいい。独鈷杵を奪われたことすらだ。
 誰もが絶賛するあの飛び蛇ならば、純度百の白銀弾も見つける。あれだけは藤川匠に持たしてはいけない。

「お、俺から龍の光を奪えず、新しい飼い主に怒られたか? そしてだな、俺はお前を倒すために戻ってきた。さもない望みだ」

 心の動揺を隠すために必要以上に煽ってしまった。あいつのむすっとした空気が漂う。

『蛍程度の光はもういらない。だが白虎と琥珀が戦った杉林で落ち合ってやる。殺し合おう』
「願ってもない。俺はさらに強いものを手にした」

 はったりは得意だし、果し合いなどするものか。あそこで俺をずっと待っていてくれればいいが、こいつは馬鹿じゃない。

『夏梓群のこと? 失ったもののが大きいと思うけどね』
 あいつの嫌味たらしい声。『私は忙しいから先に行って待っていな』
「分かった」

 その一言で通話を終わらせて、急いで新しい服に着替える。あいつが何のために連絡してきたかなど知る必要はない。峻計と話そうが惑わされるだけだ。
 部屋に戻るとドロシーの寝顔が見えた。俺はすでに決めている。
 琥珀が心配そうに浮かんでいる。電話がまた振動しだした。

「峻計からだ」
「もし貉がここにいたら『でるな』と言うだろうな。だからでろ」
 琥珀が考えることなく言う。

『四玉の箱も匠様に渡した』
 いきなり告げられる。『もはや青龍の玉とその対局の玉だけあればいい。生贄の白猫は私が決める。誰になってもらう?』

 憎悪と嗜虐の化身であるこいつは、俺を苦しめるために電話をしてきた。藤川匠こそ四玉も箱も修繕できる。それを伝えるのは余裕からではない。俺の反応を楽しむためだ。命取りにしてやる。
 俺は黙ったまま耳にスマホを当てながら、札束をリュックサックに入れる。着替えも押し込む。タオルも財布も。スマホの充電バッテリーも。歯ブラシ二つも、ドロシーがしまい忘れた剃刀も紙に包んで。濡れたチャイナドレスと形見の服はバスケットに入れる。そろそろ起こさないとな。

『本題に入るよ』いらだった声がした。『聡民に換わりな』

 振り返り、俺のあとを浮かんでつきまとう琥珀を見てしまった。

「そんな奴はいない」
『楊偉天がくたばる間際に言っただろ。あの蛇ぐらい卑しいお前が耳に入れぬはずない』

 今度は部屋のなかを見わたしてしまう。

「飛び蛇か?」
 琥珀が小声で聞いてくる。「ずっとつきまとっている。いまはいないと思うけど……僕もちょっと舐められてきた」

 録音機能付き監視カメラに追尾されたまま。はやく捕らえて食べてくれ。
 これ以上こちらの状況をさらしたくない。ならば話題を変えろ。

「お前も楊偉天にスマホをおねだりしたのか」
『このスマートフォンは、お前の実家そばの川原で、魔道団の式神が持っていたものだ。その獣人は法董にすぐ殺された。
こんな貴重品の管理を任される奴は愚者か怠け者らしく、ロックを解くのに手間取ったのに、まだ使える。小鬼の声も通じるから心配するな』

 白笛川のことだ。こいつらは、そこで魔道団本隊を皆殺しにした。そこが俺の故郷とも知っている――

「親父を傷つけたのは貴様か?」
『怖っ。反省しているから怒らないでよ。早く換われ』

「……琥珀はここにいない」

「ご指名ならば換わる」
 琥珀が手を伸ばしてくる。躊躇する俺からスマホを奪う。
「もしもーし。裏切り者の知恵ある小鬼だ」
 言いながらユニットバスへと消える。

 俺はベッドに腰掛ける。絶妙にぽっちゃりした唇から吐息。怠慢代理店であるドロシーは熟睡している。
 いきなり空からクラクションがした。九郎がじれているようだけど目立ちすぎ。

「出発しようぜ。ドロシーはどうする?」

 戻ってきた琥珀が何もなかったように言う。俺へとスマホを放り投げる。
 受け止めながら、言葉の意味を考える。大切になった人を死の匂い漂う場への道連れにするのか? それを伝えたいのだろう。

「もちろん連れていく。一緒に戦い続ける」
 俺は立ち上がり「俺は死んだときに王俊宏に会った。冥界に友達が来ていると言った。会ってくれないとも言った」

 俺と琥珀だけのときに告げるべきこと。それを聞かされても知恵ある小鬼はいかなる感情も示さなかった。

「それを知るならば、峻計が告げたことを哲人だけに教える。誰にも言うな。とりわけ思玲様にだ」
 琥珀が俺の耳の真横に浮かぶ。ちいさくちいさく、心の声を伝えてくる。
「僕が思玲様を説得すれば、王俊宏の苦しみは終わらせられる。大魔導師はそれもできるらしい」

 俺はなぜか陳佳蘭の陰気なまなざしを思いだす。

「説得とは?」

「すべてを見限り儀式の生贄となれと。そうすれば王俊宏は星空へ向かう。
……我が主ならば偽りの四神獣にならなくとも、人のままでいけるそうだ。僕が命を捨てて説き伏せれば、我が主は従うそうだ。
きっぱりと断っておいた。たっぷり悪態ついてやった。アメリカまで太平洋を泳いで渡れってな。電話を切られたよ」

 俺は黙ったまま。琥珀は続ける。

「みんなが勘違いしている。僕は楊聡民ではない。そんな記憶はない。でも僕が誰だったのかも覚えていない」
 ようやく琥珀が俺から離れる。「ドロシー起きろよ。置いていくぞ」

「やだ……一緒に居させて、お願いだから」
 ドロシーが寝ぼけた声をだす。「一人になりたくない。どこにでも行くから」

 まどろみの残った瞳で半身を上げて、俺と琥珀を見る。

 *

「亡くなったチャドさんの式神……オニヒトデ獣人の緑大豆福ちゃんのスマホのことだ。すっかり忘れていた」

 ドロシーが目をこすりながら言う。あくびを噛み殺す。どんな獣人なのか名前の由来にも興味が湧くけど、

「遠隔で自爆させられないかな? 最悪契約解除する」
「私にしかできないのにパソコンを没収されたから無理。十四時茶会に潜入してもいいけど、捕まったらすごく怒られる。罰も与えられる。顔に火傷のあとを残したくないよ」

 そんなで済むとは思えないが、あきらめるしかない。着信拒否にはしておく。

「僕のみたいに波動を使えるのか?」
「いいえ。チャドさんは連絡機能しかつけなかった。GPSはあるけど、私には位置を把握できない。チャドさんは代理店を信用してなかったから、監視アプリをすべて広州にはずさせた」
「……もしかして僕のも監視されている?」
「古いのは消したでしょ。いまのは、楊偉天に絡むのだけはやめろとお爺ちゃんに言われたから真っ白。ドライヤー機能があったよね」

 信用されない代理店であったドロシーが琥珀のスマホで髪を乾かす。寝癖も直せる新機能付き。父のシャツが手元へ戻らないことに悩んだけど「哲人さんが持っていて。違ったダーリンだ」と笑った。チャイナドレスは不要(ぷやう)らしい。

 七時を過ぎてしまった。横根からの電話はない。川田は本当の川田であったときから伝言を面倒くさがった。ジムニーに乗ったら、こちらからかけよう。
 ブレーカーを落とすのは忘れない。冥神の輪で半分に切られた鍵はポケットに押し込み、スペアキーで施錠する。
 リュックを肩にかけたドロシーを見る。彼女にもう松葉杖はない。

「これもお願い。異形になると消えてしまうから」
 俺は手のひらの鍵をつきだす。「リュックサックにじゃなくて」

 彼女は俺の言葉の意味をいろいろ考えて、ちょっと赤らんだけど、

「またなるんだ。そのときは私も異形になる」
 想定外の返事をして、俺から鍵を受けとる。「だったら右手の小指に隠しておく」
 彼女の手からそれは消える。

「俺だけだし、すぐ人に戻る。青い目のままのね」

 そう言って、俺は左手を差しだす。ドロシーも右手を伸ばしていて、お互いの手がぶつかる。目を合わせて微笑みあう。
 また空からクラクションが聞こえて、俺達は駐車場へ急ぐ。ドロシーは自分の足で歩く。

「さっきの話はあいつのまやかしだよ。従ってはいけない」
 俺は先頭で浮かぶ琥珀へと言う。

「当たり前だろ」小鬼は振り向かずにそれだけ言う。

 ドロシーは簡潔な会話に興味を示さず、歩きながら俺を見上げる。

「夏奈さんは、香港から戻った私を敷地に入れてくれなかった。『畑で寝起きしろ。嫌なら一人で仇を取ってこい』と塩をまかれた。悔しくて泣いて、見返すことにした。でも白虎がどこにいるか分からなかったから、まずは狸を倒すことにした。そしてやられた。
桜井夏奈の前で二人の愛を見せてやろう。抱きしめながらダーリンからキスしてね」

 俺が答えにまごつく間もなく、目前へ車が落ちてきた。羽根がはえている。

『急げ。いまなら誰の記憶も消す必要ない』

 モノラルのスピーカにせかされて、俺達は再度乗り込む。あと三十分でみんなと出会える。その前でキスを披露するはずないけど。そこに思玲はいないだろうけど。

「この速さならば一直線でよくないか?」
『琥珀ともあろう奴がイラつかせるなよ。この姿で影添大社の近くこそ避けるべきだぜ。その間に封印の解除方法を検索しろよ』
「あるわけないだろ。それよりもだな、川田の屁の話を知っているか?」
『ドーンに聞いた。瑞希も災難だよな、チチチ』

 丸見えジムニーは高度を上げていく。狭い車内で後部座席の小鬼とラジオが語り合ってうるさい。そんな中で、助手席のドロシーが運転席の俺の肩に寄りかかる。右手の小指を絡めてくる。

「やっぱり風軍ちゃんは死んだよね」
「前だけ見ろよ」

 スマホをいじりだした琥珀が、ドロシーへきっぱり告げる。

「だから私はここにいる」
 ドロシーがつぶやいたあとに、俺の耳へと唇を寄せる。「ダーリンにだけ教えておく」

 心の声がさらに小さくなる。いつもそれで喋ってほしいけど、

「シャワールームに一人でいたときに、あれも戻ってきた。まだ輝いてはない。でもすぐに、何よりも強い力はよみがえる。私は左の手のひらで、それを感じている」

 奴らに奪われずに安堵すべきなのに、また胸騒ぎがしてしまう。

『湧いてきたぜ。房総まで続くといいな、チチチ』

 俺達を乗せた車は、わざわざ灰色雲へ潜っていく。




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