三十五 座敷わらしと祓いの者

文字数 3,125文字

 師傅が跳躍する。腕の中でも空にいることを感じる。いずこかに着地して俺を宙におろす。包んだ布をはがす。別の手にはむき出しの剣があったことに、今さら気づく。

「はやくも力が戻っているのか」

 師傅が鋭い目で俺を見つめる。
 ここはどこだ? 暗闇に立ち並ぶ建物は、またもや母校だ。今いる場所は、ゆるやかに傾斜した巨大な屋根のようだが……図書館だ。
 使い魔の気配は感じられない。

「お前が座敷わらしになったのは、四玉の仕業に相違ないな?」
 師傅が唐突に問う。
「おそらくは青龍の玉にかけられた、か弱き妖怪の透明の光。護符といえども拒めなかったのか? 護符があるゆえに巻きこまれたのか?」

 この人は力だけではない。テラスでの出来事を、見たかのように解釈する。

「木札は逃げろと告げましたけど、俺は残りました」
「愚かだ。だが、仲間を守るためにか?」

 師傅が俺を見つめる。……仲間ではなく一人を守るために残った。だから俺は返事をできない。師傅も答えを求めてこない。
 駅の方角からサイレンが聞こえる。あいつらのせいで、この町は滅茶苦茶だ。

「青い光が他の者へといかぬように細工があったはずだ」
 師傅がまた語りだす。
「その娘を傀儡として、触れさせて始めて玉が輝く。……娘には台湾から日本に自力で戻らせないとな。私ならば、ごく軽く傀儡としよう。
娘はおのれの意志で動けるが、ひとつの目的のためだけだ。生贄を集い、みずから玉に触れるためだけの傀儡だ。そして青い光をあふれさせる。
それとともに発せられた光により自分の姿が見えないのは、異形に堕ちた姿を認めさせぬため。……万が一のため、力も削っておくべきだな」

 桜井が告げた事実を、師傅の推測が凌駕する。やはり青龍が暴れぬように力を弱め、狼狽せぬように目をふさぐ手筈だったのだ。俺はその軟弱な光を一手に浴びた。
 違うかも。龍を抑えるほどに強烈な、透明無垢な光。

「哲人君、服にしまうといずれのものも消えるようだな?」

 いきなり名前で呼ばれてびっくりするが、うれしいし安心する。俺は大きくうなずく。師傅がすこし微笑みを浮かべる。

「青龍そのものを覆いかくすためだ。青龍になるべき娘は人の作りしものには近寄れず、その姿は異形にも隠される。その透いた光をまとっていたら、探しだすのは困難を極めただろう。あいつども以外は。
さすがは我が大恩ある老師、幾重もの策だ。だが、卑劣な策だ」

 師傅の感が強まった。背筋が寒くなる。でも俺にも尋ねるべきことがある。

「老師は今どこにいるのですか?」

 その問いに、師傅は空を見上げる。夏の東京でも星が見えるかのように。

「そこまで来ていると、我が感が訴えている。おそらく機会を待っている」
 闇空を見たまま言う。
「楊老師の式神で残っているのは、十二磈のごとき雑魚をのぞけば、峻計、手長と多足。姿を見せぬこの二匹が鍵を握っている。……あの二体の異形は日本生まれ。老師とともに動かずとも、おのずとこの地に来る」

 大カラスレベルがまだ二匹もいるのかよ。それでも楊偉天よりましなのだろう。

「こんなことを聞くべきではないですけど――」
 俺の前置きに師傅が顔を向ける。俺は目をそらさぬように言葉を続ける。
「楊老師には逃げられたのですか?」

 師傅が俺の問いに目をそらす。静寂のなか、やがて口を開く。

「逃がしなどしなかった。幾度も倒した。幾度となく殺した」
 師傅がまた空を見上げる。
「だが異形のごとく骸は消えた。また老師は現れて、偉大な術を私へと向ける。私は怒りに燃え、またも老師を倒す。術に嵌まったと気づくまでに、三たびも繰り返してしまった。
倒したのはいずれも本物の老師であって、老師ではなかった。老師はおのれの魂を肉体から離れさせたのか。我が師はそれほどまでに、邪悪な存在と化してしまわれたのだ」

 師傅の声は震えていた。

 *

「この下に、悪辣なものどもが息をひそめている」
 剣を夜空にさらしながら、劉師傅が言う。
「おぞましき契約を結べば、峻計をも凌駕する魔物だ。だが今は悪魔としての力が失せている。私の登場に怯え、雁首をそろえて身を縮ませている。千載一遇の好機だな」

 ロタマモとサキトガのことだ。おもいきり関わっている俺には、かんばしくない話題だ。
「あいつらとは――」

 言い訳を並べかけた俺を師傅が制止する。

「思玲、峻計、青龍の娘、哲人君。使い魔どもの魔力が果てた理由は、そのあたりが関わっているだろう。白虎のものが人に戻った由縁もそこにあるかな? だが、それを咎める時間はない」
 師傅は俺を静かに見ている。
「それでいて、今の私には魔物どもを消すこともできない」

「それは……、さきほどの怪我のせいですか?」

 聞きたくはないけど尋ねるしかない。あの時、師傅は血を吐いた。尋常ではない力と見識を見せつけるけど、木札からのダメージがあるに決まっている。

「私は哲人君を気に入った。こんなにも多弁になったのは久しぶりだ」
 また師傅は質問をはぐらかす。
「哲人君と接するだけで、我が気力も蘇った。ゆえに見せてあげよう」

 師傅が剣を天にかざす。鋼色の諸刃の剣。戦いのためだけの武骨な剣。

「分かったか?」

 師傅が俺に聞く。なにも分からないから、正直に首を横に振る。

「力は失せ、我が術も受けいれない。ただの剣と化した」
 師傅が剣をおろす。
「どうやら私は月神の剣(イエシェンダオ)の所有者でなくなってしまった。さきほどの戦いを敗北でなく、遁走と受けとめたようだ」

 月神の剣……。破邪の剣のことだろうか。さきほどの戦いとは、まさか……。

「私は哲人君から尻尾をまるめて逃げたらしい」
 師傅が剣を図書館の屋根へと突き刺す。悲しげな顔を向ける。
「もう一度哲人君と戦わなければならない。幾多の力を操る異形である君を倒し、我が力を再度認めてもらわねばならない」

 師傅が緋色のサテンを肩にかけ、宙に浮かぶ俺へと向きをただす。……剣を手にしてなかろうと、師傅の気が俺う襲う。服の中で木札が存在感を増す。

 俺は空中に逃れる。

「や、やめてください。俺には木札があるのですよ」

 馬鹿げている。なんで劉師傅とまた戦わなければならないのだ。しかも師傅は手ぶらで戦おうとしている。俺を倒すべき拳をだした瞬間に護符は発動する。

「逃げるでない」師傅の一喝に空気が震える。「すべてを失うぞ。私にも貴様にも時間はない」

 師傅が跳躍する。俺の面前に浮かびあがり拳を握る。
 さすがは劉師傅だ。それだけで、護符の怯えが怒りに変わる。俺はさらに上空へと逃げる。……時間がないのは分かっている。でも師傅を殺す羽目になる。
 東京の夜景が悔しいほどにきれいだ。こんな空高くに留まってもどうにもならない。俺はちりばめられた宝石から目を離し、艶消した黒耀石の闇へと戻る。

「あなたと戦いたくありません。剣がなくても、俺よりずっと強いです」

 夜暗に浮かびながら、屋上へ戻った師傅へと告げる。この愚かなやり取りを、使い魔達は本の中で笑いながら聞いているのか?

「月神の剣が輝かねば老師を倒せぬ」
 師傅が俺に眼光をあてる。あわてて目をそらす俺へと「四玉の巣も然り」

 ……今は峻計が持つ木箱。破邪の剣がないと、それにかかった術は消せない……!
 物思いに一瞬ふけっただけなのに、師傅は眼前へと駆け寄っていた。地を行くものはこの人には勝てないと、妖怪である俺は気づく。護符がないかぎり――。
 だから俺は見えない服へと手を入れる。木札をつかみだし、屋根へと落とす。

ドン

 とてつもない衝撃を腹部に受ける。
 人の作りし明かり、峻計の黒い光。師傅の一撃に比べたらかわいいものだった。
 剣がなくても強すぎずら……。俺の意識は切れぎれに飛ぶ。




次回「三叉路の俺」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み